「やっておしまい!」
***
賑やかな披露宴も日の沈む頃には終わり、リリーナは侍女の二人と共に自室に帰ってきている。今日の華やかな場に更なる花を咲かせたリリーナをその責務から解き放つためだ。
これから化粧を落とし、ドレスを脱いで浴室にて汗を流し寝間着に着替えて初めて彼女をなんでもない女性へと変えることができる。
一方で支度の早いディードリヒは数時間前に自身を呼び出した両親の元へ向かわされているわけだが、それは自業自得としか言いようがない。
「改めてお疲れ、リリーナ様!」
言いながら、ファリカがリリーナの自室のドアを開ける。リリーナは開かれたドアの中へ入り、それにファリカと背後に注意を配るミソラが続いた。
「お疲れ様でございます。本日の式はお見事でございました」
「ありがとう。二人もご苦労でした」
話しながらリリーナは部屋内のドレッサーへ誘導され、ドレッサーの前に置かれた椅子が引かれたのを確認して腰掛ける。
それを合図にファリカとミソラが分担してリリーナの結い上げられた髪を解き、化粧を落としていく。
「うぅ…」
しかしリリーナが目元の化粧を落とすために目を閉じていると、何やら小さく啜り泣く声が聞こえてくる。不思議に思ったリリーナがゆっくりと目を開けると、リリーナの映る鏡に一緒に映り込むファリカが涙を堪えているのが見えた。
「ごめ…こうしていつものリリーナ様に戻っていくところを見てるとさ、さっきまでの景色って夢じゃなかったんだなぁって今更感極まっちゃって」
「ファリカ…」
「だってさぁ、リリーナ様すっごく綺麗だったのよ。式場じゃあ見惚れちゃったよ…」
言葉を口にしていくうちに涙が堪えきれなくなったのか、ファリカはドレスのポケットから取り出したハンカチで溢れ落ちそうな雫を拭う。
しかしその間にもミソラは平静な様子で、ファリカの分までリリーナの身支度を進めていっていた。
「うぅ、すみませんミソラさん…涙止まらなくてお手伝いが…」
「構いません。ファリカさんがいつもリリーナ様を思っていたことはよくわかっているつもりです」
「それ…それはミソラさんもじゃないですかぁ…」
堪えようとするほど涙の溢れるファリカに対して、ミソラはいつも通り平然とした様子でリリーナの支度を進めていく。
それでも、リリーナを浴室に向かわせるための仮の服を着せた後にミソラは迷わずファリカの肩を抱いた。
「私は仕事ですので。ちり紙は必要ですか?」
「だいじょうぶでず…」
仕事、という一言でここまでの献身を片付けてしまったミソラをファリカは“それは方便だ”と感じてしまう。
結局、いつであろうとリリーナに最も気を配っているのはミソラだ。
リリーナの身の安全も、精神の安寧も、些細な体調の変化も、ミソラは一番に考えている。それでいてミソラはリリーナのことを本当の妹のように慈しみ、リリーナの見ていないところで静かに微笑んでいる彼女の姿をファリカは何度も見てきた。
すんと澄ました表情と言葉に見えても決して拒絶するような冷たさはそこにはなく、なんだかんだと言いながら結局リリーナとディードリヒを最も応援しているのも、ファリカから見ればミソラであるように映る。
だというのに、その全てを“仕事”の二文字で済ませてしまうのはあまりにも不器用な言葉選びだ。まるで本心を言うのが気恥ずかしいと言いたげに聴こえてしまう。
「ミソラ、ファリカ」
昼に見た景色の感動と不器用な先輩への感情に心が強く動かされているファリカの耳に、ふと自らを呼ぶリリーナの声が聞こえる。ファリカがその声に反応すると、リリーナがファリカとミソラの手をそっと握っている姿が見えた。
そして自分たちの手を優しく握る彼女は、ここまでファリカが見てきた中で最も柔らかく微笑んでいる。
「二人とも、ここまで本当にご苦労でした。私がここまでくることができたのは、紛れもなく二人が私を支え続けてくれたからに他なりません」
「リリーナ様、しかし私たちは…」
「貴女たちは私の侍女ですもの、特にミソラは口癖のように『仕事』の二文字を口にしますわね。私も同じ立場であれば主人にそう話すでしょう」
「「…」」
「ですが、それだけではない温かさを私はずっと二人から感じていますわ」
そう言ってリリーナは握った二人の手にかける力を僅かに強め、小さく深呼吸をしてからもう一度口を開いた。
「二人がいつも、侍女として、友として、そして時には本当の姉のように私に振る舞っていてくれたことにはとても助けられていました。家族のいないこの国では彼の方以外に信頼できる人間がとても少なく…本当に心細いものでしたが、二人は今この瞬間も私の味方でいてくれている」
「リリーナ様…」
「私はそのことに、心からお礼を言いたいのです」
リリーナは心から微笑む。だがその言葉にファリカは少し沈んだ表情を見せた。
「ありがとう、リリーナ様。でも私…」
「?」
「ずっと、リリーナ様のそばにいるの申し訳ないなって思ってた」
自虐的に落ち込んだ様子でありながらも、ファリカは気丈に微笑もうとする。しかしその言葉はリリーナとミソラに素直な疑問を抱かせ、ファリカはすぐに感情の内訳を話し始めた。
「ほら、私ミソラさんみたいに戦えるわけじゃないしさ。頭が良いわけでも取り柄があるわけでもないから…リリーナ様みたいな華があってすごい人の隣にいるには地味だなって」
あはは、とファリカは気まずさを誤魔化すように笑う。恥ずかしさや気まずさでぎこちなく笑うのは彼女の癖だが、それはいい時にも悪い時にも出てしまう。
「「…」」
そして今は“悪い時”なのだと、リリーナとミソラはなんとも不服さの漂う表情で訴えた。
「ミソラ」
「はい、リリーナ様」
「私の大切な侍女であり貴女の相棒は少し謙虚が過ぎますわ。やっておしまい」
「畏まりました」
リリーナが不機嫌にドレッサー前の椅子から立ち上がると、すかさずミソラはファリカをそこに座らせ鏡と向き合わせる。
そして突然ドレッサーの鏡に映され驚きを隠さないファリカの顎先をミソラは優しく撫でた。
「ファリカさん、初めてお会いした時よりお綺麗になられていますね」
「えっ」
「私もリリーナ様も気付いています。よくなった肌艶にお化粧、丁寧なお手入れで艶の美しくなった髪も…全てリリーナ様に見合うようなさっている努力なのだと」
「い、いや、これは…」
かぁ、とファリカは頬を赤らめる。ミソラの言葉に彼女は明らかな動揺を見せているようだ。
「ご教養も随分と成長なされましたね。先日鉢合わせた無礼な令嬢に返された言葉と態度はとても立派でした」
「あれは褒められていいのかな…?」
ミソラの言っているのは半月ほど前に開かれたパーティでの一幕である。
所謂単身者向けの社交場だったのだが、リリーナは仲のいい夫人の娘の付き添いとしてその場に顔を出していた。そこにミソラとファリカと連れ添ったのは相手のいない二人を心配したリリーナのおせっかいである。
すると鉢合わせた令嬢が取り巻きを連れリリーナに『こんなところに顔を出すとは、ルーベンシュタイン様にも色事の趣味がありますのね?』と言いがかりをつけてきた。
リリーナは当然涼しげな顔で聞き流したものの、ファリカは『リリーナ様のお立場で笑顔を向ける相手を心得ていないなど、そのようなはずがないではありませんか』と笑顔で返したのである。
どう見てもリリーナがなぜその場にいたのかわかっている人間の言葉に腹を立てたファリカの一言ではあったが、当時ファリカはその様子を見せず爽やかな笑顔で言葉を返してみせた。その上で、彼女は澄ました様子を会場では崩さなかったのである。
感情的で人情の厚いファリカは直線的な物言いも多く理不尽に対する怒りを隠さない。しかしその態度も場を選ぶべきだと学び行動できるようになったというのは大きな成長につながっていると言えるだろう。
案の定、返された嫌味に対して言い返せなかった相手は顔を真っ赤にして去っていったのだから。
「今思うとガラ悪かったっていうか…リリーナ様の真似し過ぎたっていうか…」
「私がなんですって?」
「あ、い、いえなんでも…」
誰のガラが悪いと? と苦笑いのファリカに向かって直接的な圧をかけるリリーナ。圧をかけるというのはどこかしらに自覚がある証拠なのだが、果たして本人にその自認はあるのだろうか。
「リリーナ様のガラが悪いのは昔からです。そのせいで社交界では一歩引いた目で見られているのですから」
「ミソラ! 貴女まで何を言いますの!?」
「明らかな事実です。どこぞのアホはそれが“気の強さ”だと言って鼻の下を伸ばしていますが、その言葉で済ますにはリリーナ様はやや暴力的かと」
「人のことばかりいけしゃあしゃあと…! ミソラも腹の黒さでは私に勝るのではなくって!?」
「はて、なんのことでしょう。私の策略は仕事のうちですのでわかりかねます」
ファリカの目の前では、珍しく…はないのだが、リリーナとミソラが激しく言い合っている。確かにここまでリリーナが顔を真っ赤にして怒っているのは珍しいが、ことの始まりが自分の話だと思うと尚更意外に感じた。
そしてその様子をぽかんとした顔で眺めているうち、ふと気の抜けた笑い声がこぼれ出る。
「ふ、ふふ…っ、あははっ、あはははっ」
なんだが緊張の解ける光景に、ファリカは思わず笑いが止まらなくなってしまう。しかし笑い声に反応して一時休戦となったリリーナとミソラは、それを如何にも不服げな表情をファリカに向けた。
「…なんですのファリカ、私たちは真剣に話し合いをしていましてよ」
「全くです。ファリカさんはリリーナ様のようになられないようもっとご自身の魅力に目を向けられるべきかと」
「私がなんですって!?」
「おや、口が滑りました」
まるで不規則な波のように喧嘩を再開する二人。しかしこれが二人の自然体な姿なのはファリカが誰より知っている。故につい笑ってしまうのだ、自分の何気ない一言が最早関係のない口喧嘩にまで発展してしまっていることに。
「ふふっ…ごめんなさ…っ、だってもう私の話関係ないの面白くって…っ」
堪えきれないと言わんばかりにファリカは腹を抱えて笑っている。そこに先ほどまでの感極まった姿はなく、まるでいつもの彼女に戻ったようだ。
リリーナとミソラはそんな彼女を見てから互いに向き合うと、まるで気の抜けた風船のように呆れたと言わんばかりの顔で笑い合う。
「話は少しも変わっていませんわ。貴女が素敵な淑女であることに変わりはありませんもの」
「ファリカさんは素直で利発な方です。もっと自信を持たれるのが良いかと思われます」
「うん、ありがとう二人とも。ていうか今更だけどリリーナ様の晴れの日に私の話はおかしくない?」
ファリカは今思えば様子がおかしいような、と腕を組み考え始める。この話題は今すべきだったのだろうか…と疑問を抱える彼女に答えたのはミソラであった。
「リリーナ様はそれだけ私どもを大切にしてくださっているということです」
「ファリカがくだらぬ事を言うからですわ」
「くだらな…いやそれは酷くない!? 結構真剣に悩んでたのに!」
「自認が足りないだけの事を考えていても仕方がないではありませんか。十分くだらなくってよ」
意地の悪いリリーナにファリカはショックを受けるも、そのすぐ後になれば三人で笑い合えてしまう。それがこの繋がりなのだと思えばそれだけ、リリーナの心は温かくなる。
「二人がいなければ本当に私がここまで来ることはできなかったと、そう言い切れるのですから、それだけで既に胸を張るべきですわ。だから今日は素晴らしいのです」
「リリーナ様…」
「二人と過ごす時間はいつだってとても楽しいですわ。そして二人から始まった友人の輪と、ディードリヒ様が下さったかけがえのない時間が私に今日までの時間をくれた…本当に感謝してもしきれません」
「…っ!」
リリーナの言葉に再び感極まったファリカがリリーナを思い切り抱きしめる。急なファリカの行動に彼女が驚いていると、今度はミソラの細い腕が二人を抱きしめた。
「あぁ〜嫌だなぁ…こんなにかわいいリリーナ様をあの変態に渡さないといけないなんて」
「全くもって同意ですが、一応アレにも華は持たせませんと」
「二人とも、急にどうしたんですの…? この状況は…」
「リリーナ様は黙って抱きつかれててね。ちょっとだけだからさ」
困惑するリリーナにファリカが言葉を返し、何も言えなくなってしまった彼女はそのまま黙って二人に抱きつかれたまま固まることになる。
しかしそんな奇妙な時間が一分ほど続いた時、侍女二人はそっとリリーナから離れ彼女の背中を浴室のドアに向かって押した。
「ありがと、リリーナ様。そろそろお風呂いこっか」
「!」
「アレのことですからもうドアの前にいるでしょう、支度は早めに済ませます」
「でもクオリティは保証するよ。なんてったって私たちはリリーナ様の侍女だからね」
「二人とも…」
優しい侍女たちの言葉に胸を打たれるリリーナの前に浴室の扉へと誘導する細く白い手が差し出された。その手の主はミソラだ、彼女はいつも通り静かな様子でリリーナを見ている。
「さぁ、参りましょうリリーナ様。夜はこれからなのですから」
「そうそう。応援してるよ!」
ミソラの言葉にファリカの笑顔が添えられて、リリーナは優しく微笑みを返す。
そしてミソラの手に促されるようにしてリリーナは浴室へと歩みを進めた。
侍女二人の回は案外珍しいですね
いつもリリーナのそばにいるので出番が散見される分、注目することは少ないです
ミソラは二巻と三巻の隙間に番外がありますが、ファリカは本編で注目していることが多いので番外を他で書くかは決めていません
感極まっちゃうファリカほんまいいやつですね…こうやって素敵なことを感情的に共有してくれるのがファリカで、静かに祝ってくれるのがミソラです。二人とも違った良さがあります
ちなみにリリーナが18歳、ファリカは19歳、ミソラはにじゅう…げふんげふん…はい、です
ミソラはあまり注目しないことに意味があると思っているキャラなので、今後もそうなると思います。この話だと関係ないけどグラツィアも同じ
リリーナ様はいつも周囲にいるみんなに感謝しながら生きています
故郷にいた頃のように周囲を常に警戒しなくていいことのなんとありがたいことだろう、誰かが助けてくれることのなんと嬉しいことだろう
だからこそ、返せるものは全力で返していきたい
そう思うといつも言葉が出てしまうのですが、いつも言葉では足りているように思っていません
それにしても、ファリカちゃん成長してたんですねぇ
この話は一応いちゃらぶ恋愛重視なので社交界でのくだらんドロドロ話を表立って書くことはしていません。そこまで書いていると蛇足だと思っているので
それでもリリーナをやっかむ輩はいます。そういった人間にリリーナは特に表情を変えず嫌味で返すのですが、ここまで皆さんが見てきた片鱗よろしくリリーナ様の嫌味は高圧的で反論の余地を許しません
「はしたないマネをしている暇があるならば他にやることがあるのではなくって?」
「そのようなくだらない趣味に耽るのであれば貧民に施しでも与えたほうが有意義でしてよ」
「貴族が貴族たる所以の本当の意味さえ知らぬとは、哀れとはこのことですのね」
この辺はあいさつですね。そして相手が罵倒してきたらそれも指摘し、さらに自分が動じないことで相手を辱めます。「ではなぜ見合いの席にいるのか」と問われれば「貴女、私のことを知らなすぎるのではなくって? 上級貴族にすり寄る機会も理解できないのであれば家名に泥を塗る前にお帰りになることをおすすめしますわ」までいきます。こういう女だからガラが悪いとか言われるんですよね
なので社交界ではリリーナは「怒らせると怖い人」という印象で見られてもいます。ただでさえ立場的に敬われる存在なのに、全方位に喧嘩売ってたらそうもなる
なので本当の優しい彼女を知っている人間は案外少ないです
しかしファリカが来てからはファリカが感情的になって相手に噛み付くことも少なくなかったので、リリーナがフォローに回ることも少なくありませんでした
そんな子が笑顔を崩さず冷静に言い返せるというのは成長だと、私は感じています
ファリカとミソラは、我慢を重ねやすいリリーナのことを「自分が守らなきゃ!」と思っているので、これまではちょっと気が立っていたのかもしれません
ミソラは視線で相手を金縛りにする(幻術ではなく無言の脅迫)
そういや、ミソラさんのリリーナいじりが全開でしたね。ミソラさんが楽しそうで何よりです
振り回されるリリーナ様をいつもちょっと「ふふっ」ってなりながら作家も書いています
ミソラさんの言っていたことは本音ですが、本音ゆえにいじりやすいんでしょう
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