口喧嘩(1)
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「…ごめんね、リリーナ」
約束のランチタイムに訪れたディードリヒの顔はやや暗く、リリーナが最初にそれを気にしていると開口一番彼はそう言った。
「どうしたんですの、急に」
言葉遣いがやや崩れてしまった程度には驚きつつ相手を見る。謝られるようなことなどあっただろうか。
「僕は自分が馬鹿としか言いようがないよ」
「ですから、何の話でして?」
独白のような先のつながらない言葉にやや苛立ちを覚える。すると少し潤んだ瞳のディードリヒとやっと目が合った。
「僕が不甲斐ないからリリーナを不安にさせたんだと思って…ごめんねリリーナ」
「…?」
未だにリリーナは何の話をされているのか理解できていない。
「クマのぬいぐるみ、すごく嬉しかったんだ。でも急にどうしてだろう、とも思ってて」
ディードリヒの言葉を聞いて、正直ぬいぐるみは少しも気まぐれが入ってないとはいえない…と思うと少し気まずくなる。その場で思い立ったから、など気まぐれもいいとことだ。
「でも昨日の様子を、リリーナが、『僕が不安にならないように』って行動してくれてるって聞いて…申し訳なくて」
「申し訳ないとは?」
「リリーナが僕のことを考えたり、いろんな表情を見せてくれるのは嬉しいけど…君を追い込みたいわけじゃない」
「…」
「ここに来ても故郷にいた頃みたいにしてるのは、僕があの頃の姿を好きだからって言った話も同じ。やっぱり僕は、リリーナに笑っていて欲しいから」
ディードリヒはまた視線を下げる。申し訳ないと態度でも訴えていて、食事も喉を通らないようであった。
「だから…僕のせいで君の美しさが翳ってしまうのは」
「そんなことですの?」
震えるディードリヒの声音に、呆れた様子のリリーナの声が重なる。彼は驚いたのかはっと彼女を見ると、不機嫌を露わにした彼女が目に入った。
「私は私のしたいことしかしていませんわ。その中に貴方のことが含まれているというだけです」
「…そうかな」
「むしろ、今の私が何かに振り回されているように見えるのでしたら、貴方はご自身を誇るべきですわ」
「どういうこと?」
「私をこんなに振り回すのは、世界で貴方だけですもの」
「!」
リリーナはさも当たり前のように言う。しかしディードリヒがそんな答えを予想してるはずもなく、目を見開いて顔を赤くした。
「考えてもごらんなさい。私は婚約者に裏切られたところで自分のことを考えていたような女ですのよ? それが他人の心配をするなど、我ながら丸くなったものですわ」
「そんな…まさか」
「貴方だけですわ。私をこんなにも焦れさせるのは。くだらないことを言っている暇があったら私を目に焼き付けなさい」
そう言ってリリーナは平然と炭酸水を飲み下す。これからの予定を考えれば食事を片付けてしまいたいと思わなくもないが、それ以上に目の前の方が彼女にとって大事だ。
「リリーナ、でも」
「でももそってもありません。貴方はもう少し貴方という『個人』に自信を持つべきですわね」
「…」
「貴方が何枚私を撮ろうが、今の私の感情が乱されるのは貴方だけです。そして私を『個人』として見てるのは貴方だけ…貴方がそう望んだのでしょう?」
「…そうだよ」
気弱に応えるディードリヒの視線はやはり下を向いている。
「ほらすぐそうやって背を丸くして! シャキッとなさい!」
「あ、う、うん」
言われて慌てて背筋を正す様に、リリーナはため息が一つ。
「貴方の願いに対して私が望むのは、いつまでも私を愛してくださる貴方でいてほしいということです。そのためならば、いくらでも私は私の立場を振り翳しましょう」
「…そんなの初めて聞いたよ」
「言っていませんもの。…正直恥ずかしいのですからあまり言わせないでください」
タイミングがなかったというのもあるが、何より恥ずかしかったのは本当である。相手があまりにも常に明け透けなので返す機会がない。
驚いた様子でこちらを見るディードリヒは、顔を赤くしてよそを向いたリリーナに少しばかり吹き出した。
「ははっ…ランチの時に言うような話でもないと思うけど」
「知りませんっ」
ディードリヒは気が抜けたようにくすくすと笑い続けている。リリーナはその姿に少し拗ねたような顔を見せてから、炭酸水に口をつけた。
「正直に言って、なんでもロマンチックにというのは難しいものですわ。劇的であることだけが人生ではありませんし、やはり大事なのは普遍的に互いを思い合えることではなくて?」
「そうなんだけど、やっぱりリリーナってすごいなって思うよ。君はいつも日常の中で爆弾発言をするっていうか」
「そのようなことはありません。日常の彩りですわ」
「そうかなぁ」
ディードリヒが肩をすくめると、リリーナは明らかに顔を赤くして怒り始める。
「あの異常な愛情表現をよしとしている貴方に言われてくはありませんわ!」
「異常なんてことはないよ。普通だよ、普通」
「嘘おっしゃい! どこに貴方みたいな人がいるものですか!」
「いっぱいいると思うけどなぁ」
どう足掻いたところで相手を誘拐して監禁するような愛情は“普通”とは言わないが、ディードリヒの倫理観が気になってくるリリーナであった。
「もう少し一般常識を学んでから言ってくださる?」
「僕はこの国の王太子だよ? 僕が普通って言ったら普通だよ」
「ならばその自信をもう少しこの関係に傾けて欲しいものですわね」
急な開き直りようにリリーナは眉を顰める。
「そう思うならリリーナがもっと僕といちゃいちゃしてくれたら叶うと思うんだ」
「今の下向きな貴方とはごめん被りますわ」
「もっと自信が持てたらいいってこと? いいこと聞いたな」
「貴方にすぐできるなどと期待はしていませんわ。待ってはあげますけれど」
「ひどいよリリーナ…」
つん、とよそを向くリリーナにディードリヒは涙目だが、それを彼女が慰めることもない。
「自信、かぁ…そりゃあ今だって香水職人のところには行ってほしくないしなぁ…」
続いて今度はしょぼくれるディードリヒ。しかしそれを横目に見たリリーナは、先ほどと違って顔が赤くなってきた。
「た、多少の嫉妬は嬉しいものですが、今は少し我慢してくださいませ」
「え…」
ここでディードリヒが驚いたのは彼女の発言にではない、彼女の赤い表情だ。羞恥に目を潤ませ、口元を緊張で震えさせながら、上目遣いでいる。
先ほどのすんとした彼女はどこへ行ってしまったのだろうか、先ほどの方が余程恥ずかしいことを言ったような気もするが、今はそれどころではない。
「今回の出来事を必ずや二人の将来に繋げますから…もう少しだけ」
「…っ!」
なぜ今ここに写真機がないのか。いやこの部屋にも写真機は設置していたはず。だがしかし角度的に映るか? シャッターチャンスはミソラに任せるしかない。
(頼むから頑張れ、僕の運…!)
そう願うしかなかった。
しかし問題なのは、リリーナの状況が変わらないことである。
「だめ、でしょうか…?」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
潤んだ上目遣いはしっかりとこちらを見ていて言葉を失った。こちらまで真っ赤になってしまう。
まるで心臓を撃ち抜かれたようだ。愛らしさのあまり部屋に持ち帰りたい。正直言ってこんなにも懇願されるような視線は初めてでどうしたらいいかわからないのだ。
「…? だ、大丈夫でして?」
言葉が出ないこちらに不安を覚えたのかリリーナが声をかけてくる。しかしディードリヒは感情の昂りのあまりやや呼吸困難に陥っており、言葉をこぼすまでに時間を要した。
「…いや、その…ちょっと待ってね…」
待ってくれとしか言いようがない。乱れた呼吸を何とか整えようとするのでいっぱいいっぱいになってしまう。
しかしわかっている。こんなことをしているうちにリリーナは平静を取り戻してしまうのだろう。
こんな機会は滅多にないというのに、なぜ自分は今こんなことになっているのか。正しく不甲斐ない。
次の機会がもしあるとすれば、その時は部屋に持ち帰ろうと心に決めて平静を取り戻した。
「…嬉しいよ、リリーナ」
「はい。必ずやものにしてみせますわ」
必死に返した言葉に返ってきたリリーナの笑顔は、もういつものそれである。
(…悲しくなんかない。どんな君も愛してるよリリーナ)
自分の心に言い訳をして、そっと内心で涙を流した。
きました不穏なターン!(3ターン)
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