銀髪の男と黒髪の女
「それにしても、いい女だよなぁ。どうせ処刑されるなら、その前に一度、お相手願いたいもんだ。なあ?」
牢獄の監視兵と思われる男は、牢に繋がれた女を見ながら、傍らにいる相棒に問い掛けた。
「俺は、遠慮しとくよ。何せ、『魔性の女』らしいからな。あの『風のルフレ』すら手玉に取る女なんて、恐ろしい事この上ない。女に狂って道を踏み外す程、馬鹿らしい事はないからな。」
相方の方は、牢に繋がれた女に、興味はないようである。
「『風のルフレ』すら手玉に取るぐらいだから、相当な上玉なんだろ?『風のルフレ』だって、人間であり、普通の男なのさ。だから、いい女がいれば、抱きたくなるのも道理さ。それに、『風のルフレ』の噂は、誇張された噂に決まってるだろ?仮に、噂が本当なら、化け物に違いないし、第一、そんな奴は人間じゃない。」
暇を持て余し気味の監視兵達の話の肴は、巷で流れる噂に話題が移って行く。
「俺は五年程前、『風のルフレ』に、実際に会った事がある。化け物とは程遠い容姿だったが、あれは間違いなく化け物だよ。」
その男は、背筋が凍るような薄気味悪い笑顔を浮かべていた化け物を思い出し、顔をしかめた。
牢に繋がれた女は、焦点が定まっていないかのような眼で、監視兵達の方をじっと見つめている。
彼女の耳に、噂話が入っているのか、入っていないのか、その様子からは伺い知る事が出来ない。
その女は、肩まで伸びた黒髪に、整った顔の輪郭、透き通るような白い肌をしている。
その雰囲気からは、妖艶さが漂っており、確かに『魔性の女』と呼べるかも知れない。
顔には、殴られた形跡があるが、それは、彼女の美しさを損ねる物ではない。
衣服に隠れていない部分の白い肌には、痣や傷が見えるが、これは、彼女が拷問を受けた事を指し示していると思われる。
意識こそ、はっきりしているようには見えるが、その黒い瞳から、生気を感じる事が出来ない。
それが返って、『魔性の女』としての雰囲気を醸し出しているとも言えよう。
「哀れな末路だな、クラリス。お前と牢獄越しに話す日が来ようとは、思いもしなかったよ。」
「…。」
牢に繋がれたクラリスの様子を見に来た『地』の隊長オドネルは、クラリスを哀れむ。
しかし、言葉とは裏腹に、その顔には、下品な笑顔が浮かんでいる。
生気を漂わせていないクラリスだが、オドネルの顔を見ると、相手を睨み付け、その眼に怒りの感情を現した。
「おお、怖い顔だ。十年前のお前は、もう少し、純粋な眼をしていたのだがな。残念ながら、その妖艶な雰囲気は、俺好みではない。世間擦れしている年増女など、何の面白味もない。俺の好みは、ちょうど十年前のお前のような…。」
「ぺっ!」
クラリスは、オドネルの顔面に唾を吐きかけた。
「すっかり、可愛げのない女になってしまったようだな。昔は、それはそれは、可愛らしい声で鳴いていたというのに。」
吐きかけられた唾を拭き取りながら、そう言ったオドネルは、相変わらずの下品な笑みを浮かべながら、牢獄を出て行った。
クラリスは、その後ろ姿を睨み付けながら、脳裏に浮かんでしまった思い出したくもない忌まわしい出来事を、必死に振り払おうとしていた。
当時15歳の少女だったクラリスに、無理やり覆い被さって来た男を。
その時に感じたとてつもない恐怖を。
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「出ろ、クラリス。皇太子殿下がお呼びだ。変な考えを起こすんじゃねえぞ。」
クラリスの顔の腫れが引いた頃、オドネルが彼女を牢から出した。
連日の拷問を覚悟していたクラリスだったが、拷問を受けたのは、帝都に連れて来られた日のみだった事を、牢に繋がれたまま、ずっと疑問に思っていた。
しかも、今回、牢から出された上に、自身を縛っていた鎖まで外される。
既に、逃亡する意味も気力も失せているクラリスだったが、内心では、不可思議な出来事の数々を訝しんでいた。
その心の内で何を考えていようと、彼女には、生気が漂っておらず、相変わらず、その眼は死んだままである。
「殿下の悪癖には困ったものだ。この女に、そんな価値などある訳が無いのに…。」
オドネルの様子が、クラリスに更なる疑問を抱かせた。
クラリスの疑問は、直ぐ解けた。
クラリスは、女官数人に湯につけられ、痛いぐらいに身体を洗われる。
更に、肩まで伸びた黒髪は綺麗に梳かれ、イリス王都にいた頃の輝きを取り戻した。
この時点で、クラリスは全てを理解する。
これらは、自分でやるか、他人にやって貰うかの違いはあるが、『地』の部隊にいた頃のクラリスにとって、命じられた任務に就く前の儀式のような物だからである。
儀式を終えたクラリスは、『献上』されるのだ。
その相手は、政府高官から、私腹を肥やす有力者まで、多岐に渡る。
自国や他国を問わず、過去に数回、『献上』された事がある。
其処で、情報を集めたり、献上相手を骨抜きにしたりするのが、クラリスの『地』に於ける任務だった。
珍しい黒髪と恵まれた容姿は、その任務遂行を容易にしていた。
食事を与えられたクラリスは、薄手の小綺麗な衣服に着替えさせられ、夜を待つように指示された。
今回は、医師の診察も受け、今までとは、相手の身分が違う事を想像させた。
今までとは異なる『儀式』に、多少、面食らっていたクラリスは、その医師が、診察中、怪訝な表情を浮かべた事を見逃した。
じっとその時を待つクラリスには、喜びどころか、怒りや哀しみさえも無い。
ただ、命じられたまま、その時が来るのを待った。
別に初めてでは無いし、恐怖や感慨も無い。
今回の相手は、今までとは違う身分の相手ではあるが、それが、クラリスの心を動かす事はない。
******
「お前が、『風のルフレ』を誑かした女か?」
クラリスがその部屋に入るなり、銀髪の男に問い掛けられた。
此処は、ヴェルハイム帝国皇太子フレデリクの寝室である。
「あのルフレを誑かすぐらいだから、その身体には余程の秘密が隠されているのだろうな?それとも、お前の口先に騙されるぐらい、あの男が愚かなのか?」
フレデリクの質問に、クラリスは、一切、答えない。
その質問が耳に入っていないのか、答える必要を認めないのかは、本人のみぞ知る。
「黒髪の女は、俺でも抱いた事がない。」
無反応のクラリスを気にする事もなく、フレデリクは話を続ける。
「自由を欲したお前の考えは、理解し難い訳ではない。しかし、ルフレを巻き込んだのは、失敗だったな。俺は、あの男を手元に置いておくか、あの男の死体を確認しなければ、おちおち、夜も寝られないのだよ。今は、手元に置こうと試みている最中だ。」
──ルフレは、まだ生きている!──
フレデリクの言葉を聞いたクラリスは、そう確信した。
生きていればそれで充分だし、今は、会いたいとも傍に居て欲しいとも思わない。
寧ろ、今はルフレに会いたくない。
これから起こるであろう出来事の後、ルフレに会わせる顔が無いからである。
しかし、その裏では、ルフレに会いたくて仕方がないという気持ちも存在しており、クラリスの心をかき乱す。
「ルフレは、暫くお前に貸していたが、返して貰うぞ。だが、あの男本人が、それを拒んでいるのが難点だがな。」
──ルフレをお前に借りた覚えはない。──
そう考えていたクラリスだが、結果的に暫く借りていただけという形になったのは、事実である。
「で、お前を此処に呼んだのは、ルフレとは関係ない。いや、全く関係ない事もないのだが。お前も、此処に呼ばれた理由を理解しているのではないか?余計な事をしくさった奴らには悪いが、俺はまどろっこしいのは面倒に思うたちなのだ。自分で服を脱げ。素直に従って貰えると助かる。」
クラリスは、フレデリクに命じられるまま、服を脱いだ。
クラリスからは相変わらず、感情を伺う事は出来ない。
「ほう、聞きしに勝る美しさだな。あの朴念仁を、虜にしただけはある。あの男だけの物にしておくのは癪だから、俺にも味あわせて貰おう。」
そう言いながらフレデリクは、クラリスの方へ歩み寄って来る。
そして、クラリスの顎をつまんで少し上に持ち上げると、自らの唇をクラリスの唇に重ねようとした。
しかし、寸前でクラリスがそれを避ける。
するとフレデリクは、更に強い力で、クラリスの顎を掴み、唇を重ねようとした。
今度は逃れられない事を悟ったクラリスは、その瞳から、一筋の光を流した。
バシッ!
その光を見たフレデリクが、クラリスの頬を力任せにひっぱたくと、彼女は、寝台の上に吹っ飛ばされる。
「その涙は何だ!ルフレに義理立てしているのか?半島の王たらんとする俺より、あの男の方が上だと言うのか!こう見えても、俺の物になろうとする女は、列をなしているのだぞ!」
その鋭い眼光をクラリスに向けながら、フレデリクは彼女を詰る。
その様は、駄々をこねる少年のようにも見える。
「俺は…。俺は幼少の頃、母親を亡くした…。俺の母は、お前のような黒髪だったらしい。俺の記憶には、その髪色も、その顔さえも思い浮かばないがな…。俺自身も、その母と一緒に葬られそうになった…。俺は、何とか生き長らえたが、母は駄目だった…。後宮での、くだらない争いというやつだ。既に皇子が居るのに、新たな皇子が生まれたのが、奴らには問題だったのだろう。何とか一命を取り留めたが、周りが敵だらけの状況の俺にとって、唯一の味方は姉上だけだった。それ程、歳は変わらないが、俺に母親のような愛情を持って接してくれた。だから、俺から姉上を奪った輩が許せなかった。俺に力さえあれば、そんな事にはならなかった筈だ。だからこそ、力を欲した。望まぬ事はしなくても良いようにな。」
フレデリクは、自分の根底にある物を、何故かクラリスに聞いて欲しかった。
「何時しかそれが形を変え、望む物全てを手に入れたいと願うようになった。それが、ヴェルハイムであり、イリスであった。イリスの王宮に、姉上が居た事も理由の一つだが、それだけではないのだ。人はそれを、『野心』と呼ぶらしい。イリス王国を手に入れ、姉上を取り返した今、この半島で俺に対抗し得る力を持った奴はいない。しかし、未だに、俺の意に逆らおうとする奴はいる。一人は、お前も想像がつくであろう。そして、お前も、その者達の仲間入りをする事になった。」
黙って聴いているクラリスだけでなく、フレデリク自身も、何故、こんな事を話しているのか理解していない。
「列をなす妾共は、姉上の代わりであり、母の代わりだった。彼女達の幻影を、他の女に求めた。だが、どいつもこいつも、代わりには程遠い奴らばかりだった。だが、お前は少し違うようだな…。」
そう言ったフレデリクが、その眼に宿る光を弱めると、無表情でフレデリクの話を聞いていたクラリスが、一瞬、哀れむような眼差しを向けた。
自身の血塗られた道に対して、懺悔をしているのだろとクラリスは考えた。
クラリスに、母や姉を投影して。
「俺は、何故、こんな事をお前に話しているのだ?今夜はもういい、下がれ!母や姉と同じ黒髪の女に興味があったが、そのような眼をする女に興味はない!」
クラリスの眼差しに気付いたフレデリクは、彼女に退出を命じた。
クラリスは、寝台から起き上がり、手早く衣服を身に着ける。
「お前は、ルフレを呼び寄せる餌だ。ルフレが来るまでは、手元に置いておく。その後は好きにしろ。もっとも、お前が居なくても、オドネルの所為で、他の餌に食い付いたやも知れぬがな。オドネルは、やり過ぎた。お陰で、俺の計画が台無しになるやも知れぬ。あの男は、中々、優秀だが、自分の力を過信しているところがある。人は力に靡くが、力だけでは、人は従ってはくれぬ。それが分からぬ者は、自ら墓標を建てているに等しい。自分の力量を見定めれない者は、この時代を生き抜く事も出来ない。かく言う俺も、人の事を言えた義理もないが。」
着替えているクラリスに向かって、フレデリクは呟いた。
「そういえば、お前は妊娠しているらしい。」
身支度を整え、退出しようとしたクラリスは、その言葉を聞き、動きを止めた。
彼女は、その可能性については、薄々、感じていた。
オドネル達に拷問を受けた時にも、無意識ではあったが、お腹を庇っていた。
「ルフレに、そんな知識があったとは驚きだが、相手が優秀だったのか?そう考えると、今夜、お前を抱かなかったのは、少し惜しい気もしてくる。」
クラリスが、五年間、待ち望んだ吉報は、とても吉報と呼べる物では無かった。
「ルフレを返して貰ったら、お前に用はないが、お前の子供は別だ。ルフレと一緒に、俺が預からせて貰う。それを以て、お前の罪は水に流してやる。我が子と離れたくないなら、俺の元に居るがいい。それを含めて、お前の自由だ。お前達の子には、使い道があるし、特殊部隊の者同士が子供を作ったなど前例が無い。優秀な子供が生まれる事を期待して置こう。」
──今夜、お前がこの部屋に来た事により、俺の跡を継がせる事も出来るが、お前はそれを望む筈も無いな…。──
固まったまま、動けなくなっていたクラリスの背中に語り掛けるフレデリクの口調は、内心はどうあれ、先程、弱さを見せた人物と同一であるとは思えない。
しかし、その心中には、子を為したルフレを羨む気持ちがあった。
多数の妾がいながら、フレデリクには、皇子どころか、子供すら出来ない。
フレデリク自身も、自分自身の欠陥には気付いているが、それは、彼自身にはどうする事も出来ない。
一方、クラリスは、己の境遇を呪う感情すら、何処かに忘れて来てしまっているようだ。
その眼には、喜びも哀しみも浮かんでいない。
自らの境遇を、漫然と受け入れ、その流れに身を任せている。
彼女を正常な流れに戻す事が出来る人物は、この世に一人だけ存在するが、その人物の存在すら、彼女は忘れかけているのかも知れない。
クラリスが欲して止まなかった『自由』は、フレデリクが保証してくれた。
しかし、その『自由』は、クラリスが求めていた『自由』とは、かけ離れていた物だった。
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翌日、クラリスは、部屋を与えられた。
昨夜、フレデリクとの間に何があったかに関わりなく、クラリスは、皇太子の妾の一人として扱われる事となった。
王城内に、フレデリクの館や後宮があるが、クラリスに与えられた部屋は、後宮ではなく、館の本館の方に与えられた。
警備も厳重にされ、他の妾とは、明確に区別されているが、フレデリクが、彼女の部屋に渡る事は一度もなく、フレデリクの自室に呼び寄せる事も、二度と無かった。
クラリスが妊娠しているらしいという噂が立つまでの僅かな間、彼女は、その部屋で隔離された生活を送る事となる。
クラリスの妊娠は、父親がフレデリクではないにも関わらず、皇子誕生の可能性を指し示す。
フレデリクは、その対応に苦慮する羽目になるが、それは、もう少し先の話である。




