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 浜へと通じる大通りの手前、駅の広場には老人がごった返していた。百人はいた。刀を質に入れて得た百万を使って、吉見が募集した者たちだった。平日の日中ともあっては厳しいと思ったが、ひとりも若輩がいない光景を目の当たりにすると、落胆する気持ちもあった。仕事に出ている大人たちの流れとは別に、彼らは吉見を先頭に数列にわかれて談笑している。頭皮に滲んだ汗が反射していた。

「若様」

 私を見るや、吉見は叫んだ。ほかの者たちも一斉に振り返る。

「吉見、恥ずかしいからやめよ」

「申し訳ありませぬ」

 吉見は頭を下げた。

「遠藤はどうした」

「斥候に出ております。もう少しすれば戻りましょう」

 と言い切ると同時に、浜の方角から息も絶え絶えに遠藤が走ってきた。

「これは、藤田様、戻られていたので」

「うむ」

「遠藤君、報告を」

 彼の話によれば、二百人ほどの従業員を連れた高橋が一時間ほど前に浜を訪れ、大岩の跡地を見て唖然としていたという。彼らは方々に連絡を取り、またその騒ぎを訊きつけた市民たちも集まり、情報機関の連中まで出張っている。

「遠藤君、ありがとう。して、若様、いかがされますか」

 広場にある時計は十五時を指している。傍の噴水に広がる水面を見ると、小さな波に歪んでいても自分の顔は成熟しているのがはっきりわかった。面影はあっても、そう表現するしかないほどに変わっていた。

「浜へ向かう。ゆくぞ」

 おお、という掛け声とともに、さきほどは見えなかったが老人たちの数人が旗印を持ち出した。たんぽぽの旗がはためく様はなつかしく、自身を大きく勇気づけるものだった。この数時間に成長し続けたこの身体も、あとは老いていくばかりだろうが、それまでに、為すべきことを成すべきだ。

 浜が近くなるにつれ、人だかりも増えていく。人々は私たちの行列に道を開け、多くは成り行きを見守り、ある者は写真を撮った。蝉の鳴き声もかき消すように、へりこぷたーが上空を旋回している。しばらく歩くと、浜の工事現場にたどり着いた。三百年以上も居座り続けてうんざりしていたはずだったが、戻ってみると、不思議と安心感があった。

「あの……」

 工事現場の入口から、牧野たちの代わりに派遣されたのであろう警備員が近寄ってきた。

「こちらは関係者以外、立ち入り禁止でして」

「文を書いた者が来たと高橋に伝えよ。いるのだろう」

「たしかに、いま高橋さんが来られていますが……」

「伝えてくるのだ」

 睨むと、男は一目散に現場に消えた。

 間もなく戻ってくると、深く頭を下げた。

「社長がお待ちです」




 岩の前では、部下に囲まれた高橋が煙草を吹かしていた。穏やかだった風も勢いを増し、口から吐き出された煙が海の彼方へ追いやられていく。吉見たちを途中で待たせ近づいていくと、高橋は吸い殻を私の跡地に放り、踏みにじった。

「君か、あの文を書いた藤田とかいうのは」

「いかにも」

「よく俺が来ると思ったな」

「貴様らが貪る権益を引っこ抜いたのだから、来ないはずもない」

「ああ、これか」

 高橋は岩があった場所を少しだけ振り返った。

「夢かと思ったが、現実らしい」

「わかったのなら、ここから立ち退くがよい」

 高橋は笑った。

「冗談きついな。工事はもう始まった。各方面への調整も済んでいる。今更止めるのは無理な話だ」

「岩はもう消えた。いわくを訊いて離れた人も、いずれ戻ってくるだろう」

「そうだとしても微々たるものだ。あの大岩は口実で、商業施設の建設自体は十年以上前から決まっていたんだよ。開発の理由こそ欠いたが、今となってはどうでもいい」

「貴様」

「ふたつ確かめたいことがある」

「なに」

「あの文を書いたのは、本当にお前なのか」

「なにが言いたい」

「俺のこと、いや、俺の先祖にやけに詳しい。口伝されたものも多く書かれていた」

「友だったからな」

「は?」

「お前の商いの原点となった男、高橋忠信は、私の友なのだよ。ともに藩の道場で剣を学び、競い合った」

 静まりかえっていた空気が、高橋の大笑いとともに堰を切って破られた。高橋も、その部下たちも腹を抱えて笑っていた。あふれる涙を拭った高橋は息を整え、

「そりゃあいい。で、ふたつ目の確かめたいことだが、大岩はどこにいった」

「ここだ」

「ここ?」

「大岩は、俺のことだ」

「冗談にしてもつまらねえんだよ、コスプレ野郎。二度目は笑えねえが、まあ、その羽織の質に免じて許してやる。で、本当はなんなんだ」

「言った通りだ。俺は岩になって三百年以上、この場にいた。そして、俺が人に戻ったことで岩は消えた」

「……お前も大人だろ? 俺より少し若いみてえだが、こんな馬鹿なことしてないで就職でもしたらどうだ……武士とか」

 部下たちは思い出したように笑い出した。

「若を愚弄するか」

「吉見」

 私が言い終えるよりも早く、吉見は笑いこける部下のひとりに猛然と掴みかかった。だが吉見の細腕は軽々とはねのけられ、体は勢いよく浜に突っ伏した。すかさず遠藤が駆け付け、肩を持った。砂に塗れただけで、吉見に大事はなさそうだった。

「吉見、止めよ」

「若様、こいつらはあなたを侮辱したのですぞ。わずかな命を燃やす、あなた様を」

「じじいは施設にすっこんでろよ」

 胸倉をつかまれた男の発した言葉に、私は耐えた。だが背後で待つ老人たちはその言葉に大いに怒り、詰め寄り、高橋の部下を守ろうとその他大勢が男を守り、浜の空気は突如として張り詰めた。

「やるか、くそじじい」

「若造など、ひとひねりよ」

 緊迫した空気を、高橋が一喝した。

「やめろ」

 辺りは静まった。

「藤田さん、うちの部下も頭に血が上ってる。ここはひとつ、手打ちにしねえか」

「吉見の非礼は詫びよう。俺の失態だ」

 俺は岩の跡地を見た。

「だが、これだけ群衆の目に晒されれば、この浜の、観光地としての人気はすでに手に入れたと考えられる。それを押して環境を力づくで変えることのほうが、この市の損失ではないのか」

 端末越しにこちらを見る大衆と、空をせわしく飛び回る情報機関、もはやこの浜は無名ではなかった。

 高橋は驚き、「へえ」と言いつつ顎を撫で、思案していた。少しばかりの間があった。

「だが、すでに工事は始まった。関係者方面への連絡もついている。彼らを納得させられるだけの理由は、どこにある?」

「戦です」

 吉見の言葉に、全員が振り返った。

「敗者は勝者に従うもの。違いますか」

 部下の誰かが言った。

「戦って、なにするんだよ。ゲートボール大会か?」

「戦は、戦しかない」

「はあ?」

 吉見は私を見た。

「若様、いまこそ汚名を雪ぐ時です」

「しかし」

「俺は構わねえよ」

 高橋は自信ありと言うように腕を組んだ。




 俺と高橋は懐に白い布を仕込み、外に向けてわずかに垂らした。

しっぽ鬼。

 だが老人と高橋の部下では話にならないので、吉見が言う戦をするわけにはいかない。両陣営の大将のみがしっぽをつけ、そのうえで雌雄を決するべきだということで話がついた。高橋は部下に荷物を取ってこさせると、そのひとつとして契約書を俺の前にちらつかせた。違約を含めた全額を払う準備はあるようで、こちらが勝てば市との契約書をこの場で破棄するという。

 現場に置かれていた備品がつぎつぎと左右にどけられ広くなっていく眼前を見渡すと、わずかに残った雑木林、まりあの墓の傍に疋田一家がいた。床几を模した椅子に大将として座る自分を、つぶさに見ていた。誠一、咲、俊、退院した亜美もいた。頭に包帯を巻いてはいるが、顔色はよく、いまから起こることを楽しみにしているのがわかった。

 誠一と目が合い、俺が会釈をすると、彼も返した。今朝病院で出会った時の藤田政伸とは、面影を残すだけで顔はまるで違うはずだった。駅前の噴水で確認してから二、三時間は見ていない。もう、少し前の自分ですらないのだろう。

 だが仙吉の子孫に見守られて臨む戦場は、なんだかこそばゆく、修行する様を父に見られていた時と同じ感じがした。対面には、にやにやしながらこちらを睨んでいる高橋もいる。私が岩にされ、三百年以上を生き、こうして浜で友人たちの子孫と対面することは、決まっていたのだろうか。あるいはあの魔女は、それを、見越していたのだろうか。

『コスプレ野郎、準備はいいか』

 二百数メートルはある前方から、高橋はほら貝のような機械を通して大声を出した。返事をしようと立ち上がると、吉見も同じ物を取り出した。

「これを通せば、声を増幅させることができます」

「いらぬ」

「はっ」

「吉見」

「はい」

「手筈通りに」

「むろんにございます」

「形がどうあれ戦には違いない。逃げるなら、今ぞ」

 風にうまく乗ったためだろうか、張り上げた声は大きく、力強く響き渡った。

『お前こそ、じじいどもといっしょに尻尾を撒いて逃げるなら、見逃してやるぞ』

 俺は仁王立ちし、腰をかがめた。

「藤田の戦、見せてやろう」

おお、と老人たちは叫び、浜を一直線に駆けだした。


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