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謝罪と謝罪(2)


「リリーナ様」


 それでもリリーナの態度に苛立ちを隠せないリヒターに向かって、リリーナもまた苛立ちを隠さない。だが相手に畳み掛けるような彼女の言葉に鈴のような声音が割って入った。

 声の主であるオデッサは、リリーナをしかと見つめ彼女と視線を合わせると静かに首を横に振る。


「リリーナ様、あまりリヒター様をいじめないであげてください。この人は根性もなければ覚悟も気合もありませんし、半端になんでもできる分死ぬ物狂いの努力なんてわからない傲慢な人ですが、リリーナ様のことも苦手なんです」

「苦手…? 王子殿下が、私のことを?」

「はい。あまり深くは言いませんが、本当に救えないほどおバカな人なので…」


 やや気まずそうに言うオデッサ。そしてオデッサの言葉にショックを受け大きく表情を変えるリヒターと、二人の様子に“オデッサの発言は事実のようだ”と真顔になるリリーナとディードリヒの姿がそこにはあった。


「オデッサ、言い方に棘が」

「あって当たり前です。いくらリリーナ様が苦手だからといってこんなところで根負けしないでください。私たちは謝罪に来たんですよ」

「それはそうだがあいつも文句を言うにしたって言い方ってものが」

「立場が逆なら私だって同じことを言います。そんなことだからフレーメン殿下のようになれないんですよ!」


 言い合い、と言うにはあまりにもリヒターが遅れをとっている様と真顔で眺めながら、リリーナとディードリヒは“あぁ、リヒターはオデッサの尻にしてれているのだ”と少し視線の行先が遠くなる。そしてあのただ子供のように己の正義でものを語り軟弱だったオデッサがここまで逞しくなった姿を見てリリーナは少し感心した。


「フレーメン殿下にご兄弟はいらっしゃらないだろ」

「そういう話じゃありません。見てくださいあの悠然としたお姿を、今のリヒター様にあの余裕がありますか?」

「う…」

「そんなことだからリリーナ様に『やることが半端だ』って言わんれるんです。おっかなびっくりしていないでちゃんと誠意を見せてください、誠意を!」

「わ、わかった…」


 リヒターはオデッサに叱られすっかりたじたじといった様子である。その姿にリリーナは“こんなリヒターは見たことがない”と少し驚いた。

 自分の中にあるリヒターのイメージといえば、捻くれものでやや上から目線でものを言い、喋り方ももう少し淡々としたものというイメージだったのだが…こんなにも押しに弱い人間だったとは。


「…ルーベンシュタイン嬢」

「はい」

「貴女にあらぬ冤罪をかけたことを本当に申し訳なく思う。言い訳がましいようだが、俺にはあの時オデッサといるためのやり方があれしか思いつかなかった。家を守ろうとするお前がこちらの話を聞くとは思えなくて…」

「いいえ、それは違いますわ。事前にお話をいただければ互いに折り合いをつけて平和的に解決することもできたはず。貴方がたの距離が近くなった時、私たちはまだ婚約もしていなかったのですから」


 リヒターの言葉をはっきりと否定するリリーナ。だが“許嫁など所詮許嫁であって書類上の契約も存在しない”、と言外に主張する彼女にリヒターは渋ったような表情を見せる。


「信じがたいな…お前のことだから俺の醜聞について触れてきたはずだ」

「触れるに決まっているではありませんか。互いに醜聞になるのは確実なのですから、貴方にその覚悟があるのか問うのは当然ですわ」


 正直に言って、リリーナからすれば今の彼の発言は“馬鹿ではないか”としか言いようがない。そしてその思いは彼女の視線に乗ってリヒターへ突き刺さる。

 互いの醜聞になるということは、互いの家の醜聞にもなるということだ。その上で違う女性と寄り添おうなど覚悟の一つも問われるに決まっている。それなのにそれを嫌がるような発言は頭の中がお花畑なのかと思ってしまう。


 それに、そこまで自分に対して否定的な発言が飛んできたということは、リヒターにとって自分はそこまで信用がなかったということだ。そこにも少なからず思うところはある。


「いいや、必ずお前は食い下がったはずだ。俺とお前の許嫁関係が解消になったら恥をかくのはお前の家なんだからな、違うか?」

「食い下がるのは私ではなく陛下だと思われますが? 先にオデッサに手を出した貴方がことの発端なのですから、責任を取らされるのは貴方だけでなくお父上であるレイノルド陛下もでしてよ」


 謝罪から始まったはずのは話も気がつけば言い合いに発展しつつあった。一言口を開けば互いに棘のある言葉が出てくる二人を不安げに見ていたオデッサがディードリヒに「止めなくていいのか」と言いたげな視線を送るも、ディードリヒは黙って首を横に振った。


「お前はいつもそうだな。そうやって上から見下してなんでも俺が悪いとでも言いたげだ」

「この件に関しては徹頭徹尾貴方が悪いのではなくて? 私という存在がありながら個人の感情を優先して場をかき乱し、挙げ句の果てに私に冤罪をふっかけて牢に入れたのはどなたでしたかしら?」

「それに関しては俺が悪いが、お前もいつもこっちを見下してただろ。最初は何事も俺の方が上だったのに、自分の方ができるようになったら今度は俺を、周りを見下して」

「何を言っているんですの? 私は貴方に興味などありませんわ。それに貴方に見下す点などないではありませんか、何事であろうとやればそれなりにできるのですから」


 そうだ、いつだってリヒターが自分のように死ぬ物狂いの努力をしているところなど見たことがない。少し経験を積めばコツを掴んでなんでも人よりこなせてしまう。

 そんな相手の隣に立つためにも努力を重ねなければいけなかったのに。


「やればできるのはお前の方だろ! 人の目の前で称賛を掻っ攫った挙句こっちを見下しやがって———」


 リヒターがそこまで言いかかって、リリーナは席を立つとリヒターに向かって足早に歩きながら平手を振り上げた。

 そして、己の努力を否定された憤りと悲しみに塗れた手が相手を引っ叩こうとした時———


「!」


 その手がリヒターに届くことはなかった。リリーナの細い手首はいつの間にか背後に立っていたディードリヒの手によって止められている。


「リリーナ、だめだよ」

「リヒター様、言い過ぎです」


 息を荒げながら互いのパートナーに視線を向けるリリーナとリヒター。

 それからリリーナは一瞬ディードリヒを強く睨みつけるも、すぐに苦痛に満ちた感情に表情を歪め、なんとか振り上げた手を下ろす。

 対してリヒターはオデッサの言葉にはっと我を取り戻し気まずそうに俯いた。


「…申し訳ない、オデッサの言う通りだ。こちらは謝罪に来たというのに」

「いえ…私こそ申し訳ございませんでした。王子殿下に手を上げようなど…お許しくださいませ」


 そう口では相手を思い遣っても、二人の視線が絡むことはない。

 互いの発言に不服が残ろうとも、それはこの場で必要な話ではなく互いの立場も考えなくてはならないと思うと、せめて視線を合わせない程度のことしか二人にはできなかった。


「パンドラ王子殿下」

「…なんでしょうか、フレーメン王太子殿下」


 ふと、ディードリヒがリヒターを呼ぶ。そしてリヒターが視線を向けたディードリヒはリリーナを庇うように強く抱きしめ、その瞳は静かな憤りに満ちている。


「僕たちは貴方の婚約者であるマイヤー嬢に謝罪しなければいけないことがある。だがリリーナを三度も侮辱されたとなれば、僕がその言葉を口にすることはない」

「申し訳ない。言い訳ができるなどとは思っていません。全ては俺が仕組んだことだ…俺がリリーナを恐れるゆえに」


 リヒターは少し感情の波が落ち着いたのか、静かで真摯な態度でディードリヒに謝罪を述べだ。そこから最後にぽつりと溢れた言葉にオデッサが少しリヒターを心配するような視線とともに彼の手を握る。


「要は、俺はずっとリリーナが怖かったんです。リリーナは一見穏やかな人間ですが、その実ものに対する興味の薄いことに俺は気づいていたから」

「…その程度のことで、リリーナを侮辱すると?」


 しかし弁解のようなその吐露にディードリヒは冷たい疑問を返す。

 リヒターはその疑問と静かに憤るディードリヒの姿に納得した様子を見せると、また一つ「申し訳ない」と謝罪を述べた。


「リリーナの興味のないものへの視線は、まるで全てを見下しているように見えた。そして気がつけば彼女は俺より優秀になって、カリスマ性も高い。家族以外には冷たい母上さえリリーナを認めていた。だがそんな彼女が俺に向ける視線はいつも冷たく、興味のかけらもない」

「だからリリーナを、自分が嫉妬する人間を虐げていいと?」

「…正直に言えば、思っていた。オデッサと出会った俺は、彼女との時間を重ねるうちにリリーナの存在が疎ましく…憎らしくなっていった。どんな手段を使ってもリリーナを許嫁という立場から追い出そうとするほどに」


 オデッサは決してリリーナのような冷たい視線を自分に送ることなどなく、かといって他の人間のように汚い下心も見定めるような視線も送ってこない。

 平民育ちゆえなのか、彼女はいつもはっきりとした自主性と安心感のある慈愛を持ち、自分にも公平に笑いかけてくれる。

 確かに自分は王族であるがゆえに“敬うべき立場である”という認識は最初からあったようだが、それ以上にオデッサはいつも“自分”という個人を見つめ優しく笑いかけてくれていた。


「だがやったことが間違ったことであったこともわかっています。それはやったことが公になったからではなく、リリーナを冤罪にかけようと計画していた時からわかっていたことでした」

「…」

「それでもオデッサといたかった俺にはそれしか選択肢がないと思っていたんです。あの国でリリーナに勝てる人間などいなかったから」


 あの場でリリーナより優秀な人間などいなかったと、今でも断言できる。

 完璧な礼節、豊かな表現を持った言葉遣い、しっかりと身に染みた教養、薔薇のように強い存在感とガーベラのような包み込まれる気遣いを忘れない姿で周囲の人間と常に適切な距離を保ち常に見本のように振る舞うことができる…この全てが成り立っている若い令嬢は存在しなかった。


 それ故に、たとえ本人の言う通りリリーナが自分との関係に食い下がることがなかったとしても、確かに父王レイノルドはリリーナに対して関係の維持を持ち掛けたかもしれない。さらに本当に正当な手段で関係を解消していたら、周囲からの野次や否定的な声は今より大きかっただろう。


 自分はリリーナが恐ろしくオデッサとともにありたいと願って、そしてできる限り反発も少なく…そう思った時、リヒターにはリリーナを蹴落とす手段しか思いつかなかった。


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