番外編 文化祭
その日。その場所。その時間。
教室はいつもと違った空気に包まれた。
理由? そんなものは決まっている。もうすぐ
『アレ』の季節だからだ。
「えーと、みんな揃っていますね」
チャイムがなる半歩前に、担任が教室に入ってくる。ガラガラと扉が開く音が、やけに大きく感じられた。
『アレ』とはなんのことなのか? そんなものは決まっている。
諸君らも一度は経験したことがあるだろう。
高校生活に三回起こる、『祭』と銘打っておきながら、その本質は祭りとはほど遠く、ぶっちゃけ「めんどくさい」という感情しか湧いてこないあの行事。
「それでは今日は、前から予告していた通り、文化祭での出し物を決定しましょ~う」
そう、今日はあの文化祭の、出し物決めである。
「えー、三週間後に迫った文化祭ですが、今年は例年よりも客足が多くなると思われていますので……」
お天気キャスターのような担任のセリフを右から左へ聞き流しつつ、俺━━━江坂 始は頬杖をついた。
文化祭。
それは、日頃の活動の成果を発表する等の目的で行われる学校行事の一つであり、場所によっては『◯◯祭』という名前にもなっているらしい。
『生徒の自主性を重んじる』などといった都合の良いスローガンのもと、クラスが一丸となって取り組むあの行事である。
とは言っても、そんな行事にマジになるのは、よっぽどのリア充かマジメくんであり、俺のような陰キャ、もしくはフマジメくんにとっては……。
結論としては、正直なんでもいい。
別に参加する理由を感じない日だし『生徒の自主性を重んじる』のであれば、参加するしないは自由のハズだ。
にも関わらず、この期間中は毎日「出席しなければならない日」となっている。どういうこっちゃ。
「それでは、後はよろしくお願いします」
あらかたの説明を終えると、担任は二人の実行委員の生徒に一礼して、教室から出ていった。恐らく、職員室での作業がまだ残っているのであろう。最近の担任は放任主義なのである。
そうしてクラスには、生徒だけが残った。
その内の先ほど立ち上がった二人は、ゆったりとした足取りで教卓へと向かう。
「それでは今から、文化祭の案を出してください」
その片割れの男子である吉井が、あらかじめ用意された台本を読むような感じで言った。そしてその隣には、実行委員の女の方である川口さんがチョークを持って立っている。
さて。
ここまでの時間は単なる前座であり、ここからが本当の地獄もとい本当の勝負である。
「えー、それではどなたか、意見のある人~」
実行委員、吉井がクラス全体を見渡してそう言った。
その瞬間、クラスメイト全員が示し会わせたように同時に顔を下げた。
目線イズオンザチェア。気配、極限まで遮断。人払いフィールド、全開。そしてひたすら神に祈る。
これらの作業を僅か0.1秒で済ませたクラスメイト(俺含む)達は、ただ静かに、審判が下る時を待つ。
身動きをする者は誰もいない。誰も動かない。動こうともしない。
恐らく、少しでも動けば当てられる、と本能が語っているのであろう。実際俺もそんな本能の囁きに耳を貸しているところだ。
今の時代、自分から意見を言えるような若者は残念ながら少ないのだ。
よってこの時間は、『みんながみんなに発表権を押し付け合う』究極の膠着時間となる。この空気の気まずさったらもうすごい。
というか、正直なんでも良いのだから発表しようがない。
そんな無言の時間が十秒ほど過ぎると、吉井は小さくため息を吐いて、生徒全体を見渡し始めた。
来た。
読者の諸君らの学校ではどうか知らないが、ウチの学校では、こういった状況の時に誰も発表する人が出ない場合、教卓に立つ人物(先生or代表生徒)による強制指名となる。
指名された場合、反抗は許されない。吉井は、今からそれを行おうとしているのだ。
「では……田中くん」
「お、俺っ!?」
そうして不幸なジャッジメントが下された。
記念すべき発表者第一号に選ばれたのは、マイフェイバリットフレンド、田中だった。
髪はボサボサで雰囲気も少し暗めな陰キャ少年である。だが、逆にそれらを改善すれば、充分に陽キャへと転職できると俺は勝手に思っている。
こんな自由発表によって場が膠着した時は、大抵はとびっきりの真面目くんか不真面目くんに白羽の矢が立つと相場が決まっているが、今回はどうやら真面目くんに矢が立ったらしい。
まぁ田中もまるっきり真面目くんというわけでもないが。テスト期間中でも、テスト開始三日前まで全力で遊んでるしな。
「あー……えっと……」
田中は少しでも時間を稼ごうと、やけにゆったりとした動作で椅子から立ち上がった。
ナンマイダブ。
俺は心の中で手を合わせる。
こういう自由発表では、大なり小なりトップバッターの発表が基準となる。その重圧はかなりのものだろう。かわいそうに。
だがその反面、俺じゃなくてよかったという気持ちもあるんだがな。
同情はする。でも変わってやろうとは思わない。淡白だろうが、人間ってそんなもんさ。多分。
「えー……俺は……お化け屋敷とか、いいと思います……」
三秒くらい「えー」と唸って時間を引き伸ばしていた田中は、やがてそう言った。
ふむ、お化け屋敷か。
文化祭としては定番中の定番だろう。現実にしろフィクションのネタにしろ、とりあえず迷ったらこれにしとけ感はある。
ただ、実際にやろうとするとこれがなかなかに大変らしい。
通路のセットやお化けコスチュームの製作、そしてお化け役の者への最低限の演技指導。
フィクションではカッティングされていることが多いが、それなりの物を目指そうと思えば障害はかなり多い……らしい。
ま、なんの発表もしてないヤツに、あれこれ文句を言う筋合いはないがな。
「なるほど、お化け屋敷ですか……」
対してなるほどと思ってなさそうに吉井が言うと、川口さんは黒板に文字を書いていく。
途中でチョークと黒板が擦れる キィッ、という音がしたので、俺は思わず顔をしかめた。
そうして発表を終えた田中はふぅ、と一息ついて腰を下ろす。
川口さんが文字を書き終わると、吉井は再びクラス全体を見渡した。
そしてその瞬間、クラスメイト全員が再び同時に目線を下げた。
一つの意見は出たが、戦いはまだまだこれからなのである。
吉井はため息をはくと、仕方ないなといった表情でまた強制指名を行おうとする。……さっきから呆れたような態度をとってるが、多分吉井だって発表する側に回ったら挙手なんて絶対しないと思うぞ、多分。
「それじゃあ、久保くんはなにかありますか?」
「わ、我でござりまするかwwww?」
続いて白羽の矢が立ったのは、またもや俺の友達である久保だった。
小太り、メガネ、オタク喋り、草生やし、といった四拍子揃った奇跡の数え役満オタクである。
俺が日頃つるんでいる男子四人組(田中と俺含む)の中でも、特に一線を画す存在である久保。正直お化け屋敷の受け付け椅子に座ってるよりも、自室で『灰原たん萌え~』とか言いながらフィギュアを愛でてる光景の方が似合いそうな久保が、果たしてどんな意見を出すのか。純粋に興味があるな。
……いやしかし、この状況下では流石の久保も無難な意見で済ませるだろうか。
俺が期待と不安の入り混ざった気持ちでいると、いつの間にか立ち上がっていた久保が唐突に カッ! と目を見開いた。
「我はメイド喫茶を推したいですぞwww!! もちろん女子はメイド服! スカートはミニで! 猫耳猫しっぽも無論装着! ケチャップをかけるときには『おいしくな~れ』を言うサービスもつけて━━━ブゲボハァッ!!」
敬礼敬礼。二階級特進なさった久保大尉に敬礼。
烈々と自らの野望を語っていた久保だったが、クラス委員の片割れ、川口さんがどこからか取り出した辞書投げによって、あえなく強制退場となった。
あの瞬間、久保は間違いなくこのクラスの━━━いや、全オタク達にとっての希望の光となっていたであろう。
こんなことは並のオタクに出来ることではない。これには陽キャの連中も、久保の実力を認めるしかないだろう。
虎の穴に入ってでも虎の子を得ようとした者を、一体どこの誰が笑えるというのか。
ありがとう久保。お前の勇姿は五分くらいは忘れない。
「えー、他に意見のある人はいませんか?」
そして我らが実行委員様は、そんな久保の特攻を意にも介していないようだった。そのスルースキル、将来役に立つだろうな。
それは置いといて、吉井の再三の呼び掛けにも、反応する者は誰もいない。
クラスメイトは全員同時に(ry。
この辺りになると、もはや吉井はため息も吐かなくなり、ただ指名をするだけになる。
「それでは……井上くん」
「えっ、俺!?」
そうして不幸な審判が下されたのは、またまた俺の友人である井上だった。
身長は俺よりも少し低いぐらいで、大分いい加減な性格だ。俺とは時々馬が合わないときもあるが、基本的には良いヤツである。
そんなヤツが吉井による強制指名を受けてしまうなんて……イヤーカナシーナー。
「……さっきの喫茶店でいいんじゃねぇの? メイドかどうかは別として。模擬店で焼きそばでもやりゃいいんじゃねぇのか?」
とは言え、前もってある程度考えていたのか、井上はあまりドモらずに答えた。チッ。
まぁそれはともかく、模擬店ときたか。
メジャーとメジャーを組み合わせた全く新しくもないメジャーな出し物だな。
お化け屋敷と並んで、フィクションでの人気出し物である。メインヒロインと二人で食べ歩きするもよし、ヒロインの一人が作ったゲテモノ料理を皆でガツガツするもよし。便利なイベントである。
……ってしまった。これは二次元じゃない、三次元の出来事であった。
物事をすぐに二次元で例えるのはオタク陰キャの悪い癖だ。
模擬店……模擬店ね……正直あんま語ることないな……。どんな料理になろうと、所詮男子にできるのは材料調達と皿洗いぐらいだからなぁ。
カッカッカッ、と黒板の上で川口さんの持つチョークが踊る。何はともあれ、オタク達の尊い犠牲によって三つの意見が出た。
そろそろ吉井の強制指名も打ち止めだろうか。自分からこれ以上気まずい時間を増やすこともあるまい。
なーんて、俺が思っていたとき、
「はいっ! はいっ!」
俺のすぐ後ろの席から、男子小学生のような声が聞こえた。その声に、俺は思わず顔をしかめて、来たか、と心の中で呟く。
「相沢さん」
吉井の指名を受けて、その男、相沢 共は立ち上がった。
そう、この行事に、この男が黙っているはずがなかったのだ。
相沢 共。
A組のクラス委員長であり、誰もが認める陽キャリア充。我が高校が誇るサッカー部エースであり、イケメンで高身長。
クラスを引っ張る役をすすんで引き受け、満場一致で学級委員になるようなヤツだ。
そんなイケメンでマジメなクラス委員長サマがどんな意見を出しやがるのか、俺は楽しみでもあるし恐怖でもある。
パンドラの箱を開ける瞬間って、まさしくこんな感じなのだろうか。
俺含むクラスの連中の熱い視線を受けながら、相沢は良いサプライズを思い付いた子供のような表情で言った。
「僕はみんなで劇をしようと思う! 実は脚本ももう考えてあるんだ! 皆で頑張ってみようよ!!」
とんでもない核弾頭を落としてきやがった。
……いや、バカか?
相沢よ。マジでバカか? 死ぬのか?
色々とツッコミ所は満載だが、とりえずさっきから後ろの席でやたらシャーペンをガリガリさせてるな、と思ったらその劇とやらの脚本を書いていたのか。
「ええっと……劇ですか……」
ほら見てみなさい。相沢クンが突拍子もない意見を出すせいで、今まで憎まれ役を演じていた吉井クンが戸惑っているではありませんか。
ちょっと同情したくなってきたぞ。
「大丈夫! 劇は短めだし、今から準備をしても充分に間に合うよ!」
そういう心配をしてるんじゃないんだけどな。
劇が短いのは結構なんだが……いや、オリジナルてお前……ねぇよ。
『…………』
あーあ、どうすんのさこの空気。
この誰もが何と反応すれば良いのかわからないような空気。芸能人が渾身の一発ギャグを滑らせたような空気。
どうしてくれんだよメチャクチャ寒いじゃねぇか。
クラスの出し物で劇をするなんて、今時二次創作でも……いや、意外とあるか? まぁともかく、あんまり見ないんだからさぁ……。
さっさとその意見を撤回して、どうぞ。
「…………ぜ」
ん? 何やら相沢のさらに後ろにいる生徒が発言をしたようだが、声が小さくてあまり聞こえなかったな。
マイクさん音量をもう少し上げてくれ。
と、その生徒の発言がきっかけとなったのか、途端に教室がざわざわとなりだす。
なんなんだ急に。
俺が過ごし方に戸惑っていると、やがて溜め込んでいたダムが爆破されたように、その生徒達の発言は皆に聞こえる声量となる。
「いいじゃねぇか、やってやろうぜ相沢!!」「なんかテンション上がってきたぁぁぁ!!」「劇なんて発想思い付きもしなかったぜ!!」「俺ワクワクしてきたぞ!!」
ど う し て こ う な っ た ?
イヤイヤイヤ、急になんなんだこいつら? さっきまでやる気のなさの塊だったこいつらが、突然元気百倍のヒーローみたいになってんぞ、オイ。
「よっしゃあ! そんじゃあ劇をやってやろうぜ! お前ら異論はねぇよなぁ!?」
『おう、おっしゃあっ!!』
「俺ワクワクがとまらねぇぞ!!」
なにこの展開? ねぇなにこの展開??
なんで相沢の一言こんなに変わったんだ?
相沢の提案のどこにそんなに惹かれたんだ??
「俺……俺……オラワクワクして来たぞぉぉぉ!!」
あととりあえずさっきからゴクウごっこしてるヤツ黙れ。お前のゴクウごっこはワクワクするしかレパートリーないのか。
それはともかく、どうする? もう止まらねぇぞコイツら。
相沢はあれか?なろう系主人公なのか?
それとも能力者か? ああわからない!
「みんな、待ってほしい」
俺がすっかりメダパニにかかっていると、突然相沢がそう言って場を制した。正直俺にとって待ってほしいのはこの状況の方なのだが、それでもカオスになりかけているこの場を収めてくれるのはありがたかった。
「決める前に、僕から一つ提案があるんだ」
クラスメイト達からの視線を受けながら、相沢はやがてこんな事を言った。
「今回の劇の主役には、始くんを推薦したい!!」
……Hh?
すまん、今この男はなんと言った?
ちょっとマイクさんのスピーカーが故障してたみたいだ。もう一回言ってくれ。
「今回の劇の主役には、始くんを推薦したい!!」
バカ野郎ほんとうに二回言わなくていいんだよてかなんで二回言ってんだよ俺のモノローグ読んでるのか。
「いいじゃねぇか!」「やってやろうぜぇ!!」「俺たちの主役は江坂だなぁ!」「オラワクワkごほっ、ごほっ! ごほぇっ!」
ムセるぐらいなら叫ぶのやめろよ……。
いや、てかそれよりもマジでどうなってんだこれ。俺みたいな陰キャを主役にするなんて、安西先生も思わず諦めてしまうほどの人選ミスだぞ、オイ。一旦落ち着いて、冷静になってくれよ。
てか俺まだ何も言ってねぇし。
A組の、話題の中心人物を容赦なく置き去りにしていくスタイル、俺は大嫌いだぜ。
「始くん」
そうした混沌の中、全ての元凶である相沢は、
「一緒にがんばろう!」
なんて言って、親指を立ててくるのだった。
……ユー シュッド フ◯◯ク。
正直俺としては親指の代わりに中指を立ててやりたかった所なのだが、残念ながらクラスメイトの目が光る前では無理だった。
……決定。体育祭に続き、どうやら今年の文化祭も厄日となるようだ……。
そんな外では、事情も知らないツクツクボーシが、どこか哀愁を感じるような音量で鳴いているのだった……。
ここまで読んでいただきありがとうございました。