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浴室の声  作者: 月猫百歩
開けて
2/2

入れて

 あの夜以来、私は何度も同じ夢を見るようになった。


 暗い浴室の中、背後から声が聞こえる。


「……入れて」


 心臓が凍りつく。

 目が覚めても、汗でびっしょりだった。


 夜毎繰り返されるその声に、私は苛立ちすら覚え始めた。


「もういい加減にして!しつこい!」


 叫んだその夜、返ってきた声は今までと違った。


「……お風呂に、入れて」


 私は息をのんだ。

 恐怖よりも、言葉ににじむ切実さが胸に残った。


 翌晩、私は湯を沸かした。


 浴室を丁寧に掃除し、タオルを温め、ドライヤーや飲み物も用意した。

 入浴剤は──あの時、棚で見つけた青緑の粉末を使った。


 甘い香りが浴室に広がる。


 ベランダの窓を開け、私は小さくつぶやいた。


「……入っていいよ」


 そのままベッドに潜り込むと、久しぶりに安らかな眠りが訪れた。


 夢の中で、女性が静かにお湯に身を沈めていた。


 少し青白い顔をほころばせ、目を閉じて気持ちよさそうにしている。

 その肩は小刻みに震えていたが、次第にお湯の温かさに溶けていく。


「寒い日で……事故に遭って……すごく寒かったの……忙しくて、いつもシャワーばっかりだったけど……お風呂に入るのが、昔は一番好きで……」


 女性はそう呟き、ほっとしたように笑った。


 入浴剤の香りが、夢の中の私の鼻先をかすめる。


 翌朝、浴室を覗くと浴槽の水は空になっていた。


 濡れたバスタオルが畳まれて洗濯機の上に置かれ、

 昨夜用意した飲み物のペットボトルは半分ほど減っていた。


 私はベランダに出た。

 そこには水滴で描かれた文字が残っていた。


 ありがとう


 その一言に、私は静かに目を閉じた。


 恐怖はもうなかった。

 女性が最後に望んだものを、私は叶えられたのだ。


 胸の奥がじんわりと温かく満たされていった。



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