011
その場にいた全員が、息を呑んだ。
誰もが、今の出来事を信じられなかった。
キタル家の族長アレックスは、次女のディアナを見つめる。
「……ディアナ。本気なのか?」
ディアナは静かにうなずいた。
「ええ、お父さま。本気よ。私が彼と結婚します。」
短い沈黙のあと、リヴェンの父が低く笑った。
「息子がそう言うなら構わん。では決まりだ。息子はこの娘と結婚する。式の準備はすぐに始めよう。」
あまりに急な展開に、リヴェンは思わず目を瞬かせた。
――まるで、物を買うみたいだ。そんな速さで決めるのか?
その日、アスタ家の一行はキタル家の屋敷に滞在することになった。
豪華な昼食、煌びやかな晩餐、舞い踊る踊り子たち――
まるで王宮の宴のような夜だった。
だが、リヴェンの胸は少しも落ち着かなかった。
その後、ディアナと二人きりで話す時間が与えられた。
しかし、ディアナの表情は冷たかった。
「……話すことなんて、特にないわ。」
心の中でそうつぶやく。
“愚か者”と噂される少年に、興味などあるはずもない。
リヴェンはそれを理解していた。
だからこそ、何も言わず――ただ、「少し疲れた」と言って早めに部屋へ戻った。
だが、それは“演技”だった。
夜更け。
月明かりが静かに屋敷を照らす頃、リヴェンは別の姿となって動き出した。
弟ハダッシュの姿に変装し、ディアナの本心を確かめようとしたのだ。
静かに扉を叩くと、驚いたようにディアナが顔を上げる。
「……あなたは?」
そこに立っていたのは、見惚れるほど整った顔立ちの青年だった。
金色の髪が月光に輝き、胸元の開いたシャツからは鍛え抜かれた腹筋がのぞく。
リヴェン――いや、“ハダッシュ”は軽く微笑んで椅子に腰を下ろした。
「こんばんは、ディアナ。僕はリヴェンの弟、ハダッシュだ。」
「どうしてあなたがここに? 夜更けに、私の部屋で何を――」
リヴェンはゆっくりと身を乗り出す。
その瞳に、わずかに挑発の色を宿して。
「美しい君が、あんな愚かな男と結婚するなんて、もったいない。
……僕と一緒なら、もっと幸せになれる。」
一瞬、ディアナの目が揺れた。
だが、すぐに怒りがその瞳に宿る。
「……ふざけないで!」
彼女は彼を突き飛ばし、
「私はリヴェン様と結婚すると約束したの!」
――パシン!
乾いた音が部屋に響く。ディアナの手が、彼の頬を叩いていた。
リヴェンはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
手で頬を押さえながら、静かに立ち上がる。
「そうか……君は、そんな子なんだな。」
そう言い残し、彼は部屋を出て行った。
廊下を歩きながら、月明かりに照らされたその横顔は――
どこか誇らしげで、そして少しだけ優しかった。
「……いい妻になるかもしれないな。」




