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僕とばあちゃんと、僕の名前  作者: つなかん


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第十五章「入院初日の朝と、ひとりの台所」

病院を出たときには、

もう夜の風が冷たくなっていた。


帰り道、車のフロントガラスに映る街灯の光が

にじむように広がる。


手のひらには、

さっき握っていたばあちゃんの手の感触が

まだ残っていた。


指先の細さ。

力のなさ。

あの弱い声。


それを思い出すたび、

アクセルを踏む足に少し力が入った。



家につくと、

玄関の暗さが胸に沈んだ。


普段なら、

台所のほうから“おかえり”って声がして、

味噌汁の匂いや、鍋のぐつぐついう音がしていたのに――


今日は、

扉を開けても、

“何もない音”だけが広がった。


「……ただいま」


自分の声が、

ぼそっと空気に溶ける。


靴を脱いで居間へ向かうと、

そこには敷いたままの布団があって、

ばあちゃんの温もりだけが残っていた。


枕に手を置くと、

まだ温かい気がした。


胸が締めつけられ、

視界がゆらっと揺れる。


(ばあちゃん……)


そのまま座り込んでしまいそうになったが、

深呼吸をして立ち上がった。



台所に立つと、

もっと静かだった。


鍋は冷えたまま。

味噌汁のにおいが薄く残っている。


椅子をひく音が、

いつもより耳に刺さった。


「……なんか、広いな」


人が一人いないだけで、

こんなにも家は広くなるんや。


湯を沸かし、

カップに注ぎながら

大樹はふと胸の奥を押さえた。


(俺……ほんま、ひとりなんやな)


母は出張。

ばあちゃんは入院。


家にいるのは、

僕だけ。


まるで、急に世界の音が消えたみたいだった。



夜のうちに眠ったのか、

ただ気を失ったのか分からないまま、

朝の光で目が覚めた。


家はまだ静かで、

時計の秒針だけがコツコツ鳴っている。


ばあちゃんの布団は畳まれずそのまま。

僕はその横に座り込んだ。


(畑、見に行かなあかん……)


ばあちゃんにお願いされたこと。

あの弱い声。


「大樹……頼むで」


その言葉だけを胸に、

僕はゆっくり立ち上がった。



外に出ると、

朝の風が頬を冷たく撫でた。


畑へ向かうと、

土はしっとり濡れた重さをまだ残している。


支柱は倒れていなかったが、

細いつるがいくつか、

しんなりとうなだれていた。


「あ……」


手を伸ばすと、

つるの先が指にまとわりつき、

生き物のように頼りなげだった。


(ばあちゃん、こんな状態でも

 毎日見てたんやな……)


その大きさに気づいて、

胸が熱くなる。


一本ひとつ、ゆっくり直していると、

ふわっと誰かの気配がした。


「……大樹さん?」


振り返ると、

凛が自転車を押しながら立っていた。


髪が朝の光でふわっと透けて、

表情がやわらかい。


「昨日……ばあちゃん、入院されたんですよね?」


僕はうなずいた。


「うん。昨日の夜、急にしんどなって……」


「……そっか」


凛の声は、

驚きと、心配と、

やさしさがまざっていた。


ゆっくり近づいて来て、

僕の手元を見て言った。


「一人でやってるんですか?」


「まあ……できる範囲だけ」


「……無理しすぎないでくださいね。

 本当にしんどいときは、人を頼っていいんですよ?」


その一言で、

こらえていた何かが

ぐらりと揺れて崩れそうになった。


ほんの一瞬、呼吸が止まる。


凛は続けた。


「今日、お買い物行くついでに、

 なにか差し入れ持ってきますね」


「……ありがと」


言葉が喉につかえて、

やっと出てきた。


凛は小さく笑った。


「大樹さん。

 ひとりで抱え込まないでくださいね」


その言葉だけで、

朝の冷たい風がやさしくなった気がした。



畑を見終えて家に戻ると、

やっぱり静かだった。


でも、

今日の静けさは少しだけ違って感じた。


ばあちゃんがいない寂しさは消えないけれど、

誰かに「がんばれ」と言われたような、

そんな力が胸に残っていた。


「……俺、やるしかないな」


小さくつぶやくと、

風が縁側のカーテンをふわりと揺らした。


(第十五章 了)


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