王妃様のお茶会にて(3)
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結局あのままあの場は解散となったので自室にいるリリーナはわずかに疲れが拭いきれないでいる。
久しぶりにあのようなあからさまな探り合いや質の悪い悪意に触れたが、やはり少なからず疲れが出てしまう。
さらに言ってしまえば今日は偶然にもファリカと再会できたというのに、会話を遮られたせいで結局あの視線の真実に近づくこともできなかった。ある意味散々と言えばそうだったかもしれない。
一つため息をつくと、自室のドアが開く。
「お疲れですか、リリーナ様」
そうリリーナに声をかけるのはミソラだ。もう使用人でもないのに紅茶をてずから持ってくるあたり、習慣化しているのかリリーナの安心を増やしていきたいのか。実際リリーナは紆余曲折あった今でもミソラを信用している部分があるので、ミソラが持ってきた紅茶に疑いをかけながら口をつけることはないだろう。
「いえ、問題ありません」
そう言い切るリリーナはいつもの凜とした表情に戻っている。背筋が曲がっているなどということもなく、まるで何事もなかったかのようだ。
「…」
その姿に、ミソラはそっと目を伏せる。
完璧な礼節、研ぎ澄まされた所作、ブレのない背筋、滑るような歩み、芸術のようなダンス。
一見誰もが隙のない、完璧な女性だとリリーナを認知するだろう。
生まれながらにして恵まれ、生きているだけで贅沢を許され、その道筋は贅沢に本人が選んだものなのだと。
実際に彼女の身につけるものは選ばれたものばかりで、貴族として身分に見合った買い物もする。使用人を始め人を手足のように動かすこともあるが、だからと言ってただ遊び歩いているわけではない。
彼女は他人から必要な人間であろうとした。
与えられた役目を果たそうと、常に背筋を正して、努力を重ねていく内に、極端に言ってしまえば彼女は“リリーナ”という個人であることを、本人も気づかない内に捨ててしまっていたほどには。
ミソラはそんなリリーナを長年危惧していた。
リリーナの侍女としてミソラが就いたのはリリーナが十二歳の時だが、その時のことを今思い出しても、やはりリリーナがとても同年代の子供と同じは思えないままだ。
まず喜怒哀楽がない。年頃の子供と言えば笑い、泣き、怒り、時に駄々を捏ねたりなどして、良くも悪くも感情豊かであるものだというのに、リリーナは全てを律してしまっていた。
全く笑わないわけではない。だが必要な時に必要な分だけ感情を動かし、わがままなど一切言わない子供だった。そんなことは身分も年齢も関係なく簡単にできてしまえることではない。
“いつ壊れてもおかしくない人間”それがミソラから見たリリーナである。
たかが、と言ってしまっては語弊があるかもしれないが、リリーナのそれは十二歳の子供の有り様ではない。あれでは贅沢な服を纏った奴隷のようだ。
しかしそこでミソラが違和感を感じたのは、“彼女が望んであのような姿になった”ということ。両親が望んだわけでもなく、むしろ何かと両親は彼女に無理をしないよう話をしていたほどだというのにリリーナはそれを笑顔で返し、決して聞き入れることはなかった。
何がリリーナ・ルーベンシュタインという少女をそこまで追い込むのか、ミソラにはそれが理解できないまま日々だけが過ぎていく。
そして同時に時折休暇をもらってはフレーメンに戻るなり、定期的に写真付きの手紙などを出すなどして、言われた通りディードリヒにはリリーナの様子を送り届けていた。それが本来ミソラがリリーナのそばに送られた理由である故に。
その中でディードリヒからいつもくる返事は、協力への感謝とリリーナの体調のことが多く、ミソラはそれにリリーナに対する苦言のような言葉をほんのりと混ぜてディードリヒへと返信するだけで精一杯だった。
きっと一人の侍女がリリーナに話をしたところで彼女は聞き入れないだろう。両親の言葉でさえ届かないのだから。
それでも時が経つにつれて、長くリリーナを見ていると少しずつ彼女のことがわかってきた。彼女は自分で気づかない内に努力を重ねることに自己満足を覚えているのだと。
もちろん元来の真面目な性格や、積み重ねに対するプライド、立場や役割を全うしようと言う真摯な姿勢の表れでもあるが、何よりリリーナの中には己の努力以外で自分を評価できないのかもしれない、そうミソラは感じた。
幼い頃にはすでに役割が決まり、それを全うするために重ねられた努力。それはつまり、彼女の人生には彼女の自由意志による選択権が存在しなかったとも言う。
国の宰相を任されるだけの手腕を持ち、誰から見ても娘を愛していた父親と国内の社交界だけでなく諸外国とのパイプもあるとまで言われ、それでいて温かい愛で娘を思っていた母親。きっと彼らの選択は愛ゆえであったのだろうとミソラは考える。
国王に嫁ぎ王妃となれば、国が平和である限り娘の生活は確約されるだろう。何不自由なく生きて、そのまま生涯を終われるかもしれない。
パンドラでは女性が爵位を継ぐことは疎まれやすい。法や何かで決まっているわけではないのだが、男尊女卑の風潮が少なからずあるためだろう。
なのでおそらく公爵である父親はリリーナに爵位を継がせる気がなく、爵位継承は外部から養子をとり、リリーナにはより幸せであるようにと祈って国王と約束を取り付けたと考えれば…合点がいく。
その願いが呪いとなってしまうとは思わなかったのだろう。
リリーナ自身もただ己の正しさに従って動いているのだろうが、彼女の実現させる“理想の貴族令嬢像”は年頃の娘の常軌を逸していた。そして娘の幸せをただ願った両親がそれを予測することなど無理に等しい。
ミソラができることなど、リリーナと信用を少しでも築いていくことと、ディードリヒにただ事実を伝えることだけであった。
リリーナが何かしらの失敗をして助けないという話でさえ、彼女が廊下でうっかり転けたり忘れ物をした時に助けないで隅から眺めている程度のことだけ。リリーナの人間らしい失敗というものが、彼女の感情を引き出す。その様を眺めるのが好きだった。
今のリリーナは、その頃の姿に戻りつつある。己という核を捨て、あるべき姿を保とうという“貴族”としての彼女に。
それでも、今は違う。違うはずだ。
“彼”ならば、そう考えないではいられない。
あの屋敷にいた頃のように、年相応にころころと表情を変えて人らしく生きてほしいと願うから、今の自分にできることとはなんだろうか。
「——どうかしまして?」
「!」
不意なリリーナの声に、考え事をしてしまったのを見抜かれたかと思った。しかし不思議そうにこちらを見ているあたりそれはなさそうである。
「いえ、何も」
「まぁ貴女が話さないのはいつものことですけれど…何か気にかけていたように見えたので」
ミソラはここで悩んだ。本当のことを言うべきかと。
「———…」
一瞬言おうと口を開きかけて、やめた。
「…いえ、何と言うこともございません。お気になさらず」
「そう?」
「はい」
リリーナはそう返すミソラの様子を少しじっとみて、それ以上は何も言わず視線を戻す。
「…」
ミソラは言葉を伝えようとして、“自分の役割ではない”と咄嗟に思いとどまった。
確かに心配は尽きない。今すぐにでもその仮面を外してほしいが、それを伝えるべくは自分ではなく、本来リリーナを真に求めるあの男だ。
そして自分にできることは、自分の行いとして正しく無かろうともリリーナの様子をあの男に伝えること。リリーナがすぐ隠してしまう本当の姿を、見て聞いた自分が伝えて、報告することだけ。
悔しいような誇らしいような、複雑な気持ちだ。
きっと今でさえ、リリーナに自分の言葉は届かないだろう。先ほどのように流されてしまうのが関のやまだ。
でもあの男は違う。いつだって最も簡単に彼女の仮面を剥いで、その奥にあるたくさんの表情を引き出してしまう。
それを繋ぐのが自分であることは誇らしいし、直接何か働きかけることができないのは悔しい。
「…」
今日も報告はある。
リリーナが眠りにつき次第、まずは写真機のフィルムを回収しなくては。
リリーナは側から見るとちょっと狂気なんですよね
彼女自身が普通だと思っているから目立たないだけで
かといって強要もしません。自己満足とどこかでわかっているからです
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