八
「なにを言っている」
「コスプレ野郎に言ってんじゃねえよ」
高橋に立ちはだかる男がいた。
「まさ、もういいだろ」
疋田誠一は、どこからか見つけてきた棒切れを手に、俺と高橋に割って入った。半袖に半ズボンの、夏らしい軽装である。
誠一が出てきたところには、亜美たちがいた。亜美は心配そうにこちらを見ていた。
「言い出しっぺはそこのコスプレ野郎だ、戦ふっかけといて負けそうになったらはい終わりなんて虫のいい話があるか」
「これは遊びだろ」
高橋は決まりが悪そうに顔をしかめた。
「開発計画には反対だったが、ここまで盛り上がったんだ、話題性は十分だと思う」
「誠一」
俺の言葉に、誠一は顔だけをこちらに向けた。
「なんでしょう」
「そこを退いてくれ。危険だ」
「大丈夫ですよ。彼は僕の友だちなんです。ずっと前からの」
誠一は再び高橋と向き合った。
「警察官も来てるし、これ以上はまずいだろ」
「せっかくの申し出だが、これは俺とそいつの戦いだ。部外者が口を出すな」
「なら、俺を倒してからだ」
「は?」
「そんな大層なもの持ってるんだから、楽勝だろ。こっちは森で拾った棒一本だ」
誠一が一歩進むと、高橋は一歩退いた。
それまで黙っていた観衆から再び歓声が挙がった。
「なんだ、怖いのか」
「んなわけない」
「ならこい」
高橋が、斬り込めるはずもない。
「誠一……!」
彼には訊こえていないようだった。
「本物だ」
群衆の誰かが叫んだ。
「ガチの殺し合いってこと……?」
すると人々はとたんに恐慌し、会場は騒乱状態になった。口々になにかを叫びながら散っていく人々をしり目に、誠一の背中越しに見えた棒の先端は、斜めに斬られていた。高橋が斬ったのだろう。
「まさか」
誠一が言ったとき、会場には、疋田一家を除いて関係者以外誰もいなかった。警官が来るかと思われたが、遠くで吉見たちが引き留めているのが見えた。
「本物かよ」
高橋はため息をついた。
「だから嫌だったんだ」
そのまま大太刀を担ぐと、
「会見の準備もしなくちゃならん。早くどいてくれ」
「断る」
「お前なあ」
「お前だってしつこいだろ。こんな遊びに熱中するなんて――」
「こいつは自分を藤田と名乗った」
誠一は、胡坐をかいている俺を見た。
「藤田」
「藤田中総守政伸、らしい」
「嘘だ」
「そう思うだろ。俺も頭にきて、後悔させてやろうと思ってよ。だが」
高橋もこっちを見た。
「今は、わからん」
「……」
高橋は近くに置いてあった水筒の中身を飲み干した。
「三百年以上前の人間が生きている、なんてお伽話じゃあるまいし、ありえねえよな」
そう言って大太刀の切っ先を俺に向けた。
「確かめてえんだよ。問答なんてしたところで、信じられるわけない。なあ、そうだろ」
体勢を整え、俺はようやく立ち上がることができた。
「同感だ」
俺と高橋は互いに背を向けると、歩き出した。振り向き、さらに数歩後ろに下がると、刀を構えた。距離は、十メートルもないくらいである。
「俺が勝ったら、洗いざらい話してもらう。その老化ぶりも含めてな」
「承知した。俺が勝ったら、浜から手を引いてもらう」
「おう」
夕陽が水平線に沈もうという頃、西日の熱を冷ます夜風が吹き始めていた。人々から伸びる影は夕闇に混ざって一層黒くなり、細く長い軌跡を描いている。
俺の視界の先から、かつて岩だった頃の跡地が見える。わずかに残った雑木林を背に、跡地があり、そのさきに、朽ちて跡形もないがたしかに桟橋があった。
刀を上段に、ほぼ真横に寝かせ、両手で強く握りしめた。ここから先は、一刀のもとに勝敗が決する。一片の未練も残さず、全霊を込めなくてはならない。
高橋は大太刀を下段に構え、先端を浜に垂らしている。これまでの戦いで疲弊しているのだろう。
疋田一家が見守るなかで、一帯に長く沈黙が続いた。
俺と高橋が仕掛けるのは、ほとんど同時だった。高橋は大太刀を引きずるように駆け出し、その目は俺に注がれている。
疾走するなか、自身の得物はまだ寝かせている。
数秒とも言える瞬間、獣のような声をあげ、高橋と交差した。下段から渾身の力で振り上げられた大太刀は振り下ろされた俺の刀とぶつかり、大太刀は回転しながら宙を舞い、浜に刺さった。疾走の勢いを殺して止まり、振り返って正眼の構えを取った時には、膝をつき、俺を見る高橋がいた。
高橋は笑いながら、
「死ぬかと思った」
と言い、浜に倒れた。
刀を片手に、俺は高橋へ近づいていく。
「お岩様」
不安げに言う亜美に、
「安心せい」
と言って、俺は高橋の身体をひっくり返し、その懐から引っ張りだしたタオルを宙に投げ真っ二つに切り裂いた。
「成敗」
焚火を囲んでの宴は、夕暮れから夜になったのを境に始まった。
いがみ合っていた吉見たちと高橋の部下たちも、酒が入ると次第に上機嫌になった。いつもは煙たがるはずの老人の昔話や自慢話を部下たちは喜んで訊き、部下が話す新たな技術や文化の話を、老人たちは凝り固まった頭のなかでどうにか理解できる点を見出しては、しきりに頷くのだった。
宴は、本来予定していないものだった。契約書を引き裂く高橋を見届けて、俺はひとりひとごみを離れ、岩の跡地で最期を迎えるはずだった。だが、両陣営が互いの健闘ぶりを称え合うなか、夕陽に照らされながら、荷車に食物や飲料を山積みにした質屋が現れた。制服を着ていた青年、差料を鑑定した男、質屋の二階にいた老人、親子が三代揃って来ていた。青年は俺を見ると指を差し、鑑定した男が荷車を手放して走り寄ってきた。なにごとか訊くと、浜で戦が行われていると知って、間に合わぬならせめて労いのためにと食料を調達してきたという。男は、俺の差料の対価として支払われるべきだった金額の残りを急ぎかき集め、宴のために注ぎ込んだのだった。断る理由もなく宴は始まり、こうして焚火を囲んでいる。
誠一たち疋田一家は、高橋一家とともに宴を楽しんでいる。亜美や俊は菓子や炭酸飲料にをひとしきりたいらげると、高橋の息子と思しき男子ともに、夜の浜を駆けまわった。誠一と咲は高橋の夫人であろう女性と話しており、警察への事情説明を終え解放された高橋が戻ってくると、酒を酌み交わした。
吉見方と高橋方の和解は、俺という厄介者を抱えた浜に対する思いを切実に表していた。彼らが目指しているのは市と浜の復興であり、そのために取るべき道を違えているだけのことだった。みな同じだった。開発計画に異議を唱える吉見たち、浜に商業施設を建て財政の活性化を狙う高橋たち、そのために岩だった俺を排除するべく派遣された牧野たち、俺の遺骨を探し続けた誠一たち。
俺は、人ごみから離れた場所で酒を飲んでいた。戦の功労者として讃えに来る者も多くいた。だが「ひとりにしてくれ」と言うと、みないくつか謝辞を述べそれぞれの集まりに戻っていった。勲功を褒められるのはうれしい。だが深夜の闇にあっても、身体はもはや隠し切れないほどに老いており、しわがれてすらいる声の一辺でも訊かれるのはためらわれた。
浜に座り、海を見ながら日本酒を飲んでいると、吉見がやってきた。
「ご立派でした」
「そうか」
「今日ほどうれしかったのは、息子の結婚式以来です。冥土に持っていく土産が増えました」
「今日の話をすれば、きっと子供たちも訊いてくれるのではないか」
「そうでしょう。私も、極楽へ行ければよいのですが」
吉見は水平線を眺めていた。
「おぬし――」
「若様についていく道すがら、思い出したのにございます。あのまま痴呆に侵されていればいいとも考えました。ですが、正気に戻り、長く止まっていた時が、ようやく動き出したようにも思えるのです」
「嘉平も喜んでおろう……奴も果報者よ」
吉見は涙ぐんでいた。
「泰成さまも、きっと今日の若様を見ていたはずです」
「そうだといいな」
「そうですとも」
「吉見」
「はい」
「達者でな」
「若様も」
吉見は、酒盛りの輪に戻っていった。
戻った吉見と代わるようにして、疋田一家と高橋がやってきた。
「なんだ」
「ありがとうございました」
誠一は頭を下げた。
「礼を言われる筋合いはない」
「あるよ」
亜美が側までやってきた。
「お岩様だもん」
「違う」
「自分は岩だったって、まさおじさんに言ってたじゃん」
「う……」
「じゃあ、お前は本当に元亀生まれの、藤田中総守政伸だってのか」
高橋が言った。
「なんのために貴様と斬り結んだ」
「それもそうか」
残った酒を飲み切ろうと瓶を傾けたとき、瓶は左手から滑り落ちていった。もう日付をまたいでからそれなりに時間が経っている。空の瓶すら持つ握力も残っていないのだろう。
刀を杖に、かつて歩いた浜辺を辿っていった。父に黙って家を出て、浜からあの桟橋に至るまでの道である。誠一は俺のすぐ横につき、高橋は少し後ろからついてきた。痛む膝を押して歩くのはずいぶんと時間がかかる。だが、宴の喧噪から離れ、次第に近くなる桟橋を目にするたび、軋んだ身体にも力がこもった。
三百という積年に、一日で報いることができたのだろうか。頭上にかかる月を見て、ふとそう思った。あと数時間、いや数十分もすれば、自分は死ぬ。仙吉や忠信、嘉平や父上のもとへ行く。あるいは、不孝者には地獄が待っているかもしれない。そうだとしても……。
悔いはない。
戦には程遠い、乱痴気騒ぎとも言える有様だった。醜態を晒し得たものは、見飽きた浜でである。だが今やそれは、かつてないほどに大きかった。俺や仙吉だけでなく、当時の者たちが愛し、連綿と受け継がれてきたこの浜が、光り輝くようだった。
岩の跡地に腰かけ、三人で桟橋があった場所を越えて続く水平線を見ていた。
すると、波打つ音に、誠一のすすり泣く声が混ざり始めた。
「なんで泣いてんだよ」
高橋が言った。
「いや、だって……」
誠一は涙を拭った。
「政伸さまの遺骨探しは、俺の世代で辞めるつもりだったんです」
「知っておる」
「……お見通しですか」
「俊と亜美、お前の子どもには、俺の字がない」
誠一には、“誠”がある。誠一の父、隆正には“正”がある。
仙吉を祖とする疋田一族は、自らの名前に、政、すなわち“せい”か“まさ”という字を込めるようにした。二代目の“清”衛門、三代目の“正”次郎、四代目の勝“政”……。
「祖父も親父も、ずっとあなたの遺骨を探していた。けど見つけられず、失意のうちに死にました。そして、祖父は親父に、親父は俺に託した。ふたりの姿を見て、この思いを子どもに味合わせたくないと思ったんです」
「それは、つまり政伸さまの遺骨はないって認めてるわけだよな」
「それは……ああ、そうだよ。ふつうに考えて、あるわけない」
「だが、諦めるわけにはいかなかったのだろう」
「はい」
誠一の声は、かすかに震えていた。
「吉之丞さま以来、ずっと受け継がれてきた想いを俺の一存で辞めたわけですから、俺が死ぬまでに、何としても見つける必要があったんです。いや、無いとわかっていて、それでも穴を掘る自分に安心していただけなのかもしれません」
「三代目の正次郎から、その気はあった。失踪した俺を見つけようとしたのは、仙吉の優しさだ。だが、いつからかそれが、疋田一族を縛るようになった。すべては、この藤田政伸の責任である」
「でも、こうして、見つけることができた」
「そうだな」
俺は、誠一の頭を撫でた。
「ありがとう」
誠一は子どものように泣きじゃくった。隆正の葬儀の帰り、母に連れられて浜にやってきた時以来の泣きようだった。誠一に限った話ではない、かつてこの浜で泣いた者たちは、親を失った悲しみと、親を縛り付けて離さなかった藤田という存在に触れ、不安で押しつぶされそうだったに違いない。
「方正」
高橋に、紙きれを渡した。自分の死後のことについて書いてある。高橋は一読し、
「わかった」
ただそう言った。
意識が朦朧としてくる。
脳裏には、仙吉の背中を追いかけながら戦場を駆け抜けた時が浮かんだ。一介の足軽としておくには惜しい体躯、それでいて女とも思える、細く柔らかい顔。祝勝会には出資者の高橋家も同伴し、朝まで飲んだ……。
誠一と高橋の手の感触が、はっきりと感じられた。
雑木林が揺れ、砂が舞った。風はあらゆる方角から吹き、自分に集まっている。
ついに使う気配がないとみて、自分から吹かせたか。
「政伸さま」
誠一の声が訊こえる。
「さらば」
その前に……。
仙吉、安心せい。
俺はここにいたぞ。