シュルトーの起こる場所 2
満月の綺麗な夜だった。藍色の空が澄み渡っている。
遠く渡り鳥の鳴き声が空をわたっていく。
酔い醒ましの散歩でもこの春の夜の風は心地よかった。
「いいかぁ!こんなに早く戻ってくるなど、俺の名折れなんだぞ!」未だ少年かと思えるような金の髪をした男は苦笑し
「はいはい」と絡みついてくる友人の腕を二度叩いた。
「だから坊やはついてくんなってったんだよォ!!!」黒髪の男は金髪坊やの首をそのまま腕でキリキリと締めた。
金髪坊やはすっと身を落とし黒髪の男の攻撃をかわす。
お互い本気ではないが酒場を出てからというものずっとこの調子でじゃれあっている。
「ていっても、いいですか、シャハルナ。昼過ぎに予定されていた式典、出なきゃいけなかったんですからね。それをドタキャンしてるんですから。遅くとも真夜中には戻らないとあなたも困るでしょう」苦笑する金髪坊や。だが、お付きの者には見えない。どこか気品があり、下のものを統治するに足りる裁量があるように見える。
それは黒髪の男シャハルナにも同じことが言えた。衣服は市井のものと同じようなものに見える。しかし、仕立や細かいボタンや飾りの素材一つ一つを注意してみると市井のものでは扱えない高級品であることがわかる。加えてシャハルナはこのへんでは珍しいヒールの高い靴を履いていた。黒地の革に金糸での刺繍がしてありその意匠はたいへん細かく西の大国アールスーワナの国名が読み取れた。変装とでもいうのだろうか、衣服も黒。頭の先から足の先まで黒一色である。しかし、アクセサリーや衣服自体にされている粧飾には色とりどりあしらわれどことなく落ち着いていない印象も与える。目を見張るものはその体格だ。通常の成人男性よりも頭を1つ半上に行く上背とみっしりと付いた筋肉。それでいながら虎のような敏捷性も感じ取れる。剣士なら見ただけで負けたと思わせるだけの覇気もある。
金の髪は薄く淡い色をして短く刈られた毛先を風になびかせている。顔つきは女性性を感じさせうるほど柔和で美しい。立ち居振る舞いも本当に男性かと思うほどであった。しかし剣士であれば戦いを避けようというほど彼の覇気も凄まじいいものがあった。シャハルナが正当な剣を使うなら彼は若干異なる。技巧に優れた剣士と言えるだろう。隣国イラネク産の麻を重ねた袖のない上着を着てしなやかな筋肉のついた腕には精密な銀細工の腕輪が4~5本ついていた。彼が歩くたびシャラリシャラリと涼やかな音が聞こえた。
「それにしてもヨォ、ジーク」シャハルナがつまらなさそうにつぶやく。
「こんな森の中に来て何があるんだ」ジークは笑って、
「もう少しですよ。見てのお楽しみです。僕のとっておきの場所」と先を歩いていく。
「お!女でもいるのか?」ジークは相変わらずなシャハルナを苦笑しながら見て先を歩いた。
針葉樹の林が湖のほとりに美しさをそっと重ねる。水面には空と同じ月がうつし絵に輝く。
「ほう、これは美しい」シャハルナが感嘆の声を上げる。
「でしょう。ここは子供の頃からの秘密の場所なんですよ。どうしてか城爺もこの湖のことは教えてくれなくて」
シャハルナがさっさと衣服を脱いでいる。
「な、なにしてんですか!」
「湖に来たら、泳ぐだろ、普通!お前もとっとと脱げ!」押し倒す勢いでジークの服を脱がしにかかる。
その時、パシャン。
何かが水面を叩く音がした。
ふと振り向くと岩場の一番高いところに人影が見えた。
女だ。
銀の髪を悠々と垂らし、風の流れを体中で楽しんでいる。
満月を背負いその姿はまるで月の女神が具現化したようだった。
強い風や弱い風が彼女の銀の髪に戯れ月の光の精すらも彼女の味方のようだ。
彼女は突然宙に浮き上がると頭を下にして水の中に消えた。
* * *
アリは、この湖を見つけるまでは泳げなかった。
確かに銀髪のこともある。しかし、それ以上におやっさんに川辺に初めて連れて行ってもらった時に溺れた記憶がまだ残っているからだ。
水の中は恐ろしいと思い込んでいた。
一昨年の夏にここを見つけてからというもの、自然に泳げるようになった。同時に水に対する恐怖心も消えた。
興にのってきたアリは岩場の高いところから飛び込んでみることにした。
初めての経験だった。
岩場の高いところは馬小屋の屋根より高く感じた。失敗したら骨折どころでは済まないかも知れない。
恐怖心はなかった。
風が心地よく全身を愛してくれている。とても幸せな気持ちだった。
髪が風になぶられることもこんなに気持ちいいことなのか。幸せだった。
トントンと弾みをつけて、宙に飛び上がった。
体は自然に動いた。水しぶきも上げずに水中に潜っていけた。
アリの動きのまま水の中を髪がたゆたうのも嬉しかった。
とりあえず、夜が更けたので、小屋に戻ろうと岸に上がった時、
異変に気づいた。
男の人足がある?それもふたり分!?
アリは裸でいる自分、隠されていない髪、そしてなにより二人の裸体の男性!
とにかくとんでもなくパニックに陥った。
* * *
月の女神は自ら彼らの前に姿を現したかに見えた。
しかし、水を含んだ髪をほぐし、水から出てきた者はまだどことなく子供臭さを残したようなあどけなさを持つ少女だった。
シャハルナやジークがいることなど全く気付いていなかったのか、うろたえ震えている。咄嗟に抱えていた銀髪で隠そうと試みるものの、シュルトーのせいで巻上がり少女の彫像のような美しい裸体が月の光に照らしだされる。その瞬間3人とも息を呑んだ。
刹那、傍らの大木にかけてあった服を取り、森の中に少女は消えていった。
「おい、あの子の名前、知らないのか?」
「いや、城にはあんな髪の子はいなかったと思う。城に上がってきたばかりなのかなぁ」ジークがまだぼんやりとつぶやく。
シャハルナがいたずらっぽく笑う。
「しかし、さすがだな」
「なんだよ」
「お前んとこでは侍女に手を出さないってのは本当だったんだな」感心したように言う。
「あ!俺についた侍女がなんか媚売ってたのはそういうわけだったのか!」横でシャハルナがずっこける。「さすが、天然」
「それにしても、綺麗な子だったな」若干、上気した頬でジークが少女の消えた方向を見る。
グイっとジークの頭を抱え込んでいう「さては惚れたな?」
「そんなんじゃない!ただ、綺麗だったなって!」
「ムキになるなって。んじゃぁ、俺が頂くか!」シャハルナが勝利宣言を出すかのように言い放った。
うっせー!とジークがシャハルナを突き放した。
哀れシャハルナは、水の中に。
こうして夜が更けるまで男どもの水遊びが続いた。