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感情の摩天楼(1)

 貧民街出身で孤児のミーアは、元々騎士になるつもりなどなかった。彼女は貧しいながらもその生活に満足していたし、何より同じく孤児だったキーラとリック――無二の親友と最愛の人――がいつも傍にいたから、これ以上望むものなど何もなかった。

「よーし!次はキィちゃんが鬼だからね!」

「リッくん、早く行こうよ!ぼさっとしてるとキィちゃんに捕まっちゃうよ!鬼ごっこは一分一秒が命とりなんだからね!」

「とかなんとか言っちゃって。本当は一秒でも長くリッくんと一緒に居たいだけなんでしょ?ミィちゃんのスケベ」

「ば、ばか言わないでよ!なんで私がそんなヤマシイことしなきゃいけないのよ!キィちゃんの変態!」

「み、ミィちゃんもキィちゃんも、そういうのを大声で言わないでよ……」

 朝早くから三人で集まって、日が暮れるまで遊び続ける。夜は夜で、三人一組でスラム中を駆け回って食べ物を集める。時々表通りにも出て、衛兵に見つかるリスクを承知の上でこっそりと食べ物を拝借していく。非常にその日暮らしのギリギリの生き方であったが、バイタリティに満ち足りた彼女らにとってはそれさえも冒険の一つであり、毎日が刺激と楽しさに満ちていた。

 そうだ。ただただ楽しかった。

 だが彼女の平穏だが幸せに満ちたりた人生は、十歳の時に変革を余儀なくされる。


「噂通りだ!なんて美しい人なのだろう!」

 彼女の女神の如き美貌は、貧民街はおろか表通りの平民や貴族たちにも遍く知れ渡っていた。

それがいけなかった。

 マーキス・ヴァイクルの一人息子、ダリル・ヴァイクルが、風の噂を聞きつけ出会った彼女に横恋慕してしまったのだ。

「こんな薄汚い所に居ては、君のせっかくの美しさが損なわれてしまう!僕と一緒にあのお城で暮らそう!その方が君のためなんだ!きっとそうだ!」

 両親の愛情を過剰なまでに注がれて――親に甘やかされて育った彼は、この頃には自らの希望や欲望を他人に押し付けることを何とも思わない、むしろそれが正しい道であると信じて疑わない、傲慢な自尊心の塊となっていた。そしてそれを咎める者はいなかった。それが美形とも言われる端正な顔つきの裏に潜む彼の醜さを助長した。

 そしてそれとは対照的に、ミーアは物心ついた時から生活の全てを自力で賄ってきた。仲間の助けこそあったが、少なくとも甘やかされて育ったわけではなかった。だから感情の発露もはっきりとしており、嫌な物にはズバリ嫌と言ってのける。

 それがいけなかった。

 強引に連れ出そうとする彼の手を、ミーアは必死に振り払った。常日頃から外で遊び回って体力がついていたから、王宮でぬくぬくと過ごしていたダリルを突き飛ばすのは簡単だった。

 それがいけなかった。

「この僕に手を上げるとはなんたることだ!この僕に!ダリル様に!」

 尻餅をつきながらダリルが喚き散らす。その姿は非常に無様であった。

「ダリル様、落ち着いてください!」

「黙れ!こっちが下手に出てればいい気になりやがって!貧乏人め、後で後悔させてやる!」

 ダリルは付き人に半ば引きずられるようにして帰っていった。その間、姿が見えなくなるまで、ダリルはミーアへの罵倒を止めなかった。

「この下種が!卑しい雌豚め!僕の好意が受けられないのか、屑めが!」

 三日後。ゲルトラント全域を揺るがす集団失踪事件が発生した。これは階級、性別、年齢問わず、数百人規模でゲルトラント国民が一夜にして消え去ってしまったと言うものであった。

 失踪者の中にはキーラの名前もあった。ミーアとリックは自分の身体の三分の一を取られたかのような痛みを味わった。泣いたのは最初の一日だけだったが、その影は二人の心に大きく落とされたままだった。

 失踪事件から四日後。一人の肥え太った男が悲しみに暮れるミーアの前に現れた。

 名前はマーキス・ヴァイクルと言った。

「実は今回の一件、悪魔の仕業なんだ」

 この前の息子の非礼を平身低頭して詫びた後、その詫びの一つとして、マーキスはミーアにこっそりそう告げた。

「実は私も、私の父と母をあの日に無くしてしまったんだ。警備隊の動きがあまりにも遅いから、いてもたってもいられなくなってね。自分で傭兵を雇って調べたんだよ」

「それで、どうしてそんなことを私に……?」

「ああ、それはだね――」

 脂肪でだるだるになった顎をさすりながら、マーキスが本題を切り出した。

「騎士にならないかね?」

「騎士?」

「そうだ、騎士だ。君も友人を魔物に取られたんだろう?ならば取り返さなければ。君もこのまま泣き寝入りしたくはないだろう?」

「それは、そうですが……」

 騎士になれば、そこで強くなれば、キーラを取り返せる。しかし気になるということは、今までの生活を捨てるということ。

 リックにも遭えなくなる。

「心配することは無い。騎士団は基本的にいつでも抜けることが出来るんだ。だから君の好きな時に抜けてしまっても構わない」

「……」

「君にとっても悪い話ではないはずだ。どうだね?」

「……少し、時間をください」

 その日の夜、それを聞いたリックはとても驚いたが、最後は友を救うために騎士になろうと決めかけていたミーアの背中を押した。

 ずっと一緒にいたかった。

 でも、友達を捨てることはできなかった。

 ごめんなさいと謝り続けるミーアを、彼は黙って抱きしめた。

 キーラ・ガディールは、リックにとっても友達だったからだ。

 二人はバラバラになることを決めた。

 ごめんなさいと謝り続けた。

 その翌日。彼女は騎士団に入った。

 二か月後。マーキスがミーアに結婚の話を持ちかけてきた。そしてミーアは、マーキスが自分を騎士団に入れた本当の理由は、ダリルとの婚約をスムーズに行わせるためだということに気付いた。王宮に入って初めて吐かれた嘘だった。しかし己の目的を完遂するまで、騎士団を降りようとはしなかった。

「なんと美しい娘なのだろう。どうかね?私の息子と一緒にならないかね?」

「いやいや、ここは儂の一人っ子と結ばれるべきだろう。あいつは器量もいいし、しっかりしているいい奴なのだぞ」

「いいえ、わたくしの子と結ばれるべきですわ。あなたにはその権利が、いいえ義務があるのです」

 他の貴族たちも揃って求婚を迫ってきたがすべて断ってきた。処世術もその時に学んだ。ダリルのしつこさは特別だった。

 五年後。入団以降、神に愛されたが如き天賦の才を発揮した彼女は、その時には最年少の女性騎士団長となった。騎士団員は彼女を鋼鉄の女神と崇めた。この頃には彼女は既に感情を消していた。

 そして今に至る。


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