入れて
あの夜以来、私は何度も同じ夢を見るようになった。
暗い浴室の中、背後から声が聞こえる。
「……入れて」
心臓が凍りつく。
目が覚めても、汗でびっしょりだった。
夜毎繰り返されるその声に、私は苛立ちすら覚え始めた。
「もういい加減にして!しつこい!」
叫んだその夜、返ってきた声は今までと違った。
「……お風呂に、入れて」
私は息をのんだ。
恐怖よりも、言葉ににじむ切実さが胸に残った。
翌晩、私は湯を沸かした。
浴室を丁寧に掃除し、タオルを温め、ドライヤーや飲み物も用意した。
入浴剤は──あの時、棚で見つけた青緑の粉末を使った。
甘い香りが浴室に広がる。
ベランダの窓を開け、私は小さくつぶやいた。
「……入っていいよ」
そのままベッドに潜り込むと、久しぶりに安らかな眠りが訪れた。
夢の中で、女性が静かにお湯に身を沈めていた。
少し青白い顔をほころばせ、目を閉じて気持ちよさそうにしている。
その肩は小刻みに震えていたが、次第にお湯の温かさに溶けていく。
「寒い日で……事故に遭って……すごく寒かったの……忙しくて、いつもシャワーばっかりだったけど……お風呂に入るのが、昔は一番好きで……」
女性はそう呟き、ほっとしたように笑った。
入浴剤の香りが、夢の中の私の鼻先をかすめる。
翌朝、浴室を覗くと浴槽の水は空になっていた。
濡れたバスタオルが畳まれて洗濯機の上に置かれ、
昨夜用意した飲み物のペットボトルは半分ほど減っていた。
私はベランダに出た。
そこには水滴で描かれた文字が残っていた。
ありがとう
その一言に、私は静かに目を閉じた。
恐怖はもうなかった。
女性が最後に望んだものを、私は叶えられたのだ。
胸の奥がじんわりと温かく満たされていった。




