弐 再会
「はぁ、今日も疲れた」
徐々に暑くなっていく5月の下旬。今日は給料日という事もあって、新聞配達のバイトを終えた後アパートの近くにある俺が務めているコンビニでお金を下ろし、大家さんに家賃を支払ってから帰った。
「来月もバイト三昧だな」
布団に寝ころんだまま、俺は壁にかけられているカレンダーに目をやった。
バイトは3つともその日に入れて、翌日に休みを入れて次の日にバイトという流れにしていた。
ところが、他のアルバイトが訳の分からない理由を付けて本来休みの日に無理やり入れられる事になる事がよくある。去年の10月までは、8ヶ月連続で休みが一日も取れない日が続いた。
流石にマズいと思った各店舗の店長は、それぞれ連絡を取り合って何とか休みを取らせ、何とか休日が無くならないように調整をしてくれている。交代も、本当にどうしようもない時だけ引き受けろと釘まで刺された。
だけど、スーパーの方は俺が優遇されているのではないかと他のバイトさんから反発が起こり、先週追い出される形でクビにされてしまった。店長は助けてあげられなかった事を謝罪し、本来貰える筈のない退職金を自腹でくれた。本当に申し訳ない事をしてしまった。
結果、俺は現在平日の早朝に新聞配達のバイトを入れて、月、火、木、金にコンビニのバイトをする事になった。結果的に土日が休みになってラッキーと思った。
「とは言え、そろそろ新しいバイト先を見つけないと」
家賃、水道光熱費、スマホ代、年金、保険、税金等払わないといけない物を全部払うと、給料の半分は軽く飛んでいく。その上、食費までかかるから実は生活が厳しい状況にある。
生活費を切り詰め、更に必要以上に電気を使わないようにするなどをして何とか貯金している。
「昼から探しに行くか。出来れば、もうちょっとマシな奴がいる様な所がいいな」
新聞屋は幸いにも、あの事故は俺のせいではないという事を理解してくれているし、何よりも偶然その現場を目撃した人がいたというのだから気を張る事は無い。
コンビニの方も、店長と同じ時間にシフトに入る人が理解を示してくれるため助かっている。だが、学生達はこちらの生活状況などお構いなしに交代して欲しいと何度も頼んでくるため、正直言って参っている。向こうにもどうしようもない事情があるのは理解しているが、俺としては溜まったもんじゃない。
「はぁ‥‥‥ダメだ。これ以上考えると眠れなくなる。やめだ」
一旦考えるのをやめて、俺は襲い来る睡魔に身を委ねて深い眠りに就いた。
目を覚ましたのは、午後3時ごろであった。
軽くシャワーを浴びて着替えてから、新しいバイト先を探すという名目で町中をブラブラと歩いた。
「バイトも良いけど、ちゃんとした所に就職しないとダメだよな」
だが、今の俺にはそんな精神的余裕はなかった。面接のコツや注意点、履歴書の書き方までしっかり学んできたが、俺はスーツを持っていない。最初は親にスーツを買ってもらう為に懇願したが、あの事件以来まるで醜い物を見る様な目で俺を見て、俺の言葉には全く耳を傾けようとはしてくれなかった。
正直言って、親まで俺の事を信じられなくなった時は本気で傷ついた。いくら俺が無実を訴えていても、まるで信じてくれなかった。
「ま、バイト先の店長も最初はそんな感じだったけどな」
だけど、真面目に働く事で店長達は俺の言葉に耳を傾け、俺の無実を信じてくれた。お陰でハードスケジュールになってしまったとも言えるけど。
「先輩?」
「ん?」
突然後ろから声を掛けられて、反射的にパッと身体を反転させた。そこに立っていたのは、セミロングの明るめの茶髪が特徴的な女子高生であった。顎のラインがシュッとしていて、抜群のスタイルと細くて長い美脚が魅力的な、とても可愛い子であった。
だが、その女子高生には見覚えがあった。
「小鳥遊、向日葵‥‥‥」
「はい。お久しぶりです、姫崎先輩。会いたかったです」
そう。彼女が俺の元カノ、小鳥遊向日葵であった。確か2個下だったから、今は高3だったな。
それにしても、あんな事件に巻き込まれたのに俺に会いたいだなんて、よく言えるな。
「先輩ったら、あの日以来私にちっとも会いに来てくれなかったですから寂しかったです」
「寂しかったって、俺と一緒にいるといろいろマズいんじゃない」
俺だって、本当はあの事件で傷ついている小鳥遊さんを励ましてあげたかった。けれど、小鳥遊さんを突き飛ばしてしまった男子が俺に罪を擦り付けたせいで、他の生徒達や小鳥遊さんの両親から恨まれてしまい、金輪際会うなって言われてしまった。
何度か会おうとしたが、小鳥遊さんの父親はとても大きな会社を経営している社長さんで、数ヶ月の間ボディーガードを雇って俺が近づかないように徹底した。その上、俺が彼女に近づいたら殺すと脅してきた為それが叶わないまま俺達は引き裂かれ、あれ以来一度も顔を合わせることが無かった。
なので俺の中では、もう彼女との関係は終わったものと考えていた。
「ヒドイです先輩。私はまだ、先輩の彼女のつもりですよ」
「‥‥‥‥‥‥」
可愛らしく頬を膨らませる小鳥遊さんだが、俺はあの時の罪悪感で一杯であった。あの時俺は、小鳥遊さんを助け出す事は出来たが、代わりに自分が撥ねられてしまい、その結果彼女を泣かせて傷つけてしまった。それも、告白をしたその日に。
彼女のご両親の言う通り、最低な男だ、俺は。
「それよりも、久しぶりにデートしません?」
「ボディーガードはどうした?」
「反則擦れ擦れの手段を使って強引にクビにさせました。今ではそんな人はいません」
「おいおい」
この行動力には俺も脱帽だ。
そんな小鳥遊さんにいろいろ連れ回され、オシャレはカフェで軽く食事をとった。
「また、姫崎先輩にお会いできて本当に嬉しいです」
「‥‥‥あぁ」
満面の笑顔で、フォークに差したチーズケーキを頬張る小鳥遊さん。俺への気遣いがあまり感じられず、ただ純粋に俺と一緒にいる事を喜んでいるように見えた。
だけど、そんな彼女を見ると益々俺が一緒にいて本当にいいのか悩んでしまう。小鳥遊さんは気にしないかもしれないが。
「姫崎先輩は、まだあの時の事を気にしているのですか」
「冤罪自体は許せないし、何度も晴らそうとしてきたが全然うまくいかなくて」
その理由は分かっているが、そのせいで俺の人生は滅茶苦茶にされてしまったのだ。許せる訳がないし、認める訳にはいかない。認めたくない。
「私も何度も言ってきました。先輩はあの時、身を挺して私を助けてくれたんだって。何度も、お父様にも何度も。でも、誰も信じてくれないのです。お父様に関しては、柴村が余計なことを吹き込んでくるせいで益々拗れてしまって」
柴山というのは、俺の同級生でもあった柴山秀樹の事である。小鳥遊さんに惚れていて、彼女の父親に取り入り婚約までこぎつけようと企んでいる男で、小鳥遊さんを突き飛ばして車に撥ねさせようとした真犯人。
「柴山か‥‥‥確か今は、小鳥遊さんのお父さんの会社で働いていて、かなりの実績を残していると聞いているが」
「実績なんてある訳ないでしょ。お父様には隠しているけど、同僚と後輩の手柄を横取りして、自分の手柄の様に振る舞っているのです。本当に最低です」
小鳥遊さんからはかなり嫌われているな。でも、俺が学校に通っていた頃はそんな事をするような奴ではなかった筈なのに、どうしてそんな事をするのか分からなかった。
「お父様も、完全に柴山の事を信じ切っていて、私がいくら姫崎先輩の無実を訴えていても全く聞き入れてくれないのです」
悔しそうに拳を握り、肩を震わせる小鳥遊さん。二年の間にそこまでしてくれていたなんて知らなかった。
「おかしいですよ!私を助けてくれた姫崎先輩が断罪されて、私を突き飛ばして事件を起こした柴山が称賛されるなんて!」
物凄い怒りの籠った眼差しで、小鳥遊さんはチーズケーキが乗ったお皿を睨みつけた。相当怒りが溜まっているな。
「そのくらいにしろ。俺の為に怒ってくれるのは嬉しいけど、恨むのはダメだ。恨めば必ず自分に跳ね返ってくる、君にそんな目には遭って欲しくないから」
「ですが、これでは先輩が報われません!」
「君やバイト先の人達だけでも理解してくれればそれでいいよ」
時間は掛かるかもしれないが、俺は合法的な手段で無実を証明したいし、俺を陥れた柴山にはきちんと法で裁いてもらわないといけない。
だが、その為にも俺は真っ当に生きなければいけない。悪いことは何もしていないと、胸を張って言えるくらいに。
「姫崎先輩は強いですね」
「俺は別に強くないよ。就職だって未だに出来ていないし、駄目人間だよ」
そんな他愛もない会話をした後、俺の奢りで店を後にしてそのまま解散した。去り際に小鳥遊さんが、俺に向けて投げキッスをした。
前作の「妖しの魔鏡」も是非読んでみてください。