十六 本心
天邪鬼を逃がして6時間が経ち、俺達は一旦落ち着く為にかつて俺が通っていた高校の体育館に来ていた。あの場所から一番近い所にあったという事と、台風が更に勢力を増した為避難の為に来た。
天邪鬼が逃げてから15分後に、この町の警察署長がようやく応援に駆け付け、柴山俊樹の会社と頑固親父の会社の社員を詐欺の容疑で逮捕した。
更に、俺に罪を擦り付けようとした年配刑事も逮捕され、町を混乱に陥れた頑固親父もその場で取り押さえられ、2年前俺に冤罪をかけた柴山の嘘も全て露呈され、こちらも逮捕された。3人とも、逮捕される時は放心状態であった。
最後に、役所のトイレでこの町の町長が遺体となって発見され、頑固親父の証言から柴山俊樹の犯行である事が分かった。冷静に考えれば、町長が頑固親父の暴走を容認する訳がなかった。止める相手が天邪鬼に殺された事で、このような大事に発展してしまったのだ。
「まったく、あのクソ鬼。この町を滅茶苦茶にしただけでなく、廃村にまで追い詰めるなんて」
当然の事ながら、全住民の半数という多くの逮捕者を出し、更に今回の鬼騒動でたくさんの犠牲者が出たことで、この町の廃村は避けられなくなってしまった。尤も、町を出た所でこの町出身というだけでかなり肩身の狭い思いをする事になるだろうが、それも甘んじて受けよう。
「もう滅茶苦茶だな」
「最悪です」
「45年も前から暗躍していたんじゃ、私がどう出しゃばってもこうなる事は避けられなかっただろうな」
「自分を責めない。45年前だったら、杏ちゃんはまだ生まれておらんからな」
どういう訳か俺の近くには、孝仁さんと佐伯刑事、鬼熊さんと人間に化けた酒呑童子がこっちに集まっていた。そして、俺のすぐ横では魂を抜かれ未だ深い眠りについている小鳥遊さんが寝かせられていた。
鬼熊さん曰く、小鳥遊さんはまだ死んでいないから早めに魂を取り戻せば助かるのだそうだ。
1日くらいなら何とかなるらしいから、台風が去った後から行動に移っても大丈夫だそうだ。ギリギリではあるが。
「チキショウ!本当ならすぐにでもあの雑魚鬼を倒しに行きたいのに」
「台風が酷くなって危険だから、今は過ぎるまで待つしかない」
「チッ!」
悔しそうに床に拳を叩きつけようとする鬼熊さんを、酒呑童子が制止させた。いくら鬼熊さんがすごい陰陽師でも、自然の猛威には手も足も出せないみたいだ。
小鳥遊さんの魂も奪われ、事件の元凶である天邪鬼も逃がしてしまったというのに、台風のせいで追いかけて戦う事が出来なかった。
「いくら杏ちゃんの身体能力が高くても、暴風域に入った台風の中で戦うのは自殺行為だ」
「分かっているけど、やっぱり悔しいんだ」
でも、確かにこんな天候の中であの鬼に戦いを挑むのは無謀でしかない。明日にはこの辺りを通り過ぎるので、それまで待つしかない。
「それはそうと、アイツは一体何処に逃げたと思うか?」
台風が過ぎた後、我武者羅に探すのは無駄に時間を浪費するだけで効率が悪い。時間が経てば経つ程、小鳥遊さんの魂を取り戻す事が出来なくなる。
「それについてはおおよその予想はつくが、その前にお前の意志を知りたい」
「俺の意志?」
真剣な表情で鬼熊さんが言うから、何か重要な事なのだという事は想像がつく。そう思った。
「お前は、その子の事をどう思っているんだ?」
俺の横で眠っている小鳥遊さんに視線を移しながら、鬼熊さんは俺が小鳥遊さんの事をどう思っているのか聞いてきた。それほど重要と思う様な内容でもなかった。
小鳥遊さんの前髪を軽く撫でた後、鬼熊さんは俺の方を向いてもう一度聞いてきた。
「この子はお前に対してとても強い好意を抱いていて、それを隠すことなくお前にぶつけている」
確かに、小鳥遊さんは俺に対して好きという感情をこれでもかと言わんばかりにさらけ出していて、人前であっても躊躇わずに腕を組んできたり、抱き着いてきたりして来ている。
小鳥遊さんは未だに俺の彼女でいるようだが、俺は2年前のあの出来事以来縁が切れてしまったから、彼女との関係もそれで終わったものだと思っている。
「それと、小鳥遊さんの魂を取り返す事とどう関係があるんだ?」
「この子は気持ちにブレを感じられないが、お前は自分の気持ちに、本心から目を逸らしているように私には見える」
「本心も何も、俺と小鳥遊さんは」
「お前は2年間ずっと、自分の気持ちに嘘をついて過ごしている。お前はこの子との関係は、2年前に終わっていると自分に言い聞かせる事で自分が傷つく事か逃げてきている」
「う‥‥‥」
まるで隠し持っていたナイフで突き刺すみたいに、俺の心を抉る様に深く突き刺さるような言葉で俺に言ってきた鬼熊さん。その言葉に、俺はこれ以上何も言う事が出来ないでいた。
「私は、人を陥れる様な嘘が大嫌いだし、そんな嘘をつくクズは然るべき罰を受けるべきだと思っている。だが、私が一番許せない嘘がある」
人を陥れる嘘を超える最悪な嘘、それがどんな嘘なのか俺には想像がつかない。一体それは、どんな嘘だというのか。
「それは、自分に嘘をつくことだ」
「自分に、嘘をつく」
それを聞いた瞬間、俺は全身から汗が噴き出し、心臓の鼓動が早くなっているのが分かった。今の言葉に、俺が動揺しているというのか。
「自分に嘘をつく嘘は、自分自身の気持ちや意思を否定して自分自身を追い詰める事になる。そうして後に後悔だけが残る。何故あの時何な事を言ってしまったのか、何故もっと素直に気持ちをさらけ出さないのか、そんな後悔だけを抱く事になる。そしてそれは、自分だけではなく自分に近しい人達まで傷つける事にもなる。人生に影響する事は少なくても、自分と相手の気持ちを傷つけ抉る」
確かに、鬼熊さんが一番許せないというのも分かる気がするが、それと俺が一体どう結びつくというのだ。
それなのに、どうして俺の心臓はこんなにもせわしなく動いているんだ。長距離を走っている訳でもないのに、呼吸もし辛いなる程全身の血液が脈打っていて、滝の様に全身から汗が流れるんだ。
何か言わなきゃいけないのに、どうして俺の口は何も喋らないのだ。どうして違うと言えないのだ。
「違うと言いたくても言えないのは、お前自身にその心当たりがあるからだ」
「‥‥‥お、俺は、自分に嘘なんて‥‥‥」
「なら聞かせろ。お前はこの子の事を本当はどう思っているのか。お前の偽らざる言葉を聞かせろ」
鋭利な刃物の様な目付きで俺を見る鬼熊さん。見ているというより、睨んでいると言ってもいい程目付きが鋭かった。
「お、俺は‥‥‥」
鬼熊さんだけでなく、俺の周りにいる皆が俺に注目していた。皆が注目している中、俺は重い口を強引にこじ開けて言葉を発した。
「俺と、小鳥遊さんの関係は、2年前に自然消滅して‥‥‥」
「本当に自然消滅したと思っているのなら、何でこの子からの誘いを毎回断らないんだ」
「え‥‥‥?」
最後まで言い切る前に、鬼熊さんの言葉で遮られた。
「本当にこの子の事を何とも思っていないのなら、学校の送り迎えを引き受けるなんてしないだろ。無理な言い訳を並べて、断る事だって出来た」
「‥‥‥それは」
確かに、孝仁さんが俺の都合を無視して妹の送り迎えを押し付けるなんてする訳がない。バイトで疲れている等、断る理由はいくらでも思い浮かべられる。
なのに俺は、小鳥遊さんの送り迎えを承諾した。今思い返せば、どうして引き受けてしまったのだろうと思う。彼女の関係が終わっているから、何も起こらないと断言できるから。いや、小鳥遊さん自身は俺との関係は終わっていないと思っている。俺が何もしなくても、小鳥遊さんの方から何かしらの行動を起こす事は想像がつく筈なのに。
なのに俺は、小鳥遊さんの送り迎えを引き受けてしまった。
「迎えに来た時でも、まっすぐ帰らせようとせずこの子に誘われるがまま寄り道をして、夜遅くまで付き合ってあげて。叱って家まで送る事だって出来た筈だ。彼女は受験生なんだから」
「ん‥‥‥」
その言い方には少々語弊があるが、概ね間違いではないと思う。小鳥遊さんが強引だったからというのもあるが、俺は彼女の誘いを断ろうとはしなかった。
本来なら、受験生である小鳥遊さんを夜遅くまで連れ歩くのは内申にも響くし、断って無理矢理家まで送ってさっさと帰る事だって出来た。いや、一度は必ず断るのだが小鳥遊さんがそれでは引き下がらないから、最終的にはそれを受け入れてしまう。
それでも、受験生を夜遅くまで連れ回す訳にはいかないと言って突き放す事だって出来た。
でも俺は、それをやろうとしなかった。
「だけどお前は、彼女を突き放す事が出来ないでいた。それ訳は、お前自身もまだ彼女の事が好きなんだろ。たった1日だけで、しかも2年も会わない日があっても」
「っ!?」
それを聞いた俺の心臓が、ドキリと跳ね上がった。
「本当は彼女の事が今も好きなのに、未練がましい自分が嫌になって無理矢理その気持ちに蓋をして、自分の気持ちから目を背けて嘘をつき続ける事にした。彼女を諦めきれない気持ちがあっても、絶対に違うと言って自分の気持ちをずっと偽ってきた」
「ち、ちが‥‥‥」
どうして、違うと言えないんだ。彼女との関係はとっくに終わっているのに、俺の本心はそれを認められないでいるとでも言うのか。
「ハッキリと違うとは言えないんだな。それがお前の本心でもあり、お前自身の心の悲鳴でもあるんだ。彼女との関係を終わりにしたくない、本当は今でも好きなのにそれを素直に受け入れる事が出来ないでいる」
やめてくれ!
それ以上は言わないでくれ!
「お前は2年前に彼女を悲しませてしまった事を悔やみ、そして自分自身を責めてしまった。その時の罪悪感と後悔、そして面と向かって謝罪が出来なかった事がお前自身も傷つけてしまった」
聞きたくない!
もう聞きたくない!
もうそれ以上喋るな!
「これ以上傷つきたくないと思ったお前は、自分の中にある彼女への思いも無かった事にして、関係を断つ事で自分自身が傷つかないようにしてきた。それからお前は、2年間ずっと自分の気持ちに嘘をつき続けた。その結果お前は」
「うるさあぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
とうとう堪え切れなくなった俺は、体育館全体に響く程の大きな声で叫んでしまった。
だが、これ以上自分の感情を抑える事が出来なかった。鏡を見てみると、きっと額には角が生えているだろう。そのくらい俺は、自分の中にある感情を全て爆発させた。
「だったら何だって言うんだ!俺のせいで小鳥遊さんはあの時傷ついたんだぞ!俺なんかに告白したせいで、舞い上がってその告白を受け入れてしまった俺のせいで!」
そうだ。あの時の俺は、小鳥遊さんみたいな可愛い女の子に告白されて完全に舞い上がってしまっていた。
浮かれた俺は、この後どうなるのかなんて考えもしなかった。小鳥遊さんを突き飛ばしたのは俺ではないが、俺のせいで彼女を危険な目に遭わせてしまった。
そしてそれを謝る事が出来ず、一方的に攻められたことで俺の心は完全に折れてしまった。
こんな目に遭うくらいなら、最初から小鳥遊さんの告白を受け入れなければ良かった。
誰も好きにならずに、一生独りでいた方が楽だ。こんなの、俺には耐えられない。
こんな思いを二度としたくないから、俺は彼女との関係を終わらせて金輪際関わりを持たない事にした。
なのに、それなのにあの時再会した小鳥遊さんは、本当に嬉しそうに俺に近づいて、デートにまで誘ってきた。腕を組んできたり、抱き着いてきたりもした。あんな目に遭っても尚、俺の事を一途にずっと思い続けてくれていた。
本当の事を言うと、俺はあの時嬉しかった。あんなに傷ついたのに、謝罪も出来ていないのに、2年も無責任に突き放してしまったのに、それなのに俺の事を今でも好きでいてくれた。
そんな彼女の気持ちが、嬉しくて仕方がなかった。
強引で人の言う事も聞かないで、チャラチャラしていて夜に町を徘徊して遊び回るような馬鹿で、俺に対するパーソナルスペースも狭くて人前であっても躊躇わずにくっ付いて来る。
そんな馬鹿で強引な性格をしているけど、何時も皆の中心に居て明るく照らしてくれる太陽の様な小鳥遊さんがずっと好きだった。
そんな太陽の様な小鳥遊さんを、俺は傷つけ泣かせてしまった。
また同じような事が起きたくなかったから、彼女にはずっと笑顔でいて欲しかったから、全ての元凶である俺は彼女との関係を終わらせる事にした。
そうした筈なのに、心の何処かでまた彼女と付き合えたらなんて思っていた自分がいたのかもしれない。
それを身勝手だと思い、俺は自分の中にある彼女への想いを全て捨てる事にした。
感情的になっていた俺は、その全てを吐き出した。
「だからお前は、彼女は自分を選ぶべきではないと思い、その気持ちに蓋をしていたんだな」
「‥‥‥ああ」
俺は、最低な人間だ。
最初に闇色の鬼に遭遇したのも偶然ではなく、俺という嘘つきがいたからだったんだ。自分に嘘をつき、小鳥遊さんへの想いにも嘘をついて傷つかないように逃げていた。
俺は、嘘つきだ。
そんな俺に、孝仁さんは何故か頭を下げて謝罪をした。
「すまない。姫崎君がこんなにも思い詰めていたなんて知らなかった。何時も君の悩みを聞いていたのに、それに気付いてあげられなかった。本当にすまない」
「孝仁さんが謝る事は無いです。悪いのは、全部俺なんですから」
「そうですね。あなたも悪かったと思います」
謝罪する孝仁さんの横で、佐伯刑事からキツイ言葉が出た。だが、佐伯刑事の言っている事は全て事実だ。
「あなたは、小鳥遊刑事の妹さんの幸せを願って自ら身を引いたみたいですが、それが本当に彼女の為になっているのか真剣に考えて、悩もうともせず彼女を突き放してしまった」
「え?」
予想外の言葉に、俺は思わずポカンとしてしまった。
「2年前のあの事件で百パーセント悪いのは柴山秀樹です。彼は現在その罰を受け、逮捕されました。姫崎君は、謝ろうとしていましたが、その事であなたが謝る必要なありません」
「でも」
「彼女は、あなたの傍にいたいとずっと願っていました。あなたの傍にいる事が、彼女の幸せなんです。なのにあなたは、2年前の事件を全て自分のせいだと思い込み、必要以上に自分を追い詰め、彼女の話を聞く事もなく関わるべきではないと勝手に自己完結して離れた。あなたが謝罪すべきはそこです。彼女の言葉を、意思をもっと尊重してあげるべきであった。それでも別れるべきだと思うのでしたら、私に咎める権利はありませんが」
「小鳥遊さんの、意思」
確かに俺は、彼女と真剣に向き合う事無く、周りが近づけさせようとしなかったとか、頑固親父に脅迫されたと言い訳をしてしまった。ちょっと頭を捻れば近づいて話す機会なんていくらでもあった筈。
だけど俺は、話をしようとせずに勝手に小鳥遊さんの気持ちを決め付けて離れていった。
それに、今日までの小鳥遊さんの行動を見ても、彼女が俺と別れる事を望んでなんかいない事は明白だったのに、俺はまた傷つくのを恐れてそこから目を背けてしまった。
佐伯刑事に言われて気落ちする俺に、鬼熊さんが改めて聞いてきた。
「もう一度聞く。お前は、小鳥遊向日葵の事をどう思っている」
「俺は‥‥‥」
俺が、小鳥遊さんの事を本当はどう思っていたのか。
それは
「俺は、小鳥遊さんが好きだ。例え2年もの間会えなくても、その気持ちは変わらない」
だから俺は、小鳥遊さんを助けたい。天邪鬼に囚われている魂を、救いたい。
「まったく。お前も相当な頑固者だな」
「確かに、意固地になり過ぎてしまったと反省している」
こんなんじゃ、頑固親父の事をどうこう言えないな。
「だが、その気持ちが大事なんだ。あの子鬼から、小鳥遊向日葵の魂を救い出すにはお前の正直な気持ちと、彼女への偽りのない思いが必要なんだ」
「俺の、思い」
「彼女はお前を強く求めている。その気持ちを素直に伝えて、手を差し伸べてあげる事が重要なんだ。私や酒呑童子も援護するから、お前は天邪鬼の中にある彼女の魂にひたすら叫び続けるんだ。だけど、それを行うに際して肝心のお前が中途半端な気持ちでは、彼女が助かっていいのか迷ってしまう。それでは助け出すことは出来ない。だから改めて聞いたんだ。お前の偽りのない本当の気持ちを」
「ああ。分かった」
自分の本当の気持ちを自覚した俺は、改めて小鳥遊さんを助けたいと強く思うようになった。
「妖しの魔鏡」も是非読んでみて下さい。




