003
私のブックマーク
その朝、まだ陽の光が訓練場の端に触れたばかりの頃、リヴェンはすでにそこにいた。
今日はいつもより早い。――たぶん、胸の奥が少し浮き立っていたからだろう。
目の前には、小さな家が一軒。
そこには二人の師が暮らしている。
魔法の教師エレナと、剣術の指導者ジョン。
優しく美しい彼女と、落ち着いて強い彼。
二人はリヴェンにとって憧れの存在だった。
彼は微笑み、静かに近づいていく。
朝の挨拶をしようと、軽く扉を叩くつもりだった。
だが――近づいた瞬間、二階の窓から明かりが漏れているのに気づいた。
「……おかしいな。エレナ先生、もう起きてるのか?」
リヴェンは首をかしげ、上を見上げる。
そのとき、上の階からかすかな音が聞こえてきた。
エレナの声……誰かと話しているようだ。
だがその声には、息の乱れが混じっていて――疲れているのか、それとも……。
リヴェンは眉をひそめ、少し後ずさる。
「……誰か、いるのか?」
しばらく迷った末、彼はそっと数歩近づき、わずかに開いた扉の隙間を覗こうとした。
その瞬間、低く笑う男の声が耳に届く。
ジョンの声だった。
リヴェンの顔が一瞬で赤く染まる。
理由は分からない。ただ、胸の鼓動がやけに早い。
慌てて背を向けようとしたとき――
「キィ……」と、扉が小さく鳴った。
空気が一瞬で静まり返る。
リヴェンは息を止め、冷たい汗が背中を伝う。
重い足音が、扉の方へ近づいてくる。
(……見てない。何も見てない。俺は、何も見てない。)
扉が勢いよく開く――
だが、廊下には誰もいなかった。
朝の風が静かに吹き抜けるだけ。
リヴェンはすでに木々の影に姿を消していた。
胸の鼓動だけが、まだ激しく鳴り響いていた。
その日、訓練場にはどこか奇妙な空気が漂っていた。
リヴェンは呪文を唱えようとするが、途中で言葉が詰まり、手の中の魔力は空中で霧のように消えていく。
「エレナ:……今日はどうしたの、リヴェン? なんだか様子が変よ。」
エレナは首をかしげながらも、心配そうに彼を見つめた。
「い、いえ、大丈夫です。ただちょっと……疲れてるだけで。」
リヴェンはぎこちなく笑い、彼女の視線から逃げるように目をそらした。
エレナはそれ以上何も言わず、静かに手をかざして水の球を浮かべた。
透き通った光が金色の髪に反射し、彼女の姿はまるで光そのもののようだった。
その美しい光景を見た瞬間、リヴェンの心臓がまた強く跳ねた。
朝の出来事が、脳裏に鮮やかに蘇る。彼は慌てて頭を振った。
(考えるな……もう、考えるな……!)
そう自分に言い聞かせても、記憶は消えてくれない。
「リヴェン!」
エレナの声が響いた。彼はびくりと体を震わせ、手の中の水の球が弾けて消えた。
エレナは小さくため息をつき、そっと彼の肩に手を置く。
「本当に大丈夫? 無理しないで、今日は休んでもいいのよ。」
「だ、大丈夫です! 本当に!」
リヴェンは慌てて答えるが、その声はわずかに震えていた。
しばらく見つめたあと、エレナはやわらかく微笑んだ。
「……そう。じゃあ、でも無理は禁物よ。」
リヴェンは黙ってうなずき、視線を落とす。
エレナが背を向けた瞬間、ようやく息を吐き出した。
(くそ……どうしてこんなに心が乱れるんだ……)
彼は拳を強く握りしめ、遠くの空を見上げた。
青く澄んだ空がどこまでも広がっているのに――
リヴェンの心は、まだ朝のあの曖昧な記憶から抜け出せずにいた。
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