君と歩いていくために僕がやりたいと思ったこと(2)
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静かに走っていた馬車が足を停めると、ディードリヒがリリーナを馬車から降ろし、自らも降車する。しかし地面に足をつけたリリーナは周囲の景色を見渡して少し困惑した。 彼女が困惑した理由は目の前に広がっている景色が大きな河だったからである。
その河はドライエック河と呼ばれ、フレーメンの大地を三角形を刻むように大きく渡っていることからそう呼ばれており、果てはレーゲン領の海へと繋がっていく。
しかし“歩ける格好で”と要求されたのでてっきり森か山にでも入ると思っていたのだが、何故河に来たのだろう。
「…?」
そして何やらディードリヒが一人で川縁に大きな木箱を積んでいる。彼は何かの法則に従って馬車の荷台から木箱を移しては川縁に積み上げていた。
驚いたリリーナが「何かお手伝いを」と声をかけるも、彼は「見ていて」と言うばかりで何も手出しはさせてくれない。
一体何が起きているんだ、と胸騒ぎを抱えながら目の前の光景を眺めていると、最後の一箱を積み終えたらしいディードリヒがこちらを手招きしている。
「ディードリヒ様、これは…?」
彼の元に小走りでやってきたリリーナが目の前に積まれた木箱について問うと、ディードリヒは静かに微笑みスラックスのポケットから釘抜きのついたハンマーを取り出した。それから彼は釘で厳重に閉められた木箱の釘をいくつか抜いて中を開く。
「…これは」
中に入っていたのは、何枚もの…数え切れないほどの自分の写真。
どれも絶対に自分が写っているが、同時に視線は写真機のレンズに向いておらず画角も被写体を捉え切れているとは言い難い。
この写真たちが自分を盗撮したものだと理解するまでに時間は掛からなかった。だが、まさかこの全ての箱に同じものが入っているというのだろうか?
「全部君の写真だよ。今日はこれを燃やしに来たんだ」
「そんな! よろしいのですか!?」
ディードリヒの発言に思わず驚くリリーナ。
この写真たちは彼にとって命にも代え難いもののはずだ。それだけの年月がここには込められているはずだというのに、彼はそれを捨て去ろうと言うのだろうか。
「全部燃やすわけじゃないよ、ただ少し整理したんだ。一つけじめをつけようと思って」
「…けじめ?」
「今まで僕は君の本の一秒だって逃したくなかったし、今だってそれは変わらない。どんな君だって欲しいし、本当は部屋の外になんて出ないで僕のそばにずっといて欲しいよ。だけど」
言いながら、ディードリヒは自らの拳を強く握りしめる。握り込んだ手のひらから血が出てしまいそうなほど強いその力に、リリーナは少し心配を覚えた。
「だけど、君は僕を受け入れてくれた。僕の汚い、とても正しいとは言えないところを好きになってくれて、その上で明日になったら君は名実ともに僕の君になる。それなら、少し思い出を整理するくらいはしないといけないと思ったんだ」
「ディードリヒ様…」
「正直に言えばこの箱の中身はアルバムにまとめ切れなかったあまりだし、君のこれまでは年ごとに最低三冊はアルバムや記録に残してある。だけどこれ以上僕を見ていない君を集めるのはやめようって決めたんだ。これから先は自分の手で君を写して、君が僕の君なんだって残していけるように」
今までは自分のそばに彼女はいなかったから、写真や記録を集めることに意味があったと今でも思う。
少しでもリリーナが撮れている写真は全て自分の手元に送らせて、その何枚も何枚もに至る全てを保存し、まとめて、見返して…そうすることで手の届かない彼女を感じてきた。
今も本心では写真でいいから一枚でも多く彼女のかけらを集めたいと思っている。
リリーナが自分の隣にいない時間の全てを知りたいと願う。彼女の全てが、全てが欲しい。
だが彼女は今自分の隣にいて、汚い自分を愛してくれている。そこに聖母の様な優しさはなく、何度となく頬を叩かれつねられ叱り飛ばされてきたが、そうやって自分を叱りつけて向き合おうと努力をしてくれるのが彼女の愛だ。
それだけでも嬉しいというのに、彼女は自分のこの泥を嬉しいと言う。それはまるで夢のようで。だからこそ、その想いが何よりも嬉しかったから、夢のような今に対して自分にできる成長は情報の整理であった。
そして、今の自分がこれからやるべきことも多い。
それはリリーナが、自分を見ていない時間にも自分を裏切るようなことはしないと信じること。
それはリリーナが、自分の見ていない場所でも彼女が彼女として気高くあると信じること。
何より、自分と二人でいる彼女の証明をできるだけ多く手元に残すことだ。
そうやって手元に置く情報を自ら選び、率先して手に取る情報をリリーナと進んでいく物事へと変えていくことも大切なのではないかと、彼はこの時間の中で強く思う様になっていったのである。
「本当は君の全部が欲しい気持ちと君を信じる気持ちは別のものだし、どんな情報も欠片も欲しいよ。このあぶれた写真以外でここまで集めたものを捨てるつもりもない。だけど、未来に向かう何かが欲しいと思った時…まずはここからかなって」
「ですが貴方の中で想いが別なのであれば、それは…」
「無意味ではないよ。僕は僕を見てない君だけじゃなくて、これからは僕を見てくれる君が欲しいと思ったんだ。そしてそれって君が僕のそばにいないとできないから、独りよがりな行動を少しでも改めるきっかけになるかもって思って」
リスキーなことをしている自覚など最初から持っていた。そしてそれは今やリリーナのリスクにも、自分たちの関係を脅かすリスクにもなっている。
それでも全部を捨てることはきっと一生できない、しようとも思っていない。あの美しい輝きを葬り去るなど、彼女を連れて心中でもしてしまった方がよほどマシな思いだ。
だがそれでは何も変わらない。
変わらないのでは今の思いも続かないから、写真を整理して納める光景を変えようと心に決めた。
「君が信じてくれるなら、城に置いてある写真機で君を撮る様なことはもうしないよ。あれは“影”に渡して防犯用にしてもらうつもりでいる…こんなものでけじめになるのかは、わからないけど」
結局リリーナを怯えさせ呆れさせてきた全てを捨てることはできない。彼女に執拗に付き纏うこともやめる自信もなく、彼女の行動も知りたければ時折盗聴器は使うかもしれない…そんな自信のない状態で、本当にけじめになるのだろうか、とはやはり考えてしまう。
しかし、
「まず一歩としてはよろしいのではなくて?」
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