【キメラの国1】受難の旅路
「どうしてこうなった――!」
ピエロ人形が絶叫する。
背後から迫る大地蚯蚓に、ラビィを担いだメイが全力ダッシュで逃亡を図っている。魔動二輪機で旅をしていたはずなのに、どうしてこうなったのか。
まずは、迷ったのだ。鼻歌交じりにラビィは魔動二輪機を運転していた。目的の国には半日もあれば到着できる予定であった。メルギトスを飛び出したのは昼過ぎ、深夜には目的の国に着くはずであったのだが、夜が更けても着く気配がない。
「姉さん。まだ着きませんか?」
不安になったのかメイが声をかける。
「う〜ん。方向は合ってるはずなんだけど……」
「方向?」
ピエロ人形が不安になって問い返す。
「えっと、メルギトスから北北東の方角だよね?ちゃんと電子方位磁針で方角みてるから、大丈夫」
ドヤ顔でラビィが言う。その言葉に不安がよぎる。
「方向はいいが、ちゃんとポジション情報見てるか?」
「ぼじしょん情報?」
ラビィの反応に、ピエロ人形は「おいおい」と驚きの声を上げる。
「姉さん、魔道二輪機に数値がでてると思うのですが」
「うん。スピードと、あと2つ……」
「それが、ポジション情報です。目的の国はE58N81なのですが」
「……」
ラビィは無言で魔動二輪機のスピードを落とす。
「どうした?」
もう答えは分かっているが、敢えて問う。
「行き過ぎてる」
暗い声でラビィが答える。
「やっちまったな。んじゃ、戻るか」
やれやれとピエロ人形は肩をすくめる。魔動二輪機がゆっくりと止まる。
「?」
反応がないラビィを怪訝に思い、ピエロ人形はラビィの顔を見上げる。その表情は、唇を尖らせた不機嫌顔であった。
「あー、もう疲れたー。お腹減ったー。眠いー」
ラビィの不満が爆発する。天を仰いで、バンバンと両手でハンドルを叩く。
「おいおい。子供かよ」
「いえ、ドン様。姉さんは12時間以上運転を続けています。姉さんが道を間違えたのも、疲労が積もって判断力が鈍ったからなのかもしれません。むしろ、私達が適度に休憩を取るように配慮すべきでした」
ラビィの様子を見て、メイがすかさずフォローを入れる。ピエロ人形も言われて気づく。移動手段をラビィに任せっきりだったということに、それに人間に近いラビィには体力というものがあるのだと。
「そうだな。全てラビィ任せにして悪かったよ。少し休んだら、俺様達も道案内をサポートするから、頼んだぞ、ラビィ」
そう声を掛けると、ラビィは「うん!」元気な返事を返した。いやはや、メイが居て良かったと思う。今までなら、ここでラビィと大喧嘩していた。調整役としてとてもありがたい存在である。
「だけど、いかがしましょう。メルギトスを逃げるように出てきてしまったため、食料や水、荷物も何もないのですが」
メイは現状を鑑みて意見を求める。
「大丈夫だよ。なければ造ればいいんだよ」
短杖を翳してラビィが言う。こう言う時はラビィの方が役に立つ。
「えい!」
ラビィが短杖を振り下ろすと、風化し崩れたコンクリートとアスファルトの、精気のない荒廃した地面が浄化され、緑が顔を出す。苔が生え、蔦が絡み、そして少し先の大地からは湧き水が溢れ小さな泉と成した。誰もが魂を賭してでも成し得たいと願う奇跡をいとも簡単に具現化してみせたのだ。
「す、凄いです、姉さん」
メイは感嘆の声を上げる。その言葉に気分を良くしたのか「へへ〜ん」と鼻を擦ってから、再度短杖を振りかざす。すると、辺りのもう形も保てていない建物の中から素材が寄り集まって簡易的なソファーと、更に崩れた廃材が壁と屋根を成す。目の前に休憩所が出来上がったのだ。
「これで、ゆっくり出来るかな」
短杖を仕舞って、ラビィは魔動二輪機を降りる。それに倣ってメイも降りて、魔動二輪機の走行距離・ポジション情報を確認した後、スタンドに立てる。
「お水飲んで、少し仮眠しよ」
ラビィが泉に近づく。まさに奇跡のオンパレード。崩壊し、汚染され草木も生えなかった不毛の大地に一握りの楽園が出来上がったのだ。水も綺麗で、しばらくすれば草も生い茂るであろう。だが、その楽園は自分たちだけのものでは無かった。ラビィは掌で泉の水を掬い、口に含む。体に染み渡る水分にラビィが頰を綻ばせる。その時、小さく地面が揺れる。その揺れが泉に小さな波紋を作る。ラビィは「ん?」と首を傾げると、更に揺れが重なり水が波打つ。そしてーー
ドパーン!
水面を突き破って、巨大な蚯蚓が飛び出した。その大きさは5メートルを超し、直径も1メートルになろうかという蚯蚓。
「うんにゃあっ!」
面白い声を上げてラビィが尻餅をつく。
真っ直ぐそり立つように水面から飛び出した蚯蚓は、首を跨げる様にラビィに向き直る。目のない顔に亀裂が入ったかと思うと、まるで花びらが開くかのように、その口が開く。口腔に見えるは《腐食》の効果を帯びた牙の数々。
「おいおい、これヤバくねぇか?」
ピエロ人形が不安を口にした瞬間、その不安は的中し、蚯蚓が襲いかかってくる。腐臭を纏った蚯蚓の牙がラビィを襲う。慌てて後退りし、四つん這いから立ち上がり逃亡を図るが間に合わない。
「姉さん!」
食われる、と覚悟を決める直前、ラビィの身体を攫ってメイが蚯蚓の攻撃を回避する。ギリギリであった。少し掠ったのか、メイの服、肩の部分が異臭を放って崩れ落ちた。蚯蚓はと言うと、ラビィを捕食するのは失敗したのだが、そのままその先の地面を腐食させ、その地面を食うことで地下に潜っていった。
「地下に潜ったか。厄介だな」
「はい。このまま、居なくなってくれれば良いのですが……」
感知の難しい地下からの攻撃を警戒し、ピエロ人形は神経を尖らせ、メイは呪詠銃を魔術モードで構えて迎撃態勢を取る。魔術師は突然変異獣に取って格好の餌なのである。蚯蚓なので知恵はないと思われるが、本能的に地上を浄化したラビィを狙ってくる可能性が高い。
ゴゴゴと小さく地面が揺れる。
「来るか?」
「はい。ですが、音の感触からして真下からではありません。6時方向、少し離れた場所に」
メイが足から伝わる振動と音より蚯蚓の出現位置を予測する。6時方向ならば、泉と逆方向である。それは先程、魔動二輪機を降りた方角で
「まさか!」
嫌な予感。得てして嫌な予感は当たるものである。視線を送った先。地面を食い破って地上に出てきた蚯蚓が、魔動二輪機に齧り付き食い破る姿があった。
「なっ、私達の移動手段を断ったのですか?」
「いや、違う。蚯蚓にそんな知能などない。奴が狙ったのは魔動二輪機に内蔵されている動力源だ」
「魔石?」
「ああ、これは予想以上にヤバいぞ」
蚯蚓が魔動二輪機を喰った直後、異変が起きる。蚯蚓の全身に魔力が行き渡り、全身が蠕動する。全身至る所が盛り上がり、構内の牙が獰猛に変形していく。
「グルヴァアァアァァァァー!」
蚯蚓が叫び声を上げる。
「こ、これは?」
メイが信じられない光景に、驚愕の声を漏らす。
「魔獣化だ。奴は魔石を取り込んで体内で魔術を発動させたんだ。その姿は奴の本能に従い凶悪な姿に変態してるんだ」
状況を把握できていないメイに、ピエロ人形が説明をする。メイはその言葉を瞬時に理解して、構えた呪詠銃のトリガーを引く。いくつもの光弾が尾を引いて蚯蚓に突き刺さる。《硬化》と《破砕》の2つの魔術わ込められた弾丸は着弾箇所を脆い硝子へ変化させ砕いた。巨体であるため一発では部分破壊程度だが、何発も打ち込めば仕留められるはずであった。しかし、体の一部が砕けた先から、内部より肉が盛り上がり新たな体を形成していく。
「くっ、《再生》持ちか!」
「ダメです。このままではジリ貧です」
銃を撃ち続けならがら、メイが言葉を漏らす。
「逃げるぞ」
「はい」
ピエロ人形の言葉にメイは素早く行動に移す。銃を太腿のフォルスターに仕舞い、ラビィを肩に担ぐように抱えると踵を返して駆け出した。
蚯蚓は銃撃の傷を再生させると、速やかに魔獣化を完了させる。その全長は倍近くまで膨れ上がり、硬化した皮膚が全身を覆い、前面は大きく開いた口のみ。その口腔には凶悪な牙がひしめきガシンガシンと開閉を繰り返している。更に口から吐き出される吐息にも《腐食》の効果が付与されたようで、蚯蚓の口を中心に大地が腐敗し始めている。その変化の間に、常人を超えたメイの脚力でかなりの距離を稼げている。大地蚯蚓に進化した蚯蚓は、ピエロ人形を見失い、水辺に戻ってくれれば良いと思ったのだが、やはりそうは問屋が卸さなかったようだ。大地蚯蚓は真っ直ぐに逃亡を図るメイに向けて動き出した。地表を腐らせ、それを食いながら、あたかも地面を泳ぐように巨大化した蚯蚓が迫る。メイの速度も相当なものだが、それでも大地蚯蚓の速度のが早い。
「う〜ん、えーい!」
まだ大地蚯蚓との距離はあるが、ラビィが短杖を振る。遠距離でいくつもの円錐の棘が突き出る。《串刺し》の魔術だ。しかし、それでも大地蚯蚓の進行は止まらない。
「くそっ、《魔力感知》も持ってるみたいだ」
身を捩り蛇行し魔術の棘を避ける相手を見てピエロ人形が「ちっ!」と舌打ちをする。
「このままじゃ追いつかれる。メイ、なにか策はあるのか?」
「このまま目的地であるレギルスに向かいます。何とかそこまで逃げ切れれば、国を守る結界が魔獣を遮ってくれるはずです」
メイが全力で駆けながら言う。その言葉は荒い吐息で途切れ途切れであった。魔石の力で動いていたゴーレムだった頃と違い、今は主要な器官がホムンクルスとして再構成されている。メイは今や体力や疲労を感じる人に近い存在なのだ。逃げ切れる確率は相当低い。
「それに姉さんの作った一握りの楽園から離れれば、もしかしたらこちらを諦めてオアシスに戻るかもしれません」
なるほど、と納得する。人の住む地域以外で、水と緑が安定して手に入る場所は滅多に無い。進化のために魔術師を追って、その間に他の強い獣に占領されてしまう恐れがある。メイの言い分は最もだ。このまま追いつかれないように逃亡を続ければ、と思った瞬間に魔力が収束する気配を感じる。
「う〜〜〜」
ラビィが唸りながら、短杖を振り上げる。
「ラビィ、お前、やめ――」
「てーい!」
ピエロ人形が止める間もなく、ラビィが魔術を発動させる。遠くに見える大地蚯蚓を巨大な焔が包み、衝撃波とともに爆発する。範囲攻撃である《爆炎》の魔術だ。
「にははー! 魔力探知があっても、避けれない範囲攻撃なら当たるのだよー」
吹き飛ぶ相手を見てラビィが笑い声を上げる。殺生を嫌うラビィらしく、その一撃は殺傷能力が低く、巨体を大きく吹き飛はすだけであったが
「ギャオギャオォオォォォウ!!」
血を震わす大地蚯蚓の咆哮。大地蚯蚓は地面に潜り全速力でこちらに向かってくる。
「くそっ。今ので奴は理性をなくしたぞ!」
「更に速度を上げます。振り落とされないでください」
怒りで理性を失った大地蚯蚓、ギアを上げ必至に逃げるメイ。
「あれ? もしかして余計なこと、しちゃった?」
事態の急変に、ラビィは小声で尋ねる。
「いえ、想定内です。姉さんは先ほどの魔術で相手を近づかせないように牽制して下さい」
ピエロ人形が文句を言う前に、メイが応える。
「ったく、メイはラビィに甘いんだよ」
ピエロ人形は嘆息しつつ、こうして大地蚯蚓からの逃亡劇が始まった。
どれだけの時間走ったのか、どれだけの数魔術が発動したのかもうわからなくなった。気づいたら朝日も登っていた。
「どうしてこうなったーー」
ピエロ人形が叫んだ時には、もうすぐそこまで大地蚯蚓が迫っていた。走るメイも、魔術を連発したラビィも疲労困憊である。ここは最後の手段てある相手に恐慌を受け付ける悪魔の威嚇を使おうかとしたその時、大地蚯蚓が炎に包まれる。
「なっ」
何が起きたのか分からず、言葉を詰まらせる。上空から炎が降ってきたのだ。大地蚯蚓は炎のに包まれ悶絶する。身悶えするが炎の放射は止まらない。たまらず大地蚯蚓は地面を食い地中に身を隠し逃亡する。
「なんとか、助かり、ましたかね……?」
ずっと走りっぱなしだったメイが、ラビィを地面に降ろし、膝に手を当て息を整えながら言う。
「いや、そうとも限らないな」
上空を見上げるピエロ人形。
そこには一体の魔獣。
大きな翼、爬虫類を思わず鱗で覆われた肌と、鰐を思わす凶悪な顎と牙を携えたその姿から、直ぐにある伝説の魔獣が連想された。
――そう、飛竜が上空にいたのである。
二話の始まり。さわりの部分なので、サラッと書くつもりが、意外と長くなってしまいました(^^;)