交渉と思い出(1)
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「何度来られても困ります。俺は今以上に何かをする気はない」
アンムートをこちらに勧誘しようとしてから二週間が経った今日、彼は痺れを切らせたようにリリーナに抗議をしている。
リリーナはその間に何度もミソラを護衛として連れ回してアンムート宅に足を運び、主にソフィアとお茶をしていた。
とは言っても世間話で終わる気はなく、基本的にはアンムートが作業を終わらせて話し合いの場に立つのを待っている。その間にすっかりソフィアとは仲良くなってしまった。
「貴方のお気持ちはわかりますわ。ですが私も店に対する思いがあります。貴方の才能に賭ける私はそう簡単には折れません」
「俺でなくても職人はいる」
「いいえ、貴方であることに意味があります」
「どうしてですか…」
アンムート本人は隠してるつもりなのかもしれないが、やはりここまでのことが積み重なり苛立っているのがわかる。アンムート本人がここ二週間で結局話し合いの席につくことはなかったが、ソフィアから嫌と言うほど話を聞いていたのかもしれない。
「私は香水専門店を開くにあたって、一つのテーマを立てました」
「テーマ?」
「そうです。それは『男性への香水文化の普及』です」
「男に?」
アンムートの聞いた言葉は一見不可思議なものであった。
「現在香水というものは女性が主流の文化です。それはこの国でも変わりませんでした。しかし男性がつけてはいけないなどと言うことはないでしょう?」
「…」
「ですから私は、新しいファッションの一つとして男性にもアプローチしていきたいのです」
「…だからって職人が俺である必要もない」
「それは違います」
アンムートの鋭い言葉を、リリーナは強く否定する。
「女性文化である以上、香水のデザイナーは女性がほとんどです。しかし男性が欲しがるものを女性が作れるとは限りません」
「だからなんだって言うんですか」
「私が求めるのは謳い文句だけの商品ではなく実用性のあるもの…それを作れるのは優れた才能を持ち、同じ男性である貴方しかいないと思っています」
アンムートから答えはない。
「ですからどうか」
「無理だ」
リリーナの言葉は遮られた。
アンムートの声は何かを文字通り拒絶するようで、少しばかり沈黙が流れる。
「あんたのそれは俺に対する過大評価だ。何より俺は、やらなくちゃいけないことがある。それが終わるまでは…」
「…?」
「いや、終わりなんてこない。とにかく帰ってくれ」
アンムートはそう残して二階へ去っていった。
リリーナはなにかいけないことを言っただろうかと少しばかり落ち込む。二人の様子を見ていたソフィアは、去っていった兄の背中を視線で追いながら呟いた。
「…おにい、まだ諦めてないんだ」
「?」
「え、あ、えっと…」
気まずそうに“しまった”と視線を逸らすソフィアにリリーナは問う。
「“諦める”とは…」
「なんていうか、両親の話なんです」
「お伺いしても?」
リリーナの言葉に、ソフィアはゆっくりと話し始める。リリーナは彼女の少しぎこちない言葉を待った。
「うちは父が商人で、よく海外で買い付けをする関係で基本的に家にいないんです。母も数年前に亡くなってて」
「そうでしたの…」
「両親ともにこの国の人じゃなくて…あたしとおにいは父の渡航ルートの中で比較的安全な国、ということでここに住んでます」
「お母様もご一緒に?」
「はい、ここにきた頃は私も小さかったので」
スフィアがコーヒーを一口啜る。音もなく飲み下すリリーナの作法とは違い、そこには歴然とした環境の差が出ていた。
「…それで母が、時折つけていた香水があって」
「…」
「それそのものは母が亡くなった時に割れてしまってもうないんですけど、おにいはそれを再現しようとして香水を作り始めたんです」
「そう、でしたのね…」
ふと、二人の目があった時、ソフィアがローテーブルに手を置いてリリーナをまっすぐと見つめる。その視線に応えるようにリリーナもまたソフィアに視線を返した。しかしわずかばかり向けられた強い視線に気押されている。
「リリーナさんは香水を集めるのが趣味なんですよね?」
「え、えぇ…」
「海外の商人から買ったりもしますか?」
「機会があれば、という感じですわ」
「なら…母の香水を持ってたりはしないですか?」
リリーナは返答に困った。“急にそんなことを訊かれても”という話ではある。
「それは…どういった見た目や、香りだったかをお伺いしても?」
「あ、すみません…」
リリーナの控えめな回答に、急に話を進めすぎたと感じたのかソフィアは座り直して興奮を落ち着かせた。
「香り、は…甘くて、その香水からしか香ったことのない香りでした。知らない果物の香りがして、余韻は花の香りかな、華やかで…。瓶はこう、丸い感じで夕日みたいな色をしてました」
「ふむ…一先ずコレクションから探してみますわ」
「ありがとうございます!」
兄妹の新たな一面を知って、リリーナは一度帰ることに。玄関先まで毎度見送ってくれるソフィアに、リリーナはふと振り返る。
「私が言うのもなんですが、見つかるといいですわね、お母様の香水」
「はい…母も、あたしが産まれるまでは父と一緒にいろんな国を回っていたと聞いてるので、その中で買ったものだと思います」
「常用されていたものでしたの?」
「いえ、いいことがあった日につけてました。あたしやおにいの誕生日とか、父が帰ってくる日とか…」
「特別な日のおしゃれだったのでしょうね。素敵ですわ」
そうしてリリーナは優しく微笑む。ソフィアはなんだかその笑顔に照れ臭くなってしまって、頬を軽く掻きながら笑い返した。
「では、早速探すためにも今日は帰りますわ。貴重なお話をありがとうございました」
「こっちこそ家族の話とか聞いてもらって…無茶なお願いまでしちゃったし、ありがとうございます」
「構いません。何かあればまたお伺いしますね」
「はい。おにいは嫌がるだろうけど…私は待ってます」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいですわ」
そうしてリリーナはドアを開けるとまた颯爽と帰っていく。ソフィアはその後ろ姿に少し憧れを抱いていた。
彼女はいつもそうだが、馬車までの移動で靴が多少汚れることを気にしない。なぜかといえば、間者を挟んだ交渉を信用していないからだ。
そもそも彼女にとって間者を挟んだ交渉など誠意がない。余程どうしようもない時ならば必要かもしれないが、基本的に話し合いの場には自分が立つことに意味を感じている。
だからこそ農民の多いこの地区にわざわざ足を運び、自ら交渉を行なっているのだ。
今回の件はディアナの発言から始まったものではあったが、リリーナはこうしてあちらこちらに動いているうちになんだかんだと楽しくなっている。紆余曲折の最中にあるとはいえ、思っていたより好きなことのために行動するというのは楽しいことなのだと改めて感じた。
そしてディードリヒともこうやって思い出を重ねていきたいと考えると、このままではいけないのだと痛感する。何においても。
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