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 ひと月が経ち、浜は賑やかになった。

 ひとつは、疋田一家だった。月に一度来る程度だった彼らだが、まりあを供養するべく、今では毎週一度は浜を訪れるようになった。俊と亜美はまりあの好物だった骨状の菓子を必ず持ってきて、墓に勢いよく差していた。

 ふたつ。

 高橋商事による開発が始まった。

 牧野たち三人組と同様に灰色の作業服を着た連中が業者とともに訪れた。浜の手前、雑木林に重機が入り、長大なその一部を薙ぎ倒していった。巨大な荷台を背負った車が数台、近くに停まったかと思うと、業者のひとりが荷台に乗って、中身を手ですくった。

 砂だ。

 星のように輝いている。

 この浜にはない砂で、どこかより持ち出してきたに違いなかった。陰気臭い浜の雰囲気を、少しでも払拭しようといったところか。

 五十人はいる作業員たちは重機でならした雑木林に入り、辺りを整備していった。残った木をチェーンソーで切り倒し、広げた地図を指さして、あれこれ話していた。

 話を訊くに、私への対処法はいまだないようだった。この浜の現状を生み出した私を差し置いて開発に着手するのは、高橋商事も市も、焦っているからなのだろう。

 私の目の前では、もう何度も見た問答がくり広げられている。

 誠一が、現場の責任者と話していた。

 浜の景観を壊すような真似は、大衆にとって悪印象でしかなく、むしろ今の状態を維持したまま観光資源として活用するべきだと、誠一は言った。だが神隠しは伝説として置いておくにしても、動物の死骸が岩を中心に点在しているのは明らかで、岩の撤去は衛生的にも大切だと返されると閉口してしまった。まりあの墓があるから辞めてくれなどといっても、そんな私的な理由で取り合ってくれるはずもなかった。三百年前の遺骨を探していると言おうものなら、笑われていたろう。

 高橋の友人である手前、断りづらいのだろうが、誠一と話す責任者は渋い顔だった。

 このひと月で、誠一だけでなく、景観を守るべきだという人々が近くで小さなデモや集会を行っていた。つい昨日も、老年の男たちが集まっていた。工事の音で声は訊き取れなかったが、血気は盛んなようで、今日までよく目にしている。

 私の影で休んでいた咲たちのもとへ戻ると、誠一は、

「墓を移すべきかも」

「政伸様の遺骨はどうするの」

 咲が言った。

「建設作業中に、見つかるかもしれない」

「それでいいの」

「いいわけないだろ。けど、どうしようようもない」

 高橋商事が私を撤去できるとは思っていない。私の存在は摂理の外にあって、現に牧野たちの試みはすべて失敗し、手をあぐねている。

「みんなで探そうよ」

 亜美が言った。

「え」

「政伸様のお骨。お父さんだけじゃ時間かかるでしょ」

「ここはもう、まさおじさんの仕事場なんだよ。今回は特別で、お父さんたちは、本当は自由に入れないんだ」

「いつもみたいに夜にやればいいじゃん」

「ダメ」

「なんで」

「犯罪になっちゃうんだよ」

「政伸様、かわいそう」

 俊が言った。

 誠一はしばらく考え込み、

「作業中にもし政伸様の遺骨が出てきたら、まっさきに連絡してもらうよう、まさおじさんに話しておく。それで我慢しなさい」

「まりあのお骨は」

「お父さんが持って帰るよ」

 誠一は咲に頼んで亜美と俊をさきに帰らせた。私の傍で少しばかり休んでから、鞄から小さくて四角い機械を取り出した。以前から話だけは訊いていた、スマートフォンだった。

『もしもし』

 高橋の声が訊こえた。

『おはよう。今、お前の仕事場に来てる』

『知ってるよ。さっき連絡があった』

『もう少し、待ってくれ』

『無理だ。そもそも、墓参りを許しただけありがたいと思えよ』

『俺の手で掘り起こさないと』

『先祖から継いだ義務を、他人の手で終わらせられるのは最悪だろうよ。だが、私情を挟んでいられるほど、俺の立場も甘くない。そもそも見つかるかどうかもわからねえけど』

 誠一は、スマートフォンを持ったまま空を仰いでいた。

『俺は上に行く。浜の再開発は足掛かりだ』

『もう墓探しもできないってわけか』

『諦めてくれ』

『まさ』

『なんだ』

『因果は、巡ってくるぜ』

『そうか』

 通話を終え、誠一は私にもたれかかり、水平線を見ていた。昼下がりの太陽は海面を飛び交い、輝いていた。工事の騒音は最悪だった。従業員はさも迷惑気に顔を歪め、作業の合間に誠一を見ていた。だが、誠一にはどうでもいいようだった。

「これだけ探したんだし、やっぱりないんだろうな」

 騒音に紛れて、誠一はひっそり泣いた。

四十三年前、誠一の父、隆正もまた泣いていた。思えば、疋田はずっと泣いていた。

 二代目疋田の清衛門は、父に応えられない自分の不甲斐なさに泣き、三代目の正次郎は、祖父と父に応えられない自分に嘆いた。四代目の勝政は、曾祖父と祖父と父に自分の不誠実を詫び、腹を切った。ずっとそうしてきたのだ。浜で泣く疋田の声は、代を経るにつれて大きくなっていった気がする。

 ひとしきり泣いた誠一は、上着で目を拭った。鞄の中身を探ったが、

「しまった。骨壺を忘れた」

 咲たちはもう帰っている。

「また来よう」

 誠一は現場責任者と話をつけ、帰っていった。




 夜になり、従業員も残らず帰宅した時刻。私は、今やすっかり見えなくなった星々をどうにか数えていた。昔は、それこそ太陽を浴びる浜の輝きにも劣らなかったが……。

 大地が震え、人が近づいているのがわかった。音は軽い。子供が走ってくる。

 亜美だった。

 重機によって雑木林の三分の一はならされていたので、月明かりですぐにわかった。白いワンピースを着ている。

そして、手に小さなショベルを持っていた。

 亜美は誠一がかつて堀った場所を、片っ端から確認しようとしているかに見えた。形跡がある場所を見つけては掘り返している。

誠一が骨壺を忘れた時点で、嫌な予感はしていた。帰宅して、手ぶらを俊や亜美に詰め寄られ白状する姿が浮かんだ。深夜にひとりやってきたことは、それだけで大した勇気に違いない。だがここは高橋商事の現場で、重機や建材もある。私の近くにそういった物はなかったが、怪我でもしたら事だ。

 誠一か咲が引き取りに来るのを待つしかない。

 現場は壮年の男がひとり警備を担当していて、彼に見つかるかもしれないと思った。だが、肝心の警備員の姿が、今日は見えなかった。

亜美は最初こそ怒涛の勢いで穴を掘り続けていたが、三分も経たず浜にへたり込んだ。やがて、小さな鞄からおにぎりを取って食べ始めた。おにぎりは三つあったが、形も大きさも不揃いだった。自分で用意したのだろうか。寝静まった家で、こっそり炊飯から握り飯を作る亜美を想像すると、ほほえましかった。その後も亜美は穴を掘り続けたが、だが、大人で男の誠一には遠く及ばず、作業は遅々として進まなかった。

 まりあの骨を取り戻すのが先と考えたのか、亜美は休憩した後にまりあの墓の前で手を合わせると、

「がまんしてね」

 スコップで掘ろうとした。

その時、

「誰だ」




亜美が驚いて振り返ると、大人が三人いた。でこぼこ三人組だった。今の声は牧野だ。三人揃って夏用の警備服を着込んでいる。

 警備服……。合点がいき、私は笑ってしまった。

 私を風化させる計画が頓挫し、会社に戻った後、高橋やほかの上役から叱責だの糾弾だのされたのは想像に難くない。だが、以来三人は浜に姿を見せなかったので、事の顛末はわからずじまいだった。

警備員として、ここに派遣されたわけだ。

「牧野君」

 長谷川が言った。

「もう面倒ごとはやだよ」

「被害者のような言い草だな。被害者は、俺と、畑山だ。加害者がお前。お前のせいで左遷されたんだ」

「馬鹿言わないでよ。チェーンソー作戦は牧野君発案だし、重機作戦は畑山君でしょ」

「お前の巡航船作戦は災厄だった」

「訊き捨てならない」

「とにかく」

 畑山が割って入った。

「半年だ。半年大人しくしていれば戻れる。それまでの辛抱だろ」

「そうだね。というわけで、牧野君、任せた」

 長谷川に背中を押され、牧野は前のめりに一歩前に出た。

「おい……」

「着任早々、大仕事だね」

「てめえ」

「あの、おじさんたち、誰ですか?」

「……俺は、牧野雄一。高橋商事の会社員だ。君は」

「疋田亜美。疋田誠一の娘です」

「亜美ちゃん、こんな時間に、ここでなにを」

「死んじゃったペットのお骨があって、それを掘り起こしてます」

「ああ、ここの偉い人から、話は少し訊いてる。でも、今日はもう遅いし、帰ったほうがいい。家まで送るよ」

「知らない人についていっちゃいけないって、お父さんが」

 長谷川と畑山が声を殺して笑っている。

「……わかった。君ひとりでもいい。もう帰りなさい」

「ダメ」

「どうして」

「まりあが、寂しがっちゃいますから」

「お父さんと話して、明日取りに来ればいい」

「大丈夫です、すぐ終わります」

「亜美ちゃん、俺たちは大人なんだ。大人っていうのは、責任を負うんだ。ここで君に何かあれば、俺たちが責任を取ることになる。そもそも、君がここにいること自体がダメなんだ」

 亜美は黙々とまりあの墓を掘り始めた。

「亜美ちゃん」

 差し出された手を、亜美ははねのけた。呆れながらも迫る牧野から逃れ、私の後ろに隠れた。

「大人の言うことは訊いたほうがいいぞ」

「まりあといっしょにすぐに帰りますから」

 亜美と牧野は、私の周囲を回り始めた。牧野は大人で歩幅も大きく体力もあるが、亜美は、何年幾度となく浜を訪れてきた。動きに無駄がない。流動する砂浜でうまく均衡を保ち、滑らかな動きで牧野の追撃をかわした。あと少しのところで、牧野の手は空ばかり掴む。亜美が逃げて、牧野が追う。そのくり返しである。

「くそ……」

 牧野の顔に、苛立ちが見え始めた。長谷川と畑山が見ている手前、無様を晒すわけにはいかないのだろう。最初はにやにやしながら見ていた長谷川たちも、顔を強張らせていた。

 段々と、亜美の動きが鈍ってきた。息も切れている。体力では、やはり牧野に分がある。

 そう思った矢先、亜美が転んでしまった。牧野がしたり顔で追いつき、亜美の肩を掴んだ。

「いたい!」

「牧野君!」

 長谷川が叫んだ。

「すっこんでろ! 畑山、てめえもだ」

 牧野は抵抗する亜美を見下し、

「手を焼かせやがって……さあ、家まで送ってやる」

「やめて!」

瞬間、亜美は両手で牧野を突き飛ばした。不意だったためか牧野は体勢を崩し、腕を大きく無様に動かしながら、尻もちをついた。

 そして、無様に動かされた腕は亜美に直撃し、倒れ込んだ彼女の頭が、私に当たった。

 牧野たちは唖然として亜美を見た。うつ伏せで、頭から血が出ている。

意識はない。




「くそ、なんてこった」

 畑山が亜美に駆け寄った。

「ずらかるぞ」

 畑山は、信じられないといった顔つきで振り返った。

「いいか。これ以上の失態はまずい。傷害罪だぞ。つぎは期限付きの左遷どころじゃねえ、バレたら懲戒免職まっしぐら、懲役だ。お前らだって見過ごしたんだから罪に問われる」

「だが……」

「こんな時間に、この浜に来る奴なんざいねえ。証拠はない……行くぞ」

 立ち上がり、走ろうとした牧野だが、今度はうめき声をあげてうずくまった。

「いてぇ」

 牧野の右足裏に、骨が刺さっていた。

「なんだってんだ!」

まりあの骨だ。

「牧野君、大丈夫?」

「血も出てやがる」

「抜かないほうがいいかも」

「この骨は……持ち帰る」

 畑山が先導し、牧野は長谷川の肩を借りて、片足立ちで逃げていった。

 喧騒が、嘘のように静まり返った。

 亜美は意識を失っていた。死んだわけではない。呼吸はしているし、大地を介して鼓動も伝わってくる。

 数分ほどして、亜美は意識を取り戻した。身を起そうにも脱力しきっており、仰向けになるのがせいぜいだった。目はうつろで、自分がどこにいるかも判然としていないようだった。

 視線は浜をゆっくり巡り、私と合った。

「……だれ?」




「君が来るまでに、いろいろあった」

 この浜に誰が現れ、なにが起こり、どのように終わったのか。戻ってきた魔女に、私は数時間前のことを話した。

 牧野たちは亜美を傷付けながらおめおめと逃げ、亜美は失った意識をかろうじて取り戻し、やがて駆け付けた誠一たちによって病院に搬送された。

 午前五時。打ち寄せる波音に、車の走る音が混じり始めた。

「ごめんなさい。力になれなくて」

「気にするな……それで、君は今までどうしていた。考えごと、と言っていたが」

「うん。それと、挨拶めぐり」

「なんのために」

「あなたを人間に戻すために」

「――ほ、本当か」

 魔女は頷いた。

「だが、いったいどうして」

「生きるため」

「生きるため、とは」

「あなたが教えてくれた」

 人を食ったような顔をいつも崩さない彼女の、その薄らと見せた笑みに、私は覚悟を垣間見た。それは、合戦前、最後かもしれない宴を味わう兵たちのようだった。

「一日生きられるという話か」

「私も生きたいから」

わずかに残った雑木林が震えている。砂も葉も、現場に置かれた建材も重機も頑として動かず、だが大気が、私と魔女を中心に渦巻いている。

「私は今、生きてるわ。この力と引き替えに、あなたを人間に戻します」

「……」

「あなたが望めば、たんぽぽを運び、万軍を散らす風を一度だけ呼びましょう」

「あいわかった」

「為すべきことを成してください」

「どうか達者で」

「どうかあなたも」

 瞬間。

 ひらり、ひらりと、麦わら帽子が舞い降りて、私の両手に収まった。

 魔女は、もういなかった。

 私は浜に座っている。

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