二節『途切れた夢』4
窓枠に溜まった水を眺め、魔術師の女──ナズナ・ナンテンショウはふっと息を吐く。ルーナン・コリスの最上の部屋に何か不満があるわけではないが、この町を見ているとどうしても胸に渦巻く何かを体外に出してしまいたかった。
同じ魔術師であるヨシは魔力酔いで気分が高揚していたが、彼女は逆に心配でたまらなかった。違和感というほどではないものの、妙な胸騒ぎがするのだ。これが本当に魔力酔いなのかどうか、ナズナにはそれを確かめる手段がないというのも質が悪い。
たがしかし、今回にかぎってそれはどうでもいい事だった。
「これだけの魔力があれば禁呪のいくらかは再現できるでしょう!もちろん?私はやりませんが」
「…………」
「俺ぁ、この町が怖いぜ。見りゃ人は生きてるが……なんつぅかな、人間味がしねぇんだよな。ナズナは分かんねぇか?なんかこういうの」
「魔力のせいでしょ…………。たいていはそれで解決できるわ」
「あら、無視ですか」
ナズナの後ろに置かれたローテーブルに魔導書を広げて禁呪目録を指でなぞるヨシが顔を上げる。彼は未だに魔力酔いの症状に見舞われているようで、こういう時は好きな事を好きなだけさせるのが効果的だと経験で分かっていた。
一心不乱に武器を磨くノゲシの横を過ぎ、黙り込んだ勇者の隣にまで歩いて陽気な魔術師は得意げに話し出す。
「魔力とは水に溶ける性質を持ち、魔力濃度が高い土地には……、この町のように聖性が宿る事は近代魔術にとって基本!!」
「魔力と聖性って関係あんのかよ」
「あるともさ!偉大なる三神と我が主が創りたもうた人という種は、魔力によって地に在る事を許されるのだから」
「……は?」
「体から魔力が無くなった生物は天に昇っていくってことよ。馬が宙を駆けるのと同じ原理と一緒ね」
「そりゃ神話の時代の話しだろう?魔術師が浮き上がってんなんか見たことねぇ」
「それは三神の意向だ」と、唐突に口を開いたのは今まで黙っていた勇者であり、三者の視線は彼に注がれた。「三神にはそれぞれ領域があって、住んでいる場所がある」そう前置きをして、彼はヨシの魔導書をローテーブルから取り上げて空いたスペースに腰を下ろした。
「今の私たちが語る神代よりも前。神は王権を人間に託し、世界への過度な干渉を終えた。人が神の手を離れ、人の力のみで生きる事を主が望んでいたからだ。三神は魔術として人間に力を貸し、三神の権能を真似たものは禁呪として残された。やがて魔術に神が力を貸すことは少なくなっていき」
「現代魔術として残っている!」
勇者の言に途中で口を挟んだヨシを殴ってやろうかという衝動をどうにか抑えたナズナは付け加えるように言葉を紡ぐ。出来るかぎり武器を磨いている脳筋にも伝わるようにと。
「神の法から、人の法へ。世界は形を変えて、神代は終わりを迎えた。……これが魔術師たちに直伝されてきた最も新しい神話。神が残した魔力が消えていく神話なの」
「神のいない神話か…………。で?結局どういうことだよ」
「その土地が本来持たない魔力を神の魔力とみなすってことよ」
「あぁー、それは知ってるぞ。類似魔術ってやつだ」
「近しいものを同じものとして扱うって魔術ね。だからこの町は聖性が高いってわけ」
どうして自分がこんな説明をしなければならないのか。ナズナはそう思うものの、口を動かしていなければ不安で仕方ないのだ。生まれ育った町よりも、王都よりも、禁制地よりもこの町は魔力が濃い。魔力酔いがいつ収まるのかなんて確証もない。この気持ち悪さを治したい。
だけど、この地の魔力に慣れたその時に目にする生まれ故郷が、神に見放されたクソみたいな土地に映したくはない。
四年に一度。フルムーンを見に月の都ルーナン・コリスに行く勇者が羨ましかった。七月に魔女が封印されていると知っていても、幼い頃の彼女は楽観的に考えていたのだ。勇者の血を引く仲間を連れ、勇者と旅をするのは憧れでもあり、戦争ばかりの祖国からの逃避であったはずなのに。
……今は幾万の敵兵に囲まれている方が安心出来そうだった。これが魔力酔いから来る不安なのか、虫の知らせが伝えた不安なのかすらナズナには分からなかった。
・魔力
水に溶ける性質を持ち、一定以上集まった魔力は光り輝く。神代では輝く湖や海などはよく見られた風景だが、現代においてそれは非常に珍しいものとなった。
神代における魔力とは重力に似たものであり、馬や騎士の装束など、この特性を活用したものもある。
・聖性
魔力を多く含んだ地の空気を「聖性が強い」など呼ぶことがある。
神話を有している国、逸話の残る禁制地など、人々の噂が魔術をとして起こり聖性を有している場所が一般的に聖地と呼ばれている。




