交狂曲「デススマイルズ」(4)
かつてその美貌から女神と謳われ、またゲルトラントの英雄と持て囃された騎士団長――だった物の残骸が、岩で作られた底冷えのする牢屋の中で、打ち捨てられるようにして横たわっていた。
鎧は剝ぎ取られ、その白磁の肌を申し訳程度の厚さを持った布の薄着が包み込んでいる。意識はあったが、完全に心は潰れていた。寒気が容赦なく体を嬲り、そしてその度に顔の傷口が痛覚を刺激してくるが、ミーアは人形のように微動だにしなかった。
――私の人生は、いったい何だったんだろう。
おぼろげに覚醒した頭で、ミーアが反芻する。
自分の意志で騎士団になったと思っていた。自分の意志でリックと離れ、キーラを救い出そうと思っていた。でも結局は、全てあの男の掌の上で踊らされていただけだった。おまけに、自分自身にも嘘をついて。
キーラが消えたショックで頭が一杯だった、なんて言い訳でしかない。リックと離れるべきではなかったのだ。あの時点で、一緒に国を出ようと考えつくべきだったのだ。
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てるように呟く。どれだけ『もしも』を思い描いた所で、それは決して意味を持つことは無いのだ。子供の頃にそうしたように、大切なのは明日に目を向け続けることだ。どれだけ今日が悪い一日だとしても、また明日がある。明日を良い日にすればいいだけだ。
でもその明日もない。
ミーアの旅路は、ここで終わり。
「私は、ここで終わり」
「本当に終わり?」
目の前から声がして、咄嗟に顔を上げる。その先にある者を見て、虚ろだったミーアの瞳に生気が宿り始める。
「ハアイ。久しぶりね」
「……お前は」
あの時のワーウルフ。
ミーアの前で人間の少年とイチャついていたあのワーウルフが、再びミーアの前に立っていた。
「あらあら、随分ボロボロじゃない。女神様も形無しね」
「……うるさい」
茶化すようにそう言うワーウルフに素っ気ない返事を返した所で、ミーアが違和感に気づく。
「お前……」
「あら、私がどうかした?」
「どうして中にいるんだ?」
ワーウルフは牢の中にいた。鉄格子はがっしりと閉まっていた。
「どうやったんだ?」
「ああ、そのこと?ちょっとした転移魔法よ。まあ人間はまだ扱えない代物でしょうけど」
転移魔法の存在は知られていたが、それを人間が満足にコントロールすることは未だ不可能だった。
「まあ私たち魔物にとっては初歩中の初歩の魔法なんだけどね」
「なら、どうして使わなかったんだ?それを駆使すれば、敵陣の中に飛び込んで内側から殲滅することも出来ただろうに」
正直な話、魔物は人間よりも遥かに強かった。頭脳も優れているし、腕力だって魔物の方が上だ。精神力もズバ抜けているから、人間の仕掛ける幻術にも一向にかからない。その身体能力を以てすれば、人間の軍団を蹴散らす事など容易なのだ。
しかし実際は人間の連戦連勝だった。かねてからミーアはそこが納得できなかった。
「だから言ったでしょ。私たちは人殺しが目的で人間と接触してるわけじゃないの」
「なら、どうしてお前たちは人間を攫うんだ」
「のっぴきならない状況だから……って、今はそういう話をしに来たんじゃないのよ」
そうして話を打ち切ったワーウルフがミーアの腕を掴み、強引に二本足で立たせようとする。ミーアは駄々っ子のように寝そべった状態を貫いて抵抗しようと試みたが、ワーウルフの力の前ではまったくの無力だった。
「ほら、意地を張らない。しっかり立って」
結局、大人が赤子を立たせるようにして、ワーウルフはいとも容易くミーアを直立させることに成功した。そしてその時にはミーアはもう抵抗することをやけくそ気味に諦めて、自分から二本足で立っていた。
「……それで、なんの用なの?」
そう睨みつけるミーアの視線を受け止めながら、ワーウルフが脅すようにドスを効かせた声で言った。
「あなた、それでいいの?」
「……どういう意味だ?」
「それでいいのかって聞いてるのよ」
「だから何が」
力なく返したミーアの胸倉をワーウルフが掴み、そのまま自分の元へと引き寄せる。驚きで目を見開くミーアに怒りの眼差しを向けながらワーウルフが言った。
「あなたの大好きなリックがどこか行っちゃうんでしょう!?それだっていうのに、あなたはそうやって、ここでのうのうとしてるつもりなのかって聞いてるのよ!」
「どうしてお前に説教されなきゃいけないんだ!」
そこまで叫んでミーアがはっと気づく。
「いや、どうしてお前、それを知ってるんだ?」
「そんなことはどうでもいいわ。それより、さっきの質問の答えを聞かせてもらおうかしら」
「はぐらかすな」
「はぐらかしているのはあなたよ。ねえ、どうなのよ?」
問答は終わりだ。結論を言え。そう言外に告げるように、ワーウルフがミーアを突き飛ばす。少しよろけながらも体勢を立て直し、そして胸に手を当ててミーアが言った。
「私だって……」
「……」
「私だってこんな終わり方は嫌だ!嫌に決まってるだろう!あいつと離れ離れになるのは、もう嫌なんだ!」
ミーアが溜め込んだ思いを涙と共に吐き出す。ワーウルフはそれを黙って見ていた。
「でもあいつはもう行ってしまった!もう行ってしまったんだ!剣も鎧も奪われて、こんな所に放り込まれて、今更間に合う訳がないだろう!」
すべてを吐き出したかのように、ミーアがその場にくずおれる。
「もう、どうしようもないんだよ……」
「……どうにかできるって言ったら、どうする?」
「え?」
ミーアがワーウルフを見上げる。涙でグシャグシャになった、神性の抜け落ちた少女の顔を見下ろしたままワーウルフが続ける。
「もしこの状況からあいつを助け出すことが出来る方法があるとしたら、どうする?」
「……それは……」
「嘘はつくなよ」
「……!」
ワーウルフの言葉を受け、電流を浴びたように背筋を伸ばす。そのまま顔を下ろしてしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がり、腕で涙を拭いてからミーアが言った。
「……教えて。どうすればいいの?」




