第二話
これは遺書だ。 あの子が死んだから死ぬことに決めた。 この物語の最終話の投稿をもって、僕は命を絶つよ。いわば命日だ。 そのときがくるまでお付き合いいただければ幸いだ
『ネクタイってどう締めるの?』
なお眠り続ける灰色の脳細胞が目覚めた瞬間であった。二ヶ月近くに渡る長期休暇の中で、昼夜逆転していた生活習慣は入学式の日をもってようやく改善された。キヨシロウはオレンジ色の陽の光で目覚める日々に別れを告げることができたのだ。
ネクタイを締める作業は、キヨシロウがこれまで生きてきた経験ではどうにもならなかったが、それでも四苦八苦の末なんとか首に縛りつけ、チラっと時計を見やった。
キヨシロウがこれから二年間通うことになる校舎は小高い丘の上にある。JRの駅から校舎まで、徒歩で十五分ほどの距離であるが、その工程はすべて坂道であると言ってよい。二時間かけて電車を乗りついできた学生がその坂を目にした途端、再び二時間乗りついで引き返すこともざらにあったというのだ。このエピソードからもいかに困難な道のりであるか容易に想像がつくであろう。そしてその坂を、数千もの人間が黙々と行進する様は、まるでチベットに向かわんとする巡礼者を彷彿とさせる。
しかしもちろん、正門の向こうに座するダライラマは見当たらない。ダライラマに代わって、そこには、群がって勧誘活動をする様々なサークルや団体の姿があった。テニス、フットサル、軽音、映画、、、図書館前の仮説ステージでは、各サークルが代わる代わるパフォーマンスを行っていた。ジャズ、ロック、テクノ、ブレイクダンス、漫才などである。
「道を開けてくださーい!新入生の通行の妨げになるので道を開けてくださーい!」
首からIDカードをさげた学友会に属する上回生の大きな声が鳴り響いている。
ときおり冷たく風が吹きつけ、一瞬で肩をすべり抜ける、それでいて顔に降り注ぐ陽は熱い、、、そんな四月の空気であった。そしてそれは、構内のあらゆる事象を取りこみながら蔓延し、キヨシロウが初めて触れた大学の空気となった。
キヨシロウは目眩の大海をたゆたうように歩を進めた。
式典は(デイヴィス記念館)で行われた。バスケットボールの用具もあれば、シャワールームを備えた更衣室もある、一般的に体育館と呼ばれるものに違いはない。しかし、この(デイヴィス記念館)に限らず、構内のほとんどの建物がその響きからは用意に連想することが困難な名称をもち、なかにはどう読んでいいのかわからないものも少なからず存在していた。とかく新入生には不都合な取り決めであった。
デイヴィス記念館に向かって歩みを続けるキヨシロウの目線はどこか定まらず、そわそわした様子で辺りを観察していた。なにかしら胸の中でひっかかりを感じていたからであった、なにか匂うといった類のものである。入学式とは、総じて独特な雰囲気を持つものであると言えるが、この時のキヨシロウが感じとったものは明らかにその範疇を越えていた。
式自体にもとりわけ変わったところはなく、祝辞が読み上げられ、学長が挨拶をする、、、どこの大学でも行われる入学式がここでも進行しているように思われた。
『あっ!』
しかし、その瞬間は唐突に訪れた。
『もしかしてこの学校、、、カトリック?』
賛美歌の斉唱のため、舞台袖から現れた十数名の上回生の姿は決定的だった。絡み合った知恵の輪がはらりと抜け落ちた感覚、胸を一陣の風が吹き抜けた、、、しかし直後、返しの風がキヨシロウを強く吹きつけた。それは新たに生まれたもうひとつのひっかかりであった。他に自分と同じ心境のものはいるだろうか、入学する学校のことも知らない人間は、、、キヨシロウは依然、落ち着きなく周りの様子を伺い続けた。