第三十二章「畑の朝と、揺れ始めた恋」
朝露がまだ残る小道を、
僕と凛さんは並んで歩いていた。
ばあちゃんの畑に行くのは、
今日が久しぶりだった。
昨日の夜のことが頭に残っているせいか、
胸の奥がずっとくすぐったい。
「……大樹さん、
ばあちゃんの畑ってどんなところなんですか?」
凛さんが自然に聞いてきた。
僕は少し照れながら答えた。
「小さいけど……
僕、昔はここ来るの嫌いやってん」
「え? そうなんですか?」
凛さんが驚いたように目を丸くする。
「うん。
草刈りとか、手伝いとか……
めんどくさいって思ってた」
「今は?」
「今は……なんか、気持ちが落ち着く」
「……ふふ。
大樹さん、大人になりましたね」
くすっと笑う声がやわらかかった。
僕は照れたように頭をかいた。
(なんでやろ、
こんな普通の会話が楽しい)
⸻
畑に着くと、
朝日が土を照らしていて、
小さな葉っぱたちが光って見えた。
「うわぁ……きれい……」
凛さんが両手を胸の前で組み、
感動したように畑を見渡す。
僕はその横顔を見て、
胸の奥が静かに熱くなった。
(……こんな表情するんや)
風が吹いて、
凛さんの髪がふわっと揺れた。
僕は、
その揺れを目で追ってしまう。
気づかれたくないのに、目が離せなかった。
⸻
「大樹さん、これって雑草ですか?」
凛さんがしゃがみながら聞く。
「うん。これ抜いてくれる?」
「はいっ」
凛さんは手を伸ばし――
「あ、うそ……硬い……!」
両手で雑草を引っ張りながら、
ふんっと頬を膨らませた。
「抜けへん……大樹さん助けてください……」
思わず笑ってしまう。
「ちょっと貸してみ」
僕が凛さんの手の上から
雑草の根元をつかむ。
その瞬間――
指先が触れた。
ビクッとするほどの電気みたいな感覚。
凛さんも驚いたようで、
小さく肩をすくめた。
「……ご、ごめんなさい」
「いや……こっちこそ」
変な空気になるのが怖くて、
僕はすぐ雑草を引っこ抜いた。
スポッ、と抜ける音がした。
「すごい……!」
凛さんは本当に嬉しそうに笑った。
(……なんやこの感じ。
心臓の音、ばれへんかな)
⸻
少し作業をして、
二人で休憩することにした。
土の匂いと、
朝の風と、
遠くで鳴く鳥の声。
凛さんは、
そっと僕の横に腰をおろした。
僕の肩と凛さんの肩の距離は、
手のひら一枚分くらい。
近い。
でも嫌じゃない。
むしろ……
(もっと近くにいても……ええかもって思ってしまう)
胸の奥がじんわり熱くなった。
その时、
凛さんが小さな声で言った。
「昨日、大樹さん……
本当に頑張りましたね」
僕はハッとした。
凛さんは僕の顔を見ながら、
静かに言葉を続けた。
「お父さんのこと、
知るの怖かったと思います。
でも……
逃げずに向き合った大樹さん、
すごく強かった」
胸が苦しくなるほど嬉しかった。
僕は、
地面を見つめたまま言った。
「……強くなんてないよ。
怖かったし、今も怖い」
「それでいいんです」
凛さんは、
そっと僕の手の近くに手を置いた。
触れはしない。
でも、すぐそばにある。
「怖くても、進める人が“強い人”なんですよ」
その声に、
僕はゆっくり顔を上げた。
凛さんと目が合う。
朝の光のせいか、
凛さんの瞳が少し揺れて見えた。
(……好きになるって、
こういうときの気持ちなんかな)
胸がどくんと鳴った。
⸻
風が吹いて、
凛さんの髪が僕の腕にかかった。
凛さんは気づいて、
髪を押さえながら照れたように笑う。
「すみません……
髪、邪魔でしたよね」
僕は小さく首を振った。
「……邪魔ちゃうよ」
「え?」
「凛さんの……その……
髪、きれいやし」
自分で言ってから
耳が熱くなった。
凛さんは一瞬きょとんとしたあと、
頬を赤くして俯いた。
「……そんなこと言われたの、初めてです」
声が震えていた。
二人の間に落ちる沈黙は、
嫌なものじゃなかった。
むしろ、
胸が静かに満たされていくような時間だった。
(……凛さんのこと、
もっと知りたい)
そんな想いが、
はっきり形になっていくのを感じた。
(第三十二章 了)




