不器用な猫
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ヒルドとのお茶会以来、リリーナは休むことなく何かしらの予定に追われていた。
近く行われる婚約発表に合わせたドレスなどの打ち合わせに加え、香水店に陳列する商品を仕入れるために問屋や、場合によっては工房そのものとの交渉、契約。
特に香水店の目玉はアンムートの作るオリジナル商品だが、他にも定番な女性向けの商品も力を入れるべくリリーナは西へ東へ奔走していた。
それもこれも今のうちにしかできないと言っていい。
今こそ半端に時間があるのだ、婚約者としてでもなく、王妃でもない、かと言って他の貴族のように領地があるわけでもない今しかこんなことはできないのだから。
それでも彼女が忘れないのはディードリヒとのお茶会の場である。
そんな彼女の一日における予定の全てはそのお茶会を起点に組まれているほど、絶対にリリーナはディードリヒと会うことをやめなかった。
勿論心配をかけているのだろうという予測もあるが、ディードリヒの言うどうしようもないことを聴いていると、少し屋敷にいた頃を思い出し、その時間が愛おしい。
ディードリヒがそれを理解しているのかは知らないが、リリーナにとって確かに彼といる時間は癒しなのである。
同時にリリーナは、ディードリヒにクマのぬいぐるみを渡しておいて良かったとどこかで安堵していた。自分のことになると途端に寂しがりなディードリヒのことだ、自分を思い出せるものがないとまた精神の調子を崩していたに違いない。
渡したからといって調子を崩さないとは言えないが、少しは効果があると期待しよう。
「…」
そんな最中、今日のお茶会におけるリリーナの様子は明らかにおかしいと言ってよかった。
少し意識を遠のかせている彼女が疲労によってやや眠たげなのは明白で、本人はそれをバレていないと思っているようだが、たとえ他人が見たらわからなくてもディードリヒの目は誤魔化せない。
「リリーナ、眠いでしょ」
「多少です。問題ありません」
嘘をついてもよかったのだが、どうせ相手は騙されないと諦めた。
なぜかと言われれば“疲れている”ではなく“眠い”とピンポイントでこちらの調子を言い当ててきたからである。疲れているのならば多少わかるかもしれないが、そこから眠いかどうかまで言われると若干“気持ち悪いな”、と言う感情が返ってきた。
「眠いなら寝ようよ。今なら僕の添い寝がついてくるよ」
「今日はお断りします」
今ベッドで眠ってしまうと自分でもいつ起きるか予想できない。それならば今日はまだ起きたままで書類をまとめてしまってから眠りたいところだと考えてしまう。
「眠いと効率落ちるよ」
「今日まとめたい書類があるのです」
「そんな無理するなんて…僕に無理やり組み敷いて欲しいの?」
「!?」
リリーナは口をつけた紅茶を少し吹き出しそうになった。
「な…急に何を言っていますの!?」
「だって…頑固だからわからせて欲しいのかと思って」
「何をですの!?」
「何って…色々?」
「ひぃ…」
リリーナにとっては大した無理でもない。確かに故郷にいた頃のように顔に出さない、というところまでできてないのは己の不備だが、そのせいで変態発言を生むとも思っていなかった。
「そ、そもそもこの時間も無くなってしまえばまた貴方は調子を崩すでしょう!」
「うん。だからリリーナが応えてくれてる気持ちに僕も返そうと思って」
「でしたらやり方ってものがあるのではなくって!?」
「リリーナが全力だから僕も全力がいいかなって」
「求めてませんわ!」
リリーナは一通り悲鳴をあげた後で大きくため息をつく。すると人払いをし始め、ディードリヒは“意外だ”と言いたそうな顔で彼女を見る。
今日のお茶会はリリーナの部屋で行われていた。それを利用してなのか、彼女は座っていたソファから立ち上がるとディードリヒの座っている向いのソファへ移動する。
「少し詰めてくださいます?」
「え、あぁ、うん…?」
ディードリヒが少し場所を空けると、リリーナはそこに座り、首を傾げ彼の肩に頭を預けた。
「しばらくしたら起こしてくださいませ」
リリーナはそれだけ残すと当たり前のように目を閉じる。
ディードリヒはそんな彼女を見て何も言えず、ただ思考が固まった。
「…」
あまりに急なことに真っ白な頭の中でしばらくリリーナを見つめ、いつもとはまた違った距離感に心臓が痛いほど鳴っているのを感じる。
一分が十分に感じるような世界の中で、ふと耳に入ったリリーナの寝息で意識を取り戻した。
リリーナが本当に寝ているか仮眠程度なのかなどディードリヒにわからないはずもない。おそらく彼女は仮眠で済ませるつもりだったのだろうが、図らずも寝入ってしまったようだ。
ディードリヒはリリーナを起こさないように気をつけながらそっと頬を撫でると、静かに彼女の体を動かして抱き上げ、そのままベッドに寝かせる。
静かに寝息を立てるリリーナを見て寝顔を楽しむのも大変素晴らしいが、ディードリヒはふと考えてしまう。
再三言うようだがリリーナの最もたる美点といえば努力を怠らない姿勢にあるだろう。彼女が今持つ全てのものは彼女の努力で成り立っており、また彼女がそれを怠ることも驕ることもない。
実際今回の騒ぎの中でさえリリーナはディードリヒとの時間を確保し、その中でも香水職人のスカウトや、ミソラから聞く限りではヒルドとの関係性さえ作ってしまったという。
元来ディードリヒがそんな彼女を好きになったのは事実だが、反対に言ってしまえば息を吐くことができないのが欠点なのだ。
本当ならば、努力を切り詰めたところで結果が出るとは限らない。しかしリリーナは常に結果を出すまで諦めなかった。そのせいで彼女は努力は結果につながると思っている節がある。
だから故郷での嫌がらせに発展した。努力が報われなかった時に自分を宥められない、“仕方ない”と諦められない。どうしても感情的になってしまう。
人間は誰にだって欠点があるものだ。ディードリヒはリリーナがたとえ怠惰を重ね堕落してしまっても愛することができる自信がある。
だからこそ、息継ぎをする習慣を身につけてほしい。このままでは本当に倒れてしまう。
自分が道化になることで彼女が肩の力を抜けるならそれでもいいとは思える。嘘をついてるわけでもない、ただ大袈裟なだけだ。
実際、最近で言うならばお茶会では少し柔らかい表情も見せるし、先ほどのように緊張感のないやりとりもできる。
だがやはりそれでは足りない。
あまりにも休息が束の間過ぎている。
屋敷にいた頃の彼女とは大違いだ。まるで呼吸ができていない。
「結婚すれば、そばにいてくれるって思ったのに…」
ディードリヒの瞳がわずかに濁る。
このまま部屋に外から鍵をかけたら彼女はなんと言うだろうか。少しは休んで、もっと自分に時間を割いてくれたら。
ディードリヒからすれば自分以外でリリーナを視界に入れる男など平等に死ねばいいと思うし、母親の余計な一言でこの事態を呼んだのだと思うととても許せたものではない。さらにそこで新しい侍女を受け入れるなど、本当は頭が痛くて仕方がないのだ。
「はぁ…」
ため息を出さないでいられないが、婚約発表のパーティはもうすぐそこまで迫っている。
立場に気を向けて行動するのがリリーナであるならば、いっそ立場で縛り付けて動けなくしてしまえばいいのではないか。
自分しか見なくていい立場に彼女を追い込めば、きっとずっと一緒にいられる。そう自分に現れた誰かが囁く。
もう彼女は隣で笑って、好きな部分など昔よりよほど日毎に増えている。気高さだけが彼女ではないのだと、自分はもう知っている。
もう崇めるだけが彼女に、リリーナに向ける感情ではない。彼女の言うように自信がついたら、胸を張って歩けるようになるかもしれないから。
そうしたら、リリーナは自分を頼って息を抜いてくれるかもしれない。
だから、そこまで自分も…いや自分で歩かなくては。
「好きだよ、リリーナ」
眠る彼女の頬を撫でる。
今は少しでも休めるように祈りながら。
リリーナ的にはこう、ディードリヒの気持ちに応えてるつもりなんですよ
ていうかお前はすぐオーバーワークをすな
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