ホワイトアウト
どうやら、アスハとキリ、それからビャクは好戦的な性格らしい。『鬼退治』なんてしているから、当然と思って思えないこともない……。
そう考えていうちに、僕の視線は自然と残る一人に吸い寄せられる。
視線の先には黙したままのイトがいる。
彼は鋭い瞳のまま、ただ立っていた。
……どうか彼だけは常識人でありますように。
心の中で両手を摺り合わせて僕は祈った。
「よーし。次行こ、次ー!」
キリとの言い合いに満足したのか、はたまた言い合いが不毛であることに気が付いたのか、両腕を振り上げたアスハが叫んだ。
彼女は傍にある教室を背に、廊下の右と左を交互に指差す。
「んーと。……どっちから来たっけ?」
その問いに、全員が右を指し示した。
キリが呆れ返った声を放つ。
「お前、ほんっと方向音痴だな。二択しか無い時くらい覚えてろよ」
首を傾げたアスハは、「ん〜……」と考え込んでから、にっこりと笑った。
「無理!」
きっぱり言い切る彼女に、キリは二の句が告げぬとばかりに口をぱくぱく動かした。
それを面白そうに見た後、アスハはくるりと体を左へ回す。
「ねえ、シン」
大股で歩きながら、彼女は僕に振り返る。
慌てて追い掛けながら、僕はそれに答える。
「え、何?」
アスハはにこにこしながら先を続けた。
「この先って、何があるの?」
「この先は、ホールと体育館とかだよ」
「ホール、ねえ……。ホールって、どんなところ?」
この学校は敷地がかなり広くて、学校として必要な設備以外にも結構お金をかけている。私立の特権だ。
ホールは、正式名称をクラデット・ホールという。うんたら・クラデットという建築家に因んでつけられた名だ。アーノルドかアルベルトだったと思う。
これは、平たく言ってしまえば、一階から三階までを貫いた吹き抜けの広場だ。真ん中に無駄に立派な噴水があり、世話が大変なだけの観葉植物が配置されている。
「要は、噴水広場かな。広さは普通の教室四つ分くらい。結構広いよ」
「そこは、鬼門?」
この問いは僕に向けたものでは無かった。
アスハの視線は少し低く、ビャクを見ている。
彼は手にした本の表紙に手を当てて、その場に立ち止まった。
「……方角はそうだけど、鬼の気配が一番強いのは、もっと奥の方」
「じゃあ、体育館かあ」
口笛でも吹きそうなくらい軽い口調でアスハは言う。
僕は思わず、眉を顰めてしまった。
「そこに行くの?」
ぱっと僕を映したアスハの瞳には、欠片の迷いも無かった。
「うん。だって、それがわたしたちのお仕事だもん」
ぽんっ、ぽんっ、と軽やかな足取りでアスハは歩いて行く。
……戦うことに迷い無く頷けるって、一体どんな気持ちなんだろう。
しっかり伸ばされた小さな背中に向かって、僕はそう思った。
やがて幾つかの教室の前を通って、ホールの直ぐ傍までやって来た。
「あ、その角を曲がったらホールだよ」
僕がアスハに声を掛けた時、彼女は足をぴたりと止めた。
左手の日本刀を構え、また半身を引いた姿勢を取る。
臨戦態勢だ!
条件反射で僕は鞄を体の前に盾の様に持って来ていた。
よく見ると、廊下の角に白い靄のようなものがあった。うぞうぞと揺らめいて、大きさを増して行く。
始めはドライアイスで作る煙みたいなものかと思ったけれど、それは奇妙な音も伴って揺れていた。
ぞ、ぞぞぞ……、ばちばちばちっ……
冷静な声がその謎を解き明かす。
「白羽。下級から中級の鬼に使役される最下級の鬼の集団。……数は無限大。使役者の実力次第」
「俺、パス。あんなん、全部突いてらんね〜」
真っ先にキリが肩を竦めて、一歩後ろに下がった。
怖じ気づいたとかでは無く、単純に向き不向きの問題のようだ。
「あ〜。わたしも、一々切ってられない〜」
がっくりと肩を落として、アスハが嘆く。
「え、じゃあ、どうするのっ?」
上擦った僕の声に、アスハは不満そうに答えてくれた。
「こういう多勢に無勢は、ビャクとかイトの専門なの」
……ビャクは分かるけど、イトが……?
疑問を抱く僕の横を、ちょこちょこと歩いてビャクが通り過ぎた。
「風の術を試してみようかな、それとも、属性から言ったら火かな」
その平坦な声が嬉しそうに聞こえるのは僕の耳の問題なんだろうか。
すると、ビャクの横を追い越して、黒いスーツが前に進み出た。
イトだ。
アスハも追い抜いて、彼は廊下の中央に立つ。
ぞぞぞ、と音を立てる白い靄は、彼から教室一個分くらい向こうで更に大きさを増していた。
段々とその正体が見えてくる。
それは、白い羽を持つ虫、つまり蝶か蛾の集団に見えた。
先程から響く奇妙な音は羽のぶつかり合う音だったようだ。
「い、いっぱいいるね……」
引きつった声が僕の喉の奥から出てくる。
「……使役者はそれなりの力を持った鬼。多分中級」
酷く不満そうにビャクが言う。
よっぽど新しい術を試したかったようだ。
「結局は大元の使役者を叩かなきゃならねえな……」
キリが壁にもたれ掛かって面倒くさそうにしている。
アスハはイトの背中を見ながら、ぽつりと言った。
「シン、あのね」
「どうしたの?」
聞くと、彼女は振り向いて、少し目を泳がせた。
「これから凄く驚くと思うのね。で、うるさかったら耳を塞いでいてね?」
驚く、とうるさい、の関係性がわからなくて僕はきょとん、と瞬いた。
すると、白羽の立てる羽音が大きく響いた。
イト以外の全員がそちらに目を向けると、白羽がわっと大きく広がって、今にもイトに襲いかかろうとしていた。
「危ない!」
叫ぶ僕とは裏腹に、イトは最小限の動きだけをした。
スーツのジャケットの内側に手を差し入れて、引き抜く。
その手にはそれぞれ銃が握られていた。黒い拳銃で、既にマガジンがセットされている。
イトは両腕を真っ直ぐ伸ばして引き金を引く。
発砲音が連続して響く。彼の指があまり動かないことから、フルオートの拳銃だということが推測出来るんだ、け、ど……。
う、うるさい。かなりうるさい!
「ふっ、ははははは」
鞄を持っていない方の手で耳を塞ごうとした時、声が聞こえた。笑い声だ。
低く、そして、とても楽しそうな声。
「はっははははははは!」
ぐるりと周囲を見るが、誰も笑ってなんかいない。
アスハが、申し訳なさそうに右手を上げて、イトを指差す。
口を開いたのは、物凄い嫌そうな顔をして両耳に指を突っ込んだキリだ。
「あいつ、銃を持つと人格変わんの!」
爆音のような銃声に負けないように大声を出して叫ぶ。
廊下の奥では、イトの高らかな笑い声が響いて、白羽の破片なのか発砲による煙なのかよくわからないものが白く舞っていた。