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その先に待つのは

「どうしたのだ、ルフレ?今日は、刃物の匂いがしないぞ。規則を守る優等生になるつもりか?」


「その嗅覚は、是非とも身に付けたい特技ですよ。お察しの通り、今日は丸腰です。新兵の教育に必要だったもので。」


「あまり若い兵士をからかうなよ、と言っても、お前も充分若いのだが。」


フレデリクの嗅覚や聴覚に、ルフレは、内心、驚いている。

勿論、表には、一切、出さないが。

フレデリクの口振りから、ルフレと番兵のやり取りは、彼に聞こえていたと思われる。


──この人物に、暗殺という手段は通用しないな。──


僅かな物音や、刃の匂いを嗅ぎ分けられては、暗殺者の側は、為す術がない。

殺気を持った者は近付く事が出来ず、仮に近付けたとしても勝てるかどうか。


「時間もないので、早速、本題に入るが。」


──どうせ、誰かを殺して来いという事だろう。──


フレデリクに呼び出された時から、ルフレには察しがついている。

ルフレの興味は、誰を殺せばいいのかという点にあった。


「先の皇太子の遺児でも殺して来ますか?しかし、そう都合良く、皇族は死なないものですよ。その時は、殿下に嫌疑が掛けられると愚考致しますが。」


「都合良く死んでくれた事例もあるぞ。まあ、今回の標的は別の人物だが。」


フレデリク皇太子には、先の皇太子を含め、二人の兄と一人の弟がいた。

何れも、既に、鬼籍の人物である。

その内の一人を葬ったのはルフレであるが、先の皇太子を葬ったのはルフレではない。

公式の発表通り、病死したのだ。

フレデリクのもう一人の兄をルフレが葬り、その罪をフレデリクの弟に擦り付けたのだった。


「では、皇帝陛下ですか?しかし、流石にそれは、自分には無理ですね。警備の厳重さたるや、故人達とは比べ物になりませんから。『それでもやれ』と仰るなら、努力だけはしてみますが。」


──既に飾りとなっている人物に命を懸けるのは馬鹿馬鹿しい。──


ルフレの内心は、発した言葉とは違うところにあった。

既に、政務と軍務の実権は、フレデリク皇太子の元にある。

皇太子が、力ずくで皇帝の地位に就く事にあまり意味はない。

それに、黙っていれば、その地位は、自然に転がり込んで来るのだから。

「そんな事に命を懸けられるか!」

というのが、ルフレの本心である。

感情を失っているように見えるルフレにも、生きる事への渇望はあり、無意味な事にその命を懸ける程、フレデリクに盲従してはいない。


「陛下は殺さぬよ。だが、それに近い地位にいる者の首を、取って来て貰いたい。」


「…?」


「イリス王国の主だ。」


感情を表に出す事の無いルフレだが、この時は明らかに表情を変えた。

生気の無い眼が、一瞬、鋭く光ったのだ。


「中々、面白い事を仰いますね、殿下も…。」


「ほう、この標的には、少し、興味があるようだな、ルフレ。」


「イリス王国の国王暗殺に興味はありませんが、その先にある物には興味があります。」


「その先には、半島の統一という偉業が待っている。元々一つだった物を、もう一度、一つにしようと言うのだから、『前人未到』という訳でないのが残念だが。」


──そういう意味で聞いたのではない。お前の野心は、イリス一国で終わるのか?と聞いたのだが。──


「他国の主を、暗殺者の手で葬る事が出来ると、本気でお考えですか?」


「お前に出来ぬのなら、他の何人でも無理だろうな。」


──狡い言い方だ。──


その道を極めた者に対する殺し文句がある。

『お前に出来ないなら何人も出来ない』

こう言われてしまうと、その道を極めた者としては、矜持と言うものが揺さぶられる。


「勿論、成功するに越した事はないが、今回は失敗しても構わない。失敗しても、イリス王国に混乱の種を蒔く事は出来る。其処に火を付け続ければ、見事に燃えてくれるだろうからな。」


「そういう事でしたら、努力してみましょう。」


「いいのか?俺は、お前が死んでも痛くはないと言ったようなものだぞ?」


「その点は、気にして下さらなくても結構です。実は最近、大した仕事も無く、暇を持て余していましたので。」


「ふん!先程は、命を惜しむ素振りを見せた男の言葉とは思えんな。一応、選択の余地を与えようと思っていたが、必要ないようだな。本心で、何を考えているかは知らぬが。この俺でも、お前の考えは読めぬところがある。それだからこそ、こういった役目が適任なのかも知らぬが。」


「褒め言葉と受け取って宜しいですか?」


「好きに致せ。」


「期限は何時まででしょうか?」


「期限は特に考えていない。だが、来年の雪解け後には、イリスと一戦交える事になるだろう。暗殺が、成功しても失敗してもだ。」


「承知致しました。」


「必要な物があれば、『風』の隊長クローム言え。出来る限り融通する。それから、既に、『地』の者を何人か送ってある。彼らの協力も仰ぐと良い。」


「最後に一つ、確認しても宜しいですか?」


「何だ?」


「今回の任務は、無理難題と言うべきものです。よって、実行する者(つまりはルフレの事)が、命令を放棄する可能性もあります。その時は、どうなさいますか?」


「特にどうもしない。俺に、土下座して詫びれば、雪辱の機会ぐらいは作ってやる。但し、裏切った場合は、この世から抹殺する。地の果てまで追い掛けてな。」


「その言葉、肝に銘じて置きましょう。土下座して詫びるのは、性に合いませんので、必ず成功させて御覧にいれます。では、失礼致します。」


退出し、先程の番兵から武器を受け取ったルフレは、軽く身震いした。

それは、今回の任務に対する恐怖からか。

それとも、皇太子の最後の言葉に対してか。




******




「まさか、本当に請けるとは思わなかったがな。断る余地が無いものだったのか?」


「いいえ、断る事も出来そうでしたよ。」


盛り場でルフレと話しているのは、『風』の隊長であるクローム・ル・グフォン。

年の頃は30代後半と言ったところであろうか?

頭に白い物が混じり始めている。

少々、呼びにくい名前の為、目上の者、目下の者関係なく、『クローム』もしくは、『クローム隊長』と、彼を呼ぶ。

今回の任務について、ルフレと打ち合わせをしている最中である。


「お前の考えている事は良く分からん。その腕は、『風』随一である事は認めざるを得ないが、扱い辛くて適わんよ。」


「これでも、クローム隊長には心を開いているつもりなのですが。」


「それでか?まあ良い。欲しい物は以上か?」


「今のところは。あとは、イリス王都の住まいが、いい位置にあれば言う事はありませんね。」


「その辺は、『地』の奴ら次第だな。俺の領分ではない。もっとも、奴らに過度な期待をしない方が良い。俺が『地』の奴らに対し、制裁与奪の権限があれば、隊長の首を即刻はねたいぐらいだしな。」


『風』と『地』は、犬猿の仲という訳ではない。

クロームが吐き捨てるように暴言を吐いたのは、単純に個人的感情からである。

ルフレはというと、『地』の部隊の中に、見知った顔が何人かいるが、良い悪いに関わらず、特別な感情を抱いた事がない。

『風』の者に至っては、その顔すらよく知らない。

唯一、隊長であるクロームの顔は知っているが、時々、小言を吐く事を鬱陶しく感じる以外、特別な感情はない。

ルフレは、人間としてまともな感情を、何処かに忘れて来てしまっているようである。


ルフレのような特殊部隊の者は、一般には、その存在を知られておらず、それを知る者は、ごく一部に限られている。

一般の兵士が、戦場でルフレと出くわした場合、彼らがルフレを味方と把握してくれるかどうか、甚だ疑問である。

今回の任務に期限はないと言われているが、仮に、来年の雪解け後、ヴェルハイム帝国軍がイリス王都に押し寄せた時、ルフレは敵と認識され、味方と戦う可能性がある事を考慮すれば、無期限とも言い切れない。


「お前が任務遂行困難と判断すれば、殿下に一緒に詫びてやる用意が俺にはある。くれぐれも、無理はするなよ。お前を育てた苦労が、水の泡になるのは、余りいい気分ではない。」


ルフレとしては、クロームのこういうところが鬱陶しく感じている。

クロームが嫌いという訳ではないのだが、ルフレにしてみれば、『大きなお世話』とでも、言いたい気分である。


「俺が死んだところで、悲しむ者などおりませんが、精々、死なないように努力しましょう。」


任務の成功、失敗は、実行者に委ねられる物であり、上官に尻拭いをして貰う物ではないと、ルフレは考えている。

言い方を変えれば、他者の為に体を張るのは、馬鹿馬鹿しいと考えている。

命令には従うが、命令以上の事をする気はない。


「人生の先輩として、一つだけ、お前に助言しておく事がある。」


「何でしょうか?小言なら、別の機会にして欲しいのですが。」


「小言ではなく、助言だ。お前は幾つになった?」


「22だったか、23だったか?24歳になったかも知れませんね。何せ、自分が何時生まれたか知りませんので。」


「女を抱いた事はあるか?」


「いいえ、ありません。特に興味もありませんので。勿論、男に興味があるという意味ではありませんよ。」


「女には気を付けろ。女には、一度味わうと止められなくなる麻薬のような中毒性がある。」


「はて?殿下が仰っておられた事と違いますね。殿下は、『女は人生の良薬』と仰っておられましたが。」


「殿下の言葉も間違いではない。扱いさえ心得ていれば、良薬になるのも確かだ。だが、お前のような男には、劇薬でしかない。」


「一応、肝に銘じて置きます。今までも隊長は、割りと正しい事を仰っておられた気がしますので。」


ルフレは、クロームの助言を真面目に聞いてはいない。

クロームを信頼していないという事ではなく、自分には関係がない事だと思っているからだ。


「他人の庭に咲く花は綺麗に見えるし、他人の庭になる果実は美味しそうに見えるものだ。今まで興味がなかった物でも、新たな土地では興味が湧くかも知れぬ。」


「隊長が言わんとしている事ぐらい、俺にも分かりますよ。女に惑わされて、道を踏み外すなという事ですよね?しかし、現在、俺が歩いている道は、既に踏み外した後の道のような気がしないでもありませんが。」


「確かにそうなのだが…。」


「そう心配して頂かなくても結構です。女に限らず、他人を守る為に死ぬような正義感は持ち合わせておりませんし、どうせ死ぬなら自分の所為で死にたいと思っておりますので。それに、こう見えても、意外に生きる事への執着心はありますよ。」


「俺の助言を聞き入れるかどうかは、お前次第だが、頭の片隅にでも置いておいてくれれば幸いだ。話が横道にそれたが、必要な物は、責任を持って揃える。本国との連絡係は俺も加わるから、新たに必要な物が出たら、遠慮なく申し出ろ。」


ルフレの関心は、見知らぬ土地への興味に溢れていた。

ルフレにも、それなりに好奇心という物はある。

ヴェルハイム帝国から出た事のない若者が、見知らぬ土地に興味を持つのは自然な事である。

勿論、任務を忘れる事はないが、イリスに着いて直ぐ、国王の元へ向かう訳ではなく、時間的猶予も余裕もある筈である。


新たな土地に向かう若者の行く先に待つのは、生か死か?

栄華か破滅か?

平和か混乱か?

これらの答えは、まだ、誰も知らない。





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