参 侵食
久々に再開した小鳥遊さんと別れた後、俺は1週間分の食料を買う為に近くのスーパーに寄ろうとした。と言っても、カロリーメイトと水を買うだけなんだけどな。
「お、そこにいるのは姫崎亮一じゃねぇか」
「はぁ、今日は何なんだよ」
横から声を掛けてきたのは、かつての同級生で小鳥遊さんの父親の会社に勤めている柴山秀樹であった。
端正な顔立ちをしたイケメンで、優しそうな雰囲気を出した黒髪は2年経った今でも変わらない。一見すると誰にでも優しそうな感じであるが、コイツはそんな奴ではない。
柴山秀樹、この男が小鳥遊さんを突き飛ばして危ない目に合わせた真犯人であり、その罪を俺に擦り付けた最低な奴だ。
「お前は小鳥遊さんのお父さんの会社に就職出来て、結果も出せて順風満帆だな」
「当然だろ。これが僕の本来あるべき姿なのだから。僕の力をもってすれば当たり前なんだけどな。定職に着けず、フリーターをやっている君とは大違いなんだよ。そうさ、小鳥遊さんはこの僕にこそふさわしいのさ」
よく言うぞ。小鳥遊さんから聞いたが、同僚や後輩から手柄を横取りして陥れ、それで出世しているくせに。
こんな事をしても、全く良いことなんてないのに。
「?何だい」
「いい加減嘘を重ねるのはやめたらどうだ」
「はぁ?何のことだ」
「嘘をつき続けてもいずれはバレるし、そうなるとお前は社会的制裁を受ける事になるぞ」
「お前みたいな奴がそれを言うか」
「‥‥‥‥‥‥」
聞いていた以上のゲスに変ってしまったな。だが、コイツの目の動きを見ると何処か怯えている様にも感じた。
おそらく、自分の身を守るために付いた嘘が予想以上に大きくなってしまい、引っ込みがつかなくなった上に自分に過度な期待を寄せられてしまったが為に、自分の印象を下げないようにする為に他人の手柄を横取りするなんて暴挙に走ってしまったのだろう。
理由はほかにもあるが、その結果、今の柴山を形成してしまったのだろう。このままでは柴山は駄目になってしまう。
「こんな事したって、自分を更に追い詰めてしまうだけだ」
「うるせぇ!俺は評価されなければいけないんだ!」
こちらの忠告に耳を貸さず、柴山は俺の襟首に掴みかかってきた。俺一人だけならまだいい。だが、関係のない同僚や後輩の人生まで滅茶苦茶にして良い訳がない。全て自分のエゴだというのに。
「ここで俺が、お前に暴力を振るわれたと言えばどうなるんだろうな。おそらく、百人中百人全員が俺の言葉の方を信用するぞ」
「俺が何時、お前に暴力を振るった。そんな事までして、お前は評価されたいのか」
「当然だ!俺は全てにおいて優れていなければいけないんだ!」
だったら何故大学に進学せず、大手ではあるが就職をしたのだとツッコミたかったが、今はその事はいい。
「嘘はいずれバレるぞ」
「まだ減らず口を言うか!この弱者が!」
逆ギレした柴山が拳を向けてきたが、その腕を横から誰かが掴んで止めた。目を向けると、止めたのは長い赤髪をした鋭い目付きをした女性であった。
「何する!?」
「弱いのはお前の方だ」
「イテテテテテテテテテテテテテテ!」
物凄い剣幕で睨む柴山の手を、赤髪の女性はいとも簡単に捻ってその場にねじ伏せた。
「これ以上貴様のエゴで、一人の人間の人生を滅茶苦茶にすることは許されない」
「うるせぇ!」
女性は柴山の手を放し、解放された柴山は俺達から距離を取って睨み付けた。
「嘘言っても無駄だぞ。さっきの話ならバッチリ録音したぞ」
「貴様!」
「嘘をつく事が全部悪いとは言わない。今のこの世の中、嘘がつけないと乗り切れない事だってある。だが、相手を貶める嘘はやがて自分に跳ね返り、相手が受けた苦痛以上の苦痛を味わい、身を滅ぼすことになる。このまま嘘をつき通すと、お前は近いうちに地獄を見る事になる」
「うるせぇ!俺はエリートでなければいけないんだ!」
最後にそう言い残し、柴山は俺達の前から走り去った。
「まったく。あんな嘘をつくような奴を何の疑いもなく雇うなんて、その会社の社長も人を見る目がないな。あれは近いうちに倒産するだろうな」
「縁起でもない事を言わないで欲しいぞ」
そもそも初対面の女性に、小鳥遊さんのお父さんの会社の事をどうこう言われる筋合いは無いのだけど。
「というか、あんた誰?」
赤色の髪に、ブラウンのTシャツに赤色のスカートを穿いていて、腰には長方形の箱が左右に一つずつ提げられていた。こんな女性、この町では見ない顔であった。身なりからして、観光目的ではないと思う。
「すまない。私は鬼熊杏だ。この町にはある用事で一時的に訪れている」
「用事?」
何の用事でここにきているのか分からないが、とりあえず悪い人ではなさそうなので大丈夫だろう。仕事の用事?パッと見は俺と同い年ぐらいだから、大学の研究課題に関係しているのか?って、この町には調査するような所なんて無いのだけど。
「まぁいい。俺は姫崎亮一、フリーターだ。鬼熊さんは大学の研究関係?」
「‥‥‥まぁ、そうだね。この町の鬼伝説について調べようと思って来た」
「鬼伝説‥‥‥」
鬼嶋町には伝説がある。
大昔に凶暴な鬼が暴れ回って、たくさんの小鬼を従えて虐殺の限りを尽くし、恐怖による支配があったという。だけど、隣町から来た一人の陰陽師によって退治されて、この地の何処かに封印されたと聞いている。
ただ、こういった話は割とどの町にもあるような気がする。ここから電車で1時間という所では、鬼ヶ島があったという本当かどうか分からない様な話があるくらいだから。
その為俺は、伝承は聞いているがそこまで気に止めた事がなかった。
「確かにこの辺では有名な話だけど、鬼って山賊や暴君領主の事を指しているんだろ。絵本に出てくるような鬼は実在しないって」
「そうとも限らない。伝承や言い伝えには、必ずそれに繋がる出来事があるものだ。火のない所に煙は立たない。実際、この町の神社にはその鬼のミイラが保管されているそうだろ」
「言っとくけど、あれは偽物だぞ」
神社には、当時暴れたと言われている鬼のミイラが一般公開されているが、実際はいくつもの生き物のミイラを組み合わせて作った偽物のミイラなんだ。日本各地で確認されている、他の鬼のミイラと同様に。
「確かに、展示されているミイラは偽物だけど、本物のミイラはあそことは違うとても古い祠にあるんだ」
「祠って、岩の洞窟に木の扉を付けただけの簡素なやつか?」
その祠、というか洞窟があるのは神社の裏手にある山の中にある。岩の亀裂で出来た洞窟があり、その入り口に木で出来た簡素な祠がある。だが、宮司さんでさえ中に入る事が許されていない洞窟だから、調査団が足を踏み入れる事が許されていない。
そんな洞窟に、大学の研究目的で入れてくれるとは考えられない。
「ま、すんなり入れてくれるなんて思っていない。だが、入らないとマズイ事が起こるかもしれないんだ。そこは根気よく頼んでいくしかない」
「ま、期待しないでおくよ」
余所者の人間を中に入れさせるとは思えないが、何処までこの地の鬼伝説について調べられるのか見物だ。
そんな鬼熊さんを見送った後、俺は当初の目的通り1週間分の食料と水を買いにスーパーに立ち寄った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
夜のパトロールを担当している警察官の5人が、シャッター商店街となった道を巡回していた。
この辺りには、酔っ払いが路上で眠っていたり、そんな人から財布をくすねようとするスリが徘徊していたり、暴走族が休憩の場として利用していたりと荒れ果てた所であった。
なのに今回は、そういった人が1人もいなかった。
「こんな日があるもんなのか?」
「いや。確かに、いないのならそれに越した事は無いが、あまりにも不自然だ」
「逆に気味が悪いな」
5人とも何年もこの辺りの巡回を担当していたが、こんな風に誰もいないなんて事は今まで1度もなかった。
そんな時、建物の窓から視線を感じて5人はその窓を睨み付けた。
「誰かいますか?勝手に他人の建物に入るのは住居侵入罪だぞ」
だが、その呼びかけに答える人は誰もいなかった。視線は今でも感じるのに。
痺れを切らした1人の若い警官が、建物の横にある扉から中に入ろうと取手に触れた瞬間、他の建物の窓が突然パリンと大きな音を立てて割れた。
「「「「「ん!?」」」」」
音がした方を向くと、3軒隣の建物の2階の窓ガラスが割れて、破片が道に散乱していた。だが、その建物からは人の気配が感じられなかった。もちろん、その周辺にも人の気配は感じられなかった。
「嫌がらせはそのくらいにしろ!さっさと出て来い!」
「建物の陰を入念に調べろ。そして取り押さえるぞ」
上司の指示で、建物の陰に隠れている人がいないか一斉に確認しに行った。
しかし、いくら探しても野良猫しか見つからず、人の気配が全く感じられなかった。だが、さっきからこちらをジッと眺める視線だけは感じられる。
その間、バタンと何かが倒れる音と、窓ガラスがひび割れる音が鳴った。人の気配が全く感じられないのに、視線だけは感じられた。
若い警官は流石に気味の悪さを感じ、すぐに逃げたいと思うようになった。
【もっと怯えろ。もっと震えろ】
「え?」
突然声が聞こえてきたので、若い警官は拳銃を手に取って辺りを見渡していた。その声は、他の警官にも聞こえていたみたいで同じように警戒していた。だけど、相変わらず周りには視線は感じるのに人の気配は感じられなかった。
やがて視線は、他の建物の窓からも感じられる様になり警官達は更に怯え始めた。
【そうだ。もっと怖がれ。そして、我にその身体を引き渡せ】
「っ!?」
次の瞬間、警官達の意識が何かに侵食されていくのを感じ、苦しみだした。若い警官が苦しみながらも上司の警官達に目を向けると、4人の姿がみるみるうちに変化していき、全身が闇色に染まり、下顎の犬歯が伸びていき、額から長さ15センチほどの角が生えていった。
そしてそれは、自分自身にも起こっていた。
意識が侵食される直前、建物から全身が闇色に染まったおぞましい化け物が姿を現し、それを最後に警官達の意識は何者かに飲み込まれてしまった。
【これで手駒は揃った。あとは、たくさんの命を奪い、魂を我に捧げよ】
この時から、この町に恐ろしい事件が起こる事になった。
前作の「妖しの魔鏡」も是非読んでみてください。