七 新たな鬼
「で、どうやって入って来たの?」
「管理人さんに話したら合鍵を渡してくれました」
「んん‥‥‥」
昨夜闇色の鬼に襲われて、危ない所を孝仁さんに助けてもらいアパートまで送ってもらった。
その時、しばらく小鳥遊さんとは距離を置いた方が良いだろうと思った翌早朝、起きたらキッチンにピンク色のエプロンを身に着けた小鳥遊さんが朝食を作っていた。最初は夢だと思ったのだが、残念ながら現実であった。
「昨夜あんな事があったのに、よくもまぁ普通に俺に会えるな」
「姫崎先輩が悪い訳でもないのに、どうして距離を置く必要があるのですか?私はもっと姫崎先輩とくっ付きたいのです」
「お前な‥‥‥」
これで学校ではかなりモテモテの美少女だというのだから、世の男共は女を見る目がないぞ。美人なのは確かだし、大人しくしていればモテるのも頷ける。
そう。大人しくしていれば。
「それよりも先輩。食材が全くないじゃないですか。カロリーメイトしかないですよ。冷蔵庫の中も水とビールしか入っていませんし」
(強引という意味で)押しかけ女房気取りなのか?一人暮らしの男の生活なんて、大抵そんなもんだっての。4月に二十歳になったのを機にビールを飲み、それ以来ドッと疲れた日にたまに飲むようになった。それにどういう訳か、初めて飲んで以来時々お酒が無性に飲みたくなると気があるんだよな。って、今はそんな事はどうでも良い。
起きて僅か10分後に、小鳥遊さんと一緒に朝食を取って後片付けも済ませた。2年ぶりに口にした手作り料理に、思わず舌鼓を打ってしまった。てか小鳥遊さんって、料理が上手だったんだな。意外。
「朝食を作ってくれるのは感謝する。用が済んだら早く帰った方が良いぞ。がん‥‥‥お父さんを心配させるな」
「頑固親父でいいわよ。お父様の前で『お父さん』なんて言ったら、本当に殺されますよ」
確かに、「お父さん」何てあの人の前で言ったら次の日は天国にいるかもしれない。あの昔気質の頑固親父は、自分の言う事だけを信じ他の人の言う事を全く聞き入れようとはしないからな。
特に俺は、あの頑固親父から「娘にあったら殺すぞ」と脅迫を掛けられているからな。2年前にあれだけ傷つけてしまえば、無理からぬことだがな。
先程脅迫と言ったが、あれは明らかに脅迫であった。退院して小鳥遊さんの様子を見に家に訪れた時、首元に包丁を突き付けられて憎悪に狂った顔で俺に言ってきたからな。
それを見た奥さんは、そんな頑固親父に愛想を尽かして家出をし、今も帰ってきていない。
孝仁さんもほぼ絶縁状態で、顔を合わせれば口喧嘩が始まり、長男である筈なのに父親の会社を継ごうとはせず、どうなろうが知った事ではないと罵声を浴びせた事がある。
そして娘は、父親と顔も合わせようともせず、せっかく雇ったボディーガードも変な言いがかりをつけて強引にクビにさせる始末。
少しは話も聞いてあげても良いのに、あの頑固親父は耳に入れようともせず、言い訳だと言って罵声を浴びせて、酷い時には力技でねじ伏せる時もあるという。
小鳥遊さんのお父さんは、相手の意見には全く耳を傾けようとはせず、自分の言っている事こそが常に正しい事であると考えているような人だ。その為、ちょっとでも口答えするとすぐに体罰という名の暴力に走り、酷い場合は相手に全治半年の大怪我を負わせたほどであった。
そんな大怪我を相手に追わせたにも拘らず、「お前の不始末のせいでこうなったんだから、訴えたって無駄だし俺が勝つに決まっている」、何て圧を掛けながら言ってくるから誰もあの頑固親父を訴えられないでいる。
これでこの町で一番大きい会社の社長だというのだから、その会社の未来が心配になる。一番大きいと言っても、この町で一番という意味で、町の外にはまだ店舗を出していないそうだ。
「お父様が社長になってから、会社内が異様にピリピリしだすようになりました。それに、無謀とも言えるノルマを出すせいで人がどんどん離れていっちゃっていますから」
「となるとあの会社は今人手不足に陥っている状況になっているのだな」
ま、柴山みたいな男を雇うくらいだからな、相当追い詰められているだろうな。
外面を良くしているのかもしれないが、それを未だに見抜けないでいる頑固親父も経営者として問題があるだろ。
「お爺様の時はそんな事もなく、とても評判が良かったのに」
頑固親父の前の社長、小鳥遊さんのお爺さんはとても社員想いの優しい人で、あの頑固親父の父親とは思えないくらいに温和でおっとりした性格をしている。70になった今でも元気バリバリで、隣町のスーパーでアルバイトをして働いていて、集客率アップにも貢献していると聞いている。
頑固親父が必要以上に高いノルマを課せるのは、偉大な父親の会社をもっと大きく、全国に店舗を出す程の大企業にさせようと躍起になっているのが原因だそうだ。
頑固親父自身は、前社長の父親の事をとても尊敬していて、その父親の会社をもっと立派なものにしたいと考えている。
その心意気は立派だが、だからと言って社員の生活を滅茶苦茶にしてもいい理由にはならない。社員の人達にだって家族がいるし、家族と一緒にいる時間を大切にしてあげないといけない。
なのにあの頑固親父は、男なら仕事に人生の全てを捧げるべきだろ、何て言って家族と過ごす時間を奪うのは流石に間違っていると思う。事実、頑固親父はここ1年半もの間家に全く帰ってきていないそうだ。完全に仕事の虫だな。初めて知ったぞ。
「父親が偉大だと、その息子はいろいろプレッシャーも大きいのだろうな」
「だからって、お父様のあの強引なやり方ではダメです。それまで会社を支えてくれたベテランさんまで離れていって、その上今回の惨殺事件で8人も犠牲になりましたから、あの会社は今かなり追い詰められています」
「ちょっと待て、8人も惨殺事件の犠牲になっているなんて初耳だぞ!」
今小鳥遊さんの口から、聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたぞ。あの頑固親父の会社の社員が、8人もあの鬼に殺されたというのか。
「お父様が会社の印象を下げたくないと言って、情報規制をさせるように圧力を掛けているみたいなのです」
「そんな事をしたって‥‥‥」
そんな事をしたら、遺族の人達から恨まれるぞ。孝仁さんが益々怒るだろうな。それこそ鬼の形相で。
「他にも、柴山のお爺さんの会社の人も犠牲になっているみたいです」
「マジかよ‥‥‥」
柴山の会社は、この町でも2番目に大きな会社ではあるのだが、頑固親父の会社と違って評判は昔から最悪で、仕事の為に家庭とプライベートは全て切り捨てて仕事に人生の全てを注ぐべきだ、なんて訳の分からないスローガンを掲げている会社だ。その為、この町1番のブラック企業としてとても有名で、万年人手不足に陥っている。
そんな会社に勤めている社員の評判も最悪で、ご近所トラブルや店で意味もなくクレームを言うなど人として終わっている奴等ばかりだ。
他にも、嘘電話詐欺を行っていた人や、嘘をついて印象操作を行っていた人が犠牲になっていて、そういう人の割合がおよそ7割も占めているのだそうだ。俺をアパートに送った後、小鳥遊さんが兄の孝仁さんから聞いた事らしい。どうやら警察も、そういう情報は既に掴んでいたのだな。
だとしたら、昨夜は一体何故俺達の前に現れたのだろうか?俺は決して嘘つきでは‥‥‥ないと思う。うん、心当たりはない。偶然だと言ってしまえばそれまでだけど。
「だから孝にぃも油断してたって言ってました」
「ううぅん‥‥‥じゃあ一体、何の目的で人を襲っているんだ?」
襲われた人のうち、残り3割は女性や中高生と言った人で、女性犠牲者はどうなのかは分からないけど、中高生に詐欺師レベルの嘘つきがいるとも考えにくい。もちろん、ネット社会の現代において百パーセントないとは言い切れないし、ネットの中で他人に成りすまして悪さをしていた人もいるかもしれない。
しかし、被害に遭った中高生はいずれもそういった悪さをするような人には見えない。大人しい子や、パソコン音痴や機械音痴、虐めっ子と言った生徒であった。虐めっ子も悪者の部類に入るのかもしれないが、子供の虐めが詐欺師レベルの悪者に含まれるとは考えにくい。もちろん、許される事ではないが。
「まったく、何でこんな事件が起こったんだ」
「分かりません。惨殺事件だけでもかなり深刻なのに、その上今度はこんな事件まで起こっているのです」
そう言って小鳥遊さんは、スマホを操作してあるニュースを俺に見せた。
「『山で測量を行っていた測量士2名、行方不明になる』。5日前に起こった事件か」
「新聞配達のバイトをしているのに知らなかったのですか?」
「帰ったらすぐに寝てしまうから、夕方しかニュースを見る時間は無いんだよ」
しかもここ最近は、目の目にいる女子高生の送り迎えもやっているから、ニュースを見る時間があまりないんだよな。まっすぐ帰ってくれるのならまだ見る時間はあったが、この子は真っ直ぐ帰らず俺の出勤時間ギリギリまで連れ回すんだよな。断り切れない俺にも非はあるけど。
ニュースの内容を詳しく見ると、5日前に測量の為に山に入った2人の測量士が夜中になっても家に戻って来ず、親族が捜索願を出して山岳救助隊を15名山に送ったのだそうだ。
山岳救助隊の話によると、作業車は山の麓に止められたままになっていて、斜面には三脚と機材が落ちていたそうだ。更に周りを見渡してみると、木に2人の物と思われる血が飛び散っていた事から何者かに襲われた可能性が高くなった。
更に悪いニュースはこれに留まらず、捜索の為に山に入った山岳救助隊が3人も行方が分からなくなってしまったそうだ。
明らかにおかしいと判断した山岳救助隊は、翌々日は百人以上の捜索隊を組織して、更に猟友会の人も23名同行する大掛かりな捜索を始めた。
だが、捜索に向かった百人のうち25名、猟友会の人も23人のうち8名の行方が分からなくなってしまったそうだ。
その行方不明になった捜索隊の一人が、消息を絶つ前に無線で「山姥が」と言った直後に肉が引き裂かれる様な嫌な音を最後に、無線が途絶えてしまったそうだ。
「山姥、か」
「はい。来週の土曜日に、警察や自衛隊も一緒に山の中に入るって言っていました」
いるかどうかも分からない化け物の為に、警察や自衛隊が出動するなんて大袈裟過ぎる気もするが、魔鏡事件の様な事例がある以上絶対に違うとも言い切れない。警戒するに越した事は無い。
「俺も一緒に捜索に行けないものだろうか」
「無理だと思います。孝にぃが許してくれるとは思えません」
「だよな。バイトでもいいから入れないものだろうか」
自分には関係ない事だと言って切り離すのは簡単だが、一度気になった事は自分の目で確認しないと気が済まない性分な為、その山姥が本当に山姥なのかこの目で確かめないと気が済まない。
今回の事件でも、あの鬼が何故人を襲うのか、そもそもこの事件の裏にはあの伝説の鬼が関与しているのかどうかも気になって仕方がない。
惨殺事件も、最初は人が行った犯行だと思っていたから警察に任せておけば大丈夫だと割り切れたが、犯人が人間ではないと知ってしまった以上どうしても気になってしまう。
何故、鬼関連の事件が気になってしまうのかは分からないが、どうしても気になってしまう。
「姫崎先輩がそう言うのでしたら、孝にぃの付き添いという事で付いていってもらえるように私から頼んでみます」
「サンキュウ」
ここまで首を突っ込むんだ。真相が分かるまで徹底的に調べてみせる。
「という訳なので姫崎先輩、この後一緒にゲーセンに行きませんか?昨夜生き損ねましたので」
「清々しい程の立ち直りの速さだな。もはや呆れを通り越して感心するぞ」
着替え終えた俺は、小鳥遊さんに引っ張られる形で外に連れ出され、夕方までゲーセンやらウィンドウショッピングやら、軽食屋で軽くお茶をしたりクレープを食べたりと、傍から見たらデートみたいなお出かけをしたのであった。
それから三日後、孝仁さんから臨時のバイトという扱いで同行が許された。そこに何故か小鳥遊さんまで加わっているのは疑問だが、まぁ本当に山姥に遭遇したら俺が守ってあげないとな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その頃。
山の中にある洞窟の中では、身長が2メートルを超える着物を着た老婆が外の様子を眺めていた。その老婆の後ろには、全体の輪郭がぼやけた闇色の鬼が複数ひしめき合う様に固まっていた。その内の1人が、老婆の前で正座をさせられていた。
「それで、銃で撃たれたくらいでアッサリ獲物を手放して逃げてきたというのかい?」
【申し訳ありません】
「はっ、わし等が銃で撃たれたくらいで死ぬ訳がないだろ。いちいち痛みに敏感に反応し過ぎだ」
【次こそは必ず、獲物を持っていきます!どうかお許しを!】
「ならん」
そう言って老婆は、その口を信じられないくらいに大きく開き、同じく2メートルを超える闇色の鬼の上半身を一齧りで食いちぎってしまった。残った下半身も、倒れる前にパクリと一口で頬張った。
「‥‥‥美味くないな。やっぱり人間か動物共の方が遥かに美味いな」
仲間が食われるのを見た他の鬼達は、ビクビクと震えながら老婆から無理矢理目を逸らした。
「ま、わしもあの御方が八百ぶりに復活すると聞いたからこの山に来たようなものだし、そうじゃなかったら前の山で鹿や猪や猿を食っていたからな」
どうやらこの老婆は、他所の山からこの地にやってきたみたいで、あるものの復活を祝う為にわざわざ足を運んできたみたいであった。
「八百年か、長いようで短い期間であったのう」
【その御方は、とても身分の高かったのですか?】
「いいや。元々は最下層と言ってもいい地位だった。わしと同じだ」
鬼の質問に、老婆はあっけらかんとした感じで返した。予想外の回答に、鬼は何とも言えない様な顔をした。
「だが、あの御方は人間の持つある悪の感情を食らう事で地位を上げていき、八百年前にはこの地を恐怖に陥れて支配する程までになった。だからわし等は、あの御方に最大の敬意を払っておる」
【なるほど】
「だからわし等も、あの御方がより早く復活されるように多くの人間を恐怖のどん底に陥れないといけない。わしに出来る事と言ったら、精々山に入って来た人間を無差別に襲うくらいしか出来ん。だが、それがあの町に住んでいる者達にとっては最大の恐怖となる」
狂気に満ちた笑顔を浮かべ、老婆は軽くストレッチをしてからゆっくり立ち上がった。
【では我々は、引き続きある悪の感情の強い人間を襲って食らってきます】
「ただし、そういう人間ばかり襲っては恐怖を抱く人間が限られてくる」
【分かっております。たまにそうでない人間も襲って、上手くカモフラージュしてみせます。尤も、それにも目的はありますが】
「それで良い。では、わしは行くぞ。今日もたくさんの人間共が山に入り込んでおるからのう」
まだ日中の明るい時間ではあるが、老婆にとっては昼も夜も関係なく活動する事が出来る。その為、日の光を浴びても動きが衰える事無く、山に入って来た人間を探しに軽快は足並みで山の中を走り回った。