【キメラの国4】セントラルギルド
「ん……」
メイがゆっくりとその瞼を開く、その瞳に映るは新雪の様な白に赤の混じる髪が特徴的な少女。紅玉色の瞳が心配そうに揺れていた。その存在に気付き、メイはすぐ意識を覚醒させる。
「姉さん…… ここは?」
見慣れぬ部屋に、メイは警戒心を強め、目の前にいる姉――ラビィに問いかける。
「ここはレギルス王国の国境城壁の中だよ。メイちゃんが寝てたから、詰所の一部屋を貸してもらえたの」
ラビィの説明に、メイは辺りを見回す。石造りの壁の部屋、そこのベッドにメイは寝かされており上半身を起こした状態であった。ラビィはベッドの近くに椅子を置き、メイを覗き込む様に看病をしていたのだ。
「すみません。休眠モードになってしまい、迷惑をかけてしまいましたね。もう動けますので大丈夫です」
そう言うと、メイは掛けられていた毛布を退かし、ベッドから床に足を降ろし立ち上がってみせる。未だに疲労と痛みが残るが、思っていたほどではなようだ。
「ううん。気にしなくていいよ」
ラビィが小さく首を振って、にこりと笑う。
「バルドスってオヤジが、口利きしてくれて何とか入国できた。まぁ、身分証がないので3日間のみの一時滞在許可だがな」
ラビィの腰で揺れるピエロ人形が口を開く。
「オヤジって…… 失礼だよ、ドンちゃん」
「うるせぇな。ジロジロとエロい目で2人を見てやがって、下心丸出しなんだよ」
ピエロ人形が吐き捨てるように言う。
「まぁ、メイちゃんは魅力的だから仕方ないよ。ランドワームとの戦いで肩の部分の服が溶けちゃってるからすごいセクシーだし」
にひひ、と笑ってラビィはメイの剥き出しになった肩に視線を向ける。
「そう、なのですか」
メイは自分の肩を見て、首をかしげる。メイにとって見れば、自分なんかよりラビィの方が断然魅力的に感じるのだが、と陽気に笑う姉に視線を向ける。
「《回復促進》の魔術と一緒に、服を直そうと《解析》もしたんだけど、それはもう少し時間がかかりそうなの」
申し訳なさそうな表情を浮かべるラビィに「解析してんのは、俺様だがな」とピエロ人形が言葉を繋げる。
メイは身体の痛みが予想以上に少ない事に納得する。休眠モードで眠っている間に魔術をかけてもらっていたのだ。回復についても、強力な魔術(《治癒》や《再生》など)の場合は受け手側の魂まで削る危険性もあるため、回復細胞を活性化させるのみに抑えたもののようであった。
実際はメイはもう魂のない存在になったため、気にしなくて良いことではあるのだが、それでも気配りをするのがラビィたる所以であり、メイがラビィを敬愛する理由でもある。
「その服は最新技術の塊みたいだな。俺様の知ってる素材ならばすぐさま修復できたんだが――」
やれやれ、とピエロ人形は肩を竦め
「《賢者の石》は万能だが、その力の根源は俺様の能力だ。神の叡智たる自然現象ならともかく、俺様の知らない人間の最新技術は発現できない。まぁそれが唯一の弱点だからな」
と説明を続ける。
「ともあれ、メイが起きたなら先ずは身分証の入手だな」
「そうですね。姉さんだけならば身分証はあるのに、私のために申し訳ありません」
メイが睫毛を伏せるように小さく頭を下げる。
「気にするな。メルギトスの一件で、今の身分証じゃ権力が高すぎて国家クラスの面倒ごとに巻き込まれるのが分かったからな。丁度、もう少し普通な身分証が欲しいと思っていた所だ」
「そうだよ、メイちゃん。気にしないで。じゃあ、まずはセントラルギルドだね」
「はい」
促されて、メイは準備をする。準備、と言っても荷物は全て前の戦いで失っているので、テーブルに置かれた武器――呪詠銃と短刀――を装備するのみであるが。
「呪詠銃については《解析》済みなので、消費していた実弾装は充填しておいたぞ」
「ありがとうございます」
ピエロ人形の言葉にメイは礼を言い、銃を軽く構え装填状態を確認した後、太ももに装備した革製のフォルスターに仕舞う。
皆の準備が出来たのを確認して、ラビィが詰所の扉を開ける。そこで、扉を警護していたであろう衛兵と目が合う。衛兵は自らの相棒であろう虎と豹の合いの子の様なしなやかな筋肉を持った合成獣の毛繕いをしていた様であった。
「妹さんの目が覚めたのですね」
ラビィに続き部屋を出てきたメイを見て、衛兵がラビィに語りかけてきた。入国審査後にバルドスと共にこの詰所に案内してくれた新米の衛兵だ。ラビィはその言葉に「うん。部屋を貸してくれて、ありがとう」と笑顔で応える。
「これからどちらへ向かわれる予定ですか?」
衛兵は合成獣の毛並みを整える手を止めてラビィ達に向き直る。
「うん。まずはセントラルギルドへ向かって、身分証を発行してもらおうと思うの。さっき貰った地図にセントラルギルドの情報があったから、これを頼りにしていこうと思ってる」
ラビィは入国時に貰った地図を取り出して見せる。
「もしよろしければ、私が案内いたしましょうか?」
若い衛兵が申し出る。
「う〜ん、どうしようか?」
「初めての土地ですし、土地勘がある方に案内された方が安心かもしれません。衛兵という立場も信頼置けますし、お願いしましょう」
判断しかねて振り向いたラビィに、メイが助言を返す。護衛という面だけでは、メイがいれば問題ないなだが、目的地に地図一枚のみというのは不安があった。
「よかったです。実はバルドス隊長に、お二方の安全を守るようにと命令を受けてまして、断られたらどうしようかと思っていたところでした」
若い衛兵ははにかんだように頰を掻き「こちらです」と先導して歩き出した。
「私はまだ騎士になったばかりで、剣の腕はまだまだですが、自慢の相棒がいるので護衛についても安心してもらって構わないですよ」
衛兵は腰に佩た剣を叩いて小さく首を振り、その後優しく隣に歩く合成獣の背を撫でた。それに応える様に合成獣が「グルル……」と嬉しそうに喉を鳴らした。
そして、国境城壁を出て新米衛兵に案内されて街道を進む。
合成獣の国とあってか、住人はほぼ皆、合成獣と人獣一対で歩いていた。
「この国の人達はみんな合成獣と一緒にいるんだね?」
そんな光景を見て、ラビィが感想を漏らす。
「はい。この国では合成獣の合成魔術が使えることが1つのステータスとなってますから。キメラを連れていないお二人は、この国の住人からしたらすぐに旅人ってバレちゃいますね」
新米衛兵がラビィの言葉に反応して説明をする。
「私達を助けてくれたバルドスさん?――も、街中を歩くときはあの飛竜を連れてるのですか?」
メイが新米衛兵に問いかける。
「いえ、街中では中型以下の合成獣までしか連れて歩くことは出来ませんので、隊長は街中ではもうもう1体の相棒であるライガータイプのキメラを連れています。そちらのキメラも桁外れに強くて、今の僕達の目標なのですよ」
憧れの存在を憧憬するような瞳て言う新米衛兵の言葉に、相棒である猫科のキメラが「ガウ」と小さく吠えて続く。
(ほぅ、あのエロオヤジは意外とすげぇ奴だったんだな……)
ラビィの腰で揺れるピエロ人形の念話での感想に、ラビィとメイは目を合わせてから小さく苦笑した。どうやらピエロ人形は複数人に念話を発信する多重念達を体得した様だ。
「見えてきました。あの大きな建物が魔術師協会――セントラルギルドですよ」
新米衛兵が指をさして目的地を示す。そこには周りの建物とは一線を画す一際大きな建物があった。塀に囲まれた敷地内には緑豊かな木々が並び、旧世界で言うところのルネッサンス様式で建てられた建物との色の調和が美しい、見事な建物であった。
「では、僕はここで待っていますので、用事が終わったら声をかけてください」
入り口である門の前で立ち止まり新米衛兵はそう告げる。
「案内、ありがとう。あの、お仕事があるなら待っててくれなくても大丈夫だよ?」
「いえいえ、貴女方の安全を守るのが僕の仕事ですから。本来ならば魔術師協会まで護衛でついていきたいところですが、敷地内に張られた《結界》によって相棒が近づけないので、ここで待つことにします」
「ガゥ……」
新米衛兵の言葉に続いて、相棒キメラが申し訳なさそうな声で鳴いた。
「じゃあ、行ってくるね。すぐに用事を済ましてくるから」
ラビィはそう言って、手を振る。それに続いてメイも、ここまで案内してくれた礼として小さく頭を下げてラビィの後を追った。
そして、ラビィ達は開かれた門をくぐり、塀で囲まれたセントラルギルドの敷地内に足を踏み入れる。
ここからは特別区域である。レギルス王国のなかであっても、この敷地内はファウスト王国領と見なされる区域となるのである。なので、キメラの国である国内であっても、キメラを近づけさせない結界魔術を発動させても許される区域なのである。
(おい、メイ。俺様には効果が無いから分からんが、ここに魔物除けの結界が張られているらしい。なにか感じるか?)
(はい。少しですが、門をくぐってから魔術的な阻害感を感じます)
「ええっ?」
ピエロ人形の念話による問いにメイがこれまた念話で答えたことに、ラビィが驚きの声を上げる。ラビィにとって念話は、ピエロ人形からの一方通行の連絡であるのだが、それを双方向で会話をしたメイに驚いたのである。
(ラビィには何度も説明しただろ。念話は、思念のチャネルを合わせれば会話ができるって。それを「めんどくさい」の一言で怠慢していたお前だけが取り残された感じだな)
「あぅ〜」
念話での指摘に、ラビィが悔しそうなうめき声を漏らす。
(で、話を戻すが、やはりまだ少しメイには効果があるか。《賢者の石》でラビィと同じ存在にはなったが、基幹部以外は素体が人型ゴーレムのままだからな。魔物除けの結界の効果が多少なりあるんだろう)
ピエロ人形の言葉に、メイが緩く逆流する川の中にいるような感覚の中、軽く腕を動かして状態を確認する。
(行動の阻害率は3パーセント程度なので、問題ないかと思われます)
(いや、影響を受けるならマズイな。建物の中には高等の魔術師が居るはずだ。能力の高い《解析》の魔術を使用されればゴーレムであることがバレてしまうかもしれない。ラビィ、《偽装》の魔術で念のため2人ともに「人間である」という偽装認識を施しておけ)
ラビィの腰でただの人形のように揺れながら指示を出す。ラビィは「なるほど〜」と声を漏らしてから、メイの手を握る。メイは急に手を握られ「えっ、姉さん」と目を丸くし頰を上気させるが、ラビィはそれに気づかずに腰の《賢者の石》に手を触れて魔術を発動させる。
瞬間、メイが感じていた疎外感が消え失せた。ラビィの魔術が、結界魔術をも騙したのだ。
(すごいです。私の侵入を阻害していた結界魔術の効果がなくなりました)
(よし。さすがラビィだな。人を傷つける以外の魔術は天才的だな)
「ふふーん。それほとでも、あるよ」
珍しく褒められたことに、ラビィは得意気に鼻をこすった。
(さて、魑魅魍魎が蔓延る伏魔殿へ突入だな)
建物の前、入り口に着くとピエロ人形が大仰な言葉で緊張感を煽る。
ラビィは扉に手を当て、扉を開けようとするが
「あれ? 開かない」
押しても引いてもその扉はビクとましなかった。
(チッ……どうやら魔道具を提示しないと開かない仕組みになっているみたいだな。面倒くさい仕掛けをしやがって)
ピエロ人形が舌打ちをする。
魔道具――それは魔石を組み込んだ魔術の媒体となる道具である。
通常、魔術師は杖の先に魔石を組み込み魔術の媒体としている。即ち、魔術師か魔術師同伴でなければこの扉は開けられないということだ。
「じゃあ……」
(待て、ラビィ)
腰に装備する短杖に手を伸ばすラビィをピエロ人形が制止する。
(《賢者の石》はこの仕組みだと《魔石》とは判別されない。いや、もしかすると判別されるだろうが、その場合は《魔石》ではなく、ちゃんと《賢者の石》と判別されるだろうから、その時点で大騒ぎになる)
そして、ピエロ人形は視線をメイに向ける。
(メイ……)
「はい」
メイはピエロ人形の意を察したのか背中に装備した短刀をするりと抜いた。
その短刀はメルギドスにて他の人体ゴーレムが使っていたものと同じものである。その柄尻部分に《振動》の刻印が刻まれた魔石が埋め込まれており、それが生み出す超微振動により刃部の切れ味を極限まで高められる武器である。もちろんこれはこの扉が反応するであろう《魔道具》に相当する。
メイがその小刀を逆手に持ち、柄尻の魔石部分を扉の中心にコツンと当てる。
すると小刀の魔石と共に触れた部分の扉が青く輝き、その光が波紋のように広がると、ゆっくりと扉が開く。
建物の中、扉を入るとすぐに受付があった。そこには大きな三角帽子を被った初老の男が座していた。如何にも魔術師といった出で立ちである。
「む? 珍しい時間のお客さんだな」
長い眉が持ち上がり、その下から灰色の瞳が覗く。
受付の後ろは広いスペースとなっており、そこに配置されたテーブルをを囲んでいくつかの団体が談笑していたのだが、ラビィ達が扉を開くとその手を止め視線が一斉に今入ってきたお客さん――即ち、ラビィ達に向く。
その視線の集中砲火にラビィは「はぅう」とたじろぎ、メイはそんなラビィを守る様に前に出る。
「お嬢様方、要件は何かな?」
受付の老人がしわがれた声で聞いてくる。
「身分証の発行をお願いしたく思って参りました」
メイが対応する。ラビィは沢山の視線に晒されて、借りてきた猫のようにメイの背中でビクビクしている。
「ほう。身分証の発行とは。お嬢様方はこの国の住人ではないのかな? それとも国外への渡航を望んでいるのかな?」
受付の老人が問いを重ねる。それはもっともな質問であった。
身分証とは大きく分けて3つ存在する。
1つは各国で発行される国民証明書――いわゆる住民票である。その身分証は国内では有効であるが、他国でははぼ価値のないものとなる。
2つ目が、職業ギルドもしくは教会が出している国際ライセンス証明証である。こちらは「職業」や「信仰している宗教の信者であること」に対する証明証である。こちらは世界共通で使用できる反面、証明するのは職業や宗派であるため、例え三ッ星のハンターライセンス持っていたとしても、ハンター協会のない国に行けば身分証としての価値は大きく損なわれることとなる。
ちなみに、このセントラルギルドは魔術師のライセンスも発行しているため魔術師協会とも呼ばれている。
そして最後の1つが、世界を牛耳るファウスト王国が発行している国際身分証明書――旧世界でいうところの旅券に当たるものである。
メイは3つ目の身分証――国際身分証明書の発行を求めた。それは一般人なら持っているであろう国民証明書を持っていないか。持っているが、それが無効になるようなこと――国外への渡航予定――があるかなのだ。
「どちらにせよ、身分証の発行は難しいな」
メイが答える前に受付の老人が言葉を続ける。
「どうしてです?」
メイが質問を返す。
「いまこの国は特別警戒態勢が敷かれておる。入出国に厳しい制限がかけられておるんじゃ。そんな中、身分不明確な人物に新たに証明書を発行するのも、国外脱出の手助けになる通行手形を発行することもこの国の国益を損なうこととなるので出来ないんじゃよ。ここは特別自治区域であるが、レギルス王国の国土を借りておるからの」
受付の老人は顎髭を扱きながら「すまんのう……」と言葉を漏らす。
「特別警戒態勢とは、なにかこの国に危険が迫っているのですか?」
話は終わりといい雰囲気の老人に対して、メイが気になった言葉に質問を返す。
その「危険が迫っている」という言葉が引っかかったのかメイの陰に隠れていたラビィが顔を出して受付の老人に視線を向ける。そのラビィの反応に、厄介ごとに首を突っ込みそうだ、とピエロ人形が嫌な予感を感じほんの少しだけ表情を曇らせた。
「なんじゃ、知らんのか? さては情報の届かない端ずれの区域、スラム――いや、孤児院出身なのかな」
受付の老人は2人の少女を睥睨する。心の内を覗かれているような感覚に陥る。《解析》の魔術が発動したようだ。老人は瞬きもせずに、2人を観察する。その時間は僅か数秒程度であったがメイは言葉を発することすらできなかった。
数秒の沈黙の後、老人は「ふぅ」と息を吐く。
「悪意、邪心は感じ取れなかったな。それに魔道具もお嬢さんに馴染んでいる。扉を開けた魔道具は盗んだようなものではないみたいじゃない。想像するに必死にお金を貯めて買ったもののようだが、そう簡単に国際身分証明書は手に入らないと思った方が良いぞ。序列1位の国家騎士であられるハインツ殿の義娘さんは孤児院出身と聞く。身分証が欲しいならばその娘さんの様に真面目に働いて国民証明書の取得を目指すがよかろう……」
諭す様な口調でかたる老人に、しかしラビィが「メイちゃんの質問に答えてほいしな」と言葉を返した。
「はっはっは、これは手厳しい。と言ってもまぁ、儂も詳しい国の内情までは知らないんじゃが……」
と、ラビィの無礼ともとれる指摘を笑い飛ばしてから、老人が現在の国の状況を語り出す。
「昨日発令された特別警戒態勢は第2種――いわゆる戦闘準備中に該当する警戒令じゃな。外出までは規制されないが、入国出国が規制され、徴獣令によって戦闘力の高い第三の相棒以下の合成獣が王宮に集められておる。国の刃たる国家騎士団で結成された第1騎士団も王宮に召集されている様で、市内ではなにやら戦争が起こるかもと噂もある。さすがに儂らも他国の状況、情勢までは把握してないから相手が魔獣なのか人間国家なのかまでは分からんが……」
どうやら、思った以上にきな臭いことになっている様だ。今なら衛兵の過剰とも思える敬語にも納得がいく。そして――
ピエロ人形は、チラリとラビィの様子を伺う。
「戦争……」
そう呟くラビィの表情は真剣そのものであった。
これはヤバいとメイに視線を飛ばすが、メイはそんなラビィの初めての真面目な反応に視線を奪われており、他人に気づかれない様に送ったピエロ人形の機微なる合図を察知することで出来ないでいた。
《救世主の本懐》とピエロ人形がいっているラビィの暴走ボタンが押されてしまった様子に、心の中で舌打ちを打つ。
「分かったかな、そんな状況なので、身分証の発行は無理なのだよ。孤児院ならば神父様やシスターの相棒達が守ってくれるだろう。さぁ、今日のところはお引き取りを――」
「待って。身分証発行について、もし魔術師の紹介があったらどうかな?」
そろそろ話は終わりと切り上げようとした老人を、しかしラビィの言葉が遮る。
「ほう。主らを紹介できる魔導師、とな? 悪いがそこまで位の高い魔術師ならばここに通い詰めている者となるが、主らが来ることを事前に知らせた者はおらんぞ。口から出まかせで、儂の貴重な時間を使わせないでくれ」
これまで好々爺な程をしていた受付の老人も、いつまでも食い下がる少女達にピリピリとした空気を纏い始める。普段のラビィならこの時点で怯えて逃げ出すのだが、今はスイッチが入ってしまっている。真っ直ぐ老人を見つめ、相手にとっては越えていけない一線であるを越えた一言を放つ。
「私がその魔術師です」
瞬間、老人の纏っていた不穏なオーラが爆発する。手元に立て掛けられていた杖を手に取り、魔術師然とした《威圧》を乗せた視線をラビィに叩きつけられる。急な変化に、部屋にいた魔術師達にも緊張が走る。
「貴様、魔術師と言ったな? 凡人が魔術師と詐称する事は重罪であると知っての言葉じゃろうな!」
突き付けた杖の先。拳大よりさらに一回り大きな魔石に魔力が集まる。刻印の刻まれ用途が絞られ簡易化されたものでなく、術師によって様々な魔術が発動可能な無印の魔石である。《威圧》の効果が強化され通常の一般市民では動くことすらできず、下手をすれば恐慌、いや発狂してもおかしくないくらいの強力な圧力が浴びせられる。
しかし、ラビィは身じろがない。腰に装備した短杖の先――賢者の石が赤く輝き、ラビィに害なす全ての効果を打ち消しているのだ。
正義執行モードのラビィは何人たりとも止める事は出来ないのだ。故にラビィがこの状態でで無ければ、あれだけ強力な《威圧》を想い人にぶつけた相手にキレていておかしくはないピエロ人形も沈黙を続けているのだ。
ラビィはゆっくりと受付の前まではを進めると、腰のポーチから一枚のカードを取り出し、机の上に置いた。
「これが証明だよ」
目の前の事態についていけていない受付の老人にラビィが説明する。
「証明じゃと?」
老人は警戒を解かずに、視線だけでそのカードを見る。国際身分証明証に似ているが、老人が知っているものとは違うものである。偽物。そう判断した老人が《捕縛》の魔術を発動させようとした刹那、ラビィが口を開く。
「調べてみれば解ると思うよ」
含みをもたせた言葉。その言葉の裏に秘めた意味を理解し、老人は懐から取り出した片眼鏡を着けて《解析》の魔術を発動する。片眼鏡はもちろん視力を補助するだけのものではなく、《解析》の魔術を強化する魔道具である。
認識とは異なる身分証であるが、その素材が気にかかった。それは老人が知る身分証と同様の超科学で魔力を練りこんだ特殊な素材と同じだったからである。そんなものをファウスト王国以外で作り出せる国はないのだ。極小の確率ではあるが完全に偽物とは言い切れなかったため、少女の言葉にのって《解析》の魔術を発動させたのだ。結果――
本物
片眼鏡越しに詳細情報が示される。そこには「本物」の文字が記されていた。
「信じられん。では、本来あるはずの魔術師ランクや定期審査の履歴などがないのは何故じゃ……」
そう心の声を口から漏らして、更に深く解析する。そしてたどり着く「通し番号」。どんなに精巧に作っていても、証明書に振られたこの番号を本国に問い合わせれば真贋はハッキリする。そして、目にしたこの番号に老人は驚愕する。
No.0000000009
一桁数字――
二桁以下の通番。それはファウスト王国建国に関わった創始の魔術師である事を意味している。
そして老人は遂に真実に辿り着く。
何故、魔術師のランクが記載されていないのか――それは魔術師のランク制度がない時代に発行されたから
何故、魔術師としての地位を保持するための定期審査の履歴がないのか――始祖の魔術師にそんなものが必要ないから
そして、この遥か昔に発行された証明書がこの少女を本人であると示している理由――それはこの少女が不老不死、悠久の時を生きる魔女であることを意味しているのだ。
真実に辿り着いた老人は腰が砕けたような格好で椅子に崩れ落ちる。
「どうした、爺さん! 何かされたのか?」
「おい、貴様何をした!」
受付の奥にて話しをしていた魔術師達が異変に気付いて老人に駆け寄り、ラビィ達を取り囲む。
「や、やめろ、馬鹿者っ。なにも、なにもされてない。そ、それより、ギ、ギルドマスターを呼んできてもらえぬか。わ、儂の裁量ではこの方への対応は出来かねない……」
老人の声が震えている。
「何言ってるんだ、さっきまでの話を聞いていたがこの娘達は身分なしの者じゃないのか? ギルドマスターも多分だが公務中だぞ」
「うるさい! いいから連れてこい。公務中でも構わん、最優先事項が発生したと言って無理矢理にでも連れてこい!」
有無を言わさぬ強い口調で命令する。魔術師の1人が「わ、分かった」と答え、踵を返し建物の奥へ走っていった。
「お前らも退がれ。その方は我らに害なすものではない」
老人の言葉に、ラビィ達を囲んでいた魔術師達もおずおずと奥の広間に戻っていった。
こうして、ラビィの身分証は地位が高すぎることを懸念して、新たに普通の地位の身分証を作ろうとして訪れたセントラルギルドで、その身分証の効力を最大限に使うこととなったのであった。
本当は身分証を手に入れる所まで書きたかったのですが、10,000文字を超えてしまったので一旦ここで区切り(^^)
身分証を手に入れた後、物語が一気に動き出す予定です。