第十九章 夜の電話と、凛の気づき
夜の家は、
昼よりもいっそう静かだった。
時計の秒針の音が、
まるで部屋の中心に置かれているみたいに響く。
母はお風呂に入り、
洗面所からお湯の音が微かに聞こえてきた。
僕は居間で、
つけっぱなしのテレビをぼんやり見ていた。
ニュースの音は耳に入ってこない。
ただ、光だけが部屋の壁に揺れている。
(……ばあちゃん、今日は少し元気やったな)
そう思い返しても、
胸の奥では小さな不安が揺れていた。
ばあちゃんが
言いかけてやめた “あの言葉”。
(なんやったんやろ……)
知りたい。
でも、怖い。
そんな気持ちが、胸の中で静かに渦を巻く。
⸻
ポン、とスマホが震えた。
画面には
「凛さん」 の名前。
胸が少し跳ねる。
「……はい、もしもし」
声がいつもより低く響いた。
『こんばんは、大樹さん。
今、大丈夫ですか?』
凛さんの声は、
昼間と同じ優しいトーンで、
電話越しなのにすごく近く感じた。
「うん。大丈夫。
どうしたん?」
『今日、おばあちゃんのこと……
気になって……』
その言葉だけで、
胸がじんとした。
「今日な、昨日より元気そうやったよ。
顔色も戻ってきてたし……
あの、ちゃんと笑ってくれた」
『よかったぁ……』
凛さんの声が、本気で安心した息に変わった。
その声を聞くだけで、
僕の心も少し軽くなる。
⸻
数秒の沈黙が落ちた。
その静けさの中で、
凛さんがそっと言った。
『……大樹さん。
なんか今日……声、ちょっと違いますね』
「え?」
思わず体が固まる。
『元気ないというか……
なんか、胸のところが苦しそうな声してます』
胸がドクンと鳴った。
見られてもいないのに、
気持ちを当てられた気がした。
「……すごいな、凛さん。
なんで分かるん?」
『今日、一緒に話して分かったんです。
大樹さん、顔に出ないけど……
“声”に出る人やなって』
胸がじわっと熱くなる。
「……そうかもしれん。
ちょっと、考えることあってな」
『おばあちゃんのこと?』
僕は息を吸った。
いつもなら「ううん、大丈夫」とごまかしただろう。
でも今日の僕は、
“少しだけ本音の僕”だった。
「……うん。
言いたいことがあるって言われたのに、
教えてくれへんくて……
なんか……その……」
言葉が詰まる。
胸の奥がぎゅっと痛くなる。
思わず言葉が漏れた。
「……怖いんや」
“僕”の声じゃなかった。
その瞬間だけ、“俺”の声がこぼれた。
凛さんはすぐに気づいたようだった。
電話の向こうで、
とても優しい息を吐く音がした。
『……怖くて当たり前ですよ。
大切な人のことやもん。
大樹さんは、優しいから。』
胸の奥に落ちていた重りが
少しだけ持ち上がった気がした。
『大樹さん。
もし辛くなったら……
また電話してきてくださいね』
「……え?」
『私、聞くだけなら上手なので』
その言い方が、
なんだかあたたかくて、
少し照れくさくて。
「……ありがとう、凛さん」
本心がすっと声になった。
『はい。ゆっくり休んでくださいね』
電話が切れたあと、
部屋の静けさは同じなのに、
どこか温度が違って感じた。
さっきまで胸の中で暴れていた不安が、
少しだけ形を変えて落ち着いていく。
(……凛さんの声、なんか……優しいな)
思わず天井を見上げた。
暗い部屋の中、
ほんの少しだけ、
僕の心に灯りがともっていた。
(第十九章 了)




