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場違いなんてことはない!(2)


「イドナ様!」


 リリーナは不意に視界に入った少女の名前を呼ぶ。少女は今日も少し甘さの強いドレスを身に纏いつつも、目立たぬように息を潜め周囲を見回しながら歩く彼女に向かって足を進めた。

 しかし少女はかけられた声からリリーナの存在に気付くと、びくりと体を跳ねさせそこからあわあわと落ち着かない様子でカーテシーの姿をとる。


「イドナ様、如何なさいましたの? ここはそのように身をすくめる必要などありませんわ、もう少し肩の力をお抜きになって」

「り、リリーナ様…ありがたきお言葉ですわ。私、お恥ずかしながら普段は社交の場にあまり出ませんので、大きな会場に少し驚いておりまして…最初は隅で大人しくしていたのですが、リリーナ様と殿下には一言ご挨拶をと思い…!」

「そうでしたのね…でしたらご無理をなさらないでお休みいただいても問題ありませんわ、こうして勇気を出してお顔を見せてくださったんですもの。お身体が優れないのでしたら部屋を用意させます」


 緊張からか少し青ざめてしまっているイドナに向かってリリーナは優しく語りかけたが、イドナは必死に首を横に振り「まだ大丈夫ですわ」と頑なな意志を見せた。


「こういった場をお父様たちに任せきりにしていた私の問題ですもの、リリーナ様はお気になさらないで。お顔を見ることができて安心しましたわ」

「イドナ様…」


 イドナの出身地であるシュピーゲル領は伯爵領ではあるものの歴史は長く、比較的変動の激しい爵位の中で堅固な地位を今も守っている。

 伯爵位以下の爵位は変動しやすい。なぜならば市井の民や商人からであっても上位貴族からの推薦が国に通れば成り上がることができてしまうからだ。

 領地内で英雄的な活躍を見せた、贔屓にしている商売人が爵位を持っている相手であれば希望した商品を仕入れやすくなる、大きな自警団や商会をまとめる立場にある…など、理由は様々だが市民が貴族にのし上がることは可能である。


 しかしその場合は子爵や男爵などの低い地位が一般的であることが多く、伯爵位以上になることはあり得ず、基本的に成り上がりの家は子孫に爵位を継がせることができない。

 成り上がりの地位はあくまで個人に与えられた称号のようなものなので領地すらないことがほとんどであり、さまざまな理由での没落も激しいので入れ替わり立ち替わりが激しい世界だ。


 さらに侯爵位以上の家には王国より与えられる称号と長い歴史、そして何より多大な国家への貢献が必要となる。

 一方で、上位貴族というのは内政に手を焼かねばならず外交官でもない限りは他に首が回らない。故にグレンツェ領は国境の守護という大役がありながらもフットワークの軽さと安定した地位を約束された伯爵位に留まっている。


 シュピーゲル領が伯爵領であるのは当領の主な資源が観光地であることに所以するものであり、内政に対して多大な影響を与えづらいとされている故であるが、その歴史が侯爵家のそれに匹敵しているのは有名な話だ。

 故にシュピーゲル伯爵家は国家の重鎮のひとつとして重要な社交場に呼ばれることも少なくない。


 しかしイドナはそういった役目を両親に押し付けて奔放としていた。イドナとしては求められなかったので考える機会も少なかった…というのが本音であり、実際男性中心の貴族社会において元来奔放な性格であるイドナが下手にでしゃばるのもシュピーゲル家としては避けたいところなのだろう。

 さらに言えば、イドナには幼少より許嫁が決まっている。婚前の若者が参加する社交場など、基本的には見合いの席のようなもの。既に許嫁の決まってしまっているイドナには縁がない。


 そのせいで、端的に言ってしまうとイドナはこの披露宴の規模に腰がひけてしまっているのである。

 奔放で趣味に生きるイドナとて貴族の娘として教育はされているため、上位貴族や歴史の長い家の者、父であるシュピーゲル伯爵と交流のある人間の顔は覚えさせられているが、それが今の彼女にとっては完全に仇となっていた。


 “名前と顔は知っているがそうそう会うこともないだろう”と呑気に考えていたお偉方の貴族ばかりの場に来てしまった自分の“場違いなのでは”という感覚は激しく、両親にくっついていくらか挨拶回りをしたところで張り詰めた緊張に耐えかね場を離れてしまったのである。


 今回の彼女の動揺に関してはイドナ自身の自業自得であることが否めない。そしてそれは本人も自覚のあるところ故に自身の勇気を振り絞りイドナはリリーナの元へなんとかやってきたのであった。


「お目汚しを失礼致しました。改めまして本日はおめでとうございます。殿下、リリーナ様」

「ありがとう、イドナ様。こうして貴女もこの場に出席してくれていることが嬉しく思いますわ」

「そうだね。リリーナに聞いたけど、シュピーゲル嬢をはじめとした一部の人間にはリリーナ直筆の招待状が届いているんだろう? 彼女の期待に応えてくれてとても嬉しいよ」


 今回の式を挙げるにあたって、リリーナは個人的に招待したい人間には直筆の招待状を送っている。平民であるヴァイスリリィの面々を始め、彼女が“友人”と位置付けている人間には全て名指しで、各家に送られている招待状とは別にリリーナ自身が送っていた。イドナはその一人である。

 イドナがこういった場に慣れていない可能性や、爵位を継いでいない以上顔を出す義務がないといった事情に奔放なようで肝心な部分が控えめな彼女の性格を考慮し、リリーナはイドナを“友人として”この場に招待した。

 それがこうも予想以上に彼女にプレッシャーを与えるとは流石に考えが及ばず、リリーナとしては申し訳ない思いもあるがやはり友人がこうして顔を見せてくれることは喜ばしい。


 一方でディードリヒはその“招待状”を心底快く思っていない…どころか大変不快であった。

 当事者である自分にその招待状が届くことはなく、それなのに自分が許容していない人間がそれを得ているというのは、なんと不快なことか。


 ディードリヒが考えるに、今回手書きで名指しの招待状を送ったのにはイドナが大きく関わっているのが本質だろうと睨んでいるが、その本人が目の前のいるとなれば愛想笑い以外で迎えるつもりはない。

 そうでなくとも自分以外にリリーナを信奉しようなど本来許されたものではないと思うと、笑顔の裏ではそれなりに腑が煮え繰り返っている。


「は、はいっ、リリーナ様より賜りました招待状は家宝とさせていただきますわっ! ファンクラブの皆様には事前に相談しまして本日の出席を決めておりますので、今後も波風の立たないよう努めますわ!」

「そ、そうでしたのね…お気遣いありがとう」

「いいえっ! 今後もリリーナ様のご迷惑にならないよう、ファンクラブ一同協力し合い報、連、相を怠らず活動してまいりますっ」


 今回の招待状を受け、イドナはまずファンクラブの一同に緊急招集をかけていた。“リリーナに一定以上に顔を覚えられている”という特異な立場の自分が、他のメンバーに対してなんの相談もなしにこの場に出席しては要らぬ波風が立つと考えた故である。

 すぐに動けるメンバーのみではあったがいつものサロンに集まり、イドナは招待状を持って事情を説明。このまま出席をするべきかについて他メンバーに是非を問うた。

 結果としては温かく背中を押され今に至るのだが、代わりに彼女は来月発行の会報誌にて今回の取材記事を書かなくてはならない。


「リリーナ様の晴れ姿、しかとこの目に焼き付けさせていただきましたっ。正しく女神の名に相応しい美しいお姿でございました…! もはや私の今生に悔いはございません」


 脳に焼き付けた記憶を噛み締めるように胸に手を当てそっと瞳を閉じるイドナ。穏やかに閉じた目元の下にある頬はほんのりと上気し、幸せそうに薄ら笑いを浮かべている。


「…」


 対してディードリヒは、幸せそうなイドナの姿を荒れ狂う吹雪の如き冷たさで見つめていた。不機嫌を隠さないその姿に身に触れる悪寒で気付いたイドナははっと我に帰り慌てて頭を下げる。


「も、申し訳ございません殿下。私、自分の世界に入ってしまいまして…」

「それは構わないけど、リリーナは公共物じゃないってだけで」

「で、殿下…」

「ディードリヒ様…」


 最早リリーナへの執着を隠す理由もないと言わんばかりにディードリヒはイドナに向かって圧力をかけていく。当然イドナは普段見ることのないディードリヒの姿に驚き、リリーナは呆れ返って眉間に皺を寄せていた。しかし、


「す、素敵…!」


 イドナはそう言って、喜ばしいと言わんばかりに目を輝かせていく。


「素敵ですわ! リリーナ様はとてもとても殿下に愛されているのですわね!? これはまた新しい発見ですわ! メモ、メモを取らなければ…っ!」


 興奮に震えるイドナは慌てた様子でドレスのポケットを探りメモ用紙と万年筆を取り出すと、そのまま熱心に何かを記し始めた。


「リリーナ様は殿下が強い嫉妬を示すほど周囲に博愛を与え、人々を魅了し続ける存在であると本日改めて認識…殿下の寵愛を一身に受けるそのお姿は、正しく我らが女神と言える…」


 ぶつぶつと内容を呟きながらイドナはメモを書き進めていき、リリーナたちはその姿に少し驚きを示す。特にディードリヒは、イドナの反応が彼の予想していたものと異なっていたためか正直にその動揺が表情に出ていた。


「はっ! も、申し訳ございません。仲睦まじいお二人を見ていると筆が止まらずとんだご無礼を…! お詫び申し上げますわ」

「いえ、少し驚きはしましたが…」

「しかし! リリーナ様の幸せが私どもの幸せでございますので、やはり今目にした光景は皆様に周知するべきであると感じましたのっ。最早私共ファンクラブは、お二人の幸せを願っていると言っても過言ではありませんもの!」


 謝罪する誠意を大きく上回る熱意がリリーナの言葉に被さってまで飛び出してくる。変わらぬ熱量を一直線に向けてくるイドナに対してリリーナとディードリヒは僅かに身を引いていた。

 特にディードリヒからすれば未知のものを見ている感覚に近い。リリーナを崇めるが故に自分たち二人を応援するというのは、彼からするとどうにも理解できなかった。


「リリーナ様は女神様であるということは既にファンクラブ内でも常識となりつつありますが」

「常識とは…?」

「しかしリリーナ様にも身近な方にしか見せない、私どもの知らないお姿が存在するはずです。特に殿下にしかお見せしないであろうお姿が! その秘密は絶対に守られるべきですわ。で、あるからこそファンクラブ一同はお二人を応援すると総意が決まっておりますの」


 紛うことなく“力説”と言っていいイドナの言葉にリリーナは完全にたじろいでいるが、一方でディードリヒはその表情を変える。

 ディードリヒは動揺から真摯なものへと表情を変えてイドナに視線を向けると、これまた真摯な様子で口を開く。


「ありがとう、シュピーゲル嬢。ファンクラブの皆がそんなことを考えてくれていたなんて聞いてな…知らなかった」

「先日の緊急招集で改めて決議されましたの! 私どもにできることがもしございましたらご連絡くださいませっ」

「あぁ、その時は声をかけよう」


 今ここに、新たな協定が誕生した。

 恐らく握手を交わさないのはリリーナを気遣ってのことだろうが、リリーナからすれば呆れるほど意味のない協定である。

 つい五分前まではイドナを強く警戒していたというのに、話を聞いた途端のディードリヒの身代わりの速さには呆れ以外の言葉が出てこない。


「シュピーゲル嬢、折角の機会故にもっと今後のことについて話し合いたいものなのだが、僕とリリーナにはまだ用事が残っていてね。ここは失礼するよ」

「畏まりましたわ、殿下」


 しかしディードリヒは話をぶつ切りにするように会話を切り上げてしまう。リリーナがこれ以上の急ぎの要件はあっただろうかと疑問に思っていると、ディードリヒが不意に彼女の手を取った。


「じゃあ行こう、リリーナ」

「リリーナ様、ごきげんよう」

「待ってくださいませ、私はまだイドナ様とお話しができてませんわ」

「ごめんリリーナ、急いでるから…」


 と、そこまで言いかけたディードリヒがふとリリーナから正面に視線を戻すと、そこには激しく人相の悪い顔つきをして橙色の髪をオールバックにした青年が、不機嫌を通り越して鋭いナイフのように尖り冷え込んだ怒りを露わにして二人の前に立ち塞がっている。


「「…」」


 しかしディードリヒは青年を見たその瞬間にはもう視線を逸らし、何事もなかったかのように脇をすり抜けようとするも、


「もう逃げられませんよ殿下」


 青年、ミイルズ・シュヴァルツヴァルトが“しっかり”と己の責務から逃げ回る本日の主役の片割れの肩を掴んだ。


「逃げようとはしていない。僕とリリーナにはまだ要件が」

「…そのようなものはもう残っていないと思いますわ、ディードリヒ様」

「まだあるんだよリリーナ。僕たち二人の時間っていう大切な時間が…」

「ディードリヒ様?」


 言い訳がましいディードリヒの言葉とミイルズの態度に何かを察したリリーナは、徐々に言葉の熱を冷ましていく。

 そう、彼には大切な要件があったはずだ。


「ディードリヒ様、予定されていたスピーチのお時間は何時ごろでしたでしょうか? 私時計を持ち合わせておりませんの」

「あぁ、それなら全部終わってからでも大丈夫だよ。なんてったって今日はミイルズが仕切って」

「そんなわけないですからね。俺はそのスピーチの時間をいくらも過ぎているからこうして殿下を探していたんですから」


 リリーナとミイルズの二人に睨まれるディードリヒ。なんとも自業自得であるが、ミイルズはふとリリーナへと視線を動かした。


「とはいえ、ルーベンシュタイン様…いえ、王太子妃様へのご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます。本日はおめでとう御座います」

「ありがとう、シュヴァルツヴァルト公爵。本日のベストマンは貴方だと聞いて安心していましたが、期待を裏切らない働きに感謝していますわ」

「ありがたきお言葉でございます。自分も本日の任を心より光栄に感じております。ですので王太子妃様さえよろしければ、殿下をお借りできませんでしょうか?」


 いつもと変わらず二人の会話は事務的なそれだが、本心から出る互いの言葉には絶妙な説得力がある。

 似たもの同士の二人からすれば、この事務的で無駄のない会話こそ信頼の証だ。


「…ミイルズ」


 そしてそんな二人を見て機嫌をディードリヒが悪くするところまでが日常的な一連の流れである。

 しかし毎度のことだがミイルズを睨みつけるディードリヒに少なくとも今その資格はない。ミイルズはディードリヒの尻拭いに来ているので当たり前である。


「仕事上の関係で互いに敬意を払うことは仕事を円滑に進めるための必須事項です。わかったらスピーチに向かってください」

「僕にはリリーナとの大切な時間が」

「ディードリヒ様、ミソラを呼んだ方がよろしいかしら?」

「くっ…」


 冷め切ったリリーナの圧に押し負けるディードリヒは苦い表情で視線を逸らした。しかしミソラに強制連行されるという情けない姿を晒すのは良くないということもわかっている。


「…っ、〜〜〜…っ」


 そして行き場のない感情を固めた拳を強く握り締め、果てはそれを自ら解いた彼が悲しみを背負いながらスピーチに向かうまで、そう時間はかからなかった。


後半はイドナ…とおまけのようにミイルズでしたねディードリヒは仕事をしろ


イドナは通常運転ではあったのですが、個人的には必要以上に社交を求められない(見合いの席にでなくていい)ご令嬢は案外イドナのような子もいたのかなと、勝手に思っています

おのぼりさん、というとややよくない表現かもしれませんが、やはり人に揉まれている人間とは人との距離感や人の多い場所への慣れに違いが出てくるように感じます

とはいえイドナは今日もリリーナが絡むと通常運転なのでメンタル強いのかもしれない。推しがいれば生きていけるタイプの人種かもしれない


ミイルズ、出てきたタイミングが最後の方すぎて全然掘り下げしてあげれてないんですよね。まぁ苦労性であることが伝わってたら今はそれでいいのかなと思っています

人相の悪いオールバックの苦労性…うーん、ここだけみるとツッコミ役の不良みたい。実際は真面目で素行もいい子なんですが

二部で取り上げたいキャラですね


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