【最強の男1】VS魔獣
世界は危険に溢れていた。
科学文明崩壊を引き起こした核戦争は、世界中に放射能を振り撒いたのだ。
魔術により人の住む国は守られているが、人が住むのは世界の3割。整備されていない世界の7割がまだその影響下にあった。
その放射能は、時とともに薄れていくが生態系の狂った死の大地は怪異を生み出した。
突然変異獣と呼ばれる害獣である。
その害獣と過酷な環境は人類に太刀打ちできるものではなく、超常を操る魔術で護られた国の外は危険な地域となっていた。
だが、害獣は魔術師――厳密には魔石を食う事でさらなる進化を遂げた。
魔術の属性を得た害獣は《魔獣》と呼ばれ、人類の希望である魔術師をも脅かす脅威となった。
★
その獣は喜びに喉を鳴らした。
久々の獲物。
人間が目の前にいるのだ。
その数――10。
皆、迷彩服に銃を携え茂みに隠れているようだが、夜目が利く上に《音》を操れるようになった獣からすれば潜んでいる場所は丸分かりである。
『オゥウーー
獣は吠える。
爆音といってもいい大音量の方向に、声の射線上にあるものが震え、その震えが激しくなり――
ズドン!!
爆発が起きる。
全てを瓦解させ吹き飛ばす大爆発。
それは、音波衝撃波で広範囲の瓦礫が吹き飛ばす暴風雨とも言える現象であった。
そんな現象が作為的に生み出されるなど思いもしなかった人間達は、周りの瓦礫とともに防御する間も無く全身血を吹き出しながら吹き飛ばされた。
「くっ、待ち伏せは失敗だ。生き残っている者たちは全武力を用いて敵を排除せよ!」
声が響き、潜伏していた人間達が身をさらけ出して、銃を乱射する。
しかし、狙った先には獣はいなかった。
突然変異と魔力によって強化された四肢により獣は駆け出していた。
人間共は自分が残した残像を撃つように、獣が元にいた場所に銃弾を撃ち出している。
見当違いな場所に飛んでいく鉛玉を超感覚で感知しながら、人間達の感覚の先にいる獣は、必至に自分の残した残像に射撃行為を続ける人間の首筋に齧り付いた。
首筋を噛みちぎられた男は、何が起きたのか認識すら出来ぬままに、鮮血を撒き散らし絶命した。
脆い、脆すぎる…….!!
瞬時に命を奪った人間を、強化された首の筋肉を駆使して、強力な勢いで放り投げる。
慌てて銃口をこちらに向けようとした人間が、放り投げるられた屍体に巻き込まれて吹き飛んだ。
吹き飛んだ人間が必死に起き上がろうとするところを、凶器の爪が突き刺し、命を奪う。
一方的な惨殺。
獣は物足りないと感じつつも、仲間に良い食料を用意出来たと満足げに喉を鳴らした。
獣は1匹ではなかったのだ。
群れを率いるリーダーであり、ちゃんと妻子もいた。はやく息子にも魔術師を喰わせてやりたいのだが、まぁ良いと返り血で染まった毛並みを整える。
そんな獣の耳が、遠くから近づく駆動音を感知する。
また、餌が自らやってきたと唸り、音のした方向に視線を向ける。
やってきたのは大きな装甲車。
視認できる距離でその車が止まると、中から全身装備の人間が出てくる。
その数は――3。
先程より少ないのだが、その人間は全身を覆う漆黒の装甲服に顔を覆うフルフェイス。その手には、杖を携えていた。その出で立ちを見て、獣は歓喜する。
自分が進化した時に喰った人間と出で立ちが重なったからだ。
「ウォーー………!?」
喜びの雄叫びを上げる。が、その声は途中で搔き消える。《沈黙》の魔術が発動したのだ。
やはりアタリだ!
獣は牙を剥き出しに獰猛に笑うと、大地を蹴って駆け出した。次の瞬間、先程立っていた場所から円錐状の棘が突き出る。《串刺し》の魔術だ。
獣は自らの四肢を弾丸に変え、突進する。慌てて魔術を発動させるが、間に合わない。高速で迫る獣を捉えきれず、そのまま迫る質量に為す術もなく吹き飛ばされるーーかと、思われたが
「おいおい、危ねぇじゃねーか。こんなの食らったら、国が誇る呪編装甲服もひとたまりもねぇぞ」
その場に似つかわしくない冷静な男の声。
なんと、獣の突進は1人の男によって防がれていた。
高速で迫る獣の身体を右手一本で受け止めたのである。その威力を逃した地面が砕けているが、その男は平然としていた。
杖を携えた3名と違い徒手空拳。頭に装備はなく真紅の長髪を棚引かせて、猛禽類の様な獰猛な笑みは、百獣の王を連想させた。
その男と目が合った瞬間、全身に悪寒が走り獣は跳びすさり距離を取る。
「た、大佐。ありがとうございます」
獣の突進から助けられた男が、フルフェイスのヘルメットの下から礼の言葉を送る。
「今ので分かったろ。お前達じゃ、この魔獣は手に負えないってな。怪我しないように、下がってな!」
「ですが」
「美味いもんは独り占めするタイプなんだよ。機嫌がいいから、もう一度だけ言うぞ「黙って下がってろ」」
その言葉に全身装備の魔術師達は「ご武運を」と言葉を残して装甲車に下がる。
一度距離を取り、様子を見ていた獣は機嫌を損ねる。折角のご馳走の数が減ってしまったのだ。
「グルルルル…」
喉を鳴らして威嚇する。
《沈黙》の効果は解除されているようだ。ならばと、獣は目の前の男に向けて収束咆哮衝撃波を放つ。今回は範囲を絞った一撃。その威力は通常の咆哮衝撃波の10倍以上になる。1対1で使用する最大威力の攻撃である。
しかし、その一撃は男が突き出した左手の前に現れた見えない壁に阻まれ男の前で爆散する。
「獣には分らねぇと思うが電磁粒子障壁って奴だ。予備動作のある遠距離攻撃は俺には効かないぜ」
ニヤリと笑う男。
ならばと獣は筋肉を隆起させ駆ける。
瞬時に距離が無くなる。その一瞬で獣は魔力により突然変異にてダイヤモンドよりも硬く鋭くなった爪を伸ばし、そしてその凶器の爪を振り下ろす。人には反応できない速度で振り下ろされる爪。綺麗に等断された死体が出来上がるはずであった。しかし
ガギィィィィン!
その爪は男の肩な装甲に弾かれた。
獣は驚愕する。今までどんな強固な鋼鉄をもバターの様に切り裂いてきた爪が弾かれることは思いもしなかった。
「何かしたか?」
男が不敵に笑う。
気付くと男は獣に視線を据えていた。この男、反応できなかったわけでない、敢えて動かなかったのだ。
「俺の全身には《絶対防御》の魔術が練り込まれた魔鉱製でな、物理法則を超えた魔術が介在した攻撃じゃないと傷すらつかないぜ」
その言葉と同時に、拳の嵐が獣を襲う。
爪が攻撃が効かず動揺していた獣は一瞬で数十もの拳を食らうが、すぐに後ろに跳んで身を低くして構える。
全身に駆ける鈍い痛み。ただの拳ならばダメージを受けることはないのだが、なにか秘密があるのだろう。獣は久々に感じるその痛覚に、相手を脅威だと認識する。
「くくく、やっと本気を出すみたいだな。本気ついでに、良いことを教えてやるよ。お前の帰る場所はもう無いからな?」
男が獣を指差して告げる。獣は何を言われたのか理解できない。ただ、嫌な予感だけが脳裏を過る。微かに鼻を擽ぐる血の匂いに混じるのは――
「理解できねぇか、んじゃ分かりやすく教えてやるよ」
男は腰の通信機を手に取ると何やら命令を出している。
「ああっ?! めんどくさくてもやるんだよ。一番小さいのでいい。ああ、それだ。頼んだぜ」
男は通信機をしまい、装甲車の後部を指差す。
強まる血臭。そこに混じる匂いは馴染みのあるもので。
ドサリと何かが投げ出される。
それは変わり果てた息子の死体だった。
獣の理性はそこで吹き飛んだ。獣は理解したのだ。自分の護ってきた群はもういないのだと、愛してきた家族も。
「依頼主の意向でお前は、依頼主が集めた精鋭とやらに任せて、俺たちはただの露払いとの命令だったが」
男は「はぁ」と演技めいた仕草でため息をついてみせる。
「全滅しちまったなら仕方ないな。全力で来い。俺が全力で叩きのめしてやるよ!」
獰猛な笑み。男の機械でできた体が朱色に染まり周囲の温度が一気に上昇する。
一方、獣の体も変貌する。
体内の魔力を開放し、肉体を凶悪に作り変える。
筋肉は隆起し、牙爪は獰猛に変質する。獣の容姿は消え怪物となる。
もういいのだ、獣の姿で愛した仲間はもういない。
地面を蹴ると弾丸と化して男を襲う。《破壊》の魔術を込めた禍々しい漆黒の爪。今度は当たれば致命傷となる一撃を男は紙一重で躱し、左拳を獣の頰に叩き込む。しかし、獣にダメージは無い。強いて言えば「熱い」と感じた程度であった。
「いいぜ、いいぜ! そう、そうだよ! 血沸き肉踊る本気の戦い。これを、これを求めていた!」
男は狂喜する。至近距離からの咆哮衝撃波で吹き飛ばされるが、すぐさま地面を蹴って間合いに入り左拳の連打を叩き込む。
獣も怯まず前足を振り下ろすと《切断》の魔術を孕んだ衝撃波が男を襲うが、ギリギリのところで男は身を捻って回避する。
常人の目には止まらないほどの、激しい戦いが繰り広げられる。その余波だけでも辺りに破壊が撒き散らされる。
装甲車に避難した魔術師達は、モニタ越しにその戦いを見ていた。
必殺の繰り出しては躱し続ける紙一重の戦いが続く。どちらが勝つのか分からぬ互角の戦いの様に見えるが、魔術師から見たら実力差は歴然であった。男は左手一本で戦っているのである。その右手は軽く握られており、橙色から白に輝きを増している。
「ワンダール大佐、あれを使うつもりだ!」
その右手に気づいた魔術師が驚愕の声を上げる。
「投げ出したサンプルの回収はいい! 扉を閉めて、退避だ!」
命令が飛び、慌ただしく装甲車がその場を離れる。
「ふ、やっと気づいたか……」
それを横目に男は笑みを浮かべる。
その一瞬の隙を獣は見逃さない。咆哮衝撃波で男を吹き飛ばす。
今度は男は受け身をとれずに背中から地面に叩きつけられる。男は動かない。とどめだ。獣は凶器の牙にて食い殺そうと飛びかかる。
仲間の仇だ!
「狙ったこととはいえ、怒りで理性をなくした魔獣は、ただの畜生と変わらないな……」
仰向けのまま男は呟く。自分が下、相手が上となったこの状況を待っていた。男は右手を相手に向け翳す。開いた掌の前に小さな太陽が発現する。
「消えて無くなれーー核融合炎熱覇!!」
超高熱の熱線が上空に向けて放たれる。
男を中心に周囲の草木、置いてかれた獣の死骸が燃え上がる。だが、それはただの余波である。
指向性を上に向けているのにもかかわらずその余波だけで燃え上がったのでる。
上空にいた獣は、光の速さで飛来する数万度に達する熱線に反応することもできず、「ジュ!」という音のみ残して焼滅した。
超高熱の熱波が上空の雲を吹き飛ばし快晴となったが、地上の温度上昇により、すぐさま積乱雲が発生し恵の雨が降る。
余波で焼けた草木も、雨を受けて焦げた半身を残して潤いを取り戻している。
男は、体に触れた瞬間に雨粒が蒸発し、水蒸気を纏っているような幻想的な姿となっている。
「ふう。久々の全力放出。スッキリしたぜ」
しばらくして、全身の熱気が冷めると、濡れた髪を掻き上げて男は野性味溢れる豪快な笑みを浮かべる。
そして、装甲車が男の目の前までやって来た。
『ワンダール大佐。ご無事ですか?』
「ああん? 俺が負けると思ったのか」
機械越しに訊かれた声に、ワンダールと呼ばれた男は不機嫌に答える。
『失礼いたしました。どうぞ、ご帰還下さい』
「あぁ、美味いコーヒー用意しとけよ」
そう言い残して、ワンダールは装甲車に乗り込む。
その後、魔獣との戦いで殉職した戦士の遺体を回収して、依頼元の国へ向かう。
装甲車には3つの区域に分かれている。1つは最前列の運転席、もう1つは最後列に位置する、遺体を補完する霊安室。そして、真ん中に位置するのが魔術師達が待機する待機室だ。
待機室は本国への通信や、装備の整備も行う為、機械で囲まれゴテゴテしている。機材第一のため、人の入れる空間は狭い。だが、その中の一角に、大きなソファーとともに寛ぎスペースがあった。
そこにコーヒーを片手に優雅に寝そべる人物がいた。ワンダールである。
「依頼国への連絡が終わりました。国が用意した精鋭部隊が全滅と伝えたら、驚愕しておりましたが取り敢えず報酬は頂けるようです」
「ああ。報酬さえ貰えれば、それで良いさ」
ワンダールはコーヒーを口に運ぶ。その腕は装甲に包まれている。他の魔術師は装備を脱ぎ、黒いローブ姿なのだが、ワンダールは装備をしたままである。いや、よく見るとその装甲に継ぎ目がない。そう、ワンダールという男は機械化人間なのである。今や生産や制御は不可能と言われている《小型核融合炉》を搭載した最強戦士なのだ。
ピーピーピー
小さい電子音が響く。周波数で分かる「ファウスト王国」からの連絡である。
「おい。人喰獣討伐の報告は済んでいるよな?」
「はい。ワンダール大佐の意向でしばらく依頼は受けないと伝えてあるのですか……」
「本国からの通信は無視できないな。出ろ」
「はい」
ワンダールの命令で、通信を繋ぐ。
「こちら、特殊魔獣討伐部隊〈アポロン〉」
「討伐依頼、です。えと、ポイントE57N78。国名「メルギトス」にて、魔術生命体の脱走事件が、発生。予測、あっ、訂正。隣の国のレギルス国に向かったと予測されますので、迎撃して討伐を、依頼します」
たどたどしい言葉。新米の通信官だと想像がつく。
現在の座標から見て、その依頼に一番近い部隊としてここに連絡したようだが、部隊認識を見落としていたのであろう。
ワンダールの所属する特殊魔獣討伐依頼はS級の魔獣討伐を行う最高戦力部隊である。B級に相当するゴーレムの討伐などは受け持っていないのだ。ここにいるのは魔獣討伐のスペシャリスト。
他のメンバーも気づいたようで、互いに目配せし溜息をついている。
「更に我が国所属と偽った魔術生命体が同行しているとの情報もあり、ます。そちらも合わせて討伐の依頼が、あります」
通信先の新米オペレーターはこちらの呆れた空気に気付かず、依頼内容を続ける。
「おい。オペレーター。お前、連絡先の部隊詳細を確認してないだろ。我々はS級魔獣討伐を担当する国家最高戦力の特殊魔獣討伐部隊だぞ!」
通信士の語気を荒げた声に、通信機の向こうの新米通信士が悲鳴にも似た声を上げる。
「待て」
平謝りで通信を切ろうとする通信士をワンダールの声が止める。
「今の依頼内容、もう少し詳しく聞かせろ」
飲み終えたコーヒーカップを置いて立ち上がる。
「ワンダール大佐?」
「ワンダール大佐って、あの」
通信機の向こうでオペレーターが絶句する。流石に新米オペレーターであっても、国の最高戦力。いや、世界最高戦力である男の名は知られているのだ。
「俺は機嫌がいいからもう一度だけいうぞ「詳細を繰り返せ」」
言葉とともに室温が上昇する。ワンダールの気が立っている証拠だ。自身が最高戦力でもある魔術師達が息を飲む。
「はい。依頼元はメルギトス王国。対象は2体。国を逃亡した暴走ゴーレムと、我が国の所属と偽ったホムンクルス」
「そのホムンクルスについて、他の情報はないか?」
「はい。情報としましては、そのホムンクルスは入国の際に「ラビィ」と名乗っていたようです。我が国にそのコードネームで登録された魔術生命体はありませんでしたので、我が国を語った所属不明体だと思われます」
オペレーターの言葉。その言葉が終わらぬ内に、ワンダールは顔を抑え肩を震わす。
「ククク、ハーッハッハッハ! 見つけた。見つけたぞ!」
ワンダールの笑い声が木霊する。
「オペレーター。この依頼、他の部隊には流していないか?」
「はい。ポイントの近い部隊の順に依頼を出そうとしておりましたが、御部隊が一番近かったので」
「上への報告は?」
「いえ、入ったばかりの依頼でしたので」
これは天の導きか。ワンダールは更に笑みを深める。
「この依頼。受けるぞ」
魔術師がざわめく。なにか言おうとした魔術師はしかしワンダールの突き刺すような視線に言葉を閉ざす。その目には狂気に似た感情が籠もっていた。
「上への報告は不要。依頼国にも「処理済」と回答しろ」
「しかし、依頼国の賞金の条件が対象の遺体であるのですが」
「賞金など要らぬ。機嫌がいいからもう一度だけ言うぞ「この依頼は解決済み。上には報告不要だ」」
そして、あたりを一瞥して
「機嫌を損ないそうだから、1つ付け加えて言う「今の言葉の内容を守れぬ者がいたら、世界を敵にしてでも俺が始末する」」
威嚇を込めて低い声で言う。通信機の向こうでオペレーターは「ひっ」と怯えの声を上げた。
「では、頼んだぞ」
通信士がそうとだけ言い、通信を切る。
「ワンダール大佐。これでよろしかったですか?」
「ああ……」
獰猛な笑みを浮かべたままワンダールは頷き返す。
こうして、1人の新米オペレーターのミスを切欠に、最強の機械化人間が動き出す。