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一人ではなくなってしまったから(1)

 

 

 ********

 

 

 ある日、勉強の隙間に紅茶を飲んで休憩していると、ノックが聞こえて嫌な直感を覚える。

 確認に行ったミソラがドアを開けると、嫌な予感よろしくディードリヒがやや早足で部屋に入ってきた。


「リリーナ!」


 呼ぶというにはやや大きい声で放たれた自分の名前にリリーナは眉間の皺を寄せる。


「…なんですの」


 そう渋々答えると、さも当たり前のように二人がけソファに座るリリーナの横に腰掛けたディードリヒが飛びつこうとしてきたので、リリーナは相手の胸板に掌を押し付けて制止した。


「会いたかったよ!」


 そう言い放つディードリヒはご機嫌である。

 しかしリリーナも会いたくなかったというわけはなく、視線は逸らしても表情は満更でもない。


 なので、


「それは…私も…」


 などとつい言ってしまった。


「!!!」


 そこに喜びを超えて感激したディードリヒは、とうとう制止してきたリリーナの掌を無視して飛びつく。


「きゃぁぁぁっ! なんですの急に!」

「だってリリーナが! かわいい!!」


 慌てるリリーナを無視してディードリヒは彼女を強く抱きしめる。慌てて混乱したリリーナは自分の侍女に助けを求めた。


「ミソラっ、助けなさいミソラ!」

「申し訳ありませんリリーナ様、私やや体調が…」

「嘘おっしゃい!」


 ミソラにリリーナを助ける気はない。

 こめかみを抑えて大袈裟な態度をとるミソラは、結局リリーナの助けを求める声を放置して部屋を去っていった。


「リリーナ…リリーナ…」


 二人きりになった部屋で、ディードリヒはリリーナの髪に頬を擦り付け続けている。リリーナは呆れたように低い声を出した。


「…髪が崩れているのですけれど」

「仕方ない…リリーナが可愛いから仕方ないね…」

「…」


 思っていたことは本当だったとしても、不用意な言い方をしてしまった、とリリーナは反省する。こうなることは予想できるはずなのに、どうして自分は毎度同じ轍を踏むのか。


「はぁ…リリーナ…リリーナがいる…」


 心底安堵したような声と深く息を吸う音にリリーナは小さくため息をついた。確かにまた暫く会えていなかったと思うと、いつもの彼から考えれば予想できない態度ではない。


 ただよくないと自省してしまうのは、この状況に内心で喜んでいる自分だ。本当にディードリヒは自分がいないと色々と駄目になってしまうのだとわかる度に嬉しさというか、独占欲の満たされるような感覚がある。何がいけないとはっきり言えるわけではないが、この感覚に身を委ねてしまうと己を律せなくなりそうでよくない。


「うぅ…嫌だ…」

「?」

「リリーナがいない執務室で仕事しないといけないなんて嫌すぎる…」


 本当に泣きそうなのかディードリヒの声は震えていた。

 確かに二人の時間を妨げているのはディードリヒの執務もその一つである。王太子、つまり王位継承権が確定されている立場である故かディードリヒはもう半分以上父王の仕事を引き継いでいた。


 各領地からの支援金の要請や、議会で用いる予算の計上、国家予算の割り当て申請、新しい法律の制定など多岐にわたる書類を確認して判を押したり、海外からの外交目的の手紙の確認、訪問をしていいかなど尋ねられたなら父王の側近に連絡しなければならないし、書類仕事だけでもキリがない。


 急ぎでない仕事はオフシーズンに処理することも少なくないので、議会が開いていようがいなかろうが仕事は終わらないのだ。休みがないわけでもないのだが、やはり国を背負うというのはやることが多い。


「泣いても仕方ないでしょう。私がいても邪魔なだけですわ」

「邪魔なんかじゃない! リリーナがいてくれるだけで捗るよ!」

「そう我儘を言っても側近の方に却下されたではありませんか。それに私にだって予定はあります」


 ディードリヒは何を思ったか本当にリリーナを毎日執務室に置こうと画策していた。側近にバレて失敗したが。


「いやだ…いやだよぉ…やっぱり屋敷に帰ろうよ。そしたら目が覚めてから寝た後もリリーナと一緒なんだよ」

「それはできないと、貴方が一番わかっているでしょう。あまり我儘を言わないでくださる?」


 当たり前のように同じベッドで寝る前提のようなことを言われた気がするが無視した。


「もうむり…」


 自分を抱きしめるディードリヒの力がまた少し強くなって、一言話すたび覇気がなくなっていくその姿にリリーナは再びため息を一つ。


(仕方ありませんわね…)


 内心で現状を少し申し訳なく思いつつ、リリーナはディードリヒの背中を軽く叩く。


「でしたら、屋敷にいたときのようにお茶会でもいたしませんこと?」


 リリーナの言葉に、ディードリヒは抱擁を解くと寂しげな視線を合わせる。


「いいの?」

「その程度でしたら時間も作りやすいでしょうし、誰から文句を言われることもありませんもの」

「リリーナはそうやって言うけど、そもそも僕らがラブラブでなんか問題あるの?」

「そ、それは…っ、な、なかったとしても私を執務室に拘束することではなくってよ!」

「ちぇー…まぁ文句あるやつは殺すけど」

「物騒なことを言うものではありません!」


 怒りつつやや呆れるリリーナはまた一つため息をついた。その姿に、ディードリヒは彼女の顔を覗き込む。


「リリーナ、大丈夫?」

「…急になんですの?」

「疲れてるみたいだ」

「貴方に振り回されているからではありませんこと? そうでなくてもこの程度何ということは…」


 言いかけて、ディードリヒが彼女の手を取る。


「いいや違うよ」


 少しばかりくすみかけた金色の瞳をじっと見つめる、宝石のような水色の瞳。


「目が疲れたって言ってる。何か辛いことがあるんだよね?」

「そんな、ことは…」

「僕に嘘つくの?」

「…っ」


 咄嗟に否定できなかった。

 疲れている、など。心配されるほどではないはずなのに。


「僕から離れていくようなことはしないで」


 そう言ったディードリヒの顔は、先ほどまでより余程つらそうで、泣いてしまいそうで。


「…っ話さなくても、貴方はわかっているのではなくて?」


 少し視線を逸らした。

 何を言ったところで、どうせどこかで見ているのだろうということはわかりきっている。ここは言ってしまばディードリヒの庭なのだ。彼の言うところの隠し撮りなどいくらでもできるだろう。ミソラも未だこちらの行動を報告し続けているとしか思えない。


 しかし実際リリーナの予想は当たっているので、ディードリヒは写真機の位置をいつか変える必要が出てくるだろう。


「そうだとしても、リリーナが自分で“辛い”って言ってくれなきゃわかんないから」

「…」


 一瞬だけ、口を開きかけた。言ってしまいたい気がして。しかし言わずに、心配をかけずに自分で解決してしまいたい自分が唇を閉じる。


「リリーナ、僕にも心配させてよ」

「!」


 はっと、相手の目を見た。


「僕はずっと、リリーナの隣にいるから」

「あ…」


 そうだ、もう。

 もう一人ではないから。

 一人で抱え込むなどできないのだ。


 自分を求める手が、いつだって自分を引っ張り上げてしまう。


「…わかり、ましたわ。お話しします」

「…うん、ありがとう」


 ディードリヒは、優しく笑って彼女の手を握った。


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