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Hello31337(3)

 表向きには強固な巨大国家として名を馳せているゲルトラント公国であったが、その内側にはいくつもの問題を抱えてもいた。国家の肥大化に伴う貧富の差の拡大と、そこから生まれるスラム街への差別意識。政治中枢に巣食う少数の貴族たちによって国政がいいように動かされることに対する民衆の反発。そして恋愛を淫猥と断じ、過剰なまでに純潔と節制を強いるレイグナス教への反発。

 そんな窒息するほどに閉塞された今の状況に、公国民たちは辟易しきっていたのだった。おまけに何らかの改正を求めようにも、半ば貴族の私兵と化した王立騎士団が国内にまで睨みを利かせているため、下手に物も言えない状況であった。少しでも不穏な動きを見せれば、即座に神の威を借りた貴族によって『異教徒』と見なされ、『神の名のもとに』断罪されるのであった。そしてこのような状況が、人々をますますレイグナス教から遠ざけている一因にもなっていた。


「まったく、どうしようもないな」

 あの後日暮れすぎにリックと別れ王宮にある自らの部屋に戻ったミーアは、鎧を脱いて剣を置き、ゆったりとしたソファに体を沈めながら『いつも通りの』仏頂面でそう呟いた。

公国直轄の王立騎士団に属する者には破格の待遇が課せられており、天を突かんとするほどの威容を誇る王宮に居を構えることができるのも、その騎士団の特権の一つだった。ましてミーアは騎士団長。故に彼女の部屋は配下を十人招いても余裕があるほどに広々としており、一人でいると寧ろ不安感を抱くほどであった。

 だが壁に飾られた絵画の数々も、最高級の素材で作られた調度類も、大理石のテーブルの上に置かれた一級シェフによる贅を極めた料理も、彼女の心に安らぎを与えることは無かった。

「リック……」

 料理に手を付けることも無く、それまで幼馴染の手を握っていた自分の手をぼんやりと眺める。自分から望んだこととはいえ、リック・エル・シュナイデという存在を欠いた今の生活は、彼女にとっては酷く現実感のない、空虚な物となり果てていたのだった。

 だが今ある生活を捨て、昔のように生きていくことは出来ない。例え今がどれだけ苦痛に満ちたものであったとしても、彼女はそこから逃げることは出来なかった。いや、逃げてはいけないと、自分自身に固く戒めを課していたのだ。

 そんな彼女を現実に引き戻すかのように、彼女の身長よりも上背のあるドアをノックする音が響いてきた。

「ああすまない。少し待ってくれ」

 突然のことに一瞬慌てながらもすぐに平静を取り戻し、すぐに強固な仮面を被ってドアを半開きにする。そしてその直後、ミーアはドアを開けたことを強く後悔した。

「どうも、どうも、ミーア様。こんばんは」

「……こんばんは」

 ドアの向こうにいたのは、白いローブを身に纏い髪を七三分けにした、肥満体型の豚のような貴族階級の男だった――いや、実際の所、この男に限らず貴族というのは、腐臭をまき散らし、全て金と権力と保身にしか興味を持たない豚でしかなかった。そしてその男はミーアの姿を認めた途端蛇のように目を細め、彼女の全身を嘗め回すように見つめてきた。

 その神経を逆撫でする気持ち悪い動作を中断させる意味も込めて、ミーアが憮然とした口調で男に言った。

「マーキス卿。何のご用でしょうか?」

「いえ、偶々ここを通りかかったものなので、挨拶をしておこうかと思いまして」

 そんなミーアの真意を知ってか知らずか、マーキス・ヴァイクルは観察を止め柔らかい口調で答えた。顔は笑っていたが、その歪んだ笑みは打算と陰謀に塗れた汚らしいものだった。

貧民であるミーアが騎士団に入れたのは、ひとえにこの男のおかげでもあったわけだが、ミーアはその『恩人の顔』を直視するのも嫌だった。

「マーキス卿、用件はそれだけでしょうか?私は明日のこともあるので、早めに床に就こうかと思っていたのですが」

「そうだったのですか。これは失敬いたしました。騎士団長の都合も考えないままに、や、まったく申し訳ありません」

 とっとと帰れと言外に告げるミーアに対し、動じることなくマーキスが猫撫で声で返す。耳元にべっとり貼り付いてくるその声は、ミーアの自制心をグシャグシャに掻き乱していった。だがそんな態度はおくびにも出さず、努めて平静にミーアが言った。

「では、私はこれで。おやすみなさい」

「ええ。おやすみなさい」

 だが、そこでまたしても横槍が入る。そう言ってドアを閉めかけた所で、不意にマーキスが思い出したようにミーアに言った。

「ああ、そうそう。ミーア様。一つ確認しておきたいことが」

「……なんでしょうか?」

 不満げな表情を隠すことなく答えたミーアに、顔を歪ませたような笑みを浮かべながらマーキスが言った。

「例の婚約の件。御一考していただけましたかな?」

「――ッ!」

 ミーアの頭上に雷が落ちた。思い出したくもない物を思い出し、それまで眉一つ動かさなかった頑強な仮面に罅が入る。その反応を楽しむかのように、マーキスがもみ手をしながらミーアに言い寄った。

「私の息子、ダリルにはいずれ私の全てを受け継いでもらおうと思っております。そして私は、この公国内の治世を左右することができるほどの権力と発言力を持っている一人でもある。そしてダリルはその全てを引き継ぎ、あなたはそんなダリルの、真に国を束ねる存在の妻となることができる。どうでしょう、悪い話ではないと思いますが?」

 散々聞かされてきた宣伝文句を前に、ミーアは既に思考をシャットダウンしていた。そして半ば無意識的に、宣伝を終えたマーキスにいつものようにきっぱりと言い切った。

「申し訳ありません。大変魅力的な提案であるとは存じますが、私は騎士となった時から、剣と共に生きようと決めたのです」

「剣と共に……前にも聞きましたが、騎士道に殉ずると?」

「はい。私はそれ以外の者と操を立てるつもりはございません」

 大嘘だ。本当に一緒になりたい存在は別にいた。しかし嘘も方便。相手の自尊心を傷つけず、かつ穏便に事を運ぶには、こう答えるのが一番だった。これは王宮での生活において自分自身を守るためにミーアが考えついた、決して他人に誇れるものではない処世術であった。

 そして嘘は他人にバレない限りは嘘とはならない。その言葉を鵜呑みにしたマーキスはもみ手をやめ、困ったように額に手を当てながら残念そうに言った。

「そうですか……ですが、婚約もまたあなたの進む道の一つであるということをどうか忘れないでいただきたい」

「覚えておきましょう。しかし、そちらの方でも私の答えがいつまでもかわらないということも覚えておいてほしい」

「わかりました。それでは」

 そう言ってマーキスが扉から一歩離れる。そして去り際に顔を歪め、ミーアに聞こえる程度の小声で呟いた。

「誰のおかげで贅沢できていると思ってるんだ」

「……」

「顔だけの貧乏人め」

 ミーアは何も言わずに扉を閉めた。


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