デートのお誘い
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抵抗を諦め城に軟禁…いや住むことになって一ヶ月が経っている。
一息ついたところで始まったのは花嫁修行という名のレッスンのいくつかであった。
とは言っても故郷にいた頃のような厳しいものではなく、この土地で必要な知識の補完といった具合である。貴族名簿の名前と顔を暗記したり、フレーメンで使われている言語の細かい言い回しやイントネーションの学び直しといったものばかりだ。
もちろんダンスや作法の確認がなかったわけではないが、そのような基礎をこなせないリリーナではない。舐めた態度を取られたものだとは思いつつも、そんな瑣末なことは三日で終わらせた。この積み重ねの結果が彼女の背筋が正しい所以である。
対してディードリヒとは思うように会えていない。彼の執務の内容まではまだ知ることを許されていないが、毎日こうも会えないほど忙しいのかと感じてしまうと屋敷にいた頃が贅沢に思えてしまう。
「…」
「如何なさいましたか?」
とは言っても、とリリーナは考える。
与えられた自室の中で珍しく少し拗ねたような表情を見せる彼女に、侍女として再びリリーナに就けられたミソラが声をかけた。
流石に長くそばで見ているだけあって、ミソラからすればリリーナが何で不機嫌なのかなどお見通しなのだが、やはり本人が感情を自覚することに意味があると声をかける。
「? あぁ…」
リリーナは一瞬だけ驚いて、すぐに感情を凪いだものに戻した。
「私らしくありませんわね」
自分の感情を当たり前のように整理して澄ました顔に戻してしまうリリーナに、ミソラは少しばかり不安を覚える。
「…あまり理性的でありすぎる、というのもお体に障ります。ご無理のないよう」
「それはできかねますわ。私には己の責任を全うする義務がありますから」
「ディードリヒ様は喜ばれないかと」
「それとこれは別ですわ。個人の感情は責任の奥にありますのよ」
「…」
強い意志に侍女は言葉を詰まらせた。どう説得したものかと思考を巡らせていると、部屋にノックの音が転がり入る。
それに反応したミソラがドアを開けると、中にディードリヒが入ってきた。
「やぁ、リリーナ」
「!」
リリーナはディードリヒを見て少しそわ、と体を揺らす。
「久しぶり、かな?」
「きゅ、急にどうかいたしまして?」
少し申し訳ないといった様子で微笑むディードリヒに対してついそっけない態度をとってしまって、リリーナは後悔した。さっきまで拗ねるほど気にしていて、今思わぬことに喜びを感じているというのに態度や言葉にできない自分に少し失望する。
「抱きしめていい?」
ディードリヒはソファに腰掛けるリリーナの横に当たり前のように座り、彼女もそれを咎めたりはしなかったが、広げられた腕は拒否した。
「開口一番何を言い出すかと思えば! ミソラがいますでしょう! 状況を考えなさい」
「私のことは壁か空気だと思っていただければ」
「貴女は貴女で何を言っていますの!?」
「気配は消しておきますので、心置きなく」
「ほら、ミソラもこう言ってるし!」
「私に何を求めてますの!? 無理に決まっていますでしょう!」
やや混乱しつつも怒りを忘れないリリーナの言葉にディードリヒは唇を尖らせる。
「ちぇー」
「全く、何かご用なのではなくて?」
呆れたため息つきつつ、不貞腐れるディードリヒに対してリリーナは「はしたないからやめなさい」と嗜めた。
「んー…まぁね。用事っていうかお誘いにね」
「なんですの?」
「デートしたいと思って。どうかな?」
「!」
「嫌?」
「…い、嫌だとういうことはありません。ですがまた急なことだと思いまして」
急なお誘いに照れたリリーナが視線を逸らすと、ディードリヒはその姿を大変満足そうに眺めながら言う。
「来月までこっちはシーズンオフなんだけど、近くの領地に招待されててね。ちょっと無視できる貴族じゃないから顔を出さないといけなくて」
ディードリヒは何気ない言葉のように言うが、その発言はリリーナに怪訝な顔をさせるのに、たとえ一言であっても十分であった。
「それでそのままデートをしようというのですか? 予定を被せるなどと、失礼だと気付かなかったんですの?」
不服を隠さないリリーナ。
確かに議会が動き出す期間でないのならば、地方領主が王族を招くのも少なくはない。しかしそんなもののついでのようなデートはお断りだ。
「まぁ聞いてよ。向こうはリリーナも『是非に』と言っていてね」
「私…ですの?」
「それで、都市部はこれからいくらでも見る機会があると思うけど、首都に近いとはいえ少し離れるとなかなか行かないからさ」
リリーナはここまでとは違った意味で怪訝な様子を隠さない。いくら噂になっているであろうとはいえ名指しで招待されるとは、相手は自分に何を求めているのかと、考えずにいられないでいる。
「そんなに眉間に皺を寄せなくたって大丈夫だよ。温厚な人だし…誰も君に何かを求める段階じゃない」
「…」
それはそうだろうが…とは確かに思う。国賓とは言え一ヶ月かそこらの小娘がいたところで利用価値はない。しかし、この会話の中で他に気になることが生まれてしまった。
「…少し話題が変わるようですけれど」
「どうしたの?」
「現状がオフシーズンということは、貴方はいつ私の扱いを『国賓』としましたの?」
「…」
「何ヶ月前に議会へ提案を?」
とどのつまり、リリーナがここに来るのは一体どれだけ前から決まっていたのか、という話である。それがたとえディードリヒの中でだけだったとしても。
「あはは、内緒」
眉間に皺を寄せるリリーナに、ディードリヒはただ笑って返した。
「…前々から思っていましたけど、私ばかり隠し事ができないのは不公平でなくて?」
「いいんだよ、リリーナがそんなに僕のことを知りたいと思ってくれるなら同じことをしたって」
「そういう問題ではありません! せめて質問にくらい答えなさいと言っているのです!」
「えー…そうだなぁ、半年前くらい?」
「私があの屋敷に連れてこられてすぐではありませんか!」
驚きを通り越してやや怒りを見せるリリーナだが、対したディードリヒが笑顔を崩すことはない。
「行動は早いに越したことないし、やっぱり最後の手段は用意しとかないと…ね?」
ふっと、彼の笑顔は薄暗いものとなる。影の中で薄ら笑うその相手に、リリーナはやや苛立ちを感じた。
「いふぁい!」
なので、感情のままディードリヒの頬をつねる。
「何が『最後の手段』ですか! 私の人権をどれだけ無視すれば気が済むんですの!?」
「だって、リリーナが僕に振り向いてくれるなんてわかんなかったし…いいじゃないか、結果的に役に立ったんだからいたたたたた」
頬をつねる指は止まらない。むしろ力が増していったが、ディードリヒが目の端に涙を溜め始めた辺りで解放された。
「それはそれ! これはこれですわ! 全く、自信があるのかないのかはっきりなさい」
「リリーナを愛してる自信は満ち溢れてるよ!」
「もう一回頬をつねってよろしくて?」
ディードリヒは素早く両手で頬を隠す。ディードリヒ曰く叩いたりする力は弱いリリーナだが、つねる力は意外と強いのかもしれない。
「もう、今となってはどうにもならないとわかっていても腑に落ちませんわ」
「そうかな? 愛だと思わない?」
「その愛に計略性がありすぎるから言っているのです」
はぁ、とリリーナはそこで大きくため息をついた。随分と呆れた様子ではあるが、この話題をこれ以上追求しても無駄と判断したようである。
「…それで、領地に誘われている貴族とはどんな方なんですの?」
「遠い親戚だよ。叔父の親戚の家で、場所は日帰りできる程度のところ。昼食会を誘われてるんだ」
「ふむ…」
話を聞く限り、確かに無視をするには厄介そうではあると感じた。ただ伯爵家ということだけであれば、無視まではいかなくとも多少予定を理由に断れないこともないが、遠縁とは言え親戚となると後で波がたちかねない。
「温厚な人だからリリーナなら問題なく対応できるよ。丸一日一緒にいる訳でもないしね」
「話を聞く限りではそのようですが…」
しかし親戚同士の席に自分のような部外者がいるというのは流石に憚られる。
「向こうが来てって言うんだから行かないと失礼だしさ、その後デートしようよ。もうすぐオフシーズンも終わるし」
そこでリリーナは少し悩む。
確かに先方から誘われている以上断る理由もないので行く分には構わないのだが、何も言わず重なったついでのようなデートを了承するのが一番気に触る。
自分が暇という訳でもないが、相手も忙しい立場なので本当はこのデートでさえ贅沢かもしれない。しかしよりにもよって、そんなことを死んでも言わない印象のディードリヒがそんなことを言うのが気になってしまう。
「どうしてそんなに急ぎますの? 出かけるだけならシーズン中でも多少融通が利くでしょう」
「リリーナと一秒でも早くこの国を歩きたいから」
相手からの言葉はほぼ間髪入れずに帰ってきた。
「あとはやっぱり、シーズンオフもそろそろ終わるから仕事が増えてくるからかな。父上に代わって決定権を委ねられる議題も増えてきたし、一秒でも多くリリーナといたいよ」
「…!」
その言い方はずるい。
リリーナは確かにそう感じた。中々会えない時間をもどかしく過ごしていた彼女としては、そんな、わずかな時間でも自分を求められては、それをはっきりと言われてしまっては断れない。
同じ気持ちだったのだと確認できてしまうのだから。
「…わかりました。行って差し上げます」
「本当?」
「その代わり! 私の行きたい場所に行きますわよ!」
リリーナ自身は自分でわがまま言ってることはわかっているんです
ただディードリヒに限ってそんなもののついでみたいなデートしないって思ってるから怒ってるだけで
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