貴方が見ているから、私も見ている(2)
「ちがうよ。リリーナは確かに至高の女神様なんだ。でも僕は…」
「…僕は?」
嫌な予感がする。その言葉の先は聞きたくないと本能が言った。でも時は止まらない。
「リリーナに比べたら、僕なんてなんでもない」
その瞬間に、大きな破裂音がした。
彼女の右手は無意識で相手の頬を叩いていて、相手もまた呆然としている。
「今なんと?」
「リリーナに比べたら、僕なんて…」
すかさずもう片方も叩いていた。
何を言っているのだと、言う前に行動してしまっている。
言葉より先に、掌は彼に言う。
「なんでもない? 貴方が?」
「え…?」
「随分とご自分を過小評価なさるのがお好きなようですわね」
「そんなことない。リリーナの方が」
「私が、なんですって?」
強く相手を睨んでいた。それなのにディードリヒはここまでで一番目を輝かせる。
「リリーナの方がずっとずっとすごい。物事に真摯に取り組む姿勢も、やるなら妥協しないから知識や見識も広いし、正しい背筋や立ち居振る舞い、見た目だって芸術なんだ。目線はいつだって前を向いて、宝石よりずっといくつもの角度で気高さと美しさを見せてくれる。リリーナは最も美しくて気高い、至高の女神なんだよ」
その瞳は、言葉は迷いなく。称賛するのを喜ぶ声音。それはまるでヒーローを語る子供のよう。
それを聴いたリリーナは、その煌めきに応えるように口を開く。
「貴方はいつであろうと真摯に物事に取り組みますし、必ず車道側を歩き、一つ一つの所作が美しくあることを忘れません。私をエスコートする時の動作は完璧ですし、書類仕事の判断力の速さも、国全体を見て深い知識を披露されるところも、使用人への采配も早く、常に見た目に気を使い誰かが見ているという生活をなされていますわ。何より自らの地位に溺れずに私と連れ添うための努力を怠らない美点があります」
「? ??」
ディードリヒは言われていることがわからないでいる。リリーナからすれば言われたことに同じ熱量で返しただけなのだが。
「私は私自身の価値を下げるような人間をそばに置くようなことはいたしません。私が貴方をそばに置いている時点で、貴方はその想いだけで私のそばにいるわけではないということです」
「そんな、僕はそんなにすごくないよ…」
「私を追いかけながら重ねられた貴方の努力が報われたのではなくて? 自信がないなど、貴方が言うのはお門違いですわ」
「でもリリーナの方が頑張ってる」
「努力の度合いなど所詮は個人の範囲でしか語れません。決まった定義など存在しませんわ。だからこそ私は貴方を認めることがでできるのです」
それでもディードリヒの表情に自信は感じられず、まだ彼女の言葉に戸惑っている。
「…褒めてもらえるほどかな」
「抱きしめて頭を撫でればおわかりになりますか?」
「…」
両腕を広げて待機するリリーナに一瞬目をぱちくりとさせて、
「わかるかもしれない」
下心が勝った。
「ほら、ならおいでなさい」
リリーナのやや大きめの胸元に頭を預けると、彼女は優しい手つきでディードリヒの髪を撫でる。
「貴方の努力は目を見張るものがあります。貴方と私、互いの努力がある限り私が貴方から離れることはありません」
「…うん」
「貴方が裏切らなければ、ですが」
「そんなことしないよ! 僕はリリーナを一人になんかしない!」
「だとしても、貴方の中で私は裏切るかもしれないのでしょう? 悲しい話いですわ」
「それは…」
「そういうことです。信頼というものはどちらか片方だけで生まれるものではないのですから」
ディードリヒはリリーナに頭を預けたまま背中に腕を回す。
「うう…でもやだ…リリーナが他の男に会うなんて…」
今度はめそめそと情けない声にリリーナはため息をつく。
「まだそんなことを言っているんですの? 私の話では納得できなかったと?」
「そうじゃないけど…その男が羨ましいんだ。僕のいない間にリリーナと会って、ましてや望まれてるなんて」
「!」
「…僕にはそんなのないのに」
完全に不貞腐れてしまっている。
その姿を見たリリーナは、ディードリヒの頭を胸に押し付けたままぎゅっとまるまり、やや驚いた反応を見せた彼に囁いた。
「望んでないなどと…あるわけないではありませんか」
「え?」
「私だってその…貴方を望んだからここにいるです。気づいてくださいませ」
今にも顔が茹蛸になりそう…いやもうなっている。すぐにまるまった体勢を解いてよそを向いていると、勢いよく起き上がったディードリヒに押し倒された。
「っ、リリーナ!」
「きゃっ」
顔が赤いまま相手を見ていると、相手もまた熱を持った瞳でこちらを真っ直ぐ見ている。
「リリーナ…」
宝石のような、薄い水色の瞳がこちらを捉えて離さない。前もこんなことがあったようなとは思いつつも、高鳴った心臓は隠せないから、見つめ返してしまう。
心臓の音だけが聞こえる空間、伝わってしまいそうな振動、惹かれ合うように近づき合う唇————
「はい、そこまでですよ」
飛び込んだ声は軽く手を叩きながら入ってきた。驚いて視線を向けるとそこにはミソラがいる。
「…」
ディードリヒの表情はおおよそリリーナに見せられないほど怨みにその形相を変えていた。しかしミソラがそれを気にすることはない。
「…ミソラ…」
「朝食の時間はとっくに過ぎていますので」
静かな争いの行われる中、リリーナは顔を真っ赤にしてうずくまっていた。もう少しでなにか前に進めたような、進んでしまったらいけなかったような、そんな場面を見られてしまってはもうなんというか、本人的にはいたたまれない。
「ディードリヒ様はお部屋に帰ってくださいませ。メイドたちが困っております」
「外で見てただろうお前」
「そんな無粋なことは致しません。少し時間を見計らっただけです」
(絶対嘘だろ…)
疑惑に眉を顰めるディードリヒを放っておいて、ミソラはリリーナに視線を向けた。
「さぁリリーナ様、よからぬ獣はおいておいてお支度と参りましょう」
「え!? あっ、そうですわね!」
「朝から仲睦まじいのは素敵なことですが、本日はご予定がありますことをお忘れなきよう」
「そうですわね、私としたことが…支度を始めましょう」
そう気を取り直すリリーナに応えるように、ミソラはディードリヒをぽいと部屋の外に投げる。
「さ、ディードリヒ様はご自身のお部屋でお支度なさってください」
「ちょっと! 僕これでももっと丁重に扱われる身なんだけど!?」
「朝から盛った童貞に優しくなどしていたらキリがありません。丁重に扱われたいのであればもう少しご自身の行動を顧みていただきたく存じます」
「ミソラお前ぇ!」
そこに二人のメイドが現れた。両腕をがっしりと掴まれたディードリヒは引きずられていく。
「リリーナ様とはまたご朝食でお顔をお合わせになってくださいませ」
ずるずると連れていくディードリヒは三下よろしく叫んだ。
「僕は絶対お前より強くなるからなミソラぁ!」
その姿を見たミソラは、
「言うは易し、ですね」
とその一言を残しドアを閉める。
「…」
その姿を見ていたリリーナは少しむくれていた。
ディードリヒは他の男のところに行ってほしくないとはいうが、リリーナからすれば二人の気兼ねない関係は羨ましいと思わないわけがない。
ミソラを自分の近くに置くには侍女という立場が都合良かったのはわかるが、自分にはない信頼のようなものがあの二人にはある。二人に言ったら否定されそうだが。
しかしなぜか悔しいので言わないと心に決めたリリーナであった。
ディードリヒの愛は重くて深いですが、リリーナの愛は重くてでかいです
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