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「やっぱいねえよなあ。うん、やっぱいねえんだよ」

 誠一は、例によって浜にやってきた。半袖短パン、さらにタオルを頭に巻いていた。小さなショベルで地面を掘っては、汗を拭い、ありもしない遺骨を探していた。

 私は、手帳に結果を記す誠一の背後に男がいることに気づいた。長谷川ほどではないが、ふくよかな風体である。以前、例の三人組を連れて浜に来ていた。

 高橋方正。

「まだやってんのか」

 月光に照らされた高橋は、煙草を吹かしながら誠一の前に歩み出た。上等な洋服を着ていた。まりあが唸り声をあげている。

 誠一は穴掘りを続けた。

「お前には、関係、ないだろ」

「ある。お前が性懲りもなく穴を掘るもんだから、こっちも手が出しにくいんだよ」

「嘘つけ、あのでこぼこ三人組はなんだ」

「ありゃ序の口だ。忠告だってわかんねえのか」

 高橋は私に腰かけ、海を眺めた。汗なのか背中が湿っている。

「もう、いいだろ」

「うるせえ」

「先祖代々探して見つからなかったんだ、関東か、北かあるいは中部か南か、どこかにいって死んだんだろ」

 誠一は、穴を掘り続けていた。

「そりゃ、国会図書館にもなかったネタだ」

 高橋はため息をついた。

「……そもそも、さっき『やっぱいねえよなあ』って言ってただろう」

「ああ、いるわけねえよ」

「なら」

「吉之丞様は、ここにいると言った。親父もそう言っていた。だから掘る。疋田は、受けた恩を忘れない」

 高橋は吸い殻を海に放った。

「近いうち、大規模な工事が入る。そこの岩をどかして、複合商業施設を建てる」

「罰当たりめ」

「未来志向だ」

「金が欲しいだけだろうが」

「金が回ればこの市も潤う。巡って、お前のためにもなるんだ」

ショベルを握る誠一の手に、力がこもっていた。

 誠一は、確かに仙吉の子孫であった。方正もまた、高橋の紛れもない子孫である。金にがめついのは変わらなかった。

「話したからな」

 高橋は遠くに停めた車に向かって歩き出した。

「それと、子供の面倒くらい見ろ」

「は?」

「行きなさい」

 高橋と入れ違い、亜美が強烈な勢いで誠一に抱きつき、もろとも浜に倒れた。

「ずるい」

「なんで、ここに」

「まさおじさんの家に電話して、ごくひに送ってもらったの」

「危ないだろ」

「お父さんだって危ないことしてるじゃん」

「お父さんは大人だから」

「関係ないもん」

「わがまま言わない」

「政伸様を探してるんでしょ?」

「……まあな」

「亜美もお手伝いする」

「ダメ」

「えー」

 誠一は懐からチョコレートを出した。

「これで勘弁して」

 ふたりがチョコレートを頬張る姿を、背中越しに眺めていた。その姿が、かつての自分に重なった。

 よく屋敷を抜けて仙吉たちと山や河原に出かけては、父上に怒られたものだ。仙吉は荒れ地の歩き方を教えてくれ、高橋は愚痴をこぼしながらも付き合ってくれた。食い物も用意してくれた。炊かれた米で握られた飯を食べて、仙吉は涙を流して喜んでいた。母上が仙吉に百姓の料理を教わり、卓上に出したこともあった。これを思い出すのも、いったい何度目か……。

 いつまでも懐かしい。

「お父さん」

「ん」

「お岩様に、ちゃんと……あいさつしてね」

「わかってるよ」

 誠一に肩を預けていた亜美から、やがて小さな寝息が訊こえてきた。彼女の小さな胡坐の上で、まりあはうずくまっている。日付をもう跨ごうかという時刻である。亜美にとっては、大晦日以来の大健闘だったろう。

 誠一は私を見て手を合わせた。思いが訊こえてくる。

<お岩様。政伸様のお骨を、どうかお示しください。ご先祖様に、仙吉に、どうか、会わせてやってください。仙吉は、関ヶ原で政伸様とともに戦えなかったことを、ひどく悲しんでいたといいます。みんな待っております……また来ます>

 誠一は亜美とまりあを連れて、車に戻っていった。




 彼らの後姿を見送りながら、私は誠一が高橋との問答で口にした言葉を反芻した。

 受けた恩。

 受けた恩とは、今や三百年も前の話だ。

 藤田の家は代々実力を重んじ、才気あれば、百姓も、ともすれば卑しい者すら取り立てた。慣例に敏感な者らの横やりは、藤田の武勇が呑み込んだ。疋田吉之丞、すなわちかつての仙吉は、わが父・藤田泰成によって槍術の才能を見出された。足軽となり、私とともに多くの戦場を駆けた。部隊を率い先陣を切る仙吉の背中。目を閉じれば、今この瞬間に起きているかのように甦る。立場ゆえ、肩を並べることは許されなかった。合戦のたび、私は仙吉の背を目で追った。大きな背中だった。

 関ヶ原でも私たちはともに戦うはずだった。だが、約束は果たされなかった。

 時間が傷心を癒すとは言え、私にとって過ぎていく時と年月は悔恨をただ広げるばかりであった。世代をまたぎ、世相が変わるにつれて、不図した時に思い出してしまう。三百年は一介の人間が肌で感じるにはあまりに重く、ましてやその感覚は、筆舌に表しようがなかった。

 その三百年は、仙吉や誠一たちもまた縛っている。

 私は、『魔女』と念じた。

 彼女は、もう傍にいた。




「どうしたの」

「いつまで続けるのだ」

「さあね」

「疋田を見て、なにか思わんのか」

 魔女は黙っている。

「戦国以来のよしみで黙っていたが、この際申そう。お前に、人の心はない。人生を弄び、その様を見て、むしろ楽しんでさえいる。あの時、お前がひとりだったのも得心がいくわ」

 魔女は私を見た。

 その時見た顔は、三百余年、それまで私が見たどの顔よりも、悲しげだった。悟ったような優しい顔と、それでも受け入れられない、諦めたような、寂しい顔だった。

「そうだね」

そして、

「風は、どこにも留まれない」

「え」

「意外かもしれないけど、魔女は世界にけっこういるの」

 魔女は私にもたれかかった。

「火は闇を照らして、水は喉を潤す。地は作物を育む。風は吹くだけ。凪いでいても、鳥は飛べるし、でも強く吹けば、あらゆるものを飛ばしてしまう。だから、風はハズレなの」

 私はすっかり意気を挫かれてしまった。彼女が身の上を語るのは、これが初めてだった。

「眉唾だな」

あなたが言うの(・・・・・・・)?」

「……仮にそうだとしよう。君は、不老不死なのか」

「力を託すか、使い切るまではね」

 魔女は笑った。

「そもそも、あなたならもうわかっていると思うけど」

「ふむ」

 魔女は私から離れると、桟橋に歩いていった。

「もし人に戻れるなら、なにをしたい?」

「この浜を守る。疋田の場所は奪わせぬ」

「自分の体験を本にして、億万長者になれば」

「それで疋田が報われるなら。だが、疋田は誉れに生きる。筋を通さねば」

「死ぬとしても?」

「なに」

「人の身に戻るということは、外から、世界の内に戻るってこと。当然、自然はあなたを許さない」

「どれほどもつ」

「一日」

 私は大声で笑った。

 魔女が驚いて振り返った。

「笑うところ?」

「本は出すには短すぎる」

 とうとう魔女も笑いだした。

「たしかに」

「だが」

 私は息を整え、

「一日、生きられる」

 魔女は身なりを整えると、人差し指を顔の前に出した。そよ風が吹き始める。

「どこへ」

「ちょっと考えごとをしに」

 魔女は、そのまま人差し指を口に含ませ、顔の前に出した。

「四日後、嵐が来る。大きいよ」

 衰弱した獣たちが、私を目指して這いつくばってくる様を思い返した。何度見ても慣れたものではない。

「それじゃ、またね」

 もう魔女はいなかった。


●●


 魔女の言う通り、その日は嵐が来た。梅雨明け以来最大の雷雨で、海は荒れ狂っていた。浜への立ち入りは禁じられていた。今しがた、警報が鳴り止んだばかりである。桟橋の近くにある防波堤が波濤を受け、何度もしぶきをあげている。私のもとにも、波が激しく打ち寄せていた。

 こんな日は、船の一隻も見えない。

 代わりに、墓を求めて動物がやってくる。

 ……来た。

「あ」

 私はその姿を見て、驚いた。

 まりあ。

 雨に打たれ、動かなくなった右足を引きずりながら、浜をゆっくり歩いてくる。少し前まで亜美や俊たちとともにはしゃいでいた面影はなかった。尻尾は垂れて浜に細い軌跡を作り、毛並みは濡れそぼって顔も判別できなかった。

 まりあは私の背後でうずくまった。吼えた。それは雨音にさえかき消されそうな、小さな声だった。だが、雷鳴を穿ち、大海すら抉るように訊こえた。

 一時間と経たず、浜の向こうから四人やってきた。

「まりあ」

 涙にまみれた俊はいちばんにやってきて、衰弱しきったまりあを抱きかかえた。俊は、誰よりまりあを可愛がっていた。亜美が来て俊とまりあを抱き、咲が来て亜美と俊とまりあを抱き、誠一が、みなを抱いた。

 家族は抱き合って離さなかった。まりあはみなの腕に抱かれて、私を見ていた。

 まりあ。

 亜美と俊が生まれる前、誠一と咲が同棲したての時より、お前のことは覚えている。初めてこの浜に来た時、手のひらに乗せられるほどの体躯でしかなかったお前は、咲には懐いていたくせに、誠一には噛みついてばかりだった。

 思い返せば、十七年前、春のこと……。

「お岩様」

 亜美が言った。

「まりあを助けて」

 亜美と俊が泣いているあいだ、誠一と咲はじっとしていた。まりあと過ごした時間を鑑みれば、悲しみなら子供たち以上だろうに。大きくなった。

 雷雨は、依然として止まない。

 だが。

 誠一たちを打つこの雨が、私の心情に代わるなら、少しは許してくれよう。

 まりあは灰と骨になり、翌日、俊に抱かれてやってきた。泣き止まない姉弟を慰めながら、誠一は私の背後まで来た。咲も続く。

「本当にここでいいのか」

 誠一が言った。

 俊はうなづいた。

「まりあが選んだ場所だから」

 これまで同様、犬であるまりあは、鍔際に私の姿を見ていたに違いなかった。まりあは、なぜ私の傍に来たのだろう。長くともにいた家族に看取られることが、まりあにとっての幸せだったはずだ。

「お父さんが掘るよ」

 誠一は穴を掘り始めた。準備ができると、骨壺からまりあの遺骨が出てきた。かつて黒く滑らかな毛並みに覆われていた体は、今やいくつもの破片となって、焼かれてこびりついた血肉の跡がわずかに付着しているばかりで、あとはほとんど真っ白だった。

 戦国の時代において、合戦が終わり、戦利品を奪った後は遺体を焼いた。周囲の国では、放置するか、埋葬するかが大半だったと訊いたが、藤田家は火葬だった。敵味方に隔てはなかった。病の蔓延を防ぐためだけでなく、火によって身を清め、せめて極楽へ行ってほしいという思いがあった。

 元服して一年後に迎えた、三度目の戦。私は侍大将の首をふたつ挙げた。戦が終わり、業火の渦中、うず高く積まれた死体から魂が迸り、僧の唱える経文とともに天に昇っていく様を確かに見た。死体の脂肪と髪が燃え、骨という骨は剥き出しになり、その饐えた臭いに顔を背けた時には父に殴られた。「我ら以外に、誰が彼らを送ってやれるというのか」。そう言っていた。

 疋田一家は、死にゆくまりあを看取った。居合わせた訳ではないが、遺体が焼かれていく様も、見届けたに違いない。

 まりあもまた、疋田を守る者だった。私は、役目を託されたのだろう。

「まりあは暴れん坊だから、壷の中なんて窮屈だよね」

 咲は呟くと、みなはいっしょに箸で遺骨をつまみ、ひとつ、ひとつと、まりあの骨を私の後ろに作った穴に放った。墓は、私と雑木林のあいだにあった。満ち潮も考えられている。波にさらわれることはないだろう。墓には、まりあが好んで食べた骨状の菓子が手向けられた。

 亜美は手を合わせた。

 <お岩様、まりあを守ってあげてね>

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