第三十七章「ばあちゃん退院の日、重なる想い」
翌日の昼。
秋の風が心地よい時間帯に、
ばあちゃんは診察で「すぐ帰ってOK」と言われた。
大きな不調ではなかったとわかっても、
胸に溜まっていた緊張はまだ完全には消えてない。
でも――
病院の玄関を出る瞬間、
ばあちゃんが僕の腕を軽くつかんだ。
「大樹、帰るで」
その言葉だけで、
胸の中の重石がふっと軽くなる。
⸻
車に乗り込むと、
凛さんが後部座席から顔をのぞかせた。
「おばあちゃん、お疲れさまでした。
今日はゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうなぁ、凛さん。
ほんま助かるわ」
その“ありがとう”の声音が、
どこか特別に聞こえた。
(ばあちゃん……
凛さんのこと、すごく気に入ってるな)
僕は後ろのミラー越しに
思わず凛さんの様子を見た。
凛さんは微笑んで、
ばあちゃんの膝にそっと上着をかける。
その仕草が自然すぎて、
胸の奥がじんわり熱くなった。
⸻
家に着き、
ばあちゃんは布団へ。
茉莉花が湯飲みを置き、
凛さんと僕はそばに座った。
穏やかで静かな時間。
そんな中、
ばあちゃんがゆっくり僕の手を握って言った。
「大樹」
「ん?」
ばあちゃんは、
優しく笑って凛さんを見た。
「ええ子やなぁ、この子は」
凛さんは目を丸くした。
「そ、そんな……私なんか……」
「そんなことない。
あんたは、よう見とるし、よう気がつく。
家のことも人のことも、自然にやれる」
そして――
ばあちゃんは僕に視線を戻す。
「大樹。
……大事にしぃよ」
その一言が、
胸の奥でカチッと音を立てた。
(大事にしよ……って)
顔が熱くなるのを隠せなかった。
凛さんも照れて、
両手を膝の上でぎゅっと揃えていた。
ばあちゃんの言葉は、
どこか“託す”ような響きがあった。
⸻
その後、茉莉花が台所へ行き、
ばあちゃんがまどろむ間、
僕と凛さんは縁側で休んだ。
陽が傾き始めて、
庭に長い影が落ちる。
凛さんが、
そっと話し始めた。
「……ほんまに、心配やったんですよ。
昨日の大樹さん」
優しく名前を呼ばれて、
心臓が跳ねた。
「僕……そんなに顔に出てた?」
「はい。
でも、それが悪いことじゃないと思います」
凛さんは膝を抱え、
夕方の光を見つめながら続けた。
「大樹さんは……
誰かを大事に思える人やから」
その言葉がまっすぐ胸に届く。
僕は迷わず言った。
「……凛さんを大事に思うのも、あかんかな」
言った瞬間、
自分でも驚いた。
凛さんは一瞬止まり、
次の瞬間、
頬を赤くして視線を落とした。
「……あかん、なんて……」
声が小さく震える。
「思われて……
嬉しいですけど……」
最後のほうは、
風にさらわれるくらい小さかった。
縁側の上に、
二人の影が並ぶ。
風が少し強く吹いて、
凛さんの髪が揺れた。
僕は静かに息を吸った。
そのとき――
凛さんが
ぽつりとつぶやいた。
「……だいき、さん」
時間が止まった。
(……今、僕の名前……)
凛さんは気づいていない。
自分で言ったことに。
でも確かに、
耳に届いた。
胸の奥が一気に熱くなる。
僕は小さく笑った。
「……今、名前で呼んだやん」
凛さんはハッとして、
耳まで真っ赤にした。
「っ……ち、違っ……!
今のはほんまに……! 無意識で……!」
「ええよ。
なんか……嬉しかったし」
凛さんは顔を伏せ、
両手で頬を押さえた。
「……もう……
大樹さん……ずるい……」
その“ずるい”が、
僕には最高の褒め言葉に聞こえた。
(第三十七章 了)




