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3 深紅の瞳

 翌朝、早くに扉を叩く音で目を覚ましたニラはあわてて上着を羽織り、玄関口へと駆けつけた。

 まだ診療を始める時間ではないから、父のときのような急患だろうか。

 そう思って扉を開けると、戸口には二人の強面の男が立っていた。


「ニラ・ファヴィエという娘は」

「私ですが」

「同行願いたい。皇子の命令だ」

「あ……はい……」


 でも、朝一番に父の様子を見て、朝食の準備をし、薬草の世話をしてから城の仕事をこなさなければならないのに。

 どうしたものかとニラが逡巡していると、男たちの声で目を覚ましたらしいセリアが寝間着のまま不機嫌そうな顔で現れた。男たちを見ても臆することなく、顔の横に垂らした長い髪の毛を手で肩の後ろに流しながら近づいて来る。


「こんな時間に、どちら様?」


 セリアが腕を組んで兵を一睨みすると、兵が一瞬たじろいだ。


「あ、あの、この娘を連れて来るようにとのご命令で……」

「ふうん」


 寝起きのせいか、珍しくセリアは負の感情を露わにする。


「こんな時間に人を起こしてまで……ということは、よほどの用事なのでしょうね? それも、城まで呼びつけるくらいだものね?」

「は……その、ご命令ですから……」


 男たちは服装からして、城に仕える兵に間違いなかった。今は気の毒なほど縮み上がり、額から汗を流している。


「あの、私、ちょっと行って参ります。たぶん落し物のことでお聞きになりたいことがあるのでしょうから」


 ニラはあわてて言った。

 二人の兵が少しだけ気の毒になったのだ。

 セリアは心配そうにニラを見つめていたが、ややあって諦めたようにうなずくとニラの肩をそっとつかんだ。


「ニラ、何かあったらすぐに知らせて。私が怒鳴り込んでやるから」

「はい、わかりました」

「あなたたち、丁重に扱いなさいよ」


 皇子の直属らしき兵にこんなことを言えてしまうこの人は一体何者なのだろうと苦笑いしながら、その言葉に背中を押されるようにして家を出た。

 父の代わりに城での仕事を引き受けてから数か月。毎日城に通ってはいたが、中に入るのは初めてだった。ニラの仕事場は、厳密には城の外にあったから。

 石造りの重厚な建物に響く自分の足音がひどく不安げで、屈強な男に挟まれて歩いているといつも以上に自分が小さくなったようで心許ない。廊下の幅はだんだんと狭くなっていき、城の奥に向かっているのだということを嫌でも意識させられた。

 細い階段をいくつか登ったところでやっと男が立ち止まった。分厚そうな木の扉の前には、これまた分厚い体の男が立っている。

 護衛、だろうか。


「ご苦労。ここからは私が」


 分厚い男がそういうと、ニラを挟むように立っていた二人の男はすっと礼をして去って行った。


「ニラ・ファヴィエだね?」


 意外にも穏やかな男の声に応えてニラはこくりとうなずいた。

 男は木の扉を二度叩いてからぐっと内側に押し込んだ。そしてニラに、扉の隙間から入るようにと促す。

 ニラはためらいながらも、細い隙間に体を通した。

 部屋の様子を伺いながら足を踏み入れるつもりだったが、それはかなわなかった。すぐに額に手をかざし、目を強く閉じた。眩しくて開けていられなかったのだ。

 しまった、とニラは思う。

 同時に、どうしてこの時刻に呼び出されたのかということを正しく理解した。正面の窓が東向きなのだ。この時刻に朝日が射し、訪問者の目を刺す。目眩しにあったようなものだ。

 何とか薄くこじ開けたまぶたの隙間から、正面に立つ2つの人影を捉えた。彼らの背後から射し込む強い光のせいでシルエットしか見えないが、どちらも体格からして男性らしかった。


 ――このどちらかが、皇子……?


 立ち尽くすニラの背後で、木の扉が重苦しい音を上げて閉まる。


「こちらへ」


 右側の人影が穏やかに言った。

 しかし、その瞬間に左の人影の手元が一瞬鋭い輝きを放ったのが目に入り、ニラは動けなくなった。

 緊張感に首筋がぴりりとする。


「どうした」


 左の人影が問いかけてくる。先ほど話しかけてきた右の人物よりも、こちらの男の声の方が若い。

 ニラはその影の手元から目を離さず、短く答えた。


「い、命が惜しいので」


 声が震えるのを隠そうと低い声を出したけれど、おそらく怯えは悟られてしまっただろう。


「命?」

「あなたの手にあるその……」


 そう言った途端、ニラの右側から弾けたような笑い声が轟いた。

 二つの人影に気を取られて部屋にもう一人いることに気付いていなかったニラは、驚いて飛び上がった。

 声のした方に目をやると、ちょうど人がゆらりと立ち上がるところだった。


「ダミアン、とんだ失態だな」


 そう言った人物は、ニラの倍はありそうなほど大きい。


「ちっ」


 ダミアンと呼ばれた左側の人影が舌打ちをしながらすっと動いた。袖の中に隠していたものを胸元にしまいこんだ。しまうときにチラリと見えたそれは、投擲用の短剣のようだった。刀身が細く、柄が小さい。さっき光ったのはこの刃先だったらしい。

 一体なぜ、そんなものを。

 何のために自分がここに呼ばれたのかがわからなくなって、ニラはゆっくりと後ずさった。


「君がモーリスの家の下働きだね」


 穏やかに声を掛けてきたのは窓際に立っている右側の人影だった。さきほどダミアン、と呼ばれたのではない方の男だ。


「はい」


 ニラが目を細めたまま答えると、男性は天井まである大きな窓の覆いを下げてくれた。


「これで眩しくはないだろう」


 ニラは眇めていた目を二、三度しばたいてから頷いた。

 ようやくまともに見えるようになった目が、二つの人影の正体をとらえる。

 窓の覆いを下げてくれた男性は初老で、白髪交じりの口ひげを蓄えている。


「君の名は?」


 初老の男性に問われ、ニラは答えた。


「ニラ、といいます」

「ニラ。驚かせてしまってすまないね。皇子は命を狙われることも少なくないので、普段から一応の警戒をしているのだ。暗器を見破った者はそれほど多くはないが。なぁ、ダミアン」


 ダミアンという名らしい左側の人影は、忌々しそうな顔でニラを睨み付けていた。声から想像していた以上に若く、ニラと同じくらいの年頃に見える。


「この城で仕事をしているそうだね」

「もともとは父が。しかし今は病で臥せっていますので、父の代わりに私がここへ」

「そうかい」


 このくらいの情報は、ニラをここに呼ぶ前にモーリスから聞いているはずだ、とニラは思う。

 再度聞くのは確認のためだろうか。

 それとも……試されている?

 何のために?


「お前は落し物の中からこれを見つけたと言ったらしいな」


 今度はダミアンと呼ばれた若い男が言葉を発した。

 若い男と言うよりも、少年と言うべきか。

 成長途中ということが見て取れるひょろりとした体に、アンバランスなほど大きな手足。これからまだまだ身長が伸びるのだろう。それに何より、あからさまにニラを睨みつける瞳がその若さを物語っていた。


「はい」

「城中の落し物が集まる場所で見つけたと」

「はい」


 若い男の質問に答えながらも、ニラは自分の右側から突き刺さる視線に髪の毛が焦げそうな感覚をおぼえていた。

 さきほどの豪快な一声以降、その人は一言も発してはいない。だが、ずっとニラを見つめているのがわかる。

 ニラはついにたまらなくなって、顔をそちらへ向けた。


 ――大きな人だ。


 身長が高いと言うのもあるのだろうが、体躯に恵まれているという表現の方がふさわしい気がした。肩幅が広く四肢はのびやかで、一目見ただけで鍛え上げられているとわかる。

 そして、それだけで充分だった。

 その人物が何者かを知るには。


 ――この人が、エドゥアール皇子。


 ニラの故郷であるナヴィニアは、一年前にオード帝国という強国に攻め込まれた。

 ナヴィニアは長い伝統を誇る美しい国だった。歴史ある軍も有していた。それでも、飛ぶ鳥を落とす勢いで各地で勢力を拡大し続けているオード帝国の軍勢には手も足も出なかった。

 ニラはその戦の折に捕らえられ、捕虜としてこの場所へ連れてこられたのだ。

 オード帝国が周辺の国を侵略する足掛かりとして築いたこのシャルテ城砦は、オード帝国の本国から山を一つ隔てた場所にあり、軍事の機能だけを結集した、いわば攻めの要だ。

 捕虜の多くはこの城砦を経由してオード帝国本国に送られ、そこでさまざまな労働に就いている。しかしニラはモーリスに雇われて城砦にとどまることになったのだ。

 そして今、ニラの目の前に立っている大男はオード帝国の皇太子エドゥアールその人だ。皇太子であると同時に、拡大を続けるオード帝国軍の将軍でもある。

 つまりこの人物こそ、ニラの故郷ナヴィニアを亡きものとした張本人なのだ。

 だから、『大きい』という感想が浮かんだことにニラ自身驚いていた。

 この人の前に立ったらもっと強い感情が湧き上がるのではないかと思っていた。しかし、怒りだとか悲しみだとか、故郷を滅ぼされた悔しさなどというものは微塵も湧いてはこなかった。

 皇子の全身をするすると辿ったニラの視線が皇子の双眸をとらえた。

 途端にニラはハッと息を呑む。

 赤みがかった黒というべきか、それとも黒みがかった赤というべきか。深く、どこまでも透き通った紅の瞳。

 血の色のようだ、とニラは思った。

 列国最強と謳われるオード帝国軍を率いる人間に、おそろしいほどによく似合う色。


「嘘をつくな。このシャルテ城に落し物を集める場所なんてない」


 窓際から硬質な声が飛んでくるが、ニラは少年の方に目をやることができなかった。

 血の色の瞳から視線を外すことができない。

 見惚れたのではない。

 本能が目を逸らすなと叫んでいるのだ。

 蛇に睨まれた蛙とはこのことか。

 いや、少し違う。

 身がすくんで動けないのではない。

 本能が叫ぶのだ、蛇から目を逸らしては危険だと。

 目を逸らしたが最後、獰猛な捕食者は不意をついて蛙を襲う。

 それが恐ろしくて、ニラはただただじっとその双眸を見つめた。目を逸らすこともなく、瞳を揺らすこともなくまっすぐに見返してくる瞳に、吸い込まれそうになる。

 自分でも気づかないうちに体が震え出していた。手が、足が、歯が、かたかたと小刻みに音をたてる。


「おい、聞いてんのか!」


 苛立った若い声に引っ張られるようにして、ニラはようやく視線を引きはがして声の方を向き直った。全身を呑み込もうとしていた震えが収まり、ニラは深く息を吐き出した。


「城の中に落し物集積所なんかない。それに、それが本当だっていうなら、なぜすぐに兵に渡さなかった? 城から持ち出すってことは盗むのと同じだと思わなかったのか」


 ニラの様子に気づいているのかいないのか、男はニラに敵意のこもった視線を射つづける。

 盗む?

 何のために?

 どうやって?

 なぜ、わざわざ盗んだものを皇子に返すっていうの?

 反論の材料が多すぎて、考えがすぐにまとまらなかった。

 ニラは決して口が重い方ではないが、母語でない言葉で話すのは楽ではない。感情的になっているときは尚更だ。


「言い訳を考える時間を与えるつもりはない。今すぐに納得のいくような説明をしろ!」


 その言い方に、ニラの胸の奥底で小さな炎が燃え上がった。

 しかし、自分の置かれている状況を思い出してそれをどうにかこうにか押し込め、冷えた声を出す。


「本当のことです。すぐに兵に渡してもよかったのかもしれませんが、汚れていましたし危険だと思ったのでモーリス様にお渡ししました」


 よどみなく言うが、少年が満足した様子はなく、ニラの頭のてっぺんから足先までをぎろりと睨み付けて言った。


「まだ言うか!」


 いちいち大きな声を出さなくても聞こえているのに。声の大きさで威嚇しようとしているなら、逆効果だ。

 幼いころから兄たちに混じって育てられたニラにとって、怒鳴られることなど日常茶飯事だった。威嚇どころか、その声はニラの心に火を点ける。

 ニラは決して気の長い方ではない。導火線の短さは折り紙つきで、父や兄をよく困らせた。

 うっすらと開けた唇の隙間からゆっくりと息を吐き出した。


「この城のことなら隅々までよく知っている。そんな場所はない! 真実を語るまで逃がすつもりはないからな! 地下牢につながれたくなければ答えろ!」


 ニラは視線を皇子に戻し、血の色をした瞳を見ないように苦心しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 どうかこの人は、少年よりわずかでも物わかりの良い人でありますように。


「私の申し上げていることは本当です。嘘だとお思いなら仕事場にご案内いたします」


 本人にそのつもりはないのかもしれないが、血の色をした双眸に見つめられると睨み付けられているような気がして足がすくむ。

 だが、牢に入れられるわけにはいかないと自分を奮い立たせた。


「好きなだけ、護衛をお連れ下さい」


 あえて言葉を付け足した。

 失礼な物言いだとわかってはいるが、そんなのはお互い様だ。

 自分の部下の礼を欠いた物言いを止めるでもなく、紅い瞳でニラをじっと観察していたのだから。

 皇子はニラの言葉に気分を害した様子はなく、ゆっくりと歩み寄ってくる。高くそびえたつようなその姿に、ニラは無意識に一歩後退しようとして、もうこれ以上下がれないことに気付いた。知らないうちに、ニラの背中は扉にべったりと張り付いている。


「よかろう。案内しろ。ダミアン、グレン、共を」


 呼びかけられた窓際の二人は軽く礼をとった。

 初老の男性の名はグレンと言うらしい。

 3組の視線を背中に受けて、ニラはゆっくりと重い扉を開けた。




次話でニラの仕事が明かされます。

お食事中の方、ごめんなさいかもしれないです!

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