透明マントをかぶったアイテム屋 ~推し騎士のためなら命だって貢いでみせます!~
両親の遺してくれた稼業がアイテム屋であったことに、ケイティは今日ほど感謝したことはなかった。
「ちゅ、中級回復薬と、魔力補充薬です」
踊りくるう心臓が口からハイジャンプをきめないようストールをぐるぐるに巻きつけたケイティは、ふるえる手で計五つの小瓶をカウンターに並べた。黒いレザーグローブが回復薬に伸びてくる。その大きな手が小瓶をつかんだとき、まるで自分の首もつかまれたようでケイティは息をとめていた。
「腹でも痛いのか?」
「えっ? ――ひぃっ」
思いもよらない問いかけについ顔を上げてしまったケイティは、前世から推してやまない黒騎士を直視してしまった。
黒い防具のうえから黒いマントをまとっていても分かる、鍛えあげられたたくましい体。黒髪のしたにある勇ましい顔つきは、いくつもの戦場をくぐり抜けてきたことを物語るに十分な眼光を放っている。
「わわわ、わたしのことはお構いなく!! お買い上げありがとうございましたーーーー!」
その他大勢の汎用キャラのために、貴重な時間を割かせるわけにはいかない。というかこれ以上推しの目を汚したくない。顔のまえでぶんぶんと両手をふったケイティは二階にある自室へと駆けこんだ。
――心臓が、心臓がもたないっっ!!
嬉しいやら恥ずかしいやら息苦しいやら、ケイティはベッドのうえでゴロゴロと身もだえた。どういう理屈か分からないけれど、黒騎士を目にした瞬間、ここが前世で大ハマりしていたゲームの世界だと気がついたのだ。
「はああ、三次元でもかっこいいなんて、さすが黒騎士さま」
声もイメージ通りのバリトンボイスで耳が心地いいやらびりびりするやらで動悸がおさまらない。
ゲームのストーリーは王道の貴種流離譚で、主人公である王子は叔父によって父王と母后を謀殺され城を追われる。逃亡の旅をつづけるうちに仲間が増え、最後には故国の王になるというものだ。
主人公が城から逃げるときに唯一つき従ったのが、黒騎士ことジェラルドだ。
敵を威圧する金色の瞳、嵐のごとき天下無双の剣技。行路をささえる忠義の心は、主君である主人公のためだけに存在している。
主人公のためだけにと断言できるのは、黒騎士が道なかばで退場するからだ。
ゲームの中盤で、簒奪者である叔父は魔人に操られていたという種明かしをされるのだが、その悪辣さを示すために黒騎士は殺されてしまうのだ。パーティの戦力が激減したのは痛かったけれど、それよりも推しキャラを失った絶望感のほうが大きかった。食事は一ヶ月ほどのどを通らず、離脱直前のセーブデータは限界まで複製して上書きしないように当然保護した。
「こうしちゃいられない」
この世界に転生したのは推しを救えという天の啓示に違いない。
ベッドからはね起きたケイティは収納の魔法がかけられたカバンを引っぱりだし、店の棚にある回復薬や魔法玉などをあれこれと片っ端から詰めこんだ。長い旅になる、お金も必要だとレジスターに近づいたとき、カウンターに置かれたものが目に入った。
ひとつは、推しの視界から逃げるのに夢中で受けとっていなかった回復薬と魔力補充薬の代金。もうひとつは、下痢止めと書かれた薬包だ。接客中ずっとうつむいていたケイティが大慌てで店の奥に引っ込んだため、トイレをがまんしていたと思われたのだろう。自分も大変な状況なのに、見ず知らずの他人にやさしくできるなんて――。
「はああ、好き」
家宝を手に入れたと同時に大事ななにかを失った気がするけれど、もう黒騎士の目にうつることはないので問題ない。
そう、ケイティは推しに認知されたいんじゃない。黒騎士と王子、主従の絆で結ばれた二人をずっと、ずっと見ていたいだけなのだ。
叔父が放った刺客を倒しながら、魔物や盗賊とも戦い、ときには領地間の紛争を収め、城に還り黒幕である魔人を倒した末にたどり着いた玉座。祝宴の熱冷めやらぬなか王となった主人公がひとり、逃亡した日とおなじ月夜を見上げてこぼした台詞はいまでも忘れられない。
『ここからが始まりだ。見ていてくれ、ジェラルド』
「隣でね!!」
大きなカバンを肩にかけたケイティは扉に閉店の札をつけ、村から東にあるセヌフス河を目指した。魔物のでる地域では魔よけの香を焚き、それでも遭遇してしまったときは魔法玉や状態異常を付与する粉をまいて全速力で逃げた。
能力値が平凡な汎用キャラでも戦闘経験を積みかさねれば、固有キャラとともに戦える。しかしケイティの目的はパーティへの加入ではないし、鍛えている時間もないのだ。
ケイティのいる村にやって来たということは、ゲームは中盤に向かっている。西に進んだ黒騎士たちはこれから峠を越えて湾港都市に入り、常夜の森を抜け、魔人のいる古城を攻めるはずだ。黒騎士が入城するまえに、すべてのアイテムをそろえておかなければならない。
目的地であるセヌフス河に到着したケイティはごうごうと音を立てる滝つぼ、ではなく、そこから少し離れた茂みに近づいた。のびた枝に青々と茂った葉はいまにも水面についてしまいそうだ。目印をみつけたケイティはカバンをおろし、ぐるりと周囲を見まわした。人影はない。確認するや否や手早く服をぬぎ河に飛びこんだ。
息をとめ枝葉の影が示す先に手をのばす。さらさらと通りぬけていく水のなかで、藻とは異なる布のようなものにふれた。目に見えないそれは、岩と河底のすきまに引っかかっていた。ここで流水にさらわれれば、もう絶対に見つけられない。ケイティは両手でそっと見えないそれをしっかりとつかみ、ザバッと水面に突きあげた。
「透明マントを みつけた!」
ゲームウィンドウに表示されていた台詞をまねながら河から上がったケイティはくしゃみをしたあと、カバンから取りだしたタオルで体をふき服を身につけた。
透明マントは、かぶれば周囲の景色にとけこめるレアアイテムだ。ゲーム終盤のギルドで話を聞くか、偶然発見するしか入手方法はない。つまり本筋には影響しないのだ。これでケイティは敵や黒騎士たちに隠れて行動できるようになった。
次なる目的地は南東にある砂漠だ。道中にある井戸で大量に汲んでいた水を飲みながら、ケイティは砂岩のくぼみをのぞいてまわった。空が橙色に変わったとき、何千本もの白く細い糸でふたをされた穴をみつけた。
「うええ……でも、黒騎士さまのため!!」
意を決したケイティは透明マントのすき間から棒きれをだして、くるくると白い糸を巻きとっていく。ほどなくして棒のさきにふわりと粘っこい繭ができた。あとはこの白繭に鱗粉をふりまいて棒からはずしたら、大蜘蛛の糸玉の完成だ。しかしそのまえに――。
「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛ーーーーーーー!!」
砂岩の暗い穴から無数の毛をまとった足が見えた瞬間、ケイティは全速力で逃げた。
巣穴の扉を壊された大蜘蛛が目に怒りを宿して追いかけてくる。透明マントをかぶっているとはいえ、走ればすそがめくれて足元は丸見えだ。ケイティは推しが迎える幸せな未来を胸に恐怖を抑えこみ、大きな砂岩にかくれた。ザクザクザクザクと賊をさがす八本の足音は、朝陽がのぼるまで消えなかった。
今ごろ主人公たちは峠で盗賊団を懐柔し、湾港都市に入っていることだろう。ケイティは初級回復薬をがぶ飲みしながら西へと足を向けた。
――少しだけ、はしっこでいいから。
ゲームでは魔道具に加工されたものを買えばいいだけだった。しかしただのアイテム屋にそんな大金は用意できない。だから自分で採集するしかないのだ。
『うちの回復薬は、安くてよく効くって評判なんだよ』
そう言って材料を採りに行った両親はがけ崩れに巻きこまれ、帰ってこなかった。
砂漠を出たケイティは南にある溶岩洞窟で、ドラゴンの抜け殻をさがしていた。
でこぼことした道を奥へ奥へと進めば、ぽっかりと大きな空間にたどり着く。その中央にある大きな鳥の巣のようなものがドラゴンのねぐらだ。
「……ない」
枝やツルでできた巣をよじのぼりなかをはいつくばっても、目当てのものは見つからなかった。おそらく脱皮期ではないのだろう。
ドラゴンは脱皮して成長する。そのとき脱ぎすてた古い皮は身代りの護符という魔道具の材料になるのだ。身代りの護符は一定量のダメージを肩代わりしてくれるため、万が一の保険として作っておきたかったのだけれど――。
「そろそろ、常夜の森へ向かってるはず」
合流にかかる時間も考えると、これ以上は長居できない。ドラゴンの巣から出ようと立ち上がったと同時に、頭上から影が落ちてきた。
――どうしよう、どうしようどうしよう。
とっさに透明マントをかぶりなおして巣のはしっこに寄ったけれど、そこから動けなくなってしまった。身の丈二十メートルはあろうかというドラゴンが帰ってきたのだ。みつかれば最期、きっと殺されてしまう。ここでじっとしているしかない。ドラゴンがいなくなるのは何時間後、何日後だろうか。待っている間にも黒騎士たちは常夜の森を抜け、古城に入り――。
また、大切な人を失うのだ。今度は助ける方法を知っているのに。
――行かなきゃ。
主人公はすでに父王と母后を失い、王位奪還の旅に出ている。これ以上、試練を与えなくてもいいじゃないか。
と、憤ってはみたものの、まずはここから脱出しなくては話しにならない。しかしケイティがドラゴンに真正面から勝負を挑んでも、一秒とたたずにゲームオーバーだ。いまカバンに入っているのは各種の薬に魔法玉などの魔道具、そして透明マントだ。大蜘蛛の糸玉は使えない。魔法玉を囮にしてそのすきに逃げよう。
ここにいるドラゴンは火属性だ。弱点である氷属性の魔法玉をカバンから取りだし、ケイティは大きく振りかぶった。が、振りかぶっただけで投げられなかった。小さなドラゴンが、こちらを見ている。
――かわいいー!
危うく声をあげかけたケイティは両手で口を押さえ心のなかで叫んだ。
子供のドラゴンも一緒だったのだ。親だと思われる大ドラゴンの鼻先は、小ドラゴンを慈しみ後ろ脚をなでるように往復している。よほどかわいいのだろう。何度もさすり過ぎて黒いもやが出ている。
――ってちがーう! 呪いだあれ!
ドラゴンはアンデッドと戦ったのだろうか。後ろ脚にある黒いもやが全身にひろがったとき、小ドラゴンは生ける屍となってしまう。大ドラゴンはわが子の呪いを懸命に解こうとしていたのだ。ケイティの知るかぎり呪いは、浄化魔法か聖水でなければ解除できない。
いまケイティのカバンには聖水が入っている。しかし、これを使えば巣に忍びこんだのがバレてしまう。子ドラゴンが死ぬか、自分が死ぬか。答えは決まっていた。
――推しを救うまでは死ねない!
ケイティは計画通り魔法玉をつかみ、出口とは反対の方向に投げた。魔法玉が岩壁にあたった瞬間、冷気が噴きだしバキバキという音とともに氷柱のようなトゲが何本も生えた。狙いどおり大ドラゴンは突然の異変に気をとられているようだ。
そのすきにケイティは聖水を小ドラゴンの後ろ脚にかけた。
襲われれば攻撃するけれど、ケイティはまだドラゴンに襲われていない。自分の首を絞めているのは分かっている。それでも目の前にいる親子を見殺しにはできなかった。失う悲しみを、知っているから。
小ドラゴンの呪いを解いたケイティはすぐさま巣のふちに足をかけた。もたもたしている暇はない。地上二メートルはあろうかという高さからケイティはジャンプした。
「ぐぇっ」
思わずつぶれたカエルのような声がでた。着地に失敗したのではない。急にマントを引っぱられて首が絞まったのだ。巣の材料である枝にでも引っかかったのかと体をひねって後ろを見れば、あの小ドラゴンが透明なすそをくわえていた。ついでに大ドラゴンも、こちらを見ている。終わった。
<動くな>
うなり声のように聴こえる大ドラゴンの言葉にケイティは全力でうなずいた。ここは大人しく従って逃げる機会をみつけるしかない。大ドラゴンはピギャ、ピギャ―となにかを伝えるように鳴く小ドラゴンを鼻先でなでたあと、威風堂々たる目をケイティに向けた。
<望みは 抜け殻か?>
「ははははい!!」
欲望が先立ち、とりつくろうのを忘れていた。これでは盗みに入りましたと白状しているようなものだ。顔を青ざめさせたケイティに気づいているのかいないのか、大ドラゴンは自身の前脚に口をよせたあと足元にひとつ、水晶のような薄い破片を置いた。
<ない 持っていけ>
「え? えええええええええええええ、いい、いいんですか!? 本当に?!」
大ドラゴンは何も言わず、小ドラゴンがピギャーと鳴いた。
水晶のような破片は、ドラゴンのウロコだ。これは所持者が瀕死になると自動で完全回復させてくれるレアアイテムで、通常はドラゴン討伐の戦利品としてでしか手に入らない。消耗品のため一度使えばウロコは消えてしまうけれど、これがあれば推しの死は回避したも同然だ。
「ありがとうございます!! ありがとうございます!!」
ケイティは大喜びで大ドラゴンに頭を下げ、小ドラゴンの前脚をにぎりぶんぶんとふった。とたんに大ドラゴンの眼光が鋭くなる。調子に乗りすぎてしまったようだ。大ドラゴンの気が変わらないうちにとケイティはウロコをハンカチに包み、最後にもう一度礼をしてそそくさとドラゴンの巣を去った。
溶岩洞窟から北西に向かえば常夜の森がある。
昼でも薄暗いそこに潜んでいるのは、古城の主によって惨殺された人々の霊だ。強烈な恨みをつのらせた魂は悪霊となり、人や獣を問わず生きているものを襲うようになる。悪霊の放つ呪いによってアンデッドとなってしまったらもう、元には戻せない。
――だから、回復薬が攻撃になるの、よっ……!
ケイティは透明マントのすき間から屍狼へ中級回復薬をぶん投げた。パリンッと割れた小瓶から液体がこぼれ屍狼にかかる。アンデッドである狼は苦悶の咆哮をあげて地に倒れ、土へと還った。
――普通、敵を回復させようなんて思わないよね。
ゲーム攻略時に知った情報は、ちゃんと黒騎士に伝わったようだ。
「ヤツらには回復が効く! 回復薬を使え!」
物理攻撃や攻撃魔法でアンデッドは倒せる。しかしそれは一時的なものに過ぎず、時間の経過とともに再び動きだしてしまうのだ。回復薬を使えばあっという間に戦闘は終わるけれど、古城戦のことを考えると主人公たちのアイテムはできるだけ残しておきたい。透明マントをかぶったケイティは先回りをしてアンデッドの数を減らしていった。
そうして常夜の森を抜けたケイティは、そびえ立つ陰鬱な古城を見上げた。魔人に操られた領主が、黒騎士を殺す魔人が、このなかにいるのだ。空は燃えるような茜色に染まりはじめている。じきに主人公たちも到着するだろう。
「あとは、夜まで待機」
主人公たちが晩餐会に招かれているときに部屋へ忍びこみ、ドラゴンのウロコを黒騎士の装備品にまぎれ込ませれば準備は完了だ。
ケイティは古城の裏手に身をかくし、樹々のひとつに背をあずけ座りこんだ。
推しキャラに会ってからここまで寝る間も惜しんで行動してきた。初級回復薬のがぶ飲みに加え、溶岩洞窟からは速鳥のパウダーを使って一時的に素早さをあげていたため、ここで一気に疲れがでたようだ。黒騎士に追いついた安堵感からか、まぶたがとてつもなく重たい。
――少し、少しとじるだけ、だから。
まぶたを閉じてすぐ、カタンッという音に鼓膜をたたかれた。ついさっきほどまで夕方だったのに、なぜか視界が明るい。
「いま何時!?」
一瞬にして血の気が引いた。まさか寝過ごしてしまったのか、自分は失敗したのだろうか、推しは死んでしまったのか。バクバクとたたく心臓が痛い。怖いけれど状況を確認しなくては、と立ち上がろうとして周囲の様子に気がついた。
「十時だよ、おはよう。あ、夜だからこんばんはかな?」
「えっ、えっ、なんで!?」
目の前にゲームの主人公がいた。金髪碧眼の王子は格好いいというよりも、可愛らしい笑みを浮かべている。城を追われた王子のレオは、兄のように慕っている黒騎士の死をきっかけに勇敢な青年へと成長していくのだ。
王子が悲壮感に満ちていないということは、黒騎士はまだ生きている可能性が高い。そうして導きだしたケイティの希望は、推し本人によって肯定された。
「私がここに運んだのだ。体調はどうだ?」
なんと推しは、ずっと同じ部屋にいたのだ。王子はケイティが寝かされていたベッドの正面におり、黒騎士は右側にある窓際に立っていた。近い。眩しい。
――心臓がもたないっ!!
もう黒騎士の目にうつることはないと思っていたのに。早く、はやく隠れなければ。
「透明マントがない!!」
「あなたの荷物ならそこに置いてるよ」
王子が興味津々といった様子でさしたテーブルの上には、不自然な形にけずれたカバンが置かれていた。透明マントはカバンの上に乗っているのだ。その距離、ケイティから最短で五歩分。
「あのマントすごいね」
「またよからぬことを考えておいでですな、殿下」
慣れた様子で諫めた黒騎士に、王子もまた慣れた様子で口をとがらせた。
「すごいって言っただけじゃないか」
「欲しいと目に書いてあります。姿を消されては、お護りのしようがございません」
「それだよ。僕がいたら、ジェラルドは全力で戦えないだろう?」
王子の剣技はまだ黒騎士にはおよばない。それを本人も自覚しているのだろう。しかし王子の言葉を聞いた黒騎士は不服だとばかりに目を細めた。
「私には、殿下おひとりをお護りする力もないと仰るのですか?」
「ジェラルドなら、もっと多くの者を護れるだろうと言ってるんだ」
黒騎士の力を信じているからこその言葉だ。真剣な顔をした王子に、目を丸くしていた黒騎士はニッと口角をあげてみせた。
「ならばそうとお命じください。このジェラルド、殿下の期待に応えてみせましょう」
――ああ、たまらないっ。
ゲーム描写外ではこんな会話をしていたのだ。尊い。原作補完を目の当たりにしてケイティの胸は高鳴った。
主従の二人が会話をはじめた直後にケイティはベッドからおり透明マントをつかんでいた。間髪をいれず透明になり、推しから一番遠い壁にぴったりと背をつけてしゃがみ込む。まだ近いけれど、これは一生に一度しかない特等席だ。
ずっとずっとこの二人を見ていたい。その夢を叶えるためにケイティはここまで来たのだ。
――同じ部屋にいるのは予想外だけど。
古城の裏手にいたときケイティはしっかりと透明マントをかぶっていた。それなのになぜ、みつかってしまったのだろう。
「その命令を出すにしても、彼女のマントがあれば作戦の幅が広がると思うんだ。だから……あれ?」
王子はここでケイティがいないことに気がついたようだ。
ゲームの流れでいえば透明マントは、主人公である王子が入手するアイテムだ。だからケイティも本来の持ち主に渡してもいいと思っている。しかしそれは、推しを救ってからの話だ。黒騎士にはこの先も生き延びて、王子の期待に応えつづけて貰わなければならない。
――もう、時間がない。
作戦変更だ。ケイティはカバンからドラゴンのウロコを取りだし、黒騎士を直視しないよう視線を下げて近づいた。足が重い、緊張しないわけがない。自分から推しに近づくだけでなく、初めて贈りものをするのだ。ここで拒否されたら一生立ち直れない。
ケイティは透明マントのすき間から、ふるえる両手をずいっと差しだした。
「あのっこれ!!」
「うわっ、手がでてきた!」
ケイティの裏返った声と王子の驚いた声が重なった。そのなかで一人、黒騎士は落ち着いていた。
「君は、いろいろ珍しいものを持っているのだな」
「やっぱり彼女はモーリア神だよ。 ねえ、僕たちと一緒に――」
「ただの村娘です、殿下」
高揚した調子で話す王子を黒騎士は静かにさえぎった。
モーリア神とは、予知と魔法で勝敗を支配する戦女神のことだ。どうして王子がそんなことを言いだしたのかさっぱり分からないけれど、いまのケイティには些末なことだった。なぜなら手が、黒いレザーグローブをはめた手が、ケイティの手にふれているのだ。
その影響で手のふるえは止まった。それどころか心臓も止まったのではないかと思うほど、ケイティの体は硬直していた。
「この城はじきに戦場となる」
ドラゴンのウロコを握りこませるように、黒騎士はケイティの指をそっと折りこんだ。
「城内の者に君のことは気づかれていない。すぐにここを発つんだ」
ケイティの手がふるえているのは恐怖ゆえ、と黒騎士は考えたのだろう。だから争いに巻きこまないよう勧誘する王子をとめ、安全なうちに逃げろとケイティに言ったのだ。
戦場に立つ者なら誰もが欲しがるレアアイテムには目もくれず、汎用キャラの身を気遣うなんて。
「好き」
「え?」
声のした方に目を向ければ、王子が不思議そうに首をかしげていた。まさか声に出て――。
「ああああの、すす、すきをみて! 透明マントがあるので! これは使ってくださいっっ!!」
ケイティはうつむいたままドラゴンのウロコを黒騎士に押しつけた。恥ずかしいのと怖いのとで顔をあげられない。自分の不用意な発言のせいできっと黒騎士を困らせてしまった。空気のままなら、嫌われることもなかったのに。
――でもこれで、推しは死なない。
ケイティはテーブルに置かれたカバンをつかみ透明マントをかき合わせた。魔人との戦闘は裏の城門でおこなわれる。先回りをして潜んでいようとケイティは窓の桟に足をかけた。
「待ってくれ」
「ぐぇっ」
思わずつぶれたカエルのような声が出た。マントを引っぱられて首が絞まったのは二度目だ。しかし今回はすぐに解放された。
「すまない。見えないもので」
「ジェラルドが慌てるなんて珍しいね」
王子の指摘に咳ばらいをした黒騎士は、ドラゴンのウロコを取りだした。
「このような貴重品、礼ひとつで受けとれるわけがないでしょう」
「そう?」
王宮で育った王子にとって高価な贈りものは珍しいものではない。しかし、騎士として育ったジェラルドは違うようだ。なにか理由がなければ受けとってもらえない。前世ならグッズを買うだけで貢げたのに。なにか、なにか理由を作らなくては。
「下痢止め! 下痢止め薬のお礼です!」
ケイティはいま黒騎士の目にはうつっていない。うつっていないけれど、まさか自分で宣言することになるとは思わなかった。顔は羞恥で真っ赤になっているだろう。透明マントがあって本当によかった。
「まさか、そのために私たちを追って来たのか?」
「はい!」
「ジェラルド、彼女の好意を無下にはできないよ」
「ですが、下痢止めではつり合いが……」
厚情にあふれた王子の言葉で黒騎士のなかにある天秤がゆらいだようだ。しかし決め手に欠けるのか返事は煮え切らない。レアアイテムと店で買える薬とでは、市場価値に差がありすぎることを黒騎士は気にしているのだろう。二つの価値をつり合わせるもの、ケイティにも利益があると思わせられるものは。
「差額分は投資です! レオ、殿下が王位についたら、うちのアイテムをお城に納品させてください!」
ゲームをしていたときのくせで、あやうく王子である主人公を呼び捨てにするところだった。固唾をのんで黒騎士の反応を待っていると、先に王子が楽しそうな笑い声をあげた。
「さすが商売人だね。約束するよ、君の回復薬すごく効くんだ。ジェラルドもいいよね?」
「そういうことでしたら、異論はありません」
――よかった。
これで準備は万端だ。おまけに城との取引まで成立してしまった。推しを助けたあとは村に戻って、二人が元気に過ごしているうわさを聴いて暮らそうと思っていた。あわよくば建国祭のパレードで姿を見られたらいいな、くらいの欲はあったけれど。
――まさかのエンカウント率アップ!
もしかすると納品のときに城内でチラ見できるかもしれない。二人の気が変わらないうちに退散してしまおう。
「ドラゴンのウロコは必ず身につけてください! 応援してます!」
窓から外にでたケイティは黒騎士と王子に手をふり、裏の城門を目指して走った。
このあと二人は偵察にでていた盗賊キャラの仲間と合流して、囚われている領民を解放しに行くはずだ。
古城の主は領地に高い税を課しており、金で払えない場合は労役として人間を差しださせているのだ。そして労役に服したら最後、城からでるには天に昇るか、森でさまようかの二つしかない。
王子たちは湾港都市で領主の悪行を耳にしていたが晩餐会ではそのことにふれず、自分たちは追われる身であること、旅の途中で多くの不正をみた、王位を奪還したら是正するつもりだと話した。
それを聞いた領主は王子を邪魔に思い亡き者にしようとする、というわけだ。
――くる。
城の方から物がつぶかる音や喚声が近づいてきた。王子と黒騎士は捕縛しにやってきた兵士たちを迎撃し、わざと派手に抵抗しながら裏の城門を目指しているのだ。そう、王子たちは陽動役だ。別行動中の盗賊キャラは今ごろ、解放した領民たちを表の城門から逃がしていることだろう。
扉が破壊された音とともに多数の人影がなだれこみ、城門まえで戦闘がはじまった。
雲に隠れては現れる月明りのしたで剣が閃き、胸をつくようなうめき声があがる。地に崩れ落ちるのは兵士ばかりだが、戦場とはほど遠い田舎で暮らしていたケイティには目をそむけたくなるような光景だった。
しかし、怖いからといって目をとじるわけにはいかない。ケイティには推しを救うという使命があるのだ。
王子と黒騎士をとり囲んでいた兵士が半数以下になったとき、樹の影にかくれていたケイティの横を通りすぎる人影があった。この場にいる誰よりも上等な服をまとった男は近くにいた兵士の肩に手をおき、まるでパンのように腕を鎧ごと握りつぶした。あらぬ方向からあがった悲鳴に皆の視線が集中する。
「私の玩具を盗んだのは貴様らか」
「民はオモチャではない!!」
領主の言葉は、領民たちが逃げおおせたことをあらわしていた。王子は反論しながらも黒騎士に目配せを忘れない。これ以上、戦闘を長引かせる必要はないと無言の指示を受けた黒騎士は領主を捕まえるべく駆けた。
――ああ、さいっこう。
画面ごしでは物足りなかった二人の空気感をじかに味わったケイティは、たまらずこぶしを握りしめていた。透明マントの向こう側では、黒騎士の鞘にはいったままの剣が領主の腹にめりこんでいる。斬られていないとはいえ、気を失うには十分すぎるほどの衝撃を受けたはずだ。
受けたのが、ただの人間であれば。
地にひざをついた領主の肩が小さくゆれる。そのゆれは振り子のようにだんだんと大きくなり、喉を鳴らす音は狂った笑い声になった。
「次の玩具にと思っていたが」
ゆらりと立ち上がる領主を、夜よりも濃い膜がおおっていく。ねんどをこねるように膜はぐにゃりと歪み、二本の足を一本の太い尾に、人の顔を蛇の頭に変えた。鋭い牙のすき間からは、細長い舌がのぞいている。
領主の異変に人々は息をのんだ。古城をとりまく常世の森だけが、仇をみつけたとばかりにザワザワと騒ぎ立てるなか、魔人は悠然と片手をあげた。
「貴様はここで――」
――死なせないっ!!
ケイティは魔人に向かって大蜘蛛の糸玉を投げつけた。みごと命中した糸玉はまたたく間に蜘蛛の巣をひろげ、すぐさま対象をからめとった。
ゲームの記憶を思い出してからずっと、ケイティはこの一瞬のために行動してきたのだ。
黒騎士は戦闘力で魔人に劣るから殺されたのではない。伝承のなかにしか存在しない魔人の存在を目の当たりにして、紙一重の差で反応が遅れてしまっただけなのだ。
だから大蜘蛛の糸玉で魔人の行動速度を遅くしてやれば、このあと放たれる暗黒魔法を黒騎士は必ず避けられる。万が一、魔法にあたってしまってもドラゴンのウロコを持っているので即時に復帰可能だ。
――完璧!
ケイティが推しの勝利を確信したのと、迫りくる黒い衝撃波を認識したのは、同時だった。
悲鳴をあげる間もなくケイティの体は黒い塊になぎ倒され地面をすべった。転倒して打ちつけた背中や腕がじんじんと痛い。しかし痛いのは、そこだけだった。それでも鼻をついているのはこすれた草の青さではなく、鉄のにおい。夜を蹂躙するなまぬるい臭気のでどころはケイティの――。
「黒騎士さま!?」
まるでケイティをかばうように、推しがおおいかぶさっていた。いや、まるでではない。大きくえぐられた黒い背中はまさしく魔人の攻撃から、ケイティを守ってくれたのだ。
――どうして?
大蜘蛛の糸玉は狙い通り魔人に命中していた。アイテムの効果によって魔人の行動は遅くなるため、暗黒魔法の詠唱速度も当然――。
「遅くなったから、攻撃対象を変更できたんだ」
おそらく魔人は、邪魔なアイテムが飛んできた方向に魔法を放っただけなのだろう。そんな場所に、どうして黒騎士は飛び込んできたのか。推しの不可解な行動に首をひねっていると、ケイティの耳に王子の声が飛び込んできた。
「無事か! ジェラルド!」
そういえば黒騎士はケイティのうえに倒れこんだままだ。ゲームではすぐに完全回復していたのに。状況を確認しようと黒騎士の体をずらし上半身を起こしたケイティは目をみはった。推しの傷が、ふさがっていない。
「ウロコは? ドラゴンのウロコはどうしたんですか……っ!!」
「……殿下、に」
「推しが推ししてる!」
主君を第一に考える忠義の騎士が、レアアイテムを王子に渡さないはずがない。自分としたことが緊張ですっかり失念していた。黒騎士はこういう人なのだ。公式(本人)との解釈一致にケイティはこぶしを握った。好き。
「じゃなーい!! すぐに回復薬を――っ、ちがう聖水が先!」
暗黒魔法を受けると一定の確率で呪いにかかってしまう。呪われたものに回復薬をかけるとどうなるかはアンデッドで証明済みだ。ケイティは黒騎士を浄化したあと背中の傷に中級回復薬をかけた。
「……ふさがらない、血が止まらないっ。上級は?! 上級なら――」
ガチャガチャとカバンをかきまわすケイティの腕に、黒いレザーグローブが触れた。
「……たし、よりも……殿下、を」
「レオは大丈夫です」
ゲームの主人公である王子は、黒騎士が死んだからといって魔人に負けたりはしなかった。今だって防戦ぎみだけれど十分対応できているし、だいたいあと十分もすれば別行動していた盗賊キャラが戻ってくるのだ。
そう、十分もしないうちに、推しは死んでしまう。
ゲームでいう戦闘不能とはそのまま文字どおり、戦闘できない状態をさす。そして今の黒騎士は戦闘不能をとおりこした、瀕死状態だ。
ケイティはこわばった手で上級回復薬を黒騎士の背にかけた。上級だけでなく、中級初級とあるだけの回復薬を注いでいった。しかし回復薬は涙のようにぼたぼたとこぼれ落ちるばかりで、傷を癒すことはない。
「どうして。私は、黒騎士さまを救うためにいるんじゃないの?」
「かま、わず……君は、逃げろ」
「いやです! あなたの代わりはどこにもいないんだから!」
固有キャラである黒騎士は、いくらでも補充される汎用キャラとは違うのだ。
いま黒騎士を助けられるのは自分しかいない。考えろ。思い出せ。ほかに瀕死の仲間を回復できる方法はなかったか。レアアイテムのほかには。
――固有スキル!!
のちに仲間となる神官キャラの能力に、聖なる祈りという回復技があった。自身の戦闘不能と引きかえに仲間を全回復させる固有スキルだ。ゲームでこの技をみたとき、もっと早く仲間になってほしかったと何度思ったことか。
神に仕え、教会と人々のために奉仕する博愛の心を持っている固有キャラだからこそ持ち得た能力だ。ただのアイテム屋であるケイティにこの技は使えない。神官キャラとの共通点といえば性別くらいで。
『まったき神よ 消えゆく魂に 慈愛の鼓動を分かちたまえ』
ふいに脳裏に浮かんだのは、ゲーム画面に表示されていた聖なる祈りの詠唱文。
「慈愛……推しへの愛ならわたしにもある」
自分は神官ではないけれど、博愛の精神もないけれど、黒騎士を救いたいという気持ちは誰にも負けない自信がある。
ひゅーひゅーとか細い呼吸しか繰り返さなくなった黒騎士にひざまずき、ケイティは胸の前できつく両手を組み目を伏せた。固有スキルが発動するかは分からない。けれど試しても試さなくても後悔するのなら、死ぬ気で祈れ。
「まったき神よ 消えゆく魂に わたしの命を与えたまえ」
戦闘不能なんて生ぬるいことは言わない。汎用キャラの代わりはいくらでもいるのだから。
――推しの幸せのためなら、命だって貢いでみせる。
祈りつづけて十秒、十五秒、だめなのかと思ったそのとき、胸のうちからあたたかな光があふれ出した。光はケイティの鼓動にあわせてふくらみ、体からするすると流れ出していく。暗くなる視界のなかで見えたのは、黒騎士に降りそそぐ慈雨のようなやわらかな光だった。
◇
「……て、医者も……」
「しかし、…………に……」
近くで声が聞こえた。なにを話しているのか分からないけれど、この心地いいバリトンボイスは――。
「黒騎士さまは!?」
「ここにいるよ、おはよう」
目の前に立つ王子は嬉しそうに笑っていた。王子が笑っているということは、黒騎士は無事なのだ。それでも姿を確認するまでは安心できず、ケイティは宿屋らしき部屋のなかを見回し仰天した。
「ななななにしてるんですか!? 立ってください!!」
ケイティが寝かされていたベッドの横で、黒騎士は片膝をつき頭を下げていた。それは主君である王子に対しておこなう礼だ。推しの異常行動に耐えきれずケイティは手を伸ばした。しかし黒騎士は岩のように頑として動かない。
「私は君に救われた。殿下をお護りすると豪語しておきながら、面目次第もない」
「医者は疲労で眠ってるだけだって言うのに、ジェラルドはあなたを神官に診せるってきかなかったんだ」
そう言った王子は己の騎士を止めるどころか胸に手をあて、ケイティに向かって礼をしてきた。
「ジェラルドを助けてくれて、ありがとう。やっぱりあなたはモーリア神だ」
「いやいやいやいや、わたしはただのアイテム屋です!」
「モーリア神でないのなら、君の名前を教えてほしい」
すぐ近くで黒騎士が自分を見上げている。推しの目に、自分が映っている。
――むりぃぃぃぃ!!
透明マントはどこにあるのかとケイティはせわしなく視線を動かした。すると黒騎士がいるところとは反対側の横から、ぬっと手のない腕があらわれた。
「はい、マント」
「ありがとうございます!」
「それで、あなたの名前はモーリア神でいいの?」
王子はベッドのうえで透明になったケイティをのぞきこみ首をかしげた。透明マントが間にあるとはいえ、思いのほか近い距離にのけぞりながらケイティは口をひらく。
「ケイティ・コールです」
「ケイティ殿の助力に感謝いたします」
――推しがわたしの名前を呼んでる?!
実は夢のなかにいるのだろうか。
ゲーム主人公のデフォルト名はレオだが、好きな名前に変更もできる。だから黒騎士に自分の名前を呼ばせることもできたのだけれど、違うのだ。ケイティが王子になっても意味がない。主従の分解ダメ、絶対。
「ケイティ、僕たちはいま国を見て回ってるんだ。モーリア神でなくても、あなたがいるととても心強い。危険の多い旅だけど一緒にきてほしい」
王子から見てケイティは透明になっているはずだけれど、碧眼はまっすぐにこちらを見ていた。アイテム屋の自分がなんの役に立つというのだろうか。それに黒騎士がまた王子を止めるだろう、と思っていたのに。
「君は私が命にかえても護る」
盛大な解釈違い、いや、公式(本人)が狂った。
「なに言ってるんですか?? 黒騎士さまはレオのためにいるんですよ????」
王子以外の人間を護って黒騎士が命を落としでもしてみろ。それは原作崩壊にほかならない。立腹したケイティは感情のままに立ち上がり宣言した。
「護るのはわたしです! あなたたち二人は王座奪還に専念してください!」
――……あ。
と思ったときには手遅れだった。黒騎士はあっけにとられた様子で微動だにせず、王子は瞳を輝かせていた。喜びにあふれた両手がケイティにのびてくる。
「ありがとう! ケイ、ん?」
「え」
「ケイティ殿!」
王子は感謝の握手をしたかったのだろう。しかしそこにケイティの手はなく、あったのはベッドのうえに立った足だった。勢いよく王子に押されたケイティはバランスをくずし、黒騎士側に倒れた。異変を察した黒騎士が手をのばしたけれど今のケイティは透明になっている。黒騎士の手は透明マントに触れたものの支えきれず、ケイティはゴンッという音とともに意識を手放した。
同じ部屋の同じベッドのうえで目覚めたケイティは王子から謝罪され、黒騎士からは君が透明でも見えるようになるという、よく分からないことを言われた。元はといえばケイティが透明になっているから起きた事故なのだが、二人ともマントを脱げとは言わなかった。
――わたしとしては助かるけど。
そんなことがあった翌日、湾港都市の宿屋を出発したケイティたちは一路、修道院を目指していた。そこで魔人の情報を集め、神官キャラを仲間にするのだ。
修道院としても魔人の存在は看過できないが、城を追われている王子に表立って協力もできない。そんな態度をとる修道院長に神官キャラは、どんな立場でも奉仕はできる神もお許しくださるだろうと覚悟を決め、還俗して同行するのだ。
やさしいだけでなく芯の通った神官キャラは、推しの主従ほどではないにしてもケイティの好きなキャラの一人だ。
ちなみに加入済みの盗賊キャラは軟派な性格で仲間思い。今は離脱中で、古城の件で湾港都市に受け入れられた子分たちの身の振りかたに奔走している。
「修道院に行ったら、ケイティが聖なる祈りを使えた理由も分かるかな?」
「ど、どうでしょうか」
王子の問いかけにケイティは目を泳がせた。修道院で分かるかは不明だが、自分ではなんとなく予想がついていた。
前世のケイティは黒騎士を推しており、ゲームの周回はもちろんプレイ動画があれば視聴してコメントを書き込み、ソシャゲでコラボがあれば課金して必ず手に入れた。公式グッズの購入、推しカラー集め、SNSや友達への布教はあたりまえで、推しの誕生日にはケーキを焼いてお祝いし、命日には自作の祭壇で祈りを捧げていた。
これを信仰といわずしてなんというのか。
聖なる祈りが使えた理由を掘りさげられると説明に困るため、ケイティはあわてて話題を変えた。
「それよりも、見えてないのにどうしてわたしのいる場所が分かったんですか?」
宿屋をでたあと、ケイティは二人とは違う方向に進んでいたのだ。
――だって、護るのは陰からでもできるし。
前世を思い出してから今日に至るまでそうしてきたのだ。主人公たちの進むルートは知っている。ケイティは透明マントをかぶって遠くから、それこそ忍者のように支援するつもりだったのだ。けっして逃げたわけじゃない。それなのに、護送される被疑者のごとく黒騎士がぴったりとそばについているのはどういうことだ。
「ケイティから、いい匂いがするんだって」
「殿下その言いかたは」
王子の答えを聞き黒騎士は額に手をあてた。そのあと軽く咳ばらいをし、見えないケイティの視線から逃げるように顔をそむけた。
「ケイティ殿からは、回復薬と同じ香りがするのだ」
「僕は分からないんだけどね」
「鼻がいい!?」
推しの新情報ゲットだ。そういえば黒騎士はどことなく犬のシェパードに似ているかもしれない。どうして気がづかなかったのだろう。前世で飼えばよかった。ぬいぐるみに黒騎士コスを着せるのもいい。
「私自身、嗅覚が特段すぐれているとは思わないのだが……君の回復薬は、ほかの店とは材料が違うのか?」
「えっ、あ、ぁ……はい、エルスターを少し。でもっ、体に害はありません!」
ケイティが調合した回復薬のレシピは、両親から受け継いだものだ。薬草などの基本的な材料は他店と変わらないけれど、一つだけエルスターという花が香りづけのために追加されている。花は一日経ったら薬液からとり出しており、その香りは他店の回復薬とならべなければ気がつかないくらい微かなものだ。
だからエルスターは入れても入れなくても構わない。でもケイティは、両親の生きた証を消してしまうようで、レシピを変えられなかった。あの日も両親はエルスターを採りに行っていたのだ。
しかし城への納品をとりつけた今、基本に忠実な回復薬に戻すべきなのだろう。
「そうだね。効果は身をもって知ってるから大丈夫だよ」
王子の言葉にケイティは顔をあげた。
「いまのままでも、いいってことですか……?」
「むしろ変えないでいただきたい」
「回復効果が落ちるのもだけど、ケイティがどこにいるのかジェラルドが分からなくなっちゃうからね」
つまりエルスターを手放せば、黒騎士から離れることも可能ということだ。
「よからぬことを考えておいでですな、ケイティ殿」
「そそそんなことないです!」
「僕たち仲良くなれそうだね、ケイティ」
そう言った王子は楽しそうに笑っていた。ゲームどおりなら王子は沈痛な面持ちをしており、ここに黒騎士の姿はないのだ。
――わたし、本当に推しを救えたんだ。
ケイティが感慨にふけっていると黒騎士の気配がピリッと張りつめた。
「そこから動かぬよう。――殿下」
「いるね」
森の茂みからヒュンッとなにかが飛び出してきた。黒騎士の剣に斬られたそれは、一本の矢。
――刺客だ!
布で顔半分を隠した剣士二名、狩人一名、魔法使い一名が森から姿をあらわした。
そうだ、古城での死亡イベントは乗り越えたけれど、魔人の脅威がなくなるまで危険はつづくのだ。
――推しの敵はわたしの敵。
こうなったら主従二人の邪魔をするものはすべて排除して、ゲームのエンディングまで見届けよう。ケイティはカバンから麻痺を付与するアイテムをとり出し、刺客たちに振りかぶった。
――わたしの推し活はこれからだ!!
<おわり>
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