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 高橋陣営は狼狽している。今回のしっぽ鬼において敵方の鬼から逃げるのは、俺と高橋である。味方に守られ奥でじっとするのが定石だろう。あまつさえ、こちらは若年ひとりと数十の老人しかいない。そうした状況からの総突撃は、確実に高橋方の意表を突いた。

 高橋がなにやら檄を飛ばし、ようやく相手も動き出した。

 掴みかかろうとする男のひとりに接近し、頭をつかんで浜に叩き伏せた。高橋めがけて走りながら、怯んだ左の男の脚を引っかけて倒し、将棋倒しになった場所へ突進した。前かがみの男の背中を飛び越え、殺到する者たちの肩を足場に前へ前へと進んでいく。着地したところに迫る相手の足を払い、投げ飛ばす。時間とともに成熟した身体は、自分の思い以上の働きを見せた。節々が軽い。

 鈍い足でようやく駆け付けた吉見たちは、高橋の部下たちとは決して正面から戦おうとせず、作戦通りに動いた。

 老人ホームの面々が発作を起こしたと言い、浜中でのたうち回る。

 雇われが死別した妻を偲んで咽び泣き、海への入水を止められる。

 遠藤が相手を片っ端から浜に正座させ、自分が若い時の話をする。

 吉見が自身に神を降ろして天を舞う、と叫んで周囲を困惑させる。

 若者の親切心につけこんだ戦いは、浜を大いに混乱させ、高橋陣営からは怒号が飛び交い、野次馬からは笑い声が挙がった。

 背中で阿鼻叫喚を訊きながら、ふと「宴会だ」と笑った。当時は奇襲強襲が当たり前だったが、これほどの奇策は見たことがない。愚策とすら言える。

「若様」

 吉見の声が訊こえる。

「ご武運を」

 高橋は近い。眼前に広がるわずかな部下は怖気づいたのか、進んで道を開けた。

 高橋は椅子から立ち上がり、尻から垂れ下がるしっぽ代わりのタオルをなびかせていた。緒戦こそ慌てていた顔は、すっかり自信を取り戻している。高橋はその巨体を揺らし、

「来な、コスプレ野郎」

 しっぽを掴もうと伸ばした私の腕を、高橋は体をすばやく反転させ避けた。逆に自分のしっぽを取られそうになったところを前転し、寸前で回避する。

 顔を上げた時には、高橋は叫びながら突進してきた。中腰で受け止めたが、衝撃は胸から全身を駆け巡り、息が口から押し出された。夏の日差しと気温で湯気だった高橋の身体は、大砲から発射された砲弾のようだった。脂肪の下には、鍛え上げられた筋肉がたしかにあった。

 剣術の稽古を、続けているのか。

 高橋家は「自らで切り拓く」という標語を掲げ、商才を遺憾なく発揮する一方で自衛のための剣術を奨励していた。三代目になったあたりから浜を訪れなくなり、それきり高橋の噂はほとんど途絶えていたが……。

 だが腕には芯が通っている。

 剣士の腕だ。

 取っ組み合いから離れて体を時計回りに動かし、勢いづいた高橋を浜に突っ込ませ、今度こそしっぽを奪うべく殺到した。高橋の巨体は力こそあっても挙動は重く、いま浜に突っ伏した体を起こそうと立ち上がるところであった。

「うおおおお」

 あと一歩というところで、右から突っ込んできた男に飛ばされた。受け身を取って浜を転がり見上げたさきには、見覚えのある連中がいた。

「牧野」

 私を吹っ飛ばした牧野はにやにやしながら、

「させねえよ」

 彼の背後には長谷川と畑山がいた。

 いまも続いている乱闘騒ぎから抜け出してきたらしい。

「でかした、牧野」

そう言って、高橋は退却していった。

「逃げる気か」

 追おうとした私を、牧野たちが遮った。

「てめえのせいだ。てめえさえいなければ、俺も長谷川も畑山も、普通に過ごせたんだ」

「女子を傷つけた畜生が、なにを言う」

「あれは不可抗力だった、しょうがなかったんだ」

「情けない」

「なんだと」

「貴様を少しでも憐れんだ自分がな」

「クソ野郎が」

 牧野の目は血走っている。

「一部始終を見てたんならわかるだろうがそもそもあれは――」

 牧野と目が合った。

「……はっ」

「まだなにかあるのか」

「他人のこと言えた義理か、お前はよ。それだよ、気違いの目。人を殺る目だ」

「くだらん」

「ああ、くだらねえな。嬉々として人を斬り殺してた、気違いの時代のコスプレなんてよ」

 思考する前に体が動いていた。浜を蹴り上げ、牧野の構えた腕を弾き、牧野の首をつかんで引き倒した。本来首級を挙げるための所作だが短刀はない。右手で、牧野の首を締め上げた。長谷川と畑山が引きはがそうとしたが、なんのことはない、弱く細い腕だった。訳もなくふたりを振りほどいた。

「殺す気か」

 畑山が叫んだ。

「安心せい、あとで腹切って詫びる」

「そういう問題じゃねえだろうが」

「牧野、貴様の走馬灯はどうだ。なにが映る」

 牧野の見開かれた目は、浜の遠くを見ていた。

「亜美が見えるか」

「……」

「亜美が見えるか!」

「やめて!」

 左手を構えていた私は、声の方を見た。

「亜美」

「その手を離して」

 亜美は包帯の巻かれた頭を下げた。

右手を放し、馬乗りを止めて立ち上がった。牧野は気づいたようにせき込み、四つん這いで長谷川たちのもとへ戻った。

「君の仇だぞ。あの男のせいで、君は死にかけたのだ」

「でもあのままだったら、息が苦しくて死んじゃってたよ」

「畜生はなんら権利もない。死に方を選ぶこともできぬ」

 亜美は牧野たちのもとへ近寄った。

「亜美」

 亜美は私を見て笑った。牧野に振り返ると、

「大丈夫?」

「え、ああ、まあ」

「お父さんと話したんだけど、私、あなたたちのことは言ってないよ」

「それは、どういう」

「私はうっかりずっこけて、岩にぶつかっちゃったってこと。それでおしまい」

「……どうしてだい」

「病院のベッドで寝てるとき、最初はあなたたちのことが大嫌いで、絶対仕返ししてやるって思ってた。でも、お父さんにそのことを話そうとして思い出したとき、思った。夜に工事現場に入ったのは私。私があそこにいなければ、お兄さんたちが私を傷つけることもなかったんだ……まりあと会いたくて我慢できなかったから、そのせい。ごめんなさい」

 吉見たちと高橋の部下たちによる喧噪は続いていた。だが、俺や亜美、牧野らのあいだは、水を打ったように静まり返っていた。牧野は、亜美の告白に訊き入り、空を仰いだかと思うとうつむき、それきり微動だにしなかった。

 牧野はやがて、目に涙を浮かべて膝をついた。

「あの時は処分を言い渡されて、焦ってたんだ。やることなすこと、全部うまくいかなくて、もう終わりだと、自棄になってた……。いまさらかもしれないが、本当に……申し訳ない」

「僕らにも責任はある。ね、畑山君」

「当然だ」

 牧野は額を浜に擦り付けた。ほかのふたりも後に続いた。

「じゃあ、おあいこってことで」

「そう、いってくれるのか」

「私はへっちゃらだもん」

 亜美はそういうと患部を軽く叩いたが、すぐに頭を抱えて「やっぱりちょっとだけ無理」といった。牧野は涙と鼻水を拭い、笑った。

 牧野はYシャツの胸ポケットから、まりあの骨を取り出した。あの夜、逃げようとして牧野の足に刺さり、証拠につながると怖れて持ち去られた骨だった。隠滅作業の一貫だったのだろうが、先端に付着していた血は消えていた。

「返すよ」

「ありがと」

「まりあ……だっけ? 彼女によろしく。俺を恨んでいるだろうが」

「まりあはしゅくじょだから、話せばわかってくれるよ」

牧野は私を見た。

「行けよ」

「いいのか」

「俺にはわかる。あんたが勝つ。わからねえが、そう思う」




 車が行き交う街道から浜へとそれた獣道は、もはや獣の道であったことすら判然としないほど鬱蒼とした草木に覆われていた。開発工事の最初期では運よく方角が逆であったため伐採をまぬがれたそこには、見覚えがある。

 疋田と高橋を連れ、歩いた道だ。

道は浜へ続き、そのまま南へ行けば、岩と桟橋、まりあの墓にたどり着く。

馴染み深い道と浜の境界で、高橋は立ち、海を見ていた。祭りとも言える乱闘も下火になり、大将ふたりの睨み合いに興味を示して移動してきた野次馬が、遠巻きながら徐々に人だかりを形成しつつあった。

「ふざけてやがるな」

「なんのことだ」

「あのじじい軍団のことだよ」

「力で劣る老人に、正攻法などもとよりない」

「まあいい」

高橋は手にしていた風呂敷を掲げた。細長く、若干反り返っている。

「これが、なにかわかるか」

「ああ」

「……肝は太いみてえだ」

「実戦を四度経験している。十七人斬った」

「夢のある話だ」

「乱世に夢を見る暇はなかった」

「よくなりきっていらっしゃる」

「本物に、なるもなりきるもない」

「いちいち癇に障るな、お前はよ」

高橋は風呂敷で肩を叩いた。

「改めて、訊かせてもらおうじゃねえか、お前の名前をよ」

「藤田中総守政伸」

「本名だ」

「今言った」

「そうかよ」

 高橋は風呂敷を解き、二振りの刀のうちひとつを投げてよこした。拵え、柄や鞘の装飾、まとっている気……これがなんであるかはよく知っている。

 真剣だ。

 吉見らや高橋の部下たち、野次馬が固唾飲んで見守る中、俺は得物の鯉口を切った。刃は鞘から滑らかに出でて、西日を照り返した。見るからに精巧な刀だったが、これが真剣であることを知るのは、この中で俺と高橋だけである。

 高橋の得物は、刃渡りのみで一メートル二十センチはある大太刀だった。ああいう類は、神社への奉納か、祭りくらいでしか出番はないが、彼が誇らしげに掲げる抜き身を見る分では、実戦向けのものであるらしかった。観客たちは、せいぜい演舞でも始まると考えているところだろう。

上段に構える高橋の身体は、大太刀もあってか巨人のように見えた。野次馬から歓声が挙がった。鯉口を切り中腰になった俺を見てか、別の方角からは声援が訊こえた。

 居合の型を見てにんまり笑った高橋は、上段の構えを維持したまま時計回りにすり足で動き出した。互いに一定の距離を保っている。

 最悪、斬る。

 そういう覚悟で、ここにいる。殺さずとも、致命寸前の一太刀を浴びせればそれでいい。

「うおりゃああ」

 睨み合いを終わらせたのは高橋だった。迫る巨体から振り下ろされる刀身は一直線に俺に殺到した。なるほど太刀筋は堂に入っていたが、やはり実戦の動きではなかった。刃が脳天を掠めようとする前に身体を翻し、返す形で刃を抜く。

 瞬間、高橋の振り下ろされたはずの刃がこちらの側面に迫った。高橋の腹を浅く斬るはずだった刀身は大太刀と激しく交差し、再び互いに距離を取った。大衆は大いに沸いていた。

 読んでいたのか。

 愚直とも言える振り下ろしは、居合を誘い反撃に出るための餌だった。

 愚直なのは、俺のほうか。鞘を地面に置き、刃を正眼に構えた。切っ先を真っ直ぐ、高橋に向ける。高橋は担いでいた大太刀を下段に構えた。

 今度はこちらから仕掛ける。間合いに入った高橋の下段から斬り上げた。さきほどの読みを成功させた高橋はもう一度その手でいけると思ったのだろう、だが下げた大太刀は今か今かと、ももと腹を小刻みに上下していた。これでは相手に手の内を明かしているようなものだ。上部の攻撃に備えているなら、下から攻める。

 高橋は長い刀身の真ん中を左手でつかみ、槍を振るうように立ち回った。左手を基点に刀身の上と下を器用に動かしながら、こちらの剣戟を捌いていく。

 高橋がくり出す突きを弾くと、その勢いで高橋は体を回しながら大太刀で周囲を薙ぎ払おうとした。刀を突きたて盾にし、その勢いを殺し切った直後、今度は大太刀を地面に向かって弾き、刀身を踏んで駆けあがった。唖然とする高橋の胸に、渾身の蹴りを入れる。高橋は大きく仰け反り、浜に倒れた。だが、息を整えるや間もなく立ち上がった。

 一進一退だった。技量では俺に分があった。だが力は高橋が圧倒しており、なにより気迫に満ちている。一世一代の機会になるであろう実戦を経験している高橋にとって、この場は高橋一族が継承し奨励してきた剣術を試す絶好の場だった。同時に、高橋が、相手に深手を負わせないよう動くこちらの胸中を見透かしているような気がした。

 剣戟が行われ、時には火花も散った。そのたび観衆は熱狂し、高橋は昂ぶり、俺は心を研ぎ澄ますよう努めた。

 息を荒げる高橋に、大太刀を重みが少しずつ効いているように思えた。長尺の刀身を軽々と扱って見せた勢いは今や衰え、大太刀を使うはずが、振り回されている。顔や体を滝のように流れていた汗が浜に落ち、吸い込まれていく。

 未熟者ほど読みにくい。剣術を習いたての俺に、父は笑いながらよくそう言った。高橋は実戦こそ初めてだが、太刀筋には教えの跡が色濃く残っている。それが救いだった。不測の事態に対処しようとすれば、力加減などできない。

「終わりだ」

 高橋は何も言い返してこなかった。大太刀を必死につかみながら、肩で息をしている。

 ――峰で胸を打つ。

「うっ」

 視界が揺らいだと思うと、めまいがした。刀を突きたてどうにか踏ん張ったが、全身に違和感がある。

 動かない。

 高橋が怪訝そうにこちらを見ていた。だがこちらとて原因はわからない。陽射しを真に受け続けたことによる熱中症なのか。体は汗と砂にまみれているのみで、外傷はない。視界は逡巡し、やがて刀で止まった時。ようやく気付いた。

 老いている。

 日光を受けても浮かび上がるくらいのほうれい線が、両の頬を浅く走っている。目じりは垂れて皺が寄り、かきあげていた総髪に、白いものがちらほら見える。身体の不具合は、老化によるものだったらしい。

 戦いが、寿命を縮めたとでもいうのか。

 状況を理解したのか、高橋は笑いながら立ち上がった。

「認めてやるよ。気に入らねえが、武士を名乗るだけの腕はある。だが、その様子じゃもう戦えないだろう」

「……」

「降参しろ。お前はよくやった」

「誓ったのだ」

「なに」

「父と友に、これ以上恥は晒せぬ」

「もう虫の息じゃねえか」

「小休止よ、すぐ治る」

 高橋は大太刀を持ち直し、峰をこちらに向けた。

「少し痛い目を見てもらう。それで、お前も、あの老人たちも納得するだろう」

 ふと、魔女の言葉が思い起こされた。

 万軍を蹴散らすほどの風を、望めば吹かすと。

 その力があれば、勝てるだろう。

 迷う時間などないはずだった。だが風を望むほどに、俺に独りと言われてふと見せた彼女の顔もまた浮かび上がってくる。三百年生きた自分でも想像できないくらい昔から、彼女は力を求められ、利用されてきたのではないか。

「悪いな」

 高橋の大太刀が天を向き、きらめいた。その向きと構えは、俺の右肩を狙っている。顔をうつむかせ、歯を食いしばった。

「おい、邪魔だ」


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