第二十八章「母の涙と、家族の沈黙」
玄関の戸が開く音がして、
買い物袋を持った 茉莉花 が立っていた。
視線は、すぐに箪笥の前に座る僕と、
その横にいる凛さん、
そして――
半分開いた“鍵の引き出し”へ。
茉莉花は、
靴を脱ぐのも忘れたまま固まった。
「……大樹、
あんた、それ……開けたん?」
声は怒っていない。
けれど震えていて、
胸の奥に何か重いものがあるのがわかった。
凛さんは慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。
「ごめんなさい、茉莉花さん……
大樹さんがすごく不安そうで……」
「凛さんは悪くない!」
思わず強い声が出た。
“僕”ではなく、“俺”の声が混じった。
茉莉花が驚いたように目を見開く。
僕は息を吸って言った。
「僕が……開けようとしたんや」
茉莉花は静かに靴を脱ぎ、
僕の正面に座った。
数秒の沈黙――
時計の音がやけに大きく響く。
「……どうして今、開けようと思ったん?」
茉莉花の声は震えていて、
その震えが胸を締めつけた。
僕はゆっくり答えた。
「ばあちゃんが、
“いつか大樹が知りたくなったとき開けなさい”って言ったから」
茉莉花の瞳が潤んだ。
唇を噛みしめて、
うつむいたまま言葉をこぼした。
「……あの人、ほんまにそう言うたんやな」
声が揺れていた。
凛さんは何も言わない。
ただ静かに、
僕の隣で手を膝の上で握りしめていた。
(凛さん……ここにいてくれてる)
その事実だけで、
胸の奥の怖さが少し薄れる。
⸻
茉莉花は、
涙が落ちるのを隠すこともせず言った。
「大樹……
あんたには、
“知らんままのほうが幸せ”やと思ってた」
胸に刺さる言葉やった。
「母さん……」
「でもな……
あんた、もう子どもちゃう」
茉莉花は顔を上げた。
目元は濡れていたけど、
その瞳には強さがあった。
「病院のことも、ばあちゃんのことも……
ちゃんと支えて……
あんた、ほんまに変わった」
声が震える。
「いつか……この日が来るんやろな、
って思ってたんよ……」
熱いものが喉にせり上がってくる。
(泣くな……泣くな……)
でも、無理だった。
茉莉花の涙が落ちる音が、
部屋の静けさにしずかに溶けていった。
⸻
「……開けよか、大樹」
茉莉花の言葉に、
僕は顔を上げた。
「一緒に見よ。
あんたひとりで背負わせるつもりないから」
涙が視界をぼやかした。
「……ありがとう、母さん」
その瞬間、
凛さんがそっと言った。
「私も……ここにいていいですか?」
茉莉花は驚いたように凛さんを見つめた。
数秒の沈黙――
そしてふっと笑った。
「もちろんや。
大樹のこと、
こんなに心配してくれる子、おらんよ」
凛さんの目がすこし潤んだ。
「……ありがとうございます」
僕は胸の奥が熱くなった。
(……二人がいてくれる。
それだけで十分や)
⸻
三人で、
箪笥の前に座り直した。
引き出しの中には――
古い封筒がいくつも重なっている。
一番上に置かれた封筒には、
筆で丁寧に書かれた文字。
「茉莉花へ」
茉莉花が息を呑む。
その下に、
もう一つ封筒があった。
「大樹へ」
胸が大きく脈打つ。
茉莉花が僕の手をそっと握った。
「……大樹。
読んでええよ」
手が震えたまま、
僕は封筒に指をかけた。
凛さんが静かに隣へ寄り、
目を伏せる。
僕は――
父の手紙を、
ゆっくり開いた。
(第二十八章 了)




