二節『途切れた夢』5
七月の神殿に戻ってきた私はマザーシプトンの姿を探した。彼女への報告は義務であり、平穏に生きていくためには必要不可欠なものだった。四肢と両目を持たない彼女の行動範囲は、かかえて移動する修道女に依存するためにあまり広くはないはずなのだが、この日に限ってはそういうわけではないらしい。
「……そういえばトウカの馬を別の所で使ってるんだったか」
勇者一行を出迎えるために瑠璃の門まで移動する時、トウカは自分の馬は別の場所で使っていると語った。少なくとも神殿内にマザーの姿が見えないとなれば、どこかへ出向いているのかもしれない。
「さて」と独り言ち、マザーが居ないのを確認すれば、途端に私は暇になる。騎士だから鍛錬をするだとか、そういった事を彼女は私に期待していないのは分かっているし、私自身、剣を使って上手く戦えるとも思えなかった。ならばどうして騎士などしているのかと聞かれたなら、それはトウカに答えたのと同じ理由になるだろう。私は一人の少女と約束したのである。
勇者フォウ・リーフ。はるか彼方から存在する、生きた伝説。彼の伝説の始まり、その最初にはこう記されている。
「──地の底。もっとも深き場所より現れた彼は、神が遣わした存在なのだろう」
地の底から産まれる人間が居るはずもない。彼は呼ばれたのだろう。日本のどこかから、この世界へと。俺も少女に呼ばれ、こうして騎士として生活させてもらっているわけだが、私には彼の様に何か力が与えられていたわけではなかったのだ。
召喚者が神と人類とでは効果も違うのだろう。私に才能とやらは存在しなかった。
一人称を変え、口調を変え、書物を紐解き、礼儀を学んだ。剣術、魔術にも手を出した。おかげで簡単な物なら扱えるようにはなったが、それでも勇者には遠く及ばない。一級の二、三歩後ろで歩いているのが私であり、星光の名を預かった一人の騎士である。
そんな私が暇を持て余し、足を運んだのはフリューたちの屋敷だ。
ちょうど外に出ていた少女が私の姿を見て慌てて中に引っ込んだのがどこかおかしくて、そこで彼女がスラムで最初に私に声をかけた女の子だったのだと気が付いた。
生憎と私はこの町しか知らないが、それこそ一等地に立つこの家は貴族が住んでいると言われても納得してしまうぐらいの敷地面積である。四人で過ごすには持て余すだろうな、と考えつつ、私は庭をこえて扉のノッカーを叩いた。
すぐに誰かが出てくると言うことは無いものの、中で忙しなく人が動いている様子は伺えたので、フリューは在宅なのなのだろう。寒空の中をしばし待てば、いつもの修道服に身を包んだフリューが私を出迎えた。
「こんにちは。いい天気とは……言えそうにもないのですけれど」
「晴れ間が続くのはもう少し後になると思うが」
「そうなのですね。とりあえず中へ。外は冷えますから」
「都合が悪いならここで帰るつもりだけど」
「いえ、まさか一日に二度も貴方と顔を合わせるとは思ってもみませんでしたから」
「まぁ……あまり見たい顔ではないかもしれない」
ルーナン・コリスに逃げてきた彼女たち半龍の双子をこの屋敷に連れてきたのは私であるし、共鳴で繋がっているとはいえ、私たちは所詮表面上の関係でしかない。マザーのお膝元まで連れてこられた彼女たちが内心どう思っているかなど、知るすべはないのだ。
だが、そんな私の気持ちとは裏腹に、眼前のフリューは「整った顔立ちをしていらっしゃいますよ」と、視線を合わせて告げた。
「それはまた冗談を」
「貴方は日々の飢えを暴力で満たす男とも、冷血流れる金の信者とも違うのでしょう?」
それは質問でありながら庭で交わした最後の言葉であり、私は無言で彼女の背を追った。こういう時に相槌ぐらいしか打つことが出来ない自身をむずかゆく思うと同時に、あそこから続く言葉を待っていたのだ。何もないのかもしれなくとも、ここは変に口を開かないほうがいいのではないかと、今までの対人経験から思ったのである。
廊下を歩く途中で他の誰かの姿を見ることはなかった。誰も私と顔を合わせたくはないのだろう。それはそれで気が楽ではあるものの、嫌われているという事実となって胃の辺りを重く沈ませる。
はたして、私が案内されたのはフリューの部屋と思われる一室であり、簡素な机と椅子とが置かれただけの部屋は生活感というものを感じさせてはくれない。「どうぞ」とすすめられて座った椅子の冷たさに、私はゆっくりと歯をかみ合わせた。
ここと瑠璃の門の一室を見比べればどうだ。天と地との差……この言葉だけでは表せられない何かが欠けているような気持になってくる。部屋の広さでいえばあまり遜色はないだろうが、これでは市街とスラムとを比べる方がまだましなのではないかとすら思う。
もし勇者たちがスラムを見たらどう思うのだろうか。感じるのは義憤か悲しみか。
いや、スラムなど珍しくもないと、そう言ってのけるのかもしれない。
私が初めて訪れた時のスラムは薄ら怖く、全域に寂しさを満たしていたようだったが、それがルーナン・コリスに敷かれた宗教の残り香だと分かったのはその少し後である。




