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悪役令嬢の娘の母親という、どう考えても脇役でしかない転生人生だけど、夫の浮気と家族の冷遇をひっくり返して隣国の王太子に見初められ、モブ母なのに逆転して幸せを掴んでみせます。

作者: 結城斎太郎


 ――目を覚ました瞬間、私はすべてを理解した。


 ここは前世で読んだ乙女ゲームの世界。けれど私が転生したのは、主人公でも悪役令嬢でもない。悪役令嬢の“母親”、名ばかりの公爵夫人。

 物語が進めば、娘は社交界で我が儘の限りを尽くし、やがて王太子の婚約者から転落し断罪される。だが、その娘を育てた母親は一切同情されず、むしろ「放任し、甘やかした元凶」として世間から石を投げられる。

 ――つまり、私は救いようのないモブ母。


 夫は若き頃から別の女性を愛し、形式的に結婚した私を見向きもしない。娘もまた父の寵愛を一身に受けて育ち、母親である私を軽んじる。屋敷では召使いにすら侮られ、肩書だけの公爵夫人。


(まったく……最悪の役回りね)


 けれど、私は前世の記憶を持っている。ゲームの展開も知っている。ならば――この運命を覆すことだってできるはずだ。


「ええ、やってやろうじゃない。モブ母だなんて笑わせるわ」


 私は心の中でそう呟き、冷たい夫や傲慢な娘を振り返らず、自分の未来を切り拓く決意をした。



---


 ◇ ◇ ◇


 転機が訪れたのは、夫がとうとう公然と愛妾を屋敷に連れ込んだときだった。

 娘は愛妾を“本当の母”のように慕い、私を軽蔑する。廊下で擦れ違っても、侍女に命じてわざと裾を踏ませる始末。


「お母様は本当に無能ね。お父様の期待に応えることもできなかったくせに」


 十歳にも満たぬ娘にそう言い放たれ、私は心の奥底で冷えきった笑みを浮かべた。

 ――いいわ。もう十分。


 その夜、私は身の回りの最低限の荷をまとめ、屋敷を出た。

 公爵家の権威など要らない。形ばかりの妻の座も不要。私は自由になる。



---


 馬車を雇い、国境を越えようとしたところで、盗賊に襲われた。

 護衛も雇えなかった私は死を覚悟した。だがそのとき、黒髪の青年が颯爽と馬に跨り、剣を振るって盗賊たちを蹴散らした。


「ご無事ですか、貴婦人」


 差し伸べられた手。凛とした金の瞳。

 ――私は知っていた。この人こそ、隣国の王太子・レオンハルト殿下。ゲーム本編では、ヒロインに一途に尽くす溺愛系王子。


「ありがとう、ございます……」


 か細い声で礼を述べた瞬間、彼はじっと私を見つめた。

 そして、驚くべき言葉を告げたのだ。


「あなたを初めて見たのに、なぜだろう……二度と失いたくないと、そう思ってしまった」


 ――まさかの、一目惚れ。



---


 それからの日々は嵐のようだった。

 レオンハルト殿下は私を客人として王城に招き、丁重にもてなした。事情を隠しきれず、私は夫の冷遇と娘の嘲りを正直に語った。

 すると殿下は激昂し、拳を握り締めた。


「そんな理不尽が許されていいはずがない。あなたは誰よりも尊ばれるべきだ」


 真っ直ぐな声に、私の胸は揺さぶられた。

 モブ母として虐げられ、存在すら無視され続けた私を、こんなにも真剣に庇う人がいる。


(私は……私という“人間”として、見てもらっているの?)


 頬を伝う涙を、殿下は指先でそっと拭った。

 その優しさに、心がほどけていくのを感じた。



---


 だが、元の公爵家は私の失踪を黙ってはいなかった。

 夫は「家名を汚した」として私を追い、娘と愛妾は私を社交界で嘲笑の的にした。さらに彼らは、隣国にまで手を伸ばし「夫人を引き渡せ」と圧力をかけてきた。


「ふざけるな……!」


 怒りを露わにするレオンハルト殿下。

 だが私は笑んだ。


「いいえ、むしろ好都合よ。彼らには一度、思い知らせてあげる必要があるもの」


 モブ母だと? 空気だと? ――私は、彼らが見下してきた存在。

 けれど今は違う。隣国の王太子の庇護を得て、私は“復讐”の舞台に立つ。



---




 ◇ ◇ ◇


 数日後、隣国の王城にて。


 レオンハルト殿下は私を伴い、堂々と謁見の間に姿を現した。そこには私を追いかけてきた公爵家の使者が控えている。夫の弟であり、傲慢な笑みを浮かべる男。


「殿下、その女は我が兄の妻。身勝手に逃亡した挙句、王家をも欺こうとは厚顔無恥。早々に返していただきたい」


 ――“その女”。


 まただ。彼らにとって私は、名も、人格もない。ただの邪魔者。

 だが今は違う。レオンハルト殿下が、一歩前に出て宣言する。


「彼女はもう、あなた方の所有物ではない。虐げ、侮辱し、妻としての権利すら与えなかったお前たちに、彼女を語る資格はない!」


 謁見の間に凛と響く声。その言葉がどれほど胸を救ったことか。

 私は唇を噛みしめ、震える指先を組んだ。


「で、殿下……!」


 使者は狼狽したが、すぐに鼻を鳴らした。


「ふん、いかに王太子殿下とて、我が公爵家の権威を軽んじることは――」


「権威? 笑わせるな。腐りきった虚栄にすがりつき、ひとりの女性を道具のように扱った。それこそが恥ではないか」


 殿下の眼差しは鋭く、使者を射抜いた。

 そして振り返り、私に問いかける。


「あなたの望みは何だ? 彼らにどのような裁きを下したい?」


 ――選択は、私に委ねられている。

 胸の奥に渦巻く黒い感情が、静かに形を取っていく。


「私は……」


 一拍、息を吸い、吐き出す。


「彼らに私を返せと言わせたその舌で、私を侮辱したことを公に謝罪させたい。そして……娘を、私の前に連れてきてほしい」


 場がざわめいた。使者は「馬鹿な」と叫びかけたが、殿下の鋭い視線に言葉を飲み込んだ。



---


 ◇ ◇ ◇


 数日後。

 王城の広間に、公爵本人と娘、そして愛妾が呼び出された。


 久方ぶりに目にした夫は、相変わらず冷たい瞳で私を見下ろす。娘は愛妾の腕にしがみつき、幼いながらに勝ち誇った顔をしている。


「母様、まだ諦めていなかったの? お父様はもう新しい奥様と幸せになるのよ」


 ――母様? その呼び方に、かつて胸を痛めたこともあった。

 だが今は、ただ冷静に娘を見返す。


「そう……。ならばよく見ておきなさい。真実はここで明らかになるのだから」


 私の言葉に、夫の眉がわずかに動いた。


 そのとき、王太子の声が響く。


「公爵、貴殿は妻を顧みず、他の女を屋敷に入れ、娘にまで母を侮辱させた。これが事実か」


「……妻は役目を果たさなかった。それだけのことだ」


 夫は淡々と答える。だが殿下は即座に断じた。


「いいや。妻を支え、尊重することこそ夫の役目だ。それを怠ったお前が、役目を果たしていない」


 ――胸が熱くなる。

 誰かが、私の価値を正しく認めてくれる。その当たり前のことが、こんなにも嬉しいなんて。


 殿下はさらに続けた。


「ここで命じる。公爵夫妻は離縁とする。夫人は自由の身だ。加えて、公爵家は夫人への謝罪を公に行い、慰謝料を支払え」


「なっ……!」


 夫と愛妾が愕然と声を上げた。娘は泣き叫び、私に手を伸ばす。


「母様! どうして! わたしを置いていくの?」


 私は静かに首を振った。


「あなたが私を母と認めない限り、私は母でいる意味を失うの。――さようなら」


 涙は出なかった。ただ、心の底からの解放感が広がっていった。



---


 ◇ ◇ ◇


 夜。

 王城のバルコニーで月を見上げていると、レオンハルト殿下がそっと隣に立った。


「これで、あなたは自由だ」


 その声は優しく、どこまでも真摯だった。


「ありがとう、ございます。殿下がいなければ、私は……」


「もう、殿下と呼ぶのはやめてほしい。私はレオン。ひとりの男として、あなたに伝えたい」


 振り返ると、真剣な金の瞳が私を捕らえる。

 鼓動が速くなる。月明かりの下、彼は静かに膝をついた。


「どうか私の傍にいてほしい。あなたが苦しむのを二度と見たくない。あなたを、心から愛している」


 ――告白。

 ゲームの中でヒロインが受けるはずだった、王太子の真っ直ぐな愛の言葉。

 それを今、私が受けている。


「わ、私は……ただのモブ母で……」


「違う。あなたは誰よりも強く、気高い女性だ。私にとって唯一無二の人なんだ」


 涙が溢れ、頬を濡らす。

 私は震える声で答えた。


「……はい。私も、あなたと共に生きたい」


 次の瞬間、彼の腕が私を抱きしめた。

 温かく、力強く、決して離さないと誓うように。



---


 ◇ ◇ ◇


 それから幾月。


 私は隣国の城に住み、王太子妃として迎えられる準備を進めていた。

 公爵家からの正式な謝罪も済み、夫と愛妾は社交界から追放。娘は寄宿学校に預けられたと聞く。彼女がいつか自らの過ちに気づくなら、そのとき手を差し伸べることはやぶさかではない。


 けれど私はもう、あの家の囚われ人ではない。

 私は私として――ひとりの女として、未来を歩むのだ。


「あなたを、必ず幸せにする」


 耳元で囁くレオンの声に、私は微笑んだ。

 モブ母だなんて呼ばれた過去は、もう遠い。


 これは私自身の物語。

 虐げられた脇役から、愛される主役へ。

 ――私は、幸せを掴んだのだから。




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