プロローグ
「おお勇者アルヴィン、よくぞ参った」
頭を下げひざまずく俺に、恰幅の良い王は感嘆の声をあげた。
隣にはこの国の姫、ローラ様も座して俺に熱い視線を送っている。
「そなたが神の証を手にして産まれた時から、どれほど待ち望んだことか。今や《イコン》に見合うだけの強く賢き青年に成長してくれた。そなたはわしの誇りであるぞ」
「私のような若輩者にはもったいなきお言葉」
《イコン》
それは神より使命を与えられし者に浮かび上がる痣である。
魔王存在し、怪物闊歩するこの世界は暗闇の時代を迎えていた。
しかし聖者の黙示録にとある一文がある。
『暗闇の時代に神の使者現れ、光をもって闇を払うだろう。その者、手にその証たる光輪をたずさえる』
その《イコン》、光輪の痣をもって俺は産まれた。
まあ光輪といっても実際に光る訳ではなく、茶色いワッカ状の痣なのだが、見つめているとどこか厳かな気持ちにさせてくれる気がする。
つまり神の使者、魔王を倒し闇を光で照らす勇者こそ俺なのである。
困ったものだw
そんな重い運命を背負い生まれてしまった以上、それに従うのも勇者の務め。
俺は幼少期より王宮の剣術指南を受け、魔術や様々な知識を学んだ。
その結果、剣においても魔術においても騎士団や王宮魔術師に並ぶ程の腕にまで成長した。
一重にこれも勇者たる才能ゆえであろう。
そして明日、俺の18歳の誕生日がやってくる。
18歳はこの国では成人の歳であり、つまり独り立ちする歳なのである。
俺が魔王討伐に向けて仲間達と旅立つ、それが明日なのだ。
「明日行われる成人の儀式によってそなたは真の勇者となる。
別れは辛いが世界のためにそなたをここに縛り付けておくわけにはいくまい。
全人類のため尽力してくれることを願っておるぞ」
「……オーランド王は私にとって偉大なる王であると共に第二の父のような存在。
我が故郷たるオーランドの大地。
必ずや世界の闇を払い、私は再びこの地に戻ると誓いましょう。
そしてその時は――」
俺はチラッとローラ姫に目をやる。
その視線に気付き、ローラ姫は目に涙を浮かばせ、今にも卒倒しそうな程顔を赤く染めている。
「その時は生涯この地を守り続けることが私の夢なのです」
続いて視線を王に向ける。
オーランド王もまた目を閉じ、天を仰ぐような姿勢をとる。
「わしはなんと幸せ者か。
今この瞬間、そなたの夢はわしの夢にもなった。
その夢が叶うことを信じておるぞ」
俺は再び深く頭を下げた。
「アル、あんたくっさいこと言ってたわねー」
王城の一室。
魔術師見習いの格好をした女が呆れたような声を上げた。
「本当のことをいっただけさ。
見ただろ? 王と姫様の顔。
魔王を倒して帰った日にゃ、この国は俺のものだろうよ」
毎回、謁見の時間は肩がこる。俺はソファーにもたれ掛かりながらほくそ笑んだ。
「ふふっ、その時は第二妃にでもしてもらおうかしら」
女は俺の横に座ると大きな胸を押し当てるように擦り寄ってくる。
「ったく、現金な女だよなお前は」
彼女の名はリザ。
王宮の魔術師見習いであり、俺と同い年の幼馴染だ。
男好きする顔に、17歳とは思えない形のくっきりしたからだ付き。
普段着だと娼婦か何かと間違えられることもしばしばだが、こう見えても魔術の腕はピカイチである。
それゆえ嫉妬の目を向けられることも多い。
が、そこは世渡り上手というべきか、勇者として尊敬の対象とされる俺に近づき、今や魔王討伐一行の一員である。
「あら、勇者の肩書きをいい事にお城の女の子に手を出しまくってる誰かさんに言われたくないわ。
そのことを知ったらお姫様どう思うかしらねぇ」
「おいおい、その肩書きで散々お前もいい目をみただろ?
リザになんとか言ってやってくれよ、ダン」
俺は窓の横で壁にもたれ掛かるように立っている大男に声をかけた。
「……俺は自分の力だけでここまで来た。お前達とは違う」
この男もまた俺の幼馴染である。
最近成人の儀式を迎え王宮騎士になったばかりであるが、その剣術は俺をもってしても負け越す程だ。
そしてダンも魔王討伐の旅の仲間でもある。
「相変わらず辛気臭いわねぇ。
まあ、いいわ。お互い腕は認めてるんだから、ビジネスライクにいきましょ。
明日になれば嫌でも毎日顔合わせることになるんだから、程よい距離を保たなきゃ疲れるし」
そう。
明日俺達三人と、勇者を導くため御山の神殿からやってくる光の巫女と呼ばれる人物。
彼女を含め合計4人が魔王討伐のパーティーである。
実力は認められているとはいえ、何故こんな若いメンバーが選ばれたのか。
そこには2つ理由がある。
1つは俺が推薦したということ。
どうせ長い旅になるなら気安いメンツが理想であったし、この二人となら連携も取れる自信があった。
どうも王宮騎士や王宮魔術師達は、集団戦が染み付いているのか型にはまった動きしかできない者も多い。
その点この二人とは子供の頃から訓練と称して様々な危ないこともしてきた。
臨機応変な動きにも対応できるだろう。
2つ目の理由はこの国が今まさに戦争状態にあるからである。
魔王とういう巨大な敵を前にしても小競り合いを行ってしまうというのは、愚かな人間の性なのだろう。
といってもほとんど冷戦状態であり、大きな衝突はここ数年はまったくない。
それでも魔王討伐に兵を割くことは隙を生みかねない。
これが少数精鋭の行軍の理由である。
まあ魔王の居所もはっきり分かっていない以上、最初は調査が主な旅の目的になるだろう。
それほど大軍で行く必要もない。
「光の巫女ってどんな人なんだろねー」
リザがぽつりと呟く。
「どうせ戦闘能力はないだろ。
顔がよければいいさ」
「……アル、あんたってホント最低ね」
そして次の日。
再び俺は謁見の間にいた。
成人の儀式もここで行われるのだ。
横には騎士団達が立ち並び、中にはリザとダンの姿も見える。
俺は神像の前で跪き、神官の声を聞いた。
「おお神よ、あなた様の前にいる若者は信仰深き心を持って今日成人を迎えることと相成りました。
どうか若者の前途に光となって道照らし給わんことを」
照らしてもらわなきゃ困る。
何せ俺は神の使者なのだから。
誰でもない。
俺こそが唯一無二の存在であり、人類の救世主なのだ。
「成人の身体をもって神に生涯献身することを誓いなさい」
「――アルヴィン・カーティスの名において誓います」
神官が俺に聖水を振り掛ける。
これで晴れて成人というわけだ。
王もうんうんと満足そうにうなずいている。
「アルヴィンよ。
成人をもってそなたは我が国の使者として正式に旅立つことになる。
それにあたり十分な褒章も与える。
どうか旅に役立ててくれ」
「はっ、ありがたき幸せ」
俺は頭を下げ、その下で笑いをこらえた。
両親は決して裕福とはいえない家系の出であった。
しかし俺を産んだことで今や勇者の親として昔とは比べられない生活を送っている。
俺も何不自由なく暮らしてきた。
富、名声、力、女。
すべてのものを手に入れたといってもいい。
しかし――。
足りない。
まだ足りないのだ。
俺の欲求は収まらない。
まだ金が欲しい。
まだ尊敬されたい。
まだ強くなりたい。
まだ抱きたい。
勇者として成功すれば今では想像もできないそれらのものが転がり込んでくる。
俺はすっと立ち上がり王の目を見つめる。
「必ず魔王を倒してまいります。勇者として――」
勇者とは俺にとってただの肩書きではない。
欲望を満たすための最高の手段なのだ。
成人をもって今ここに誓おうじゃないか。
俺はこの世のすべてを手に入れる。
重い扉が開く音が響く。
後ろを振り向くとそこには兵士と一人の女が立っていた。
白い装束に身を包み、その装束以上に白い肌。
その白をより際立たせるのは黒々とした長い髪。
薄く青みがかった瞳は全てを見透かすように真っ直ぐ前をむいている。
女神が現れた。
兵士が一歩前に出ると背筋を伸ばし王に敬礼する。
「神殿より光の巫女殿をお連れしてまいりました」
「おお、遠路遥々よくぞ参られた!待っておりましたぞ」
王はうれしそうに巫女を迎えた。
巫女は少し会釈しただけで笑顔は見せない。
「神の使者を導くため、使者の光となるために、神殿より参りました。ミリアと申します」
想像以上だ。
彼女が立っているだけで思わず吸い込まれそうになる。
光の巫女とはよく言ったものだ。
彼女そのものが光であるかのように輝いて見える。
「光の巫女殿、ちょうど今しがた成人の儀式が終わったばかりなのだ」
「……そうですか。
それはよいタイミングで到着できたようですね」
ここで少し笑顔を見せる。
笑うとより神聖さが増すように感じられた。
リザの方を見ると面白くなさそうに仏頂面をして俺をにらんでいる。
だが、リザには悪いが俺はミリアという少女と旅をできることに心が踊っていた。
「さあ紹介しよう。
神に選ばれし勇者アルヴィンだ。
どうか彼を導いてくだされ」
王は俺の背中に手を当てる。
俺は微笑んで彼女に目を向けた。
一瞬、彼女と目が合う。
しかし、どういう訳か彼女は首を傾げると辺りを見渡す。
そしてもう一度王に視線を戻した。
「……すみません。
どの方でしょうか」
俺と王は思わず顔を見合わせた。
そして少し噴き出してしまう。
「はっはっはっ、冗談を仰られるとは驚きました。
巫女殿には神の使者を見分ける力があると聞いておりますぞ。
それならばすぐにお分かりになるでしょうに」
王は今度は俺の肩に手を乗せた。
巫女は俺を訝しがるように見据える。
「……まさか、その方が神の使者ということでしょうか」
……何を言っている。
俺の心臓がトクンと鳴ったのが聞こえた。
「当然でしょう。
彼こそ正真正銘の勇者ですぞ。
ほれ、その証拠に手に《イコン》が浮かび上がっておる」
俺は王に促されるまま、右手の甲にある痣を巫女に見せる。
巫女はその痣を一瞥したあと頭を振った。
……やめろ。
鼓動がどんどん速まっていく。
「この国に神の使者の力は感じます。
なので私もここまで参りました。
しかし……それはその方ではありません」
いつの間にか謁見の間には静寂が降りていた。
「な、何をおっしゃるのです。
ではこの《イコン》はなんだというのですか」
王は突然のことに少し狼狽しながら尋ねる。
「それは、専門家ではありませんのではっきりとは言えませんが、ただの痣ではないでしょうか」
静寂はどよめきに変わる。
「ただの……。
それならば彼はなんだというのだ!」
……やめろ、やめろ。
「なんだと言われましても……。
ただ確実に言えることはあります。
その方は神の使者、あなた方の言うところのいわゆる――」
……やめてくれ!
「勇者ではありません」
何かが音も無く崩れていく気がした。