第二十九章 父の手紙、過去の真実
便箋を開くと、
そこには震えていない、
しっかりした大人の筆跡が並んでいた。
まるで、
覚悟を決めた人の字。
僕は息を整えて、ゆっくり読み始めた。
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「大樹へ。
お前に会えた日から、
私は自分が何者であるかを考え続けた。」
始まりは淡々としているのに、
ページの奥に残る“熱”が伝わってくる字だった。
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「私は昔から弱い人間で、
すぐ逃げる癖があった。
仕事からも、人からも、
そして……自分自身からも。」
胸がきゅっと縮む。
(逃げたんか……)
でも、
それだけで終わらない言葉が続いた。
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「茉莉花と出会ったとき、
私は初めて“弱い自分を見つめてくれる人”に出会った。
茉莉花は私の過去を責めなかった。」
横で座る茉莉花――母は、
その文面を見つめながら、
ゆっくり涙を流していた。
凛さんは黙って、
母の肩をさりげなく気遣うような距離を保っていた。
便箋を握る僕の手も、
じわっと熱くなる。
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「けれど、私は父親になる覚悟が持てなかった。
大樹、お前が生まれた日の夜、
私は病院の駐車場でずっと泣いていた。」
僕は驚いた。
(……泣いてたん?
父さんが……?)
茉莉花が、かすかに頷くように微笑む。
「そうよ……
あの人、ずっと震えながら抱いてたもん」
声が震えていた。
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手紙の続きを読んだ。
「腕の中のお前はあったかくて、
本当に小さくて、
こんな自分が守れるんか、と怖くなった。」
「“こんな父親でごめんな”
そう思いながら抱いていた。」
胸の奥がズキっと痛む。
(そんな気持ちだったんか……
勝手に僕のこと捨てたんやと思ってた……)
僕は、ゆっくり息を吐いた。
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「逃げるように家を出たことを、
私は一生後悔している。
お前を愛していたのに――
“弱い自分”がそれを許さなかった。」
茉莉花が、きつく唇を結んだ。
「そうなのよ……
あの人は逃げたんじゃない。
“自分を責めて”家を出たんよ」
初めて聞く言葉だった。
母の瞳が震えている。
⸻
そして、最後の文があった。
「大樹。
お前は私と違う。
逃げず、誰かのために動ける子や。
どうか……
自分の人生から逃げないでくれ。」
「母さんを守れ。
ばあちゃんを大事にしろ。
そしていつか、
“自分の幸せ”を選べる人になれ。」
「愛している。
弱い父より。」
読み終えた瞬間、
僕は便箋を握りしめ、
肩を震わせていた。
(なんで……
もっと早く……
僕に会いに来てくれんかったん……)
胸の奥が熱くて、
痛くて、
息が詰まりそうになった。
顔を伏せると、
涙がぽたぽた畳に落ちた。
⸻
その時――
そばで静かに見守っていた凛さんが、
そっと僕の肩に手を置いた。
押しつけがましくない。
ただ、そっと寄り添う温度。
「……大樹さん」
名前を呼ぶ声が、
驚くほどあたたかかった。
「泣いていいですよ」
茉莉花も、
涙を止めずに僕を見つめている。
僕は泣いた。
声も出ないほど静かに、
でも胸の奥から溢れてくる涙だった。
小さく、震える声で言った。
「……父さん、弱かったんやな……
でも……
僕のこと……愛してたんやな……」
凛さんの指が、
肩をぎゅっと優しく支えた。
茉莉花も、
僕の背中をそっとさすった。
「当たり前やん……
あんた、あの人の自慢の息子やったんやで……」
その言葉は、
父の手紙よりも強く胸に響いた。
父の影は、
ただの暗さじゃなかった。
弱さと愛と、
苦しさと願いが混ざった影だった。
僕は涙に濡れた便箋を胸に抱きながら、
ゆっくりと目を閉じた。
(……逃げへん。
父さんみたいにはならん。
僕は、僕の人生を――」
胸の奥で、小さく灯った火が
確かに強くなっていた。
(第二十九章 了)




