Hello31337(1)
ミュリアナ大陸西部に位置するゲルトラント公国は、大陸でも一、二を争う巨大な軍事国家として、また世界規模で信仰されている創造神レイグナールを唯一の神として崇める『レイグナス教』の教義に従う厳格な宗教国家として、大陸全土にその名を轟かせていた。
その信仰の篤さたるや、公にそう決められてもいないのにゲルトラント公国がレイグナス教の総本山と目されるほどであり、そこで育った子供が初めに覚える言葉がレイグナス教の教義の一節であると、他国でからかい半分に言われるほどであった。
故にこのゲルトラント公国は、この大陸で長きに渡り繰り広げられていた人間と魔族との戦争における、人間側の精神的戦力的支柱ともいえる最重要拠点であった。
そんな公国の戦略的価値を知ってか、これまでに何度も魔族は公国への侵攻を繰り返してきた。だが公国の擁する王立騎士団の戦闘能力、そして何よりレイグナス教に基づいた公国民の結束力の前に悉く返り討ちに遭い、何度も煮え湯を飲まされ続けていたのであった。襲ってくる悪魔はその全てが美しい女性の姿をしていたが、それが却って彼らのレイグナス教への信仰心――誘惑に惑わされぬよう神に縋る意味で――を強めていた。
そして人間と魔族との間で戦争が始まってから十七年後の現在。なぜ魔族が侵攻して来たのかもわからないまま、戦況は人間の――と言うよりも、王立騎士団の優勢に傾き始めていた。
「止まれ!止まれ!」
一月二十四日。晴天。
ゲルトラント公国より南西の位置にある『ベスペール平原』にて勃発した人魔間での戦闘は、開始から数分もしない内に、王立騎士団の勝利に終わっていた。
「我々の勝利だ!勝鬨を上げよ!主神レイグナールに届くように高らかにだ!」
白銀の甲冑を身に纏い、美の女神が直接手をかけたかのような美貌を具え、癖のない黒い長髪をなびかせながら、騎士団長ミーア・ルジャノームが剣を突き上げ高らかに叫ぶ。その声に呼応するかのように、周囲にいた配下の騎士団員たちも雄たけびを上げた。
身も心もレイグナス教に染まりきった彼ら騎士団は、自分たちが選ばれし神の使徒、悪を滅ぼす正義の戦士であると強く自覚していた。そしてそんな彼らが『悪魔』というわかりやすいアイコンを前にした時、我を忘れん程に熱狂し、神の為に血を流すことを寧ろ光栄とさえ思い始めるのは、ある意味当然ともいえる帰結だった。
人類に祝福を!
悪魔には死を!
レイグナールに栄光を!
そんな宗教的エクスタシーに浸りきった騎士団員が口々に叫ぶ。その気迫、威圧感を前に、大地も震え驚いているかのようだった。
だがそんな騎士団員たちを尻目に、ミーアはすぐさま平静を取り戻し、澄まし顔で剣を納め馬に跨る。その表情に感情は存在せず、まるで氷の仮面を身に着けているようにも見えた。実際ミーアは騎士団きっての実力者であると同時に、感情を表に出さない、鋼のような女として仲間内でも有名だった。
そんなミーアの元へ、副団長が平然と駆け寄ってきた。ミーアは一見何を考えているかわからない近寄りがたい雰囲気を持っていたが、それでも同じ騎士団員からの信望は厚かった。
「お疲れ様です。ミーア様」
「あの程度の敵など、どうということも無い。私の出る幕でもなかったか」
「いやまったく、その通りでございましょうな」
「言うようになったな」
無表情でからかうように返した後、ミーアが真顔のまま副団長に言った。
「私は先に帰る。後のことは任せるぞ」
「はっ。お気をつけて」
そう言って頭を下げる副団長に背を向け、ミーアは勢いよく馬を飛ばした。その顔には今までの仏頂面とは違った期待と解放感が滲み出ていた。