新しい友人(2)
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ファリカが先週出した手紙は、翌日返事が来た。ファリカ自身がリリーナとテナント探しをし、そこから帰った後で手紙を出したので、手紙そのものを書いた時間から逆算すればほぼ即日に返事が来たと言っていい。
返信の内容は了承とのことであった。それ故各々が支度を整え、今日はとうとうその日がやってきている。
開催場所はアンベル家…つまりファリカの家が持つタウンハウス。伯爵クラスとなると集合住宅のようなタウンハウスで生活する貴族も多い中、規模は小さいとはいえ一軒家の邸宅を構えるというのはアンベル家の商売の巧さ、資産の多さが窺える。
その邸宅にある応接間にてお茶会は準備されていた。参加者は仲介兼主催であるファリカと、客として呼ばれたリリーナとヒルドのみ。
応接間には普段本革で作られた二人がけのソファが二つと、大理石で作られたローテーブルが置かれているが、今日それらは部屋から出され、代わりに美しく彫刻された木材の脚に丸いガラス板を貼られたテーブルと、それに合わせた木製の椅子が三つ。
誰が上座ということもなく配置された椅子はある意味この場を気遣われていると言っていい。主催はファリカだが、ヒルドとリリーナは彼女にとって高位貴族である。下手に上座を作るのも難しく、それならば、と椅子は平等に置かれた。
すでに到着しヒルドを待っているリリーナとファリカの周囲には使用人が待機しており、もてなしとして出されたスイーツやサンドイッチがケーキスタンドに置かれている。
「ヒルド・オイレンブルグ様がお越しになりました」
ノックと共に入ってきた男使用人が言う。その使用人が改めて大きくドアと開き頭を下げると、滑らかな歩調でヒルドが入ってきた。それに反応した使用人全員が頭を下げ、リリーナとファリカは挨拶のため立ち上がる。
ヒルドは長い銀の髪を下ろし、濃い紫の瞳を際立たせる深い緑のドレスを身に纏っていた。
「ヒルド様、ごきげんよう。本日はお越しいただきありがとうございます」
ファリカはそう述べるとカーテシーで挨拶をする。高位貴族であるヒルドをファリカが名前で呼ぶのは、友人というほどでもないがそれなりに付き合いが長いからだ。
「ごきげんようファリカさん。お招きいただき嬉しいわ」
対してヒルドがファリカに頭を下げることはない。ヒルドはファリカへの挨拶もそこそこにリリーナを見た。
「ごきげんよう、リリーナ様」
「えぇ、ごきげんよう。オイレンブルグ様」
この二人となるとヒルドがカーテシーの挨拶を取ることとなる。なぜならリリーナは“国賓”である故だ。王家が認めた“客人”という扱い上、リリーナの立場は一時的に高位貴族より上のものとなる。
「少し久しいかしら」
ヒルドの言葉にリリーナが反応した。
「そうですわね、王妃様が御主催なさったお茶会以来でしょうか」
そんな会話で始まりつつ、三人は使用人によって引かれた椅子に腰掛ける。リリーナとファリカがここまで飲んでいた紅茶は既に下げられ、新しく淹れられた紅茶が三人分速やかに用意された。
「リリーナ様のご活躍は何かと耳に入ってきますわ。一部の基礎教育を三日で終えられたとか」
「それは買い被りですわ。故郷で重ねてきたものが生きたのです」
「他にも、沢山聴いていますが…何か楽しいことを準備されていると」
やはり噂は広く届いているようだ、そうリリーナは確信する。しかしそれが狙いだ。新しいことをやる以上、一定の注目は集めておかなくては。
そういう意味では、高位の立場であるヒルドまで話が届いているというのは幸運と言っていい。
「王妃様よりご縁を頂いて…貴族向けの香水専門店を準備していますわ」
「香水専門のお店…確かに珍しいですね」
「私は香水という文化をファッションの一つとしてより普及させていきたいと考えていますの。店はその一つですわ」
「芯のあるお考えなのですね。素敵です」
そう言うとヒルドは次にファリカを見る。
「店舗の場所などはアンベル商会が関わっていると聞きました」
「えぇ、ファリカさんとアンベル商会の方々にはとても助けられましたわ」
「いえ…私にできたのは微々たるお力添え程度です。全てはリリーナ様のご手腕です」
自分に話が振られると思っていなかったのか、ファリカは慌てて言葉を返す。普段リリーナには崩した態度を取るファリカも、やはり時と場所を選んだ言葉と仕草だ。
「お話を聴いていたらとても楽しそうだわ。良かったら私も混ぜていただけない?」
ヒルドの声は弾んでいる。その声に、リリーナは予感していた商機を見ていた。
「でしたら、私が抱えている職人の香水を今日はお持ちしましたの。まだ誰にもお披露目していないのですが…よろしければご感想をいただけませんこと?」
「いいのですか? それは楽しみだわ。是非いただける?」
「勿論喜んで。お好きな香りだと嬉しいのだけど」
そうは言いつつ、今回リリーナが持ってきた香水はヒルドのために特別に作ったものである。ヒルドの趣味であるガーデニングからとって、リラックス効果のあるラベンダーを中心に選んだもの。
「帰りに侍従が受け取るということでよろしいかしら」
「了解しました。こちらの侍女に任せておきますわね」
リリーナは実質ディードリヒからミソラを連れ歩くのを頼まれているようなものなのでどこへでも連れ回しているが、実際は自分の生活にどの程度侍女を連れ回すかは令嬢それぞれである。
「ありがとうございます。感想はお手紙で送らせてもらいますね」
「楽しみにしていますわ」
ここまでは挨拶程度の歓談だが、いつ本題を切り出したものか、とリリーナは考えた。
リリーナが今回ヒルドを実質的に呼び出した理由はいくつもあるが、結局その根幹は“彼女がディードリヒをどう思っているのか”という点における話し合いの場を設けることである。
後でやたらと拗れるくらいならば直接会ってしまった方が早い、という判断ではあったが、些か優雅さに欠けるのが欠点であろう。
しかしヒルドは紫の瞳をにこりと微笑ませて軽く掌を合わせると、二人に向かって言葉を投げる。
「さて、本題といきませんか?」
「「!」」
「回りくどいことをするならばこの場を設けたりしないことはわかっています」
ヒルドの言葉にまずはファリカが人払いをした。当然リリーナとヒルドに就いていた人間も払われ、応接間には三人の令嬢だけが残される。
「こちらのことがおわかりでして?」
リリーナの言葉に、ヒルドは何ということもなく返す。
「殿下のことをお訊きになりたいのでしょう? 私のつまらない話でよろしければお話しします」
「…」
ヒルドの言葉にリリーナはやや警戒の色を見せる。その姿にヒルドは困ったような笑顔で返した。
「そんなに怖い顔をなさらないで。私は殿下に慕情など抱いていませんから」
「!」
ヒルドは話の準備をするような仕草で紅茶を飲み下す。
「…確かに私は殿下の婚約者候補でした。それも叶うことはなかったのですけれど」
ヒルドは、ぽつりぽつりとこぼすように話し始めた。
「『仮面の殿下』…そうまで呼ばれた殿下は私が見た最後まで、その仮面を外すことはありませんでした。私自身も、殿下に特別な感情はありません」
「そう…なんですか? オイレンブルグ家は求婚に積極的だったと有名でしたが…」
「必死だったのはお父様です。私も『いずれは王妃だ』と聞かされて育ちました」
ヒルドは疲れたように視線を下げる。
「ですがお父様の夢が成就することはありませんでした。陛下御夫妻は婚姻に関して殿下の意思を尊重なさってましたので」
「…私とは正反対ですわね」
つぶやいたようなリリーナの声に、ヒルドは反応した。少しばかり不思議そうに、ヒルドは問う。
「あら、そうなのですか?」
「えぇ、私と故郷の王子殿下との婚約に本人の意思は介在していませんでしたから」
「そう、だったのですね…言葉は悪いですが、その方が私は楽だったのかもしれません」
「楽、ですか…」
少しばかり皮肉のように、リリーナは感じた。ヒルドはそれを理解しているからこそ“言葉が悪い”とつけたことはわかっていても。
「私はやがて諦めてしまったから」
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