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この道の先に  作者: 奏多悠香


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21 ニラとアリアナ

 景色がゆっくりと変わって行く。

 知らぬ場所から故郷へ。

 そのはずなのに、故郷の姿は記憶にあるのとはまるで違っていた。

 草が生い茂っていたはずの場所にがれきが積まれ、蔦が絡まっていた崖は岩肌が剥きだしになっている。

 それでも、そこには新たな時代の息吹があった。

 岸壁の割れ目から覗く固い新芽の緑。積まれた瓦礫に根を張った苔。

 すべてが壊されてしまったと思っても、こうして新たに生まれるものもあるのだ。

 たくさんの命をもっと近くで感じたいと馬を下り、手綱を握りしめてゆっくりと歩いた。木立を抜け、視界が開けたところでニラは思わず立ち止まった。


 ――香りが。


 急に鼻に飛び込んできたそれに、ニラはどうしようもない懐かしさを覚えた。

 ナヴィニアの香りだ。

 忘れかけていた湖の香り。

 いつだったかセリアの瞳に似ていると思った、透き通るように青い湖が目の前に広がっていた。そして中央にはぽっかりと浮かぶように城がそびえている。


 ――何も変わっていない。


 ニラは驚いた。

 激しい戦闘の舞台となったはずのその場所は、傍目にはニラの記憶のままだった。まるでそこから大切な人がひょっこりと姿を現しそうなほどに。

 城を見つめながら湖を回り込むようにぐるりと歩き、ちょうど城の側面を眺める場所まで来ると、手近な木に馬をつないだ。

 手綱を離して両手のあいたニラは、手をいっぱいに広げた。

 そして空を仰いだ。

 青い。抜けるような青だ。

 視界を遮るものは何もない。

 不快な臭いもせず、冷たい石に囲まれてもいない。上から落し物が降ってくることもない。


 ――戻っていく。


 その場で空を仰いだまま手を広げ、くるくると回りながらニラはそう思った。

 幼いころ、よくこうして回っていた。

 目が回って頭が揺れ、空と湖の青が混ざり合うその瞬間が大好きだった。空に輝く星になったのだという母が、降りてくるような気がして。

 目が回ったままよろよろと少し進むと、目の前にずんと立つ大木の根本にしゃがみかんだ。視界がぐにゃりと曲がり、目がチカチカする。それなのに、心地よい。懐かしい。


『ここは遊び場ではないと何度言ったらわかるのですか。王子も、早くお戻りください。午後は歴史の勉強を』


 叱られた記憶がよみがえって、ニラはひとりで笑った。たしかにここは、遊ぶのに適した場所とは到底言えないだろう。固く大きな石が規則正しく並んでいて、ふとした拍子に転んで頭でもぶつけようものなら大変なことになるに違いない。

 だがきっと、彼が伝えたかったのはそういうことではない。ここはもっと神聖な空間なのだと、そう言いたかったのだろう。

 王家の墓地。

 子どもの頃は遊び場にしていたその場所の中で、ひときわ大きく空間の取られた一角。

 他の墓石よりも新しいそれを見つけ、ニラはゆっくりと歩み寄った。

 刻まれた名は、誰よりも大切な人―――

 

『フリード』


 今にも城からひょっこりと姿を現しそうなその人は、この土の下に眠っているはずだ。


『会いたかった』


 口をついて出た言葉の穏やかさに自分でも驚いた。 

 こうして墓を前にしても、ちっともいなくなった気がしない。

 それどころか、今にも笑い声が聞こえてきそうな気すらするのだ。


『ごめんね、お花はないの。あなたの大好きな花の季節はまだずっと先だから』


 でもあなたはきっと、そんなことなど気にも留めないでしょうね。


 ――やっと来たか。


 彼の声が聞こえたような気がした。


『ごめんね、ごめん』


 木桶に混じった苦しみを押しのけて、幸せな思い出があふれだす。

 そうか、ベルナが言っていたのはこのことか。

 君は一人ぼっちにはならないと、そう言っていたのは。

 いつだって、心の中に満杯の記憶があるから。

 

『あなたが大好きだった、フリード』


 ――ニラは泣き虫だな。


 笑いながらそう言って頭を撫でてくれた優しい手。

 

『あなたのおかげで幸せだった。なのに、ごめんなさい』


 最後に会ったときにひどいことを言った。

 あなたのことを忘れようとした。


『兄さまたちも……心配をかけて、ごめんなさい』


 言いながらニラは振り返った。

 馬に乗った騎士の像が静かにニラを見つめていた。



*****************************



 ――ふぅ。


 皇子は小さくため息を吐いた。

 到着してすぐにトルト卿に会って用事を済ませてから、墓所を訪れてベルナールの墓に参ったところだ。

 ナヴィニアに来たのは、ウラジムの不穏な動きに同調することのないようにという牽制のためと、復興の状況をこの目で確かめるため。そしてもちろん、ベルナールとの約束を果たすためでもある。


 ――しかし、案内役がこれでは。


 墓所へ行きたいとトルト卿に言ったら、案内役として目の前の女性を宛がわれたのだ。オード語が多少わかるからという理由でこの女性が選ばれたようだったが、女性は皇子に対する敵意を隠そうとせず、不機嫌な空気を纏ったまま一言も発しない。

 顎をしゃくるようにして道を示され、たどり着いたベルナールの墓ではじっとしゃがみこんだまま動く気配がない。


『ダリス家の墓所への案内を頼めるか』


 しびれを切らしてウル語でそう問うと、墓に手を合わせていた女性は鋭く振り返った。


『なぜですか』


 なんだ、声が出るのか。

 あまりにも黙りこくっているのでもしかして口がきけないのかと思い始めたところだった。


『ベルナール・ファヴィエに頼まれていたことがある。心配せずとも、墓で悪事を働いたりはしない』

『墓の主はあなたの訪問を歓迎はしないでしょう』


 その視線と口調に滲む棘を嫌というほど感じつつ、皇子は気づかないふりをして肩をすくめた。


『そうかもしれないな』


 そうして軽く受け流すと、女はそれ以上何も言わずに立ち上がってスタスタと歩きだした。


『ダリス家をよく知っているのか』


 背中に問うと、女は振り返らずにうなずいた。


『アリアナという女は?』


 ぴくり、肩が揺れる。

 知っているらしい。

 まぁ、ベルナールに言わせればナヴィニアにその名を知らぬものはいないというのだから、当然と言えば当然か。


『なぜあなたがその名を?』


 振り返った女の目が先ほどよりもずっと深い怒りを宿していて、皇子は一瞬気圧された。


「話を聞いた。王子の恋人だったと」


 女の目がゆっくりと充血し、唇がわなわなと震える。

 だがその目に涙が浮かぶ前に、女はすっと踵を返して再び歩き始めた。

 もしかしたら、ただその名を知っているという以上に親しい間柄だったのかもしれない。女の後について歩きながら、皇子はそんなことを思った。

 地面を覆う落ち葉が足の下でかさかさと乾いた音を立てる。

 厳しい寒さを超え、もうすぐ暖かな季節がやってくる。その頃にはこの落ち葉の代わりに、緑の下草が生い茂るだろう。

 足元を見ていた皇子は、前を行く乾いた足音がやんだので女が立ち止まったことに気づいて顔を上げた。

 その視線の先には、痩せこけた小さな姿。

 今は、その黒い目が見開かれている。


「ニラ」


 来たのか。

 墓の前でしゃがみこんだまま驚いた表情でこちらを見つめていたニラは、女と皇子を交互に見つめてからゆっくりと立ち上がった。しゃがんでいたせいで服についた横皺をぱんぱんとはたいて伸ばし、それからまっすぐに体をこちらへ向けた。


『アリアナ様……』


 小さく響いた名に、皇子は耳を疑った。




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